百香里、デレる。


前の人が結婚と産休に入り臨時でやってきたバイト先の店長さん。
年上で背も高くてなんとなく威圧感があって最初は怖かった。でも一緒に働いていると明るくて何時も笑顔。
そして何よりも気遣ってくれて優しい。女子ばかりのお店でもいつの間にか店長として頼りにされていた。

「あれ?今日も?今日は遅番やなかったやろ?」
「かわったんです。私特に予定ないし、その分お金も入りますし」
「ずっと遅いと親御さん心配せえへんの?」

時計を見るともう夜の9時。通りでお腹が空くわけだ。でもまだ在庫の整理や掃除やら仕事は残っている。
此方からお願いした訳でもないのに手伝ってくれて。最初こそ遠慮していたけれど、彼は笑って。
それがいつの間にか当たり前のようになっていた。百香里もどこかで淡い期待を持っていたに違いない。
だから何時も以上に多く仕事をこなしていたようにも思う。

「母もこれくらいならまだ働いてますから。大丈夫です」
「お父さんは?」
「子どもの頃に亡くなりました」
「そうやったんか。堪忍な」
「松前さんこそいいんですか?こんな雑用したって手当てつきませんよ?」
「俺も予定ないし2人でやったほうが早よ終わるやろ」

何でそんな優しい言葉が出るのだろう。今まで百香里が出会った大人たちは事務的で。
或いは冷たかったり仕事と割り切って無関心だったり逆に怖いくらい優しかったり色々居た。
バイトでそんな人たちにも慣れているつもりの百香里だがちょっとだけ彼に戸惑っていた。
どんなに優しい人が居てもそれは何かしらの見返りを求めていたから。
服従だったりやってあげているという優越感だったり、男だったら百香里の体だったりして。

「松前さん」
「何や」

この人も優しそうに見せかけて実は何かを求めているのだろうか。
今まで出会ってきた人たちと大差ないのだろうか。

「遊ぶにしても私は止めた方がいいと思います」
「え?」
「私にはそんな時間ないんです。1秒だって惜しいんです。誘ったって行きませんから。
優しくしてくれたって無駄ですよ?別の人にしたほうがいいです。時間の無駄です」

百香里の言葉に作業していた手を止めて此方を振り返る総司。
最初は何を言っているのか分からない様子で困惑していたようだが
直に理解したようで今度は何処か悲しげになった。

「俺も男や1ミリも下心無いなんて嘘はつかんけどもや。そんな言い方せんでもええんとちゃう?」
「でも初めのうちに言っておいたほうがいいかと思って。私、ほんとに無理ですから」

頑張って何かを得る事は好きでも人に何かを与える事は苦手。というかそんな余裕ない。
金銭的にも時間的にも心にも。今の自分はバイトしかない。そう思い込んでいた。

「ほな、時給付けたら何でもしてくれるん?」
「え」
「そうやな。時給1900円で遊ばせろ言うたら自分は遊んでくれるんか?」
「……せ、1900円」

即答は流石にしなかったけれどその時給にちょっと心が動いた。

「金が大事なんは分かるけどな、自分は大事にせなあかんよ」

そんな百香里の様子を見て内心を察したのか総司は苦笑し去っていく。

「松前さん」

呼び止める百香里。彼は立ち止まる。振り返りはしなかったが。

「せやな。俺があかんかった。こんなおっさんがベタベタしたら気持ち悪いわな。
何かあるんちゃうかて疑いたくもなるわ。ほんま堪忍してな。もうせえへんで。キリのええとこで帰り」

そしてそのまま事務所へ戻っていく。残った百香里は暫し呆然としていたけれど
目の前の仕事を片付けようと慌てて手を動かす。まさかあんな反応するなんて。
彼に悪い事をしたろうか?なんて考えても仕方ない。
出来ないものはできないのだから。彼が何を自分に求めたって何も返せない。
私は何も持ってない。だから。彼に期待されても何も返せない。気にする事ない。

「ごめんなさい。今まで優しくしてくれた人は何か私に求めてきたから。だから、それで。あの」

頭でそう決着をつけたはずなのに。何も悪い事はしてないつもりなのに。
仕事を乱暴に終わらせると急いで百香里の足は事務所の総司の元へ。
行き成りきた百香里に驚いた顔をしていたがすぐ何時もの表情に戻った。

「やろな。めっさ警戒してたもんな。おもろいくらい」
「お詫びに…お茶おごります」
「ええよ。そんなんしてもらわんでも、おっさんが悪かったんやし」
「松前さんはおっさんじゃないです」
「ははは。ありがと。もう遅いで気つけて帰り」

笑う総司。百香里は踵を返すなり部屋を走って出て行って。数分後。

「どうぞ!」
「買うてきたんか?ほ、ほんまにええのに」
「100円で買える自販機のなんで!でも味は普通にお茶ですから!」
「そ、そんな怒らんでも。…はあ、どうも」

戻ってきたと思ったらヤケクソ気味に投げつけるように総司にお茶缶を渡す。
息切れしているから走ってきたのか。

「優しくされるとどうしていいか分かりません。お礼とかしたことないし。下手に関わるのも嫌だし。
だから、可愛げないとか面白くないとか金ばっかりとか。そんな風に言われるのにもなれちゃって。
貴方にもきっとそんな風に思われるんだろうと思って。なら、最初から分かってもらったほうがいいかなって」

今物凄くテンパっているのが自分でも分かる。何でこんなこと言ってるんだろう私。
この人とそんなずっと居るわけじゃないのに。先の事を気にしている自分。彼の評価を気にしている自分。
百香里は困惑している。どうしたらいいのか分からなくて。何でこんなにも落ち着かないのか。

「ほんま真面目な子やな。そんなこと考えんでもええのに」
「……」

そんな百香里に微笑みかける総司はとても暖かく優しそうに見えた。
裏でどうかしてやろうなんてそんな事を思ってないような。そんな。
百香里はちょっと泣きそうになる。何故かは分からない。

「援助無しに生きるんはやさしいもんやない。それはよう分かってる。
俺でもめっさ必死やのに自分まだ若いのにようやってるわ。ほんま偉い」
「子ども扱いしないでください。もう高校は卒業したんですから」
「俺はもうすぐ40や。自分はまだまだ若いで」
「え。そうなですか?もっと若いと思ってました」
「ほんま?いや俺もな実は歳数え間違えてんとちゃうかと思って……、やなくて。
まだ若いんやからもっと遊んでええちゅうはなしを」
「自腹じゃ嫌です」
「ほな」
「ま……松前さんが奢ってくれるっていうなら。…ちょっとだけ考えてもいいかもしれない…かもしれない」

頬を赤らめる百香里。総司もその言葉に動揺して視線があっちへこっちへ。
事務所は変な空気になってしまって妙な沈黙が続いて。

「…え、あ、……うん。……可愛い子やなもう」

総司がボソっと呟く。

「じょ、冗談ですよ?そんな時間ないから。いいですから。か、帰ります!」
「お疲れさん」
「はい。…お疲れ様です」
「……」
「……」
「……、…な、…なに?」
「…いえ。…それじゃ」

ぎこちない空気になって百香里は逃げるように事務所から出て更衣室へ戻り着替える。
自分はそんな事を言いたかったわけじゃない。のに、口から出てきた言葉はいったい。
緊張してドキドキして言葉もおかしくなりながら百香里は外へ出た。夜の風が心地いい。
何時ものように安くなった惣菜を買って帰ろう。


「どうしたの百香里ぼーっとして。風邪?」
「そんなんじゃない。ちょっと考え事」
「あんた」
「お母さんは黙ってて!考え中なの!」
「はいはい」

つづく

2012/11/23