第22話
「なーなー。俺とユカリちゃんとのあまーーーい生活の為には何が必要やと思う?」
「そうですね。まずこの書類に目を通していただいて、今後のわが社の」
「いや、わが社と甘い生活したいんと違う。ユカリちゃんとしたいんやけど」
そう言うとまたデスクに肘をついてハアとため息。やる気が感じられないのは毎度の事だけど。
朝イチでこんな空気を出されるとパンチの1つでも繰り出したい所。ではあるが相手は社長。
怒りをグッと堪えて仕方なくニコヤカに返事を返しているが目は笑ってない秘書。
対する総司は何時になく虚ろな目をして愛妻の写真を眺める。
「そういうお話しはご自宅で奥様と2人でなさってください」
「いっそ…家帰ろかな…」
「社長。確かに話をしてくださいとは言いましたけど今は仕事中で」
「ん?ちゃうで。マンションやなくて自分とこの家」
「ああ…そちらでしたか」
松前家の実家。今はマンションに越してしまったから行く事は殆どないが千陽も過去何度か行った事がある。
政治家やお金持ちが多く住む一等地でも指折りの豪邸。外から見るとまるで城のような佇まい。
維持費だけでも何百万とするんじゃないかと思える広い庭。玄関までがやたら遠くて。中もこれまた豪華。
超のつく一流大手企業の社長宅なのだから相応か。
「でもさ。ユカリちゃんあんな広い家に1人ぼっちやなんてかわいそうやん?」
「お手伝いの方がいらっしゃるのでは?」
「居るけど婆さんやし。めっちゃ厳しいし。何よりユカリちゃんのすることなくなるし。そうなるとまた求人誌とか…」
「はあ」
「家あるのにまた新しい家造るちゅうのも何かもったいないしなぁ〜あーもー」
「……」
「やっぱりアレや。もう無理やりでも結婚してもらうしかない」
うんうんと1人頷く総司。彼が何を思っているのかさっぱり分からない。わかりたくもないが。
ただ結婚してもらうという言葉がひっかかった。彼の事だ、百香里との甘い生活の為に同居中の弟を結婚させ
マンションから出て行かせようとしていると想像出来る。三男の渉には恋人がいる。となれば。
「いや、あの、……私は」
真守とはまだそこまで発展していないし、彼自身恋愛や結婚に前向きではない。
それなのにいきなり結婚とか言われても。けど社長命令とか言われたら考えたり…なんて。
まだ何も詳しいことは聞いていないのに1人慌てる千陽。
「何て言うても相手がおらん事にはなぁ。ああ。ユカリちゃん…」
「あ、あの」
「ええんや千陽ちゃん。もう無理に2人をくっつけようとかせんから。あいつはほんま恋愛にむいてへん。
自分で気づかん限り相手を傷つけるだけや。せかしてもこればっかりはな」
「……私は」
だとしても、それで距離を縮められるならいいかも、なんて思ってた。
「短い人生ちょっとくらい遊んだほうがええのになぁ。そや今度夜の街に」
「繰り出してみろどうなるか、……分かっておいででしょうね、社長」
「は、はいっスンマセンっ……こわっ…」
軽い冗談のつもりだったのに。今まで見たことないくらい怖い顔して睨む千陽。
何だかよくわからないが今後下手に真守を夜の街に連れ出すのはやめよう。
それからは怖い顔の千陽に言われるまま仕事をこなす。甘い生活はまた今度。
「げ」
「……あ。ああ!何や奇遇やなー渉!」
歩いていた足がピタっと止まる。ちょっと息抜きのトイレついでに喫煙ルームにやって来たのが運の尽き。
フロアから隔離された室内には今1番会いたくない男ナンバーワンが座っていて此方を見て笑っている。
昼休み目前。少しの間くらい我慢して座ってりゃよかったと今更ながら思うがもう遅い。
「こっち見んな…」
「こっち来いや!おいで!ほらほら!お兄ちゃんの隣が開いてるで!」
いい歳をして何がお兄ちゃんだ。踵を返して走って帰りたくなるが今ここで戻るのは変に思われる。
フロアには他にも社員が居てアホまるだしの社長に控えめにだがクスクス笑っている。兄弟仲がいいとか。
ここで逃げたらかっこ悪い気がする。同類と思われないように無関心を装ってスマートに対応しよう。
兄に呼ばれて行ったんじゃなくて、ただ煙草を吸いに来たとさりげなくアピールして。
「テメエふざけんじゃねぇぞ」
部屋に入るなり青筋を立ててキレる。煙草はもうやめた癖に何でいるんだ。
もしかして自分を待っていたのだろうか。だとしたら最悪だ最低だ。
3つほど席を離して座る。煙草に火をつけて、吸い終わったら速攻で出て行く。
「何やお前まで怖い顔して。こわいなーヤクザみたい」
「俺にはあんたのがヤクザに見える」
「なあ。あの家の事なんやけどな」
あの家。家ということはマンションではなくてあっちのでかい家の方。
総司に言われてそんなものがあったと思い出す。家の事を話すのは本当に久しぶりだ。
家族というもの自体どうでもよくなっていたから余計懐かしく感じる。
「ああ。何?売りにでも出すの?三分の一でいいから分け前くれよ」
「そんなんしてみぃ。真守にどんだけ怒られるか」
「あー、そういうのウザそう。じゃあ何だよ」
とはいえ、今でもどうでもいい存在。無くなった所でどうも思わない。
ただ何で総司が家の事を話しだしたのかは少し気になる。
「ちょっとなー。ユカリちゃんとの生活を考えて。けど、あの家に置いておくんはな」
「今のままでいいだろ」
「まあなぁ」
「俺あそこに戻るの嫌だし。真ん中の人も嫌なんじゃないの」
この間の事があってから総司は悩んでいた。誰が悪いという事ではないけれど。
百香里に余計な事を考えさせない為にどうしたらいいか。が問題で。
求人雑誌を眺めている彼女を見るたびにヒヤヒヤする。何時面接に行くと言い出すか。
理解ある夫を演じるのも正直限界がある。
「結局今のままで落ち着くんかな。ああ。2人きりの甘い生活は遠いなぁ」
「どうせ昼間は仕事で離れるんだしさ。あ。老後にいんじゃないの?」
「ろ、老後ってお前」
「あとちょっとの我慢だ」
確かに、終の棲家にするには静かで落ち着いていていいかもしれない。
でも老後という言葉はまだまだ遠い話だと言ったら渉はそうか?と鼻で笑った。
若いつもりでいる総司だが20代の渉に言われるとちょっぴりショックではある。
「あ。もう昼や。渉一緒に」
「あーやべーやべー戻らないと怒られるわーじゃあな」
「ええやん。なあなあ」
「気色悪ぃんだよ。触るな」
「あら。松前君。いくらお兄さまでも社長に対してその言い方はどうなの?」
スーツの裾を引っ張ってくる大人気ない社長を振り切ったら喫煙ルームに入ってきた女子社員。
同じ課の女性たちだ。そんなに仲がいいわけではないが何かと話しかけてきたり世話を焼いたり。
お昼には大声で笑いながらお菓子を食べていたりと少々煩い部類にはいるが、一応先輩に当たる。
「そうよ。お忙しい社長がお昼を一緒にって仰ってるのに」
「俺にも予定があるんで」
「あら。何時も社食に居るじゃない」
「まあまあ、松前君は若いから。でも照れないで行ってらっしゃいな」
また嫌なのに出くわした。ただでさえ嫌な奴と同席して苛々していたのに。
自分が松前家の三男で現社長の弟だと知っていても媚を売ってこない所はいいと思う。
だけど世話を焼きすぎる。大人の対応というより近所のおせっかいオバサンの域。
渉でも先輩にタメ口や反抗的な態度はしないよう心がけているけれど、たまにドツきたくなる。
「照れてないですよ…」
「可愛いんだから」
「あと10年若かったらねえ」
「もう。何馬鹿な事言ってるの」
何やら2人で盛り上がりだした。こうなるともう長ったらしい。そろそろここを出てもいい頃合か。
それとなく部屋を出て行こうとする渉。
「20代後半くらいからで結婚してへん女の子おったら紹介してくれへん?」
「いけませんよ社長。奥様がいらっしゃるのに」
「ああ、俺やなくて。真守…、専務のな。花嫁さん大募集!」
「専務の」
まさかの嫁募集。もしここに真守が居たら何やってるんだと大激怒されている事だろう。
そういう話題には物凄く食いつく人たちなのに。噂でも立てられたらどうするつもりか。
それともそれを分かっていて彼女にそんな話題を振ったのだろうか。
「ですが専務につりあう女性となると…私たちでは」
「ああ、ええんや。そんなつり合いとか気にせんといて。もうこの際女の子やったらどんな」
「社長。昼飯の時間なんで俺は失礼します」
「あ。まって!ほな宜しく〜」
廊下に出ると総司もついてきた。女性たちは何やら話しながら煙草を吸っている。
真守の事を相談しているのだろうか。誰を紹介しようとか。
あの専務が花嫁を募集しているんだ、とか。また他の奴にペラペラ喋るんじゃないか。
「ああいう人間は直ぐに面白おかしく話を捻じ曲げて尾びれつけてそこら中に噂流すんだ」
「ええやん。それで出会いが増えるわけやし」
「そこまでして俺たちを追い出したいのか。あんたらが押しかけてきたんだろ。長男なら何してもいいのか」
「そんな怒る事ないやん。お前はほんま優等生ちゃんやなあ」
「はあ?喧嘩売ってんのかテメエ」
真守だけでなく松前家の変な噂を流されないか心配してやってるのに総司はただ笑うばかり。
そこまでして百香里と2人で暮らしたいなら何処にでも家を建てるなり部屋を借りるなりしたらいいのに。
からかうような返事の総司に我慢ならなくて、ついに彼の襟元を掴む。
「やめとき。子どもやないんやし会社で喧嘩はみっともないで」
「吹っかけたのはそっちだろ」
「渉は優しいなあ。誰に似たんやろ?まあ、母親やろなあ」
「……何なんだよ」
「ちょっと前まではそんな些細な事も気づかんで自分の事ばっかで生きとったなあとおもってな。
それもこれも今めっさ幸せやからかな。お前も真守も幸せになってほしいんや。今更何やって話しやけど。
あの家は嫌いやろうけど、やっぱり俺らの家やしな。いつかは戻ろうと思う」
ニカっと笑って渉の肩をポンと叩く。身長も体格も兄である総司の方が大きい。
何だか馬鹿にされているみたいで嫌になる。けど、そういえば遠い昔もこんな感じだった。
子ども扱い。まるで自分がその頃のガキのままみたいで恥かしい、でも、やっぱりムカつく。
「勝手にしろ」
「お前が築くであろう家族と真守の家族と一緒に」
「絶対に嫌だ」
「えー。めっちゃええアイデアやんかー一緒にすもうやーあの家なら大丈夫やってー」
「ユカりんとの甘い生活とやらはどうしたよ」
「何かな。真守を必死に助けようとするお前の優しさに心うたれて」
「気持ち悪いんだよ!」
寒気がして掴んだ手を慌てて離す。何で最後までこの男と一緒に居なければならないのか。
別に真守を助けようとか思ったわけじゃない。ただ、総司のやり方が気に入らなかっただけで。
こんな展開になるなら文句とか言わないで黙って去ればよかった。何て馬鹿な事を。
気持ち悪い未来図を隣で延々吐いてくる社長を横に社食へ向かう。食欲なんて無い。
「社長。それに渉さんも?ご一緒なのは珍しいですね」
「ねえ。専務どこ」
このままじゃ胃がおかしくなる。誰か道連れを、と思った所に秘書の千陽を発見。
総司が何を食べるか選んでいる間に他の秘書仲間と話している彼女に真守の居場所を尋ねる。
真守が食堂に来る確立は極めて低い。忙しかったりして部屋で食べていたり外が多いから。
「専務…ですか。専務室です」
「どうも」
「何か?御用でしたら私が」
「いいよ。邪魔して悪かった。あ、あと。気をつけろ、あの馬鹿社長女なら何でもいいとか言ってたぞ」
「え?」
「専務の嫁。大々的に募集する気らしい」
やはり。居場所を聞くと急いで専務室へ。総司が戻ってきても大丈夫だろう。
専務の嫁募集なんてやった社長に秘書が詰め寄って飯どころではなくなるだろうから。
その間に道連れ仲間を呼んでくる。いや、彼と交代してもらうのもいい。
「お前はノックすらまともに出来ないのか」
「急いでる」
「何か緊急事態でも?」
「ああ。えらい騒ぎだ」
「何だ」
専務室に入ると丁度頼んでいた弁当が到着して食べようとしていた所。
不躾に入ってきた渉に腹をたてつつも緊急事態と聞いて箸を置き真剣な顔。
「社長があんたの嫁を大々的に募集した。明日あたり申し込み殺到じゃねえかな」
「……な、に?」
「いや、もう広まったかな。食堂とか凄い事になってるかも」
「そんな事をして何になる。何が目的なんだ」
「俺たちを追い出してユカりんと2人で暮らしたいんだよあの男」
「だったら他所に部屋を借りればいいだろう。何を考えているんだ」
「さあ。食堂に居るから聞いてみたら?」
「……、いや。こうなったのは僕の所為だ。僕がどうこう言った所でどうにもならないだろう。不本意ではあるが」
食堂へ行くと思ったのに思いのほか冷静。見込みとは外れてちょっと残念。
だけど、確かにこんな騒ぎになってしまったのは元はと言えば真守の言葉から。
百香里を不安にさせてしまったから。総司は彼女を手元に置いておきたくて動いている。
あと寒気がするけれど弟たちの幸せ、というのもでまかせの嘘ではないと思う。
「何であんなのが上に居るんだ。あんたもしんどいだろ?」
「そうだな。毎回振り回されて大変だ」
「いっそあんた社長にしてさ。あの人追い出すってのはどうだ」
「その場合お前には専務になってもらうがいいか」
「それはほら。どっかから引き抜いてこいよ」
「悪くは無いが、兄さんを追い出したら義姉さんも追い出される。彼女にまでそんな嫌な思いさせていいのか」
「あー……面倒だな」
「だろう。だから兄さんに頑張ってもらっている。これが1番面倒が少ない」
「なるほど」
何だか怒ったりイラついたりしていたのがどうでもよくなってきた。
するとお腹がすいてきて。目の前の弁当がとても美味そう。食堂へ戻る事にした。
まだあの男が居るだろうが我慢しよう。落ち着いたからかそう思えた。
「渉。めっちゃ怖かった。死ぬんちゃうかなっておもた」
「何が。幽霊でもでたか?」
「幽霊…いや、鬼、いや、鬼婆…いや山姥…いや」
「なんなんだよ」
メニューを決めて席に向かうとなぜかブルブル震えている総司。
「千陽ちゃんに怒られた。真守は玩具やないって」
「ああ、だろうな」
「昼からこわいー」
「あの人が居るのに嫁募集とか勝手にするから」
「せやけど真守は全然煮え切らんし。千陽ちゃんかて何時までもまってられんやろ?もっとええ相手とか出てくるかもしれんのに」
「まあな。でも、怒ってくるってことは本人はまだその気ってことなんじゃねえの」
「そうなん?」
よっぽど怖い目に遭ったらしい。でも、何となくいい気味だ。
総司から席を3つ離して座る。もっとこっちへ来いよと言われたが無視をきめて。
さっさと食事を終えたら周囲に気づかれないようにさりげなく逃げてやる。
「社長」
「ん?何や真守」
渉に逃げられて退屈な総司。仕方なく社長室に戻ろうとした所へ真守。
「話は聞きました。僕たちを追い出す為にご苦労さまです」
「はぁ。お前はええなぁ」
「はい?」
「千陽ちゃんだけやなく渉からも慕われ。ああ、やっぱり俺にはユカリちゃんしかおらへんのや」
「何ですかそれは」
「まあ、頑張れや。ほな」
「兄さん、……僕は、…その、…自信がないんだ」
俯く真守の肩を叩いて。
「大丈夫。誰もが最初は初心者や。情熱のままに行けばええ!」
「じょ、じょうねつ、ですか」
「それでも心配やったらDVDとか渉から借り」
「そういう話はしてません」
廊下で立ち話も何だと2人社長室へ。真守は不愉快そうな顔をして。
総司はそんな弟の様子を伺いつつ秘書にお茶を持ってきてもらう。
さっき怒られたばかりの千陽は怖いので別の人に頼んだ。
「なあ」
「はい」
夕方。今日はもうあいつの顔は見たくないから梨香の所に行こうと思ったのに気が付けば玄関前にいて。
ここからまた彼女の部屋に行くのももう面倒だと大人しく入る。何時ものように百香里が出迎えてくれて、
酒の準備もしてくれて。彼女に買ってもらった部屋着を着てつまみを食べる。
「あんなんでも良いと思ってるんだよな」
「え?何の話ですか?」
「旦那」
「総司さんの事ですか?」
渉の突然の言葉にキョトンとした顔をする百香里。昼間の事を何も知らないのだから当然か。
「そ。あんな鬱陶しい奴そういねぇよ。めちゃくちゃおっさんだし」
「そうですか?あの、何か…」
「何でアレだったのか考えただけ。マイナスばっかなのにさ」
「……」
「家の金目当てじゃないのは俺も真ん中の人も分かってるからさ、気を悪くしたらごめん」
「いえ。渉さんが総司さんの事考えてるなんて珍しいなって思っただけで」
「別に。絡んできたのはあっちだし…」
偉そうに兄貴面はしないが不愉快な笑みを浮かべてぽんぽん肩とか叩いてきて機嫌が良いと頭を撫でてくる。
気持ち悪いし寒気がするし大嫌い。振り払っても相手は笑って照れるなと訳のわからない事を言う。
何てまた総司の事を考えている自分に気づいて身震いし、テレビをつけた。もうこの話題はやめよう。
「あ。これ。いいのかな。本当に効果あるのかな」
「馬鹿みたいに毎日CMしてるんだしそれなりにあるんじゃないの」
「でも、その、一週間分お試し5900円て高くないですか?」
「俺化粧しねぇからな。まあ、何でもやってみたら?」
最近よくみる有名女優が宣伝する化粧品のCM。百香里は気になるようで食い入るように見つめている。
そんな化粧品に頼る歳ではないと思うのだが女心と言う奴で。女優ほどでなくても少しでも綺麗になるなら。
総司に見合う妻になりたいと思う反面、やっぱり身の丈に合わないとか値段とか考えてしまって。
「あ。こっちもいいな」
「カニ?」
「大きい脚をガボっと……この前外れたんだよな…ああ、お腹すいてきますね」
何時までも物欲しく画面を見ていたら渉に強請っているように思われてしまう。
この前も通販番組を見つめていて買ってやると言ってもらったから。このままじゃ悪い。
気分をかえようとチャンネルをかえてもらったら今度はカニ特集が出てきた。とても美味しそう。
何度も懸賞に応募しているのに未だ当選した事の無い高級食材の1つ。
「2人で店いけば?デートとか言って喜んでつれってくれるだろ」
「どうせならみんなで食べたくないですか?鍋とか」
「いや、俺カニ嫌いなんだよね」
「え!?美味しいのに!……といっても1回した食べた事ないですけど」
昔家族で食べたカニの味。だから皆で食べようと密かに思っていたのに。
まさかのカニ嫌い宣言。仕方ないけれど、ちょっとがっかり。
カニ特集はお腹が減るのでまたチャンネルをかえてもらってニュース。
明日の天気を見ているところでチャイムが鳴った。
「ユカリちゃんただいま」
「お帰りなさい」
「……んー」
玄関には総司。何時もならすぐに抱きしめられるかキスなのに。
今夜は何故か百香里の顔を見て唸って腕を組む。
「総司さん?どうかしました?」
「ユカリちゃん。今度一緒に家にいかへん?」
「家?家って?」
「あ。そか。ユカリちゃんは知らんかったか。こことは別のトコに家があるんさ」
「へえ。お家ですか。……お家って事はお家ですよね」
「まあ。そんな感じ?」
ああ、といいつつ沈黙する百香里。
「……」
「あの、ユカリちゃん?」
「あ。いえ、いきなりだから、ちょっとビックリしちゃっただけです」
「堪忍なぁ。でも気に入ると思うし。まあ、いってみよ」
とりあえず靴を脱いで百香里を抱きしめてオデコにキスする。
まだ驚いたままで何の反応も出来ない百香里。いきなり出てきた家に戸惑っているようだ。
新婚生活もそろそろ終盤。なのに今まで実家の話題など出てきた事がない。どんなものだろう。
今更気づく自分もどうかと思うけれど。とにかくビックリ。
「家?ああ、あるよ。そういうの」
「ど、どんな感じですか?」
「どんな感じって。別に。普通……でもないか」
総司が着替えに行っている間それとなく渉に聞いてみる。
松前家の実家。このマンションでさえ豪華なのだから、家となると。百香里には想像もつかない。
結婚する時には既に彼らの両親は亡くなっていたから挨拶に行く、という事もなかったし。
弟たちを紹介されたのもこのマンションだった。
「ど、どうしよう」
「何で?親が居るわけでもないんだしさ。面白いものなんて無いけど」
「総司さんどうして急に…何かあったんでしょうか」
「さあね。気まぐれじゃないの。一応、あの人が相続した家だし」
「まさか、そっちに引っ越すとか」
「だったらどうする?」
渉の言葉に返事が出来ない。いきなりの事でどうしたらいいか分からなくて。
もし本当に家に引っ越すとしたら今のままでは駄目なんじゃないか。さっきの化粧品買ってもらおうか。
いや、でも、両親は居ないのだから気にする事はないかも。しかし場違いな格好は出来ない。
「ユカリちゃん。お腹すいたーごはんたべよー」
「わ、私、ちょっと出てきます」
「え?なに?なんで?もう遅いし明日にしぃや」
「でも、売り切れちゃったら困るし」
そう思ったら不安になって。居てもたってもいられなくて。財布を手に出かける準備。
今月キツいけどとりあえずお試しセットを買うお金くらいは持っているはず。
外はもう暗いけれど、自転車に乗って行けば少し遠いドラッグストアに行けばまだ間に合う。
「今焦ったってどうしようもないだろ。それよりさ、飯にしようよ」
「渉さん…」
「何?何の話?また俺だけ除けもんにするー」
「カニだよカニ」
「カニ?」
「さっきテレビでやってた。すげー食いたそうにしてたからさ」
「何や。電話ででも言うてくれたら買ってきたのに。でももう遅いから明日な」
「あ」
総司は百香里の財布を取ってもとの場所に戻す。それよりも夕飯にしよう、と言って。
こうなってしまったらもう外に出られそうに無い。明日行けばあるだろうか。
不安に思いながらも食事の準備。真守は何時もより遅くなるという事で3人で。
「なあ、ユカリちゃん」
「はい」
「家の事黙ってて堪忍な。その、別にええかなぁ〜とか思ってて」
食後。休憩を挟んで一緒に風呂に入る。総司に後ろから抱きしめられながら。
「でも、考えてみたら分かることですよね。ここ仏壇とかないし」
「家はあってもそこに住む家族がおらんとどんだけ綺麗でも意味ない。……あの家は、寂しい場所や。
楽しい思い出もあんまないし。ユカリちゃんにそんなもん見せたなかった。何て、勝手やね」
「総司さん」
百香里には分からない。松前家の人たちは皆良い人だけど、何処か冷めていて。
家族であっても干渉する事深く関わることを拒んでいる。今では少しずつ心を開いてくれてはいるけれど。
真守の事があってからはその辺りを特に気にするようになって。百香里も以前ほど干渉しない。
総司にもそういう所があるのだろうか。だとしたら、少し、寂しい。
「もう主はおらんのに捨てることが出来んのはやっぱり家族っちゅうもんに拘っとるんかな」
「今は総司さんが主じゃないですか。家族も居ます」
「可愛いなあ。あ。でも、別に今すぐ引っ越そうとか思ってへんから。ちょっと見に行くだけや」
「そうなんですか?」
「あいつら呼んでも来んやろし。ユカリちゃんとの甘い生活もええけどさ。せっかくお互い慣れて来たのに
ここ離れるんは寂しいやろ?暫くは兄弟仲良く暮らすんや〜」
「はい」
総司に背を向けているから表情は見えないけれど、今すぐに引っ越すという事はないと聞いてホッとする。
松前家の実家に住むという緊張が解けた。この先移動する可能性もゼロではないようだけど。
今はまだこのままでいい。やっと慣れてきた生活なのだから。
「あ。ユカリちゃんは僕とだけ仲良くしてたらええからな」
「え。嫌です。皆さんと仲良くしたいですから」
「嫌って!?そんなあっさり……やっぱり結婚やな。それしかない」
「え?何ですか?」
「何でもない。あ。……おっぱいがあった」
「もう。総司さん」
イタズラっぽく後ろから胸を揉んでくる総司にくすぐったいですと振り返って向かい合う。
気持ちが落ち着いたからか今はちゃんと何時もみたいに笑えていると思う。軽くキスをして。
たっぷりと愛情を確かめ合ってから風呂を出る。
「明日…どうなるかな」
「はい?」
「真守の嫁さん候補がドッと押しかけてきたりして」
「え?どういう事ですか?」
「ううん。なんでもない」
おわり
2009/05/25