おもい


「あれ。ユカりん?居ないのか?」

今日も一番乗りでマンションに戻ってきた渉。何時ものように適当に上着を脱いでソファに座る。
だが何時もと違うのはお帰りなさいと出迎えてくれる兄嫁が居ないという事。
出かけているのなら先に言ってくれれば梨香の所へ行ったのに。何となく不機嫌。

「す、すいません!お帰りなさい!」

静かなのが嫌でテレビをつけようとしたら廊下からドタドタと走ってくる音。
ドアが開くと入ってきたのは百香里だった。買い物に出ていたようで大きな袋を両手にさげて。
慌ててきたようで息を切らせながら袋を台所に置いた。

「何買ってきたの?言ってくれたら途中で買ったのにさ」
「今日は少し母の所に居たので。つい話し込んじゃって」
「またどっか悪いとか?」
「ちょっと段差で転んじゃっただけです、膝を擦りむいたくらい。けど歳も歳なんで、その癖病院嫌いで。
検査受けたほうがいいって言ったんですけどツバつけときゃ治るとか言っちゃって」

口を動かしながらもテキパキと簡単な酒のつまみを幾つか作り出す。
続いて夕飯の準備。渉は出されたビールを飲みながらヘエ、と簡単に頷いた。
軽く流すように話してはいるがやはり自分の親。本音はとても心配なはず。

「無理して戻ってこなくてもいいんじゃないの」

やっと準備を終えた百香里が疲れた様子でソファに座る。
テレビをつける気力もなくて、軽いため息。それを見て渉が言う。

「早く帰れって母親に追い出されちゃったんです」
「そう」

そんな様子を見せられたら。あの男だって同じような事を言っただろう。
百香里はただ笑って大丈夫ですと答える。

「お兄ちゃんも夜顔を見せるって言ってたし」
「……お兄ちゃんね」

安心させようと言ったのだろうが渉は表情を曇らせた。気まずい空気に百香里は思い出す。
渉は過去総司に間違えられて兄に殴られている過去がある事を。話を変えなければ。とはいっても
何かいい話題があるわけでもなく、かといってこのまま静まり返って場が凍りつくのも辛い。
単純な考えではあるがテレビをつけて流れをかえよう。百香里はリモコンを取った。

「この通販番組って凄いですよね。1日中やってる」
「そっちもよく観るよな。ユカりんのお陰ですっかり会社名とか覚えたし」
「あはは…、すいません。何となくみちゃって。ニュースとかの方がいいですよね」
「いいよ、別にみたくないし。俺も何か買ってみようかな」
「じゃあこの巻いただけで痩せるという」
「何俺そんな腹でてるわけ?」

お腹を押さえ此方を見る渉の目が冷たい気がして、小声で謝って黙る百香里。
また少し空気が悪くなってきた所で玄関のチャイムがなった。
この時間ならきっと総司だ。百香里は笑顔になり急いで旦那さまのお迎えに向かう。

「なに?なに?そんな嬉しがってくれて」
「総司さん会いたかった」

玄関を開けて彼の顔を確認してすぐにその胸に飛びついた。
総司からしたら理由は分からないけれどこんな熱烈なお迎え今までに無いし嬉しい。
すぐに抱きしめ返して愛しい妻のオデコに何度もキスする。

「……よっしゃ、明日からもう」
「それは結構です。お帰りなさいあなた」

あっさり去っていく百香里。あれ?と思いながらも総司も続いてリビングへ。
ビールを飲みながらテレビをみている渉。もちろん彼からお帰りなさいなんて挨拶はない。
目も合わせないで無視を決め込んでいる。あれ以来ちょっとギクシャクしたまま。
総司はいったん部屋に戻り部屋着に着替える。

「……何だよ」

リビングに戻ると百香里にビールを貰い飲みながらジッと渉をみる。
すぐにその視線に気付いたようであからさまに嫌な顔。

「今度、ちゃんとしたとこで真面目に唯と話する」
「……」
「お前の言うように俺は娘に甘いとこあるけど、中途半端はあかんからな」
「あんたの話だろ。俺には関係ない」
「ユカリちゃんの事心配してくれとるんやろ。お前は優しい子やから」
「だからその気色悪い言い方やめろ」

百香里がつまみを持っていくと何やら揉めていて、とりあえず落ち着きましょうと総司に言う。
興味が弟から嫁にうつりやっと解放された渉は疲れた様子でまたテレビをみ始めた。
それからまた少しして真守が帰ってきて、何時もの夕飯。百香里は母親の事を言わなかった。
大きな怪我を負ったという訳でもないし、また明日にでも様子をみに行けばいい。


「もう、総司さん。まだ片付けの途中ですから」
「……ユカリちゃん」

食後、片づけをしていた百香里を後ろから抱きしめる総司。
彼女の頬や耳にキスをして甘えてくる。それは珍しいことではないけれど。
何時もなら言えばすぐに離してくれるのに今日に限って中々解放されない。

「どうしたんですか?もう。後で一緒にお風呂入りますから」
「卑怯な奴なんさ。俺は。けどな、…ユカリちゃんは誰にも渡さへん」
「総司さん」
「……百香里」

あまり余裕のない、真面目な声で言う総司。百香里は彼に何かあったのだとすぐに察した。
けれど、それが何なのか聞くのが怖くて。何もできずにただ抱きしめられて。彼の手を握る。
今この幸せを壊したくないと思っているのは2人とも同じ。小さなヒビが入る事すら怖い。
それならいっそ何も知らないほうがいいと思えるくらい。それは逃げだと分かっていても。

「総司さんについていきますから」
「俺がユカリちゃんについてく」
「私にですか?」
「その方が楽しいもん」

これからもどんどん先へ進んでいくであろう若い妻。それに焦りを感じる事もあった。
けれど、こればかりはもう仕方のない事。考えるだけ時間の無駄だ。
どっしり構えて後ろで彼女がのびのびしている様子を眺めるのも悪くないと最近思う。
勿論、彼女がそのまま消えてしまわないようにするけれど。

「じゃあ、これが終わったらお風呂入りますついて来てください」
「はい喜んで〜」

やっと総司の手が緩み片づけを続行。手早く終わらせて風呂へ。
先に入ってもらって百香里は着替えなどを取りに寝室へ。何となく気になる事はあるけれど、
総司はこの先も変わらずずっと傍に居てくれる。だから、大丈夫。心配なんかいらない。

「どうかしましたか」
「え?あ。真守さん」

真守に声をかけられてハッと気づく。風呂のドアを握ったままボーっとしていた百香里。
慌てて何でもありませんと返事をして中に入る。
既に総司は服を脱いで湯船に浸かっている様子で自分を呼ぶ声がした。

「ユカリちゃんの背中流すわ」
「はい」

言われるままに椅子に座ると総司が湯船から出てきて、ボディソープであわ立てたスポンジで体を洗い始める。
また百香里の耳元に顔を寄せて舌先でそっとなぞったりしながら。くすぐったそうに身を捩る百香里。
それをみて嬉しそうに笑みをつくりつつ、意地悪く耳を甘噛み。手は肩から胸のラインへ。

「恥かしい?」
「だって…」

そのまま手がおりて、ソコに触れるのかと思ったら太ももを撫で股を大きく開かせる。
ぱっくりと見える陰部に顔が熱くなる。目の前には大きな鏡があるからなお更。
わざとしているとわかっていても抵抗できなくて、怒れなくて。
恥かしそうに総司に身を寄せて目を閉じる。彼のぬくもりが伝わって暖かい。

「ココは後で念入りに綺麗にしよな」
「……はい」

陰毛を軽く撫で耳元で意地悪く囁くと頬を赤らめ此方を向いてきた百香里。
潤んだ瞳がたまらずその唇を奪った。そのまま持っていたスポンジを地面に置き
かわりに手で彼女の体を揉むように洗う。胸の先も太もももゆっくり丁寧に。

「洗い流そか。体冷やしたらあかん」
「総司さんが暖かいから大丈夫ですよ」
「そらもう。熱々やで」
「何か違う意味のような」

もっと触れ合っていたい所だがあまり長湯をすると弟たちの抗議が来るので適度な所でやめて。
寝室に入ると総司はすぐに服を脱ぎ散らかしベッドへ寝転ぶ。百香里は髪を乾かし肌の手入れ。
後ろから自分を呼ぶ声がする。それを笑いながら、ちょっと待ってくださいと言うのが何時もの流れ。

「……ん、…ひかっとるな」

机に置いておいた携帯がピカピカと光っている。メールが来たか電話があったか。
チラっと前を見ると百香里はまだ来る気配は無い。それとなくベッドから出て携帯を取る。
秘書や仕事関係なら見なかった事にして無視しよう。みると電話ではなくメールだった。

「……総司さん?」

百香里が準備を終えて振り返ると総司はパンツ一丁でベッドに座っていて携帯を見つめていた。
何時もなら既に興奮マックス状態で手招きしてくるのに。怖いくらい冷静な顔をしていて。
仕事関係だろうかと思ったが彼の性格上仕事などのメールも電話も見ないフリをしてごまかす。
そうやって翌日秘書の千陽に怒鳴られるのだ。

「……3人で、か」

ボソっと何か言っているがうまく聞き取れない。何を思っているのだろう。女のカンというか。
何となく、自分との事じゃない気がした。百香里の知らない所での事。ここは声をあげて
何をしているのか聞くべきか、それとも気を利かせてまだセットしているフリをするか。

「……」

百香里は後者を選んだ。さっきの事といい、なんとなく総司の言動が変だと思ったから。
嫌な予感のようなものが頭の中をグルグルしている。

「ユカリちゃん」
「すいません、喉が渇いてしまって」
「そうか」

何時までも携帯を見つめている彼に百香里は何も言えず、でもこうして座っているのも辛くて。
立ち上がり部屋を出た。総司はそれでも軽く声をかけるだけで視線は携帯のまま。
リビングは暗く誰の気配も無い。電気を付けるのは面倒だと記憶と感覚を頼りに水を飲む。

「そうか」
「…いい加減にしろって話だよな」
「まあ、な」

どうしたものかとため息をしているとベランダから声。よく耳を済ませると渉と真守。
聞き耳を立てるのはよくないと分かっているのに体は其方へむいてしまって。息を殺した。
聞き違いで関係の無い話をしているのならすぐに立ち去る。でも気になる単語が聞こえてきたから。

「あいつ、娘に甘いから強く出れないんだ」
「別れてしまえばあの人とは他人でも彼女とは血が繋がっているからな」
「今度会うって言ってたけど。どうせ大した事もできないで甘やかして終わるんだ」
「そう決め付けるのはどうだろう」
「誕生日には一緒に食事をして、ほしいものがあれば何でも買ってやって、行きたい場所があれば手配する。
ユカりんが居るのに裏ではおもいっきり父親してさ。要するにどっちも心地よくてどっちも捨てられないんだろ」

夜風が心地よい星の綺麗な夜。なのに気分はまったくよくない。不愉快。
渉は不機嫌な顔をして煙草を部屋から持って来た灰皿に押し付けた。
真守は煙が来ないほうに立ち、そんな苛立っている弟を見る。

「そう責めてやるな。どうした?お前が感情的になるなんて珍しい」
「何時もそうだ。あの野朗は自分が楽なほうばっかりとりやがる。大事にされてるくせに。
それをさも当然のようにして。振り回される他の奴の事なんて何も考えてねえんだ」
「お前は兄さんから幸せを分けてもらいたいのか?」
「はあ?そんなの」
「じゃあ自分で見つけたらどうだ。自分の幸せだろう?今のお前の台詞は子どもの嫉妬だ。
まあ、子どもと楽しく過ごしていい奥さんが居て幸せそうな兄さんを見たら確かに嫉妬したくなる」
「あんたもどっかのオッサンみたいな事言うようになったんだな。結婚もしてねえのに」
「お前だって兄さんと同じだ。大事にされていたし、楽な方に逃げたのもな」
「……」
「それよりも、義姉さんはこの事を」
「知らない」
「そうか。これは夫婦の問題だから口出しは出来ないが。彼女が傷つかないように願うばかりだ」

2人の話がようやく落ち着いてくる頃。
既に百香里は既に台所を出ていた。話を最後まで聞くことが出来なくて。怖くて。
階段をあがり寝室へ戻る。けれど中へ入るのは躊躇われた。だって、総司が居る。
それは当たり前なのに。今は顔を見るのが辛かった。

「ユカリちゃん」

ドアノブから手を離すと向こうからドアが開いて総司が出てきた。
遅い百香里を呼ぶために。いきなりでビックリして後ろに逃げる。
その表情は怯えているようにも見えた。

「……」
「どないしたん?幽霊でもみたような顔して」
「……」

視線は泳いで声が出ない。発したいのに。
オロオロする百香里をみて総司は心配そうにそっと抱き寄せようと手を伸ばす。
けれどそれにすら驚いて百香里は身をかわした。それは拒絶、のようなもの。

「百香里」
「……今日は、…調子が、あまりよくないので。下の部屋で寝ます」
「なんで?どこそ悪いんやったら病院に」
「お休みなさい」

階段をおりて逃げ込むようにゲストルームとして使われていない部屋に入る。
彼が入って来れないようにカギをかけて。毎日掃除をしておいてよかった。
まさか自分がここで寝るとは思わなかったけれど。

「百香里、…大丈夫か?何時でも言うてな」

ドア越しに総司の声がして身を小さくする。気遣ってくれているのに返事をする事ができなかった。
何かされたわけじゃないのに。頭では分かっていてもやはり駄目で。ベッドに潜り込む。
けど、総司の居ない寂しくて冷たいベッド。

「……やだ」

こんなのじゃもう眠れない。ベッドから出ると部屋を出て行こうとしてやめた。
あんな去り方をしたのに今更どうやって戻れというのか。それにまだ気持ちは落ち着かない。
ベッドに座ってため息。いつの間にか時計は深夜1時。早く寝ないと、と思いながら眠れない。

プルルルル

何度目かのため息のあと、何処からから電話の着信ような音がしてきた。
携帯は寝室においてきたから自分の物ではない。では誰のもの?
不思議に思って音のするほうを探って探索すると内線電話のようなものが。

『ユカリちゃん、堪忍。寝てた?』
「総司さん」
『……調子、どうや?無理したらあかんよ?』

ゲストルームに元から置いてあったものだろうか。掃除していたのに存在にすら気づかなかった。
総司は知っていたようだが。取り出し薄っすらついた埃を払って受話器を取ると心配そうな彼の声。
本気で百香里の調子が悪いと思っているのか。それとも話をする口実がほしかったのか。
百香里は気持ちを落ち着かせて地面に座った。今度は逃げない。

「もう、大丈夫です」
『そうか。よかった』
「……」
『ユカリちゃん。聞いてくれるか』
「はい」
『今度の休み、前の嫁さんと娘と3人で会う。ほんまは娘だけのつもりやったんやけど』
「……そうですか」

百香里は胸を押さえる。”前の嫁さん”と”娘”という言葉にズキズキと痛んだ。

『二度とあわへんって言うてくる』
「どうして?私に気をつかってるんですか?」

生い立ちの所為か周囲からは大人びていると言われ、何かと相談なんかされて頼られてきた。
自分でも同年代の女の子よりは落ちついていると思っていた。けど、そんな事全然ない。
物凄くわがままだ。総司がわが子と会うのを見守る余裕がない。薄々は知っていたけど、見ないフリをしていた。
自分にはまだ子が授からないという焦りもある。そして、彼が戻ってしまうんじゃないかとか。
そんな事を考えている心の狭い自分に気づかされる。信じているのに。

『冗談抜きで、ユカリちゃん居らんと生きていかれへんから』
「……総司さん」

こんなにも心が醜くなってしまうのは、それだけ深く総司を愛しているから。
お金や高価な物にはあまり執着はないけれど、愛情は別。怖いくらい貪欲。
何となく敬遠していた問題に直面したとき見えた自分の本性。

『あかんよ。どっか行ったら。俺はユカリちゃんについていくんから』
「どうしましょう」
『意地悪はあかんよ、…ほんま、…余裕、ないんやから』
「ゆっくりと話をしてきてください。でも、二度と会わないなんて言わないで」
『けど』
「貴方が愛しているのは私ですよね」
『当たり前や』
「一緒にこれからも歩いていくのも」
『そうや』
「それが変わらないならいいです。ただし、浮気したら。やっぱり前の家族がいいと思ったら。
その時は言ってください。家に帰りますから。あ、その前に私も浮気しますからね」

それに気づかされた時、百香里の中にあったわだかまりが少し薄らいで。
どれだけ醜くてももうこの感情を隠す事はしないと決めた。

『ぜったいさせへん』
「それでは、お休みなさい」
『戻ってきてくれへんの』
「たまにはゲストルームも使わないともったいないですから」

そう言って百香里が笑うと総司は暫し黙り。わかった、と電話を切った。
百香里も受話器を置いてベッドに座る。暫くしてまた部屋をノックする音。
今度はちゃんとドアを開ける。そこに居たのは総司。

「ええやん…なあ」
「もう1時過ぎてるんです。静かに寝ましょうね」
「せめてココを綺麗に」
「駄目です。寝かせてください、総司さんも寝ないとまた怒られますよ」

一緒にベッドに入って目を閉じたのだが手がソワソワと百香里の体を弄る。
パチンと弾いて寝てくださいというとやっと静かになり眠りに入れた。
色々とあったけれど、やはり最後は総司の胸に抱かれて眠るのがいい。



「大丈夫ですか?目の下に隈が」
「ちょっと夜更かししちゃいまして。でも大丈夫です」
「僕たちが出たらどうぞ寝てください」
「すいません」

翌日。百香里はなんとか起き上がり朝食の準備。それでも眠そうな顔をしていて。
最初に起きて来る真守は新聞を読みながらも彼女の方を見て気遣う。
あまり想像はしたくないけれど、もしかして兄が彼女を寝かさなかったのだろうか。
何て考えている自分が嫌でコーヒーを飲み新聞に集中をする。

「なに?すげえ顔」
「おはようございます、すいませんちょっと寝不足で」
「ああ、何か夜中ゴタゴタしてたな。…なに、もしかして廊下でヤってたとか?」
「朝からする会話か。それも義姉さんに。場をわきまえろ」
「そんなんじゃないんです」
「冗談だよ。コーヒーちょうだい」
「はい」

続いて起きてきたのは渉。パジャマ姿での登場はもはや注意しても無駄と判断して真守は無視。
コーヒーと朝食を出して、いつもなら百香里が総司を起こしに行くのだが。
このままベッドに引き込まれたらそのまま眠ってしまいそうで。それを怒ったりはしないだろうが
眠るなら3人を見送って洗濯物を干してからと決めている。だから真守に頼んだ。

「兄さん、朝ですよ」
「……」
「早く起きてくだされば昼まででお帰しますよ社長」
「ほんま!?」
「もちろん」
「よっしゃー!ユカリちゃんとラブラブしほうだいー!」
「ノルマをこなしていただければ」
「……だ、…だましよったなー!悪徳商売しよってー!」
「嘘はついていません、さ。起きてください社長。さもないと」
「ユカリちゃん!ユカリちゃーん!」

さすが真守。百香里なら30分はかかるのに5分もかからずに起こしてきた。
泣いて喚く総司をあやして座らせてやっと朝食。渉は既に終えて顔を洗いに行った。
もしかしたら顔を合わせたくなかったのかもしれないけれど、それは誰も言わずに。

「総司さん、今日も頑張ってくださいね」
「ノルマ果たして昼までに帰る」
「もう。またそんな」
「まっとってな。絶対。絶対」
「社長行きますよ」
「何やねんお前、この重要な場面で」
「行ってらっしゃい」
「ああっユカリちゃんっ」

今日もまた真守に引っ張られて会社へ行く総司。戻ってくるとは思えない。
渉も先に部屋を出ていない。洗濯は干した。食器を片付けたら寝させてもらおう。
大きく背伸びをして静まり返った部屋で腕まくり。


「あ。メールだ」

さっさと片づけを終えると寝室へ。自分の携帯は昨日から一切見ていなかった。
確認すると友人絵美からのもので、内容は前に言っていた高校時代の友人たちの集まりの事。
最初は3、4人を予定していたのにあれよあれよと人数は増えて今や参加者は20人以上。
居酒屋の宴会場を予約をしたから集合してねとのこと。最後に日付と場所が書いてあった。

「……これってちょっとした同窓会、だよね」

これで先生も来たら完璧。百香里は今からもう緊張する。
皆大学生だったり専門学校に行っていたり働いていたり色々とあるだろうが。
結婚している自分は何となく浮くような気がして。でも、旧友に会うのは楽しみでもある。

「……」

あの人も居るんだろうか。何て考えは直ぐに捨てて、
絵美に分かったというメールを返し今度こそじっくり眠ろうとベッドに潜り込んだ。
考えるのはやめてただ深い眠りにつくというのも悪くない。二度寝の誘惑。



「どうなさったんですか社長」
「何が?」
「真面目に職務を果たしていらっしゃるから」
「それが普通やん。何言うてんの千陽ちゃん」

その頃会社では朝からバリバリと仕事をこなす社長を見つめる秘書たちの姿。
この人の朝といえば面倒だの疲れただのもういやだの、ユカリちゃんに会いたいだの。こればっかり。
強引に説得させるのに30分以上費やす。もちろんこの役目は千陽だ。
今朝も気合のはいった声で一喝してやろうと来たのに。頭でも打ったのだろうか。真面目に心配。

「そ、そうですよね。すみません」
「さあさあどんどんこなすでぇ!時は金なり!時間を無駄にしたらバチあたる!」
「……ええぇええ」

カウンセラーに見せるべき物件だろうか、これは。千陽は真守に事情を聞くまで本気で悩んだ。

「なあ真守」
「何ですか」
「ユカリちゃんに話したんか?唯の事とか」
「いいえ。話してません、僕が関わることではないと思いますから」

分厚い資料を睨みながら総司は切り出す。何時もなら専念してくださいと怒る真守。
でも話が百香里の事になるとちゃんと答えてくれる。
総司は考えていた。彼女がいきなりあんな風になったのには理由があるはずだ。
真守か渉が話したのではないかと思ったのだが、真守はあっさりと否定した。

「そうか…」
「渉も話してはいないでしょう、話をしたら義姉さんが傷つくと分かっているから」
「……そうやな。めっちゃ、…はあ」

何処で知られたかは分からないが百香里に知られ彼女を傷つけ拒絶された。
今でも思い出すだけで泣ける光景だ。彼女の気持ちを思えば当然か。それでも気にするなと言ってくれた。
けれど総司はその言葉に甘える気はない。きっぱりと2人には話す。

「相手が自分の子どもでは仕方ないでしょう、縁を切るというのは容易ではない。
兄さんが裏切らない限りは僕も出来るだけ応援しますから、あまり気を落とさないでください」
「俺がユカリちゃんを裏切るわけないやろ」
「未練は無いんですか?一度は深く愛した女性でしょう」
「あのなあ。そら別れて何年かはあったけど、今はもうユカリちゃんしか愛せん。他はいらん。
そこだけははっきり言わせてもらうわ。愛する女は百香里だけや」
「それを聞いて安心しました。父さんでさえそういう事はしなかったから」
「……俺はどんだけ信用がないんや」

呆れながらも応援してくれる真守に感謝。渉はまだ許していないようで話もままならない。
意外に真面目な奴なんだと笑えるけれど、それも出来るだけ早く解消しなければ。
百香里が気にしてまた彼女を不安にさせてはいけない。

「渉ならほっとけばいいですよ」
「そうか?」
「あいつは甘えてるんです」
「お前はしっかりしてるなあ」
「そういう人間も1人くらい必要でしょう」
「偉いなあ」

といいつつ、渉にするように弟の頭をなでようと手を伸ばす総司。が、真守はその手をあっさりかわし
何時もの厳しい専務モードに戻り、真面目にしてくださいとあっさり一蹴した。
やるな、と思いつつ昼までには何とか帰りたいから真剣に取り組む総司であった。


「営業マンがこんな所で油売ってていいのかしら?」
「……あんたか」

喫煙ルームに座っていた渉に声をかけたのは珍しい事に社長秘書の千陽だった。
サボっている所を見られるとは。このまま説教でもされるのかと面倒そうな顔をする。
そんな視線でも彼女は跳ね返すように笑顔。そして少し距離を置いて座った。

「火をくださる?」
「いいのか?」
「ええ。今日に限って社長はやる気をだしてくださって」
「つかの間の息抜きってか」
「そんな所」

渉に火をもらいタバコを吸い始める。そんなイメージが無かったから少し驚いたけれど。
彼女の足を組み煙草を吸う姿は中々さまになっている。普段は決して見せない姿だろう。
特に専務には。彼好みのデキる秘書を演じるのも大変だ。渉は口にはしないが苦笑した。

「どうせ明日には戻るんだ。あんなのに振り回されてあんたらも大変だな」
「渉さん、野心はないんですか?」
「社長秘書の言葉かそれ」
「純粋に気になるだけです、今は秘書は休憩中だし」
「ねえよ。定時に帰れて特に何の責任も無い今が1番楽でいい、専務も社長も役員もクソ喰らえ」

過去、真守の元によからぬ事を吹き込んでくる者が居たが渉の元にも来た事があった。
貴方が社長に、貴方こそ相応しい、なんて渉本人はそんな事を望んでいないのに。
不愉快な思い出が甦る。

「なるほど、それじゃ暫くは社長に振り回されっぱなしですね」
「俺じゃなくても専務サンが居る。……その話はもういい、面倒だ」

あの馬鹿面の長兄には不満は山のようにあるけれど、彼を追い出しても解決にはならない。
真守を社長に据えたら自分が今の楽なままで居られるか怪しいし。百香里の事も頭に過ぎる。
何度も同じような話を堂々巡りして今のままが1番いいのだという結論に到達してしまう。悔しいけど。

「問題はこれからですよ、今はまだ面倒でもね」
「これから、か。あんたも今は様子見って訳だ」
「ええ」
「はっ、女は怖いね」
「そうですよ。女は、あ。専務だ。それでは失礼します」

千陽は煙草を片付けると何かスプレーのようなものを自分に吹きかけ喫煙ルームを出て行った。
その先には社長室から出てきた真守。何も無かったように笑顔で出迎えている。
怖い怖い、と呟きつつ自分も職場へ戻った。あまりサボりすぎると上司の雷が落ちるから。



「お腹すいた」

それで目が覚めた百香里が部屋の時計を見るともうお昼を過ぎて2時。減るわけだ。
リビングに下りると誰も居ない。やはり総司は戻ってこなかったのだろう。
分かっていたのに何となく寂しい。電話もない。何か食べようと冷蔵庫を開ける。
この際ストックしてあるインスタントラーメンでもいいか。じっくり料理をしている暇もない。
夕飯の買い物にも行かなければならないし。

「起きたん」
「そ、総司さん!?」

確かこの辺りに、と棚をあさっていると上から声。顔をあげると総司。

「俺もさっき帰ってきたんやけどな。ユカリちゃんぐっすり寝てたし、お昼たべてへんやろ」
「はい。これから」
「俺もまだやねん、で、お弁当買ってきたから食べよ」
「お茶の準備しますね」

夢じゃない本物だ。総司は着替えてくるといって弁当を机に置いて部屋へ行って。
その間に百香里はお茶の準備。本当にお昼に帰ってくるなんて、会社は大丈夫だったのか。
もしかして仮病とかつかって強引に休んだとか?抗議の電話が来ないかちょっとビクビク。
でも、何時もは1人なのに一緒に食べられるなんて。本音はうれしい。

「なあ、買い物行くんやろ。俺も行く」
「え?まだ居るんですか?」
「ま、まだて!酷いわ。今日はもうユカリちゃんとずーっと一緒におるのに」

席について一緒に頂きます。買って来てくれた弁当はまだ暖かく美味しそう。
お腹が空いていたからあっという間に完食。総司も似たようなくらいに食べ終わった。
満腹でいい気分。食後のお茶を飲みながらの会話。

「無理しなくていいですよ?」
「そんな寂しいこと言わんといて。真面目にお仕事してきたんやし」
「本当なんですね」
「うん。スーパーでも何処でもお供するで」

それとなく百香里の手を握り総司は微笑む。カートを自分が押して彼女が夕飯これにしましょうとか
どっちがいいですか?とか。相談なんてしながらゆっくり仲良くお買い物。
想像するだけでニヤっとしてしまう。そんなほのぼのとした淡い想いを馳せていると。

「いえ、戦場です」
「せ、せんじょう?」

彼女から帰ってきた言葉は思いのほか血なまぐさかった。

「総司さんが来てくれるなら心強いです。一緒に戦いましょう!」
「あ、あの。ユカリちゃん?俺ら、買い物に行くんやよね?殺し合いちゃうよね?」
「今日は野菜四種つかみ取りと鮮魚コーナーで激安祭りがある日なので早めに移動してまず陣取りを」
「今夜は外で食べへん?あの、皆誘って。な?」
「何言ってるんですか。沢山買ってストックして今後の」
「あ。そうや。カニ食べようカニ!な!美味い店あるんや〜!」
「でも渉さんカニが」
「そこはカニだけやないし。な?そうしよ」

行く気満々だったのに外食しようと言われて、渋る百香里だがカニの誘惑には弱かったようで。
暫く悩んでいたがやっと了承をした。渉と真守にも後から連絡をしなければ。それから、あまり無理はしないで
と百香里に言った。夕飯の為に戦場で戦う百香里。想像したら胸が痛い。
食後は片づけを手伝って何時もの掃除も手伝って。夫婦だけの静かな時間を楽しんだ。



「何でこんな事になってんだ?」
「義姉さんが戦場で怪我をしないように、だそうだ」
「はあ?何だよそれ」
「まあいいじゃないか。本人も喜んでいるようだし」
「……まあな」

そして夕方。よく分からない理由で店によばれて。とりあえず言われるままに来た弟たち。
目の前では仲良くカニを食べている兄夫婦。最初は不満げだった渉もそんな2人の様子を見て
呆れたように笑いまあいいかと適当に注文し、真守もそれに会わせて飲み始める。

「あーん」
「総司さんそんな大きいの…」
「…僕のより大きい?」
「わざとでしょ。…もう」



おわり


2009/10/25