はじまり
高校を卒業後は今まで少しずつで掛け持ちしていたアルバイトを1日ずっと入ったりして本格的に働き出した。
勿論安定していて保険も充実した正社員がいい。けれど中々希望が見つからず面接をしても雇ってもらえない。
どうしても目が行く高給な所はやはり学歴が問題。あとコネ。親の職を聞かれ素直に答えたら苦笑いも何度か。
安いと仕事がハードで時間もかかり掛け持ちが出来ない。もっともっと稼がなければと根性を出してしまう。
それが敗因だと分かっているのにそれでもやっぱり自分はかえられず。バイトバイトの日々。
「ねえ百香里。高校卒業してすぐだしそんな慌てなくてもいいじゃない?お兄ちゃんも働いてるし。
あんたの援助もしてくれるって言うからこの際もう1度学校に行けば?専門学校でもいいし」
「今更学校なんて通いたくない。お兄ちゃんもそんな余裕ないよ」
「百香里」
「あ。バイト行かなきゃ。それじゃ行ってきまーす」
明らかに無理をしている娘。母親は困ったような呆れたような顔をして見送る。
兄が社会に出て少しは生活にも余裕が出来たのに。まだあの子にも無理をさせている。
それが苦しいとは思っていない、それが彼女にとっての「普通」になってしまった。
「ちょい待ちや」
百香里のアルバイト先は小さな雑貨屋。遅番になると在庫管理などハードではあるが
時間の融通が利いて尚且つバイト仲間も店長もいい人ばかりで居心地がよかった。
着替えて店長に挨拶をして何時ものように店を開ける準備をしていたら声をかけられる。
店長は女。スタッフも皆女。なのに呼び止めたのは男の低い声。
「…え?あ。私、ですか?」
「そうや。自分や」
まだ少し早いがもうお客かと振り返ると初めて見る長身の男。
機嫌が悪いのかなんだか睨まれているような。容姿どうこうよりも怖いと思った。
「じぶん…?」
「話し聞いてへんの?」
「えっと。何の?」
「俺ここの責任者なんねんけど。めっさ素通りされてナンも挨拶せえへんから」
「そ、そうなんですか?ごめんなさい。何も聞いてなくて」
「ここの教育どないなってんのかと思たわ」
「…すみません」
ちょっと遅刻気味で急いできたから何も聞いてない見てない。最悪だ。
店長が近々結婚するらしいという噂はバイトの中であったけれど。
それとも行き成りの変更なのだろうか。
だけどこんな怖そうな人が店長なら辞めたいかもしれない。
「なんて言うてみたりして」
「え」
「俺がここに来るんは来週やねん。今日は近くまで来たもんで様子見にな」
「……」
怯えて困惑する百香里に相手は表情を緩めニコっとする。声もさっきよりずっと優しい。
「怖がらせるつもりやなかったんやけどちょっと勢いついてしもた」
「何ですかそれ。怖がらせて面白いですか?凄い性格悪いですね」
「お嬢ちゃんはっきり言うなあ」
「準備がありますから」
一礼をして準備に取り掛かる百香里。からかわれたのだと知ると凄くいらだつ。
怖がったのが馬鹿みたい。ニコニコ笑ったりして。私の事を馬鹿にして笑ったんだ。
ついでによく見ると彼がカッコイイとか思った自分にも腹が立った。
「ユカリちゃんか。俺は松前総司」
機嫌悪そうに準備する百香里の名札をチラっと見て笑いかける総司。
さっきの怖い印象から一転して何処か懐っこい優しそうな顔。
「……」
「…ん?なに?何か付いてるか?」
「なんでもないです。もう他の所へ行ってください仕事の邪魔です」
「そんなぶーたれんでも。はいはい。ほなまたよろしく」
松前はまたニコっと笑って店の奥へ行ってしまった。
恐らくは店長や他の店員に話しをしに行ったのだろう。
百香里は平静を装いつつも何処か落ち着かない。
「なんだろ。…なんだろ。…これ」
アルバイトをしてきて色んな人と出会ってきた。男女関係無く。
今回だって今までと何ら変わりない何時もの人事なのに。心臓がえらくドキドキしている。
ビックリした所為だと思うけど。来週からあの人が来るのか。怖いようなそうでもないような。
百香里としては複雑な気持ち。
「あかんわ。初っ端から何であんな可愛い子おんねん」
「どうかしましたか?店に何か問題でも」
「え?ああ。何でもないで気にせんといて」
「すいません私の代わりに来てもらって」
「新しい店長来るまでの代役やけど、まあ、何とかやってくわ」
「お願します」
「寿退社か。ええね。…羨ましいわ」
「ありがとうございます」
複雑な気持ちなのは百香里だけではないようで。
彼もまた彼女の居ない所で年甲斐もなくドキドキして落ち着かなかった。
「19か。若いやん。めっさ若いやん」
「それで。松前さんは?」
「え。お。俺?俺はほら。永遠の20歳やで」
「は?何ですかそれ」
「……」
「どうかしました?」
店長が代わって1ヶ月ほど経過した。最初はギクシャクしながらも何とか軌道に乗る店。
聞けば次の人が来るまでの代理でずっと居るわけではない。
百香里も徐々に慣れてきたのか気持ちも落ち着いてきて彼と会話する事も増えた。
「ええねん。ほんで、さ。その、……飯でも行かへん?」
「ご飯ですか?いいですけど。給料日前なのであまり高い所は」
「俺から誘ったんやし奢るで。気にせんといて」
「じゃあ松前さんのお好きなもので。私は好き嫌いとかないから」
「ほ、ほんま?せやけど若い女の子の好きなもんて何やろ」
「駅前のセルフうどんとか好きですよく行きます」
「せ、セルフうどん…ええね…俺も好きやわ」
フレンチやパスタを想像していた総司だったが百香里の返事は想像を越える渋さだった。
確かに安くて美味くて早いけども。誘ったのは百香里が遅番の日。ちゃんとシフト表を見てから。
さりげなく彼女を誘う作戦は思いのほか簡単だった。もちろんその後どうこうなんて思ってない。
こうして一緒に食事をすべく2人はともに帰ることにした。
「ここのちくわ天すっごく美味しいんですよ」
「俺もたまに食べる」
「今日は豪華にかきあげにしようっと」
「おにぎりもええんちゃう」
「ですよね。おにぎり〜梅がいいかなシャケも捨て難い」
「はは…」
百香里は本当に良く来るようでテキパキと注文して惣菜を選ぶ。
今は女性客も少なくはないけれど圧倒的に男性が多い店。
でも全く気にせず彼女はカウンターに座る。
「このお店木曜日限定で1種類惣菜半額になるんですよ。
どれになるかは分からないけど頼むしかないですよね!」
「そ、そうやね。安いんやったら」
「あ。でも別に毎週来てるわけじゃないですよ?ちょっと贅沢したいなって時に来ます」
「ぜいたく」
嬉しそうにおにぎりを食べている百香里を見ると何も言えない。
総司も一緒に食べてあっという間に終わる夕食。
いい雰囲気も会話すらも特にないままに店を出て彼女を送る。
「ここでいいですから」
「せやけどこの辺家とかないで?」
「アパートなんで。ここでいいです。すぐそこだし」
「ほなそこまで行くわ。夜道を女の子1人で行かせられん」
「でも、その、すごく…ボロいし」
遠慮がちに言うけれど本音はあまり見てほしくないから。特に総司には。
家や家族を恥じた事は今までなかったのに、何故か失望を恐れている。
「俺も似たようなもんや。めっさボロい。せやから気にせん」
「怪しい」
「べ、別に変な事考えてへんよ?あがりこもうとかそんな」
「母が居るのでお茶くらいなら出せますけど」
「……そうなん」
「え。なんで落ち込んでるんですか」
「ほな行こか」
まだあまり乗り気でない百香里だが総司は気にせず百香里を送る。
彼女がここでいいですと言った先には確かにボロいアパート。
そこで彼女たちが生活している所をみるに苦労しているようだ。
申し訳ないが彼女の服が何時も質素なのもうどんが贅沢なのも納得。
「うち凄く貧乏なんです。だから」
「ユカリちゃんは偉い子やね。俺なんかと全然違う」
「松前さん?」
「また飯行こ。今度は俺が美味い店紹介するわ」
「はい。あ。そうだ。今度松前さんのお家行ってもいいですか。
私のは見たんだしそっちも見せないと駄目ですよずるい」
「ユカリちゃんはその、気にせえへんの?」
「何をですか」
「男の部屋入るの」
「行くだけで中入るわけじゃないです」
「…あ。そうなん」
ホッとしたようなガッカリしたような複雑な気持ち。
「入っていいなら」
「あ、あかんて。そんな無用心な」
「松前さんの部屋って何か危ない事でもあるんですか?」
「い、いや。なんちゅうかその。お、男は皆用心せえや」
「私お金持ってませんから。保証人にはなれませんし。あ、臓器とかはちょっと困りますけど…」
「せやね。気をつけや臓器は大事やで。…って何言わすん」
笑顔でも内心は他人を酷く警戒しているし深く関わる事も避けているように見える彼女。
でもちゃんと話をしてみると垣間見える無防備さが危うくて心配で怖くてたまらない。
ちらっと百香里を見ると特に表情を変えず此方を見ている。たぶん普通に何も知らないのだろう。
生活に苦労していてそんな経験をする時間も余裕もあるようには思えない。
「すいません。私あんまり男の人と話す機会がなくて。もし失礼な事を言ってたらごめんなさい」
「そんな謝らんといて。なんも失礼とちゃうから」
「そうですか?よかった」
「…ほんま可愛い」
「え?」
「ほなまた明日。…やなかったな。明後日」
「はい」
「因みに明日は」
「別のバイトです。当然」
「…そ、そうか。頑張ってな」
「はい」
彼女のこのアンバランスさはきっと計算ではないだろう。
出会って間もない若い百香里に翻弄されているのは自覚していた。
「女の子からしたら汚いやろか」
アパートに帰り自分の部屋を眺めてみる。こまめに掃除をしているし汚くはないと思う。
でも自信が無くて結局掃除をしてしまった。いい歳して何を期待しているのか。
「若いのにしっかりしてるなあ。俺何かと大違いや。そんでめっさ可愛いときた」
掃除を終えると何気なくテレビをつけて休憩がてらビール。仕事が終わると飲みに行く事もあるけれど
最近は直帰。今の仕事場は女性ばかりで愛想よく喋ったりはするが終わると皆するりと避けて帰っていく。
総司としても何かと気になってしまう目がいってしまう百香里に何かと接近したくて。
「……手伸ばしたらやっぱ犯罪やろなあ。分かってるんやけどな」
今はまだそんな深い関係など考えない。ただ彼女をもっと知りたいと思っただけ。
でも自分なんか友人としてもきっと相手にされないだろう。
彼女の目には自分はただのバイト先のオジサンとしか映らないのは分かっている。
総司は軽いため息をして退屈そうにテレビのチャンネルをかえた。
つづく