渉の恋人 2


「梨香、話がある」
「なに」

タバコを吸い終わってから、下にいる梨香に会いに行く。
彼女は百香里に代わって甲斐甲斐しく渉の洗濯物を畳んでいた。

「余計な事させるな」
「何のはなし?」
「分かってるんだろ」

此方を見てにこりと微笑む梨香だが渉の不愉快そうな顔を見て何となく察した模様。
それでも知らぬフリをするつもりなのか視線を洗濯物に戻してとぼける。
そんな梨香の態度が余計渉を苛立たせたようで口にはしないものの彼女を厳しくにらみつけた。

「そんな怖い顔しないでよ」
「……」

こうなったらもう降参するしかない、か。

「冗談で言ったの。あの人が間に受けちゃっただけで」
「分かるだろ、あの人はバカ正直なんだよ」
「わからないわ。だってまだ二度しかあった事無い人だもの」

畳み終えた洗濯物を箪笥に収納して渉と向き合う。白状しても機嫌は損ねたままのようで。
ソファに座り煙草に手を伸ばす渉。でも吸う気にはなれなかったらしく煙草を持て余している。
悪い空気。たまに喧嘩もするけれど、あの時よりも重い。そんなに大事なのか。
でも意地をはって。認めたくなくて。

「お前さ、そんなに俺と住みたいわけ?」
「住みたいわ」

暫し沈黙していた渉が問いかける。もちろん即答でイエス。

「ハッキリ言ってお前と結婚とか同棲とか全然考えてない」
「私とは遊びって事?」
「そう思いたいなら、思えば」

パチンッ

「…帰る」

女に打たれるのは初めてではない。だから、別になんとも思わなかった。
半ば涙目になりながら去っていく梨香を追いかけようとも思わなかった。
冷たくて薄情な男だと自分でも思っている。ため息1つして持て余していた煙草を箱に戻した。

「何や、姉ちゃん帰ってしもたん?」
「ああ。今」
「何やケンカか?」
「いいだろ、別に」

ビールでも飲もうとリビングにおりてみれば暢気な兄貴。風呂上りらしい。
暖かそうに湯煙なんてあげながら喉が渇いたのか冷蔵庫を探っていた。
さっさとどけよ、と文句を言う。妙にイラつく。幸せそうだからか。

「渉さん?ほっぺたどうしたんです」
「梨香に打たれた」

そこに百香里。渉の顔を見て何かあったんですか?と聞いてきた。
隠すことなく素直に答える。ついでに先ほどまでのやりとりも。恥かしいなんて気持ちは何故かなかった。
もしかしたら心のどこかで誰かに聞いて欲しかったのかも。うざったい兄以外の誰かに。

「そこまでいったか。お前もようやるなぁ」
「総司さん!それで、梨香さんは帰ってしまったんですね」
「ああ」

総司はただ若いなぁとか言って唸り、百香里は他人事なのにとても悲しそうな顔をした。
それを見ていたらなぜだか急に悪い事をしたような気になってきて。でも、もう遅い。
やっと開いた冷蔵庫を開けてビールを取り出そうと手を伸ばす。

「…追いかけてください」
「あ?」
「追いかけてください、梨香さんを」
「けど」
「ダメです。追いかけてください」

もう過ぎ去った事だと勝手にシャッターを下ろしていた渉に今なら間に合うと強く訴える百香里。
その眼差しは何時になく強い。冷蔵庫を閉めて暫し考える。

「追いかけたって俺の気持ちはかわらないんだからさ。それなら追いかけて下手に期待させるより
このままのほうがずっとマシだろ?」
「それでいいんですか?梨香さん、もう戻ってこないかもしれない」
「……、ま。それもしょうがない」

パチンッ

「うわ…痛そ…」

百香里が、ぶたれていない方の頬を打つ。梨香ほど強くは無いが。

「貴方は逃げてるだけにしか見えない。好きなんでしょう?愛しているんでしょう?何を怯えてるんです?」
「怯えてなんかねぇよ」
「私の目を見て、言ってください」
「怯えてなんかねぇよ!」

百香里の真っ直ぐな瞳が渉を貫く。言われたとおりに彼女を見つめるが逸らさない真剣な顔。
すべてを見透かされているようで、それでいて薄情な自分を哀れむような眼差し。
つい声を荒げ百香里を怒鳴ってしまった。しまった、と後悔する前に百香里は悲しい顔などせず。

「梨香さんは何処にも行きませんよ。だってすごく貴方の事を愛して想ってくれてるんですから。
ちゃんと貴方を支えてくれます。だから、簡単に手放したりしないで」
「……」
「こんなにいい人とめぐり合うのって渉さんがどれだけ運がよくっても難しいですよ?」

打たれた両方の頬を労わるように手で優しく包み込んで。間近で百香里の優しい声が耳元に響く。
こんな真剣に怒ってくれるのは彼女だけかもしれない。両親には怒られたり叩かれた事がなかった。
歳をとってからの子なので溺愛されていたし、母は物心付く前に死んでいる。

「はい。私の言いたいことはこれだけです。あとは渉さんにお任せします。
私なんかが出すぎた事をして本当にごめんなさい」
「別に……」

母親って、こんな感じなのかな。ふと思う。

「ユカリちゃーーーん!酷い!酷いわ!ダンナの目の前でせんでもぉ〜」
「あ。総司さん」
「いやいや!俺の百香里や!」
「いい歳していじけんなよ」

どうしてこう、バツのついた一見ろくでもない中年男と百香里が結婚したのか分からない。
本気で泣いてグズる総司を優しく抱きしめよしよしと頭を撫でる百香里。
そんな2人を眺めつつイスから立ち上がる。梨香を呼び戻す為に。今ならまだ間に合うはず。

「渉」
「梨香、帰ったんじゃなかったのか」
「ちょうど僕と鉢合わせしてね、話を聞いてたんだ」
「…百香里さん、ごめんなさい!」

そこに帰ったはずの梨香の姿。ついでに所用で外に出ていた真守も居る。
ごめんなさいと泣きながら百香里に抱き付いて。百香里は驚いた顔をするが、すぐ笑顔になり
そのまま抱きしめてあげる。梨香に思いっきり弾かれた総司は面白くない顔をするが我慢。

「梨香、その、さっきは悪かった。お前の事遊びじゃない。ただ今は結婚とか同棲とか考えられないだけで」
「うん。納得しちゃった」
「え?」

百香里の顔を覗き込んで一言。それには皆で頷く。
当の本人はよく理解していないようだけどそこがまたいいのだと思う。
義姉さんにはこれからもまだまだ嫉妬するだろうけど、それでは息が続かないから。

「いい顔になったな渉」
「へえ。あんたでもそんな冗談言うんだな」
「それだけいい男ってことなんだろう?」
「ま。あんたよりはいい自覚があるよ」

両方の頬が赤くなっている渉。珍しく真守にからかわれたりして少々不機嫌ではあったが。
反省して大人しくなった梨香と部屋に戻っていった。



「ユカリちゃん…」
「もう泣かないでください。総司さんが一番好きなんですから」
「俺もユカリちゃんが一番や」

夫婦の寝室。家族想いなのはよいことだと思うが必要以上に仲がよいのも困る。
新婚夫婦なのに弟たちが一緒というだけでも総司には納得いかなかったりするのに。
俺も構ってと拗ねきっていた総司を何とか宥め抱きしめる。

「離したり、…しないでくださいね」
「一生、離さへん」
「総司さん大好き。愛してます…」
「百香里…」

それでいっきに気分をよくしたのか、ちゃくちゃくと百香里のパジャマを脱がす。
これからは夫婦の時間。誰の邪魔もはいってはこない。
放置された罰として今日はねっとりと攻めてやろう、柔らかな胸にしゃぶり付きながら誓う。

「あん…」
「まだ寝かさんで…」

果てても総司は許してくれず。キスをしたり愛撫してきたりして百香里を起こす。
明日も朝早いのに。夫婦の営みは大事だけど翌朝の洗濯も朝食の準備も大事。
何とか迫ってくる夫をのけようとするけれど上手なキスで止められて。

「じゃあ、私が上に乗って腰を動かしますので。それで今夜はお開き」
「ええねえ」
「もう。すけべさん」
「ユカリちゃん専門」
「じゃないと許しませんよ」
「はい」

快楽に飲み込まれイカされた所で提案をしてみる。百香里から、というのは珍しい。
終わりたいというのもあるけど今日の事でまだ妬いているようだし。ここはサービスしよう。
色んな体位を試したいと言っていたからすぐにOK。かなり恥かしいけど起き上がる。

「じゃあ、硬くなってもら」
「びーーん」
「…お元気ですね」
「想像したらこうなった」

寝転ぶ総司のモノを勃たせようとしたがその必要はないらしく元気。
今さっきえっちして果てたばかりじゃなかったっけ?と百香里も頬が赤くなる。
40歳だけど鍛えているのか体もまだまだ若いし心もえっちの方も満タンな旦那さま。

「もう…、…じゃあ、…いきますよ」

それに翻弄される20歳の新妻。

「ユカリちゃんはええの?大丈夫?」
「さっきまで散々触ってきたの誰ですか」
「はーい。ぼく」
「…もう」

総司に手伝ってもらいつつ上に乗る。座っているのが恥かしいのか
彼に身を寄せて唇にキスする。それから首筋、胸と舌で愛撫していって。

「ユカリちゃんは俺の嫁さんや…」
「そうですよ」
「百香里」
「あ…んん…」

拙い動きではあるがゆっくりと腰を動かし始める。こうですか?と聞くと好きにしたらいいとの返事。
間違ってたらどうしようとぎこちない動きをするが百香里には十分刺激がある。
頬を赤らめ、甘い声を漏らしながらも腰の動きは止めない。
そんな妻の様子を眺めつつ。総司も胸や腰を優しく撫でたりしながら気持ち良さそうだ。

「動きも可愛いなあ…おっぱいさわったろ」
「あ…あん」
「俺も動いた方がええかなぁ」
「ああっ」
「あ。やめとこ。もっと可愛い顔みてたい…」

少し突き上げてみたら思いのほか気持ち良さそうな顔をする百香里。
でも直ぐに終わってはつまらない。意地悪く百香里の動きだけに任せて彼女の様子を伺う。
彼女の胸や腰を撫でながら気持ちええ?と熱く見つめる。

「あ…ユカリちゃんと俺、でもって子どもと一軒屋もええなあ」
「…あん」
「庭にはこう…プールとかあってもええねえ…夜…ユカリちゃんと裸で泳いでみたりとか…ははは」
「総司さん集中…しなきゃいや…下手だけど」
「下手やないよ、…きもちええ」
「…ん」

此方は必死に動いてるのに総司は何故か家の話をしだして。下手だったのかと不安になる。
そんな百香里の手を握って抱き寄せる。

「あいつらみとって俺らも将来の事とかあんま話せえへんって気づいたんや」
「…将来…ですか?」
「うん。今まで将来の事ら全然考えた事なかったけど、…それやからあかんかったんやと思う」
「……」
「百香里を手放せんから、…俺も本気で考えなな」
「…総司さんたら、…そんな真面目なお話し…えっちの途中で言わなくても」
「歳なんかな、今言わんと忘れるんさ」
「…ふふ。もう」
「さ。いっきにイクで!」

百香里の腰を掴み、臨戦態勢。

「あ、あ!いや!だめ!あ!!」
「んー?何で?…ああ、…ユカリちゃんここ弱いもんな」
「あーー!…あ…やああ」
「ほらほら。このまだ若い動き」
「あっあああ…」

百香里の動きとはうってかわって気持ちいい場所を的確に突く総司。
柔らかい尻を鷲づかみにして抑えながら勢いよく突き上げたり、意地悪くグラインドしたり。
先ほどまでの真面目な表情は何処へやら。何時ものスケベな顔。
でも、百香里はこっちのが好きだったりする。内緒だけど。

「……ぁん」
「……百香里」
「あなた…」

繋がったままゆっくり総司の胸に収まる。すぐ抱きしめてもらって。息を整えて、再び始まる。
お互いにそろそろ限界だと察しているから、次の動きで一緒に。

「ああ…あ…ん…総司さ…ん」
「百香里…」
「ああ…も…ぅ」
「…俺も」
「…あ…ああ」

総司の温もりを感じつつ、百香里は果てた。彼も少し遅れて果てる声がして。
おでこにキスをしてくれた。今夜の営みは終了、百香里は抱きしめられて就寝。
結局終わったのは12時を過ぎていて、明日も遅刻するだろうなと眠りの中で思った。



数日後。

「真守さん!やりました!」
「お米券ですか?」
「あ。それは駄目だったんですけど、残念賞として100人にプレゼントの500円分の図書券当たりました!」
「……500円ですか」

朝1番に起きて来る真守を待っていたかのように笑顔で迎えて何やら箱を見せる百香里。
喜びようからしててっきりお米券があたったのだと思ったが、どうやら違うようで。
見せてくれたのは500円分の図書券。

「この調子で渉さんのお名前借りたら何時かは」
「狙っているものがあるんですか」
「はい。電動自転車!アイス買わなきゃいけないんですけどね」
「で、電動自転車…ですか」

そんなの兄に頼めばあっという間だろうに。頼み辛いなら自分からそれとなく伝えようか。
真守は興奮気味に応募用紙を見せる百香里にそう言おうと思ったのだが。
せっかくやる気になっているのだから邪魔するのも悪いだろうと話をあわせた。

「みんなの名前で出せば…」
「どうぞ。僕の名前でよかったら」
「朝っぱらからたのしそーに。何の話?」

そこにパジャマ姿で登場の渉。自分の席に座ると大きく伸びをする。
あれから梨香とは上手くいっているようで、ちょくちょくマンションに来るようになった。
何度か話をするうちに百香里への態度も柔らかくなった。
とはいえ、彼女が来ると渉の洗濯物や部屋の掃除などはさせてもらえないけれど。

「おはようございます、渉さん」
「なあ」
「知りたかったらもっと早く起きて来い」
「ユカりん。コーヒー」

コーヒーの準備をしている間も何やら兄弟で話しをしているようだ。
顔を合わせれば何かと喧嘩してしまう2人だけど。今日は穏やかに過ごしているらしい。
朝食の準備とコーヒーを持って戻ってみると今度は沈黙。ほんの僅かな間に何があったのか。

「あの、…どうかしました?」
「別に」
「コーヒーくらい自分で淹れろと言っただけです、義姉さんだって忙しいんだから」
「それで喧嘩してたんですか?」

渉はテレビ。真守は新聞とお互いに顔をみないようにそっぽを向いている。
原因は些細な事なのに。素直になれないのか。それとも意地を張っているのか。
歩み寄れず沈黙してしまったらしい。

「喧嘩ってほどじゃねえよ。お互いいい歳なんだし」
「お前は何時までも子どもじみているがな」
「はあぁ?それなら何時まで経ってもドーテーなあんたのが」
「朝から何を下品な話を」
「はいはい、やっぱり喧嘩しちゃってるじゃないですか」

百香里は苦笑して2人をテーブルにつかせる。それでもまだ険悪な空気。
いい歳、とはいうものの兄弟間ではまだ幼さを感じる。
自分の兄が幼い頃からずっと苦労していて大人びていたからかもしれないけど。

「ユカリちゃん。おはよう」
「おはようございます。今日は早いですね」

そこに渉と同じくパジャマ姿の総司。

「はよ寝たもん。1回だけやなんて悲しいわ。今日はいっぱいしよなー?」
「もう。総司さんたら。……皆で朝ご飯たべましょうね」
「うん」

今日は皆して早起き。4人そろってのんびりと朝食を頂く。
一緒に食事するのが好きな百香里には楽しい時間だ。そう盛り上がる話はないけど。
家族団らんはいいものだ。ここに母や兄が居たらもっといいけれど。それは無理というもの。
トーストを齧りながらふとそんな事を考える。

「あ。そうだ。梨香さんが来たら椅子をもう1つ買わないと」
「何で?客用のがあるんだろ」
「家族になったらお客様用じゃだめですよ」
「気が早いな。俺よりまずコッチだろ」
「僕か?」

いきなり話をふられて驚いた様子の真守。

「息子がさび付く前に手っ取り早くあの秘書とヤっちまえよ」
「……お前は本当に僕を怒らせるのが好きみたいだな」

睨みつける真守。大うけしている渉。また喧嘩が始まりそうな空気。

「総司さん」
「かまへんかまへん、男やし喧嘩したらええやん」
「弟たちの事には無関心なんですね。冷たい総司さん」
「お、お前ら!いい加減にせえや!これ以上喧嘩したら兄ちゃんが愛の鉄拳お見舞いするで!
そして兄ちゃんは心からお前たちを愛してんで!ほんまに!家族は大事なんやで!」
「気持ち悪いんだよアンタ、黙って食え」
「静にお願いします」
「ほ、ほら。止まったでユカリちゃん」
「はい。流石総司さんです、素敵なお兄さん」
「20歳の嫁に上手く操縦されてっけどな」



おわり
                       


2008/11/30