甘える
「やっと新しい店長が来るみたいよ」
「えー。でも今の店長も良いと思うけどな」
「まあね。今度みんなで食事しにいこっか」
「いいね」
「あ。百香里ちゃんも一緒に…こない、か」
「こないこない。バイトかけもちしてるから時間ないんだってさ」
お昼休憩をしているとバイト仲間たちのそんな会話が聞こえた。
あの人が去ってしまうのか。1ヶ月くらいしか経ってないのに。
来週にも新しい店長が来るそうだけど。
「はっはっは。冗談キツいわ弥生ちゃん。ああ、分かってるて。そんな言わんと」
お弁当を食べ終えて何となく休憩室に居辛くて廊下に出ると総司の声。
何処にいるんだろうと声に向かって歩いていくと彼は事務所で電話中。
女の名前が出てきた。たしか弥生というのは本社の人だ。
「……」
とても仲が良さそうだし、やっぱりそういう関係の人なのか。
「うん。ああ、分かった。そっち戻ったら一緒に片付けようや、その方が早い」
総司は機嫌よさげに電話を切る。百香里は無言でその場から去った。
「…そっか。誰でも手伝ってくれるんだ」
私に優しくしてくれたわけじゃなくて、ただ元からそういう優しい人で。
裏があるかもしれないとか初めに釘をさしとこうとか、
なんて変な事を考えていたんだろう恥かしい。彼もきっと苦笑いしていたのだろう。
だけど大人だから敢えて言わずにいてくれて。考えれば考えるほど自分が嫌になる。
「松前さん今度みんなと食事行くんですか」
「ああ。さっき誘ってもろた。自分は行くん?」
「まさか」
「やよね。そんな気したわ」
今日は夕方で帰る日。着替えて外へ出ようとしたら作業している総司とすれ違う。
先ほどバイト仲間たちが彼を食事に誘っているのを見ていた。
「楽しんできてください」
「ありがと。ほんま、あっちゅう間やったけど。楽しかったわ」
「よかったですね。それじゃ帰ります」
「あ、ちょと待って」
「何ですか」
「キモイ言われんの覚悟で言うわ。今日一緒に飯食わん?」
「でも私これからコンビニでバイトあるし」
「俺もまだちょっと仕事残ってるし。丁度えんとちゃうかな」
自信がないのだろう、オロオロして不安そうな顔をしている総司に
百香里は暫し考えて。
「いいですよ」
「ええの」
「はい。食事会参加できないし。あ。よかったらご馳走します、うどんだけど」
「え。ええねん、誘ったんは俺やから」
「そうですか。わかりました。それじゃ終わったら連絡します」
「あ、ああ。…めっさすんなりいったな」
「それじゃ」
おっさんがキモイとかセクハラとかそんな時間無いですからと却下されると思った。
でも最後だし自信はないけど当たって砕けるつもりで誘ったのに。総司は笑顔になって、
でもまだ仕事が残っている。急いで片付けよう。彼女のバイトもどれくらいになるか。
「そこの牛丼でよかったのに」
8時を過ぎたころ。彼女からメールがあり待っていた総司は待ち合わせ場所へ向かう。
誘ったのは若い子に人気があるというパスタの店だったがそれよりも彼女は
さっさと食べれて安くて量のあるお店に行きたそうだった。らしいといえばらしいが。
「なあ、ユカリちゃん。将来的にうちの会社の正社員とか考えてる?」
「もちろん社員にはなりたいです。バイトよりずっと待遇がいいし」
「それやったら面接受けてみるか?俺人事に知り合い結構おるし」
「…松前さんって優しいですね」
「あ。いや、別にそんでどうこうしようとか思ってるわけや」
「分かってます。誰にでも優しいから、勘違いしそう」
「え」
先に来たセットのサラダを食べながら百香里は視線を逸らす。
総司は不思議そうに彼女を見ているが。
「気持ちは嬉しいけど。私、自分で探します」
「そうか。まあ、ユカリちゃんなら何処でも」
「そうでもないです。…私、馬鹿だし。もっと愛想とかよくしたら受けるのかな」
「ほんまもんのアホちゅうのは自分の事アホやなんて思わんで」
「……」
「なんもかんも失った時に初めてほんま自分はアホやったと気づく事もあるけどな」
苦笑する総司。
「…私、実は幾つか会社を受けたんです」
「ほう」
「どうしても条件のいい会社ばっかり選んでしまって。周りは大学生ばっかり。
それも有名な学校で。やっぱり面接でもその辺の事いっぱい聞かれちゃって。
中には笑う人も居て。本音を言うとそういう場所がちょっと怖いんです」
相応の会社に行けばいいのだろうけど。それだとバイトと大差なくて。
それならやればやるだけ稼げる今の方がいいのかもと思って。
「見る目ない連中やな」
「お母さんには止められてるんですけど、ホステスって結構いいお金になるみたいだし。
もしそうなったらお客さんで来てくださいね」
「向いてへん仕事やと思うけどな。自分でも分かってるんやろ。やから金がよくても飛びつかん」
「……鋭いですね」
「俺も今の会社入るまで仕事転々としてて何でもええから金稼ご思って何でもやったわ。
焦ってもええことないしむしろ度ドツボハマって人に当たって。ええことなんもない」
「松前さんが」
「俺のがよっぽどアホやで。ユカリちゃんはただ頑張りすぎてるだけや」
自嘲めいた笑みを見せ水を飲む総司。
「…松前さんはお父さんみたい」
「あー、おっさん臭かったな」
「そうじゃなくて。…何か、頼ってもいいかもって」
確かに年上なのもあるかもしれないけど、彼は甘えてもいい気がした。
幼い頃に喪ったお父さんみたいに大きくて強くてやさしくて、そんな感じ。
今まで出会ってきた異性に年上は沢山いたのに。そんな感情無かった。
不思議な気持ち。彼になら自分の話ができて、相談が出来て、頷ける。
「え」
「すいません。変な事いって。どうでもいいですよねそんな事」
でも彼は誰にでも優しい。いい人だ。
「あ、いや。ええんや。…嬉しい」
「本社戻っても頑張ってください」
「うん。ユカリちゃんもな」
「…はい」
私だけに優しいわけじゃない。甘えるのはダメだ。
「ぱ、パスタどうや?美味い?」
「美味しいです」
「よかった」
何で甘えたいと思う人は自分から去っていくのだろう。父も、彼も。
「…松前さん。今日はご馳走様でした」
「そんなん気にせんでええよ」
「それじゃ」
「うん。また、な」
食事を終えて店の前で別れる。送ってくれるといわれたが遠慮した。
深くお礼をして歩き出した百香里。でもすぐに足を止めて。
振り返ってまだ此方を見ていた彼の元へ早足で戻る。
「松前さんは優しいですね。今までの人たちと違った」
「そうでもない」
「こんな私でも助けてくれて。でも、甘えちゃいけないですから。これで最後にしましょう」
「……」
「さようなら」
彼は来週には去る。その間また優しくされたら心が揺れてしまいそうで怖い。
何を恐れているのか分からないけれど、とにかくこのままでは不味いと思った。
だから今のうちに離れてしまっておいたほうが自分の為だ。と。
「人に甘えるんはそんなアカンことか」
「……」
総司に背を向けて歩き出した百香里に彼は問いかける。優しい口調で。
「ユカリちゃんは甘えてええよ。こんなおじさんやなくても誰にでも甘えたらええ」
「……」
「それで誰が困る?誰も困らん。自分でそう思い込んでるだけや」
「…じゃあ」
百香里は立ち止まり、もう1度彼の方を向いて。
「え?ちょ…ちょと!」
ダッシュした。
「…やっぱり暖かい」
そのまま総司の体に当たり彼にタックルをして彼の胸に納まる。
「えええええ!?」
「松前さんが言うからですよ。嫌でも自業自得です」
「い、嫌やないけど。その、ええの?」
「甘えろっていうから。私、甘え方しらないから。こんな感じかなって」
「なんちゅうか。これは…そう、あれや。子どもがお父ちゃんに甘える感じやな」
「私はもう子どもじゃないです」
「…甘え方知らんのは俺も同じようなもんやけどな。これはまた、な」
どうしたもんか。総司は抱きついている彼女の頭を撫で何度目かの苦笑いをした。
「ありがとうございます」
「こっちのがお礼言いたいくらいや」
「あ…あの。また、…甘えてもいいですか」
「俺も男やであんまり抱きつかれんのは困るな」
「すいません」
「また一緒に飯でも」
「そうだ。映画観ましょう!映画!」
「え」
「お母さんにお前はバイトしすぎだからたまには休めってチケット貰ったんです。日曜日空いてます?」
「あ、ああ…まあ…ええ、はあ」
「ペアチケットだったので。松前さんが来たら無駄になりませんね。よかった」
「…な、なあ。俺でええのかな」
「別に誰も誘う相手いないんでいいですよ」
「…はあ」
彼女にはデートの意識はないのかもしれないけど。いいのだろうかこんな簡単に。
呆然としている総司に百香里は嬉しそうに笑っていた。
不安もあるけれど、彼女が喜んでいるならいいとしよう。総司もつられて笑った。
つづく