第3話
ルックス良し。収入も良し。後は日本屈指の大会社社長か専務、悪くても重役の椅子は確実。
別に見た目や名誉で付き合っているわけではないが相手のレベルが高いに越した事無い。
その面でこの男松前渉は全てをクリアした最高の恋人だ。いい相手とめぐり合えたと思う。
「俺の家に?」
「そう。久しぶりに遊びに行きたいの」
「…いいけど」
風呂から出てきた渉に冷えたビールを渡しながら梨香は思い切ってねだってみた。
ここの所マンションに来る回数が減っている。誘ったら来てくれるけれど。
まさか他に行く所が出来たのだろうかと不安にもなった。でも本人はまっすぐ家に帰っているという。
「お兄さんたちと住んでるんでしょ?色々大変だろうし、私が何か作ろうか」
「いい。作ってくれる人いるから」
「あ。そっか。お手伝いさんいたっけ」
そっけなく返事をする渉。梨香の話を適当に聞き流しながらビール片手にテレビをつける。
クールな男、といってしまえばカッコいいのだが恋人の自分にもそっけないのはちょっと不満。
暴力をふるったり暴言を吐く事はしないけれど。自分の事は何処か二の次というか、三の次というか。
恋人なのに粗末な扱いが多い。
学生でもないのでそんなイチャイチャ甘ったるい関係を望んでいるわけではないのだが。
「兄貴の嫁さん」
「え?あ、ああ。そう言えばお兄さん結婚したんだっけ」
「あんなヤツの何処が良かったんだか…」
「そう言っちゃかわいそうよ」
渉を狙う女は多い。それでも自分を恋人として選んでもらえたのだからそれだけ愛してくれているはず。
実際梨香が甘えればちゃんと返してくれるし、イベントも一緒にしてくれる。誕生日も記念日も忘れてない。
だからちょっと不満でも我慢したし何も言わなかった。
「今日は鍋にしようと思うんです」
「いいですね」
「内緒なんですけど、この会社の懸賞に応募しようと思って…」
「懸賞、ですか」
珍しく早く帰宅した真守。先に着替えを済ませる。せっかくだからと百香里がくれた服。
リビングに入ると何時もなら酒を片手にテレビを観ている渉はおらず。
黙々と料理の準備をしている義姉の姿。何時ものように笑顔でおかえりなさいと言ってくれた。
「はい。この商品のバーコードを5枚切って送ると10人に10キロ分のお米券が当たるんです」
「………、…はあ」
「当たらないかなあ。でも私昔からこういう懸賞って駄目なんですよね」
集めたバーコードを見つめてハアとため息を漏らす百香里。何故そこまでしてお米を欲しがるのか
懸賞というものに縁もなければあまり興味のない真守は少々理解に苦しんだが
当たるかもしれないという賭けが彼女にはとても楽しいのかもしれない、と勝手に納得した。
もちろんそんな事を思っているなんて言わない。楽しい事はいいことだ。
「渉の名前でだしたらどうでしょう?あいつ昔から運がいいんですよ」
「え!そうなんですか?でも、勝手に名前を使ったら」
「構いませんよ。こんな時くらい役にたたないと。義姉さんの為なら喜んで貸します」
「じゃ、じゃあ……お借りします」
ありがとうございます、と恥かしそうに微笑む顔はまだまだあどけなさが残る。
歳の近い渉や夫である兄はともかく、自分は毎日20歳の義姉との年齢差を感じるばかりだ。
最初は何もかもが混乱するばかりだったが彼女は思いのほか芯があってしっかりもの。
自分が勝手にオロオロしているだけだと気付いた時にはなんとも恥かしい思いだった。
「懸賞か。僕もしてみようかな」
「懸賞だけを扱った専門の雑誌なんかもあるんですよ」
「詳しいんですね」
「チャレンジ歴は長いんですけど。当たったことないんですよね…」
「欲しいものが次々と当たってばかりでもあまり面白みがないでしょう」
「それもそうですね。たまに当たるのがいいのかも。あ。……これ、内緒ですよ?真守さん」
「はい」
ニコニコと嬉しそうに台所へ向かう義理の姉を見つつふと真守は思う。
仕事に追われるばかりで殆ど笑うことなんかなかった自分が最近やけに笑顔になる。
ビジネススマイルではなく、自然と出る本物の笑み。彼女につられて笑ってしまうのだろうか?
我ながら変な事を考えると苦笑した。
「総司さん遅いなぁ」
百香里はぼやく。何時もは怖いくらい早く帰ってくる困った人。でも今日は会議があるそうで
遅くなると秘書の千陽から連絡を貰った。鍋は美味しく出来上がったのに。
寂しいけれど仕事なら仕方ない。自分が寂しいとか一声かければ速攻で帰ってくるのだろうが、
社長である総司の為にそれはいけないと分かっている。
「ただいま。ユカりん」
「渉さん?と、此方は?」
「梨香。彼女。説明しなかったっけか」
お腹がすいて先に2人で鍋を食べようとしている所に何時もよりだいぶ遅くに帰ってきた渉。
何も連絡がなかったからてっきり噂の恋人の所に泊まってくるものとばかり。驚いた顔をする百香里。
そんな彼女を前に梨香も驚いた顔をして言葉を失った。
何せ目の前にはポカーンと少々だらしのない表情で此方を見ている若い女性。手には菜ばし。
渉に義姉だと紹介されたこの若くて美しい女は梨香を不安にさせる材料にはもってこいだ。
「あ。どうも。私、松前百香里です」
「美味そう。いっこ貰う」
「あ!だ、ダメです!これは真守さんの…」
言うより先にパクっと食べてしまう。百香里は怒る事なくただ溜息をして。
すぐにいつもの事と笑って許す。美味い、と満足そうな顔の渉。
「あ、あの、お兄さんの奥さん?」
「はい。あ。どうぞ。私行きますからごゆっくり」
「ねえ。それ俺の分ある?」
「え。作れば。…でも」
「腹減った。それ渡したら俺のも作ってよ」
「は、はい」
百香里は梨香を気遣うようにチラっと見た。
素直な人らしい、渉の言葉にあまり良い反応とは思えない顔をしている。
けれど渉はお腹がすいているようだったので断わる事も出来ず一応OKをだした。
何かあったんですかと真守に聞かれ、渉の恋人が来たとだけ伝えた。
「お腹すいてるなら私が何か作るわよ」
「いい。あれ食いたい」
「渉」
兄嫁だと言われても1つ屋根の下に住んでいて何もないのだろうかという不安がふつふつとわく。
渉ときたらあの人にかなり心を開いているようで。あんな甘えた態度自分にはしない。
若いから?見たところ10代後半か20代前半。地味だけど顔は悪くない子。不安と苛々がつのる梨香。
長男の嫁だからてっきり40過ぎのオバサンだと思っていた。それが自分より若い女だなんて。
何て考えている間に百香里が準備が出来ましたと呼びにきた。
「すみません、えっと、…梨香さんもいかがです?」
「結構です」
「あ。はい。じゃあ何か飲み物…」
「結構です」
嫉妬する相手ではないと思っていてもついその姿をみると意地悪な事を言ってしまう。
穏やかで屈託のない純粋そうな顔。だから余計に梨香は苛々してしまう。
百香里は少し困ったような顔をして。けれど、すぐ何時もの微笑を取り戻し帰った。
「何だよあの態度」
「別に」
「妬くなよみっともない」
「妬いてないわよ!」
食べ終えて渉の部屋に来ても梨香は苛々が収まらない。寧ろ悪化した。
食べ物に罪は無いとわかっていてもあんな美味しそうに食べる渉を見せられると。
同じ女としてムっとする。その様子をみて仕方なく宥めようとする渉。
「お前がどう思おうと勝手だけどあの人を困らせるな。お前が思うような人じゃないんだから。
そういう分かりきった事をいちいち言う俺の身にもなれよ、相手はお前より5つも年下なんだぞ」
「…渉」
何でそんなに必死に庇うの?それじゃ余計嫉妬するのに。分かってて言ってる?
喉元まできた言葉を必死に飲み込む。渉も梨香の態度に怒っているようだから。
これ以上この話をして悪化させたっていいことはない。スッキリはしないけど。
「女ってのは面倒だな…」
「抱いて」
「……」
やれやれ、と言う顔で梨香を抱きしめベッドに倒す。
彼女は真剣に結婚を考えているようだが渉にはまだどうでもいいことらしく話題すら出さない。
その所為か将来に不安があるのは何となくわかっていた。それを見て見ぬふり。
今はただ自由でありたいと思う。それが悪いことだとか負い目だとは全く思ってない。
「ああ!まっといてくれたん!?」
「どうせ起すじゃないですか」
「だって」
それから少しして疲労困憊の顔で帰ってきた総司。玄関では百香里が出迎える。
疲れて力なく抱きしめて軽くキス。でもそれだけでかなり癒された。
「早く寝ましょ。…あ、お疲れさまです」
「はぁい」
翌朝。
「……」
「梨香。そんなジロジロみんなよ」
「だ、だって…」
家族揃った朝食タイム。目の前には百香里の作った美味しそうな料理が並ぶ。
しかし。だ。あんな若く美しい人が彼女をヤラシイ目で眺めているおじさんの奥さんとは。
確かに彼はいい男だとは思うけれど、そのヤラシイ目線で一気に冷めるだろう。普通なら。
「やっぱりエプロン姿のユカリちゃん可愛い」
「どんな格好したって同じ事言うじゃないですか。ふふ、ありがとうございます」
ニコニコして見詰め合う姿を眺めつつ、この人はオヤジ趣味なのかと一瞬ホッとする梨香。
が、やはり美人は美人なので不安な気持ちは消えないまま。渉の態度もやっぱり彼女には柔らかい。
自分だって容姿には自信があるし、自分磨きも欠かさない。負けてるなんて思ってないが。
やっぱり気になるのは気になる。
「ねえ、一緒に暮らさない?」
「何で」
「同棲した方がお互いの事良く分かっていいじゃない。それに、家族と一緒だと息苦しくなるでしょ?」
帰りの車内。思い切って渉に切り出した。
「別に、お互い干渉しない家だし。それに1人になりたい時間が欲しいから。同棲は出来ない」
「じゃあ渉引っ越してさ…」
「何で引っ越す必要があるんだよ、俺は引っ越すつもりはない」
「だって…何時までも家族と一緒なんて…」
別に兄弟仲がよさそうでもないのに。あのマンションは確かに広くて快適かもしれないけど。
1人暮らしのほうがもっといいに決まってる。渉なら独立したっていい部屋にすめるのに。
何故か家を出て行こうとしない渉に梨香はまた苛々するばかり。
「もうその話はしない」
「渉」
「……」
「…わかった」
納得出来ないままその話題は封印された。小さな不満が重なってそれでも何とか我慢してきた。
だけど若くて美しい義理の姉の存在でいっきに不満が膨らんでしまう。
爆発させた所で渉が離れていくだけならここは押さえるしかない。彼を愛しているから。
数日後。
「お帰りなさい」
「ただいま。あ。また梨香も一緒なんだけど、いい?」
「もちろん。いらっしゃいませ、梨香さん」
「どうも」
相変わらずニコニコ顔で接してくる若すぎる義姉。あれからずっと冷静になろうと考えたけど
一度火がついたものは中々消えない。
考えた結果というか梨香の女のカンというやつでは渉は百香里がいるから出て行かないのだ。
そう思うとこの純粋そうな笑顔が無性に腹立たしく感じて。やっぱり苛々する。
「ユカリちゃん、ご飯まだ?…んーお腹すいたぁ」
「こら。梨香さんも居るんですから。もうすぐ出来ますからね」
台所で忙しなく動く百香里を後ろから抱きしめる総司。休日とあってイチャイチャし放題。
頬をくっつけて何やらイヤラシイ事を彼女に囁いているようで。百香里は頬を赤らめる。
でも今日はお客さんがいる。駄目ですよ、と優しく諭して。
「ん?ああ、姉ちゃんもきとったん、いらっしゃい」
「どうも」
夫婦仲良くくっ付いたまま梨香に挨拶する。
「ユカりん、俺の洗濯物にこれはいってたぞ」
「あ。…っと、これは…真守さんのかしら」
「見覚えねぇなら、そうだろ。…俺が渡しとくわ」
「すいません」
見たところ百香里はオジサンが好きみたいだから一番若い渉を誘惑なんかしないだろう。
問題は渉だ。どこか自分との扱いが違う。百香里に対しては優しいし、よく笑っているし。
何より「ユカりん」ってなに?義姉にそんな馴れ馴れしい呼び方する義弟なんているのだろうか。
「あの…百香里さん」
「はい」
「話があるの、ちょっといいかしら」
もう我慢できない。お昼を過ぎてから頃合を見計らいその一角に百香里をよぶ。
洗濯物カゴを手に百香里は何ら疑いなくついてきた。
このマンションは部屋数が多い。だから、部屋の中に居ても隠れてしまえばかくれんぼだって出来る。
恐らく兄弟の誰も梨香が百香里を呼んだことに気付いていないだろう。
「何でしょうか」
「…渉に…ここ出てくように言ってくれない?」
「ここをですか?」
「そう。私渉と結婚したいの。その為には渉と暮らしたい。けど、この家は人が多すぎるし…ね」
「でも、渉さんが出て行きたくないのに、私が言ったくらいで…」
場違いな事を言っているのは分かっている。けれど、何か動いていないと爆発しそうで。
吐き出せない黒いもの、見たくないもの、言いたくない言葉が溢れそうで。
この純粋な目を見ると、本当に苛立つ。
「貴方と住ませたくないの。意味分かるでしょう?だからお願い」
「……。…わかりました、それなら仕方ないですね」
一瞬表情が変わったが、すぐ戻って。何時もの笑顔で百香里は部屋を出て行った。
何故あんな事を言ってしまったのか。でも何処かスッキリしている自分にも気づいた。
あのまま百香里が去らなかったらきっともっと酷いことを言っていただろう。
「え?」
「渉さんも、もういいお歳なんですから。自立した方がいいですよ」
「…何それ。笑えねぇ」
夕方。大方片づけを終えてから何度も深呼吸をして勇気を出しノックして渉の部屋へ入る。
整った部屋とは言えないが百香里が掃除している分綺麗だ。
ソファに座ってテレビを観ていた渉はこちらを見てテレビのボリュームを下げた。
「今は学生でも1人暮らししてるんですから、渉さんだって…」
「俺に出てけって言いたい訳?」
「その…」
渉のちょっと怒ったような言い方にビクっと身が引き締まる。家族仲良く住めたらいいなと思うけれど。
梨香の貴方とは住ませたくないという言葉が百香里の中に重く圧し掛かってきて。
でも渉に強く出られないからこの板ばさみにあってしまって。百香里から笑顔が消えてただ俯く。
こんな時どうしたらいいのだろう?総司に相談すべきだったろうか。
でもそうしたら自分が嫌われてしまったと総司に打ち明ける事になるし、そうなると梨香も迷惑がかかる。
「梨香だろこんな事言わせてんのは」
「ち、違います!ほ、ほら、これから子どもとか…人が増えるし…で」
「アンタは本当に嘘が下手だな。梨香の言った事は無視してくれ」
グルグルと頭の中がまわる中。あっけなく見破られ却下されてしまって。
ご苦労さん、とまで言われてしまった。
部屋に居づらくなった百香里はすごすごと部屋をでた。
「うう…」
「義姉さん?」
「…はぁ〜」
どうしたものか。梨香は家を出て一緒に暮らして欲しい。渉は出て行かないし、住む気もない。
百香里にはどうしたらいいのかまったくわからない。何が出来る?何をしたらいい?
総司に相談したいけど、ただいま入浴中。
「義姉さん」
「あっは、はい!」
「どうしたんですか、何だか元気がないみたいですけど」
「…それが」
呼ばれてみるとお隣に真守。ビックリして声を荒げてしまった。
彼ならば的確な答えをくれるかもしれない。そう思って今までの事を話した。
すべてを聞いた真守は呆れた顔をして渉の部屋がある2階を見上げた。
「2人に任せておけばいいんですよ、義姉さんの時間を割くほどの事じゃない」
「でも、私が邪魔してるんでしょうか」
「義姉さんはただ何時も通りしていただけですよ」
「……そう、なんですけど」
行き成りの事でよく分からないし何が梨香の気に障ったのかわからない。
彼女が渉の事を本当に好きなんだというのは分かるから。邪魔だけはしたくない。
その為に自分が出来る事はなんだろう?さっきからその問題が解けないでいる。
真守は気にしなくていいですよと言ってくれるけれど。
「渉には母親と過ごした記憶が殆どありません。だから義姉さんのように優しくて甘えられる女性が
傍に居るのが居心地いいんでしょう。もちろん大事な家族としてですが」
「でもそれは梨香さんだって同じじゃないですか?私なんかよりも」
「貴方は…本当に母親のように暖かいから」
本人に自覚はなくても一度その温かな手に触れてしまうと居心地が良すぎて。
たまにお節介な所もあるけれど、家族らしいといえばらしい。だから1人で居る事が嫌になる。
何もそれは渉だけの問題ではない。苦笑する真守を不安そうな顔をして見つめる百香里。
「真守さん?」
「何でもないです。今はただ見守っていましょう、それしかできない」
「……はい」
つづく
2008/11/29