休日の朝。ゆっくりしたらいいのに何時もと同じ時間に起きて朝の準備をする百香里。
総司だけを見ると言ったものの、同居している以上何もしないというのは彼女の性分ではやはり無理で。
リビングに向かうとちゃっかりみんなの分の朝食と洗濯は出来上がっていた。


「あの、ユカリちゃん。何見てるん?」
「求人誌です」
「求人誌。へー」

朝食の片づけを終えた百香里はテーブルになにやら雑誌を広げて眺めている。
総司としてはせっかくの休日だから何処かへ出かけようと誘いたいのだが。
あまりに真剣に見ているものだから声をかけ辛くて。
やっとの思いで声をかけてみたら帰ってきた返事はあっさりしたものだった。

「レジとか良いなって思ったんですけど。ここからだとお店が少し遠いんですよね。
自転車でもちょっと厳しいかな。あとファミレスとかクリーニング店とか色々あって」
「あの、ユカリちゃん?僕、なーんも聞いてないよ?」
「ダメなんですか?」

求人欄から視線を総司に向ける。

「だ、ダメとかダメやないとか。そういう前に相談してや…夫婦やん」
「総司さん忙しいみたいだし。それに、面接を受ける前には相談するつもりでしたから」
「ユカリちゃん」

真守に言われたから?それで家の事だけやるのではなく外を見ようとしているのか。
その方法が仕事をするということ。ずっと働き通しできた彼女らしいといえばらしいけれど。
それが悪いことだとは総司も思わない。家に縛られるよりは外に居たほうがいいかもしれない。

「あ。別に不満があるとかそういうわけじゃないんですよ。むしろ居心地がよすぎるくらい。
だからそれにばっかり甘えちゃわないようにしたいなって思って」
「せめてウチの系列の会社とかにしてくれへん?ユカリちゃんが心配や」
「近所のお店とかでいいんです、変に気を使わないでください。私も居づらいですし」
「そやけど。ほら、ユカリちゃん可愛いし。若いし。何かあったら」

しかし。外の世界は色んな誘惑がある。金遣いが荒くなるとか遊びまわるとかならまだ許せる。
けど、若く美しい百香里に寄って来る男だっているはず。それに彼女も迎合してしまったら終わりだ。
どんなにかっこつけても本音を言えば百香里には自分の傍に居てほしい。目の届く場所に。家に。
そんな醜い嫉妬を彼女に曝け出す勇気がなくて総司は黙った。

「ボランティアも少し興味があるんですけど」
「そういうのも、ええかな」

真剣に悩んでいる様子の百香里を見て苦笑い。

「まあ、これは置いといて。せっかくのお休みですから2人でのんびりしましょう」
「うん」
「総司さんを独り占めしちゃいます」
「ユカリちゃん」

そんな夫の気持ちを感じ取ってか雑誌を仕舞い甘えるように総司の胸に身を寄せた。
すぐに抱きしめられて彼の温もりを強く感じる。この瞬間がとても幸せ。
外に目を向けようとしているけれど百香里だって本音を言えば彼の傍に居たい。

「遠出しませんか」
「行きたい場所あるん?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど。たまにはいいかなって」
「よっしゃ。ドライブしよか。そのままお泊りとかええなぁ」
「明日はお仕事じゃないですか?」
「そうやけど。ユカリちゃんの意地悪〜」

先に出かける準備を終えた総司はマンションを出て駐車場で待機し何処へ行こうか考えをめぐらせる。
天気がいいからドライブするだけでなく車から降りて散歩出来るような場所もいい。ショッピングもいい。
真守は仕事があるからと日曜日なのに出社して渉は梨香とデートで夜遅くなるという。
よってあいつらの昼も夜も食事の事は考えなくていい、何てチャンス。本当に泊まってしまおうか。

「お待たせしました」
「……めっちゃ可愛い」
「こういう時にこそ着るものですから。なんて」

少々ニヤついた顔をしながら待っていると何時ぞやの可愛いワンピース姿で車に入ってきた百香里。
化粧も香水もきっちりとしている。彼女は自然体なのが1番だけれど、やはり着飾るとなお美しい。
慣れない事をして恥かしそうにしている百香里にただ呆然と見蕩れる総司。

「……あ。あかん。ドライブや。出発するで」
「はい」

何時までも見ていたい、けど薄暗い駐車場で時間を食うのは勿体ない。慌てて車を出して外へ。
それでもチラチラと隣の百香里に視線がいってしまう。化粧の所為か大人びて見える横顔。
めったに口紅なんてつけないのに今日はほんのりピンク。それが妙に艶かしい。

「……」
「どうしちゃったんですか?静かになっちゃって」
「ユカリちゃん可愛いから」

赤信号で止まった所で百香里から切り出す。総司は少し慌てた様子で返事をする。
何時もなら百香里を退屈させないように楽しく喋ってくれるのに。今日は黙ったまま。
たまに視線が合ったりするものの何を言って来るわけでもなく。

「そう、ですか?ふふ。そういえば出合って最初の頃も総司さん静かだった」
「そうやった?」
「はい。たまに視線が合うんですけどすぐどっか向いちゃって」
「はは」
「もしかして私の事気にいらないのかなって最初思ってたんです。気難しい人なのかなって。
でも勇気を出して話をしてみたらとっても優しくて楽しくて。それに」
「あ、あの。ユカリちゃん。恥かしいからそれくらいにしといて?な?」

総司は出会った頃の事を思い出すのは恥かしいらしい。運転をしながら顔が赤い。
だけど百香里からしたら素敵な思い出。何せ一生共に生きたいと思えた人との出会い。
まだそんな時間が経っていない事もあって百香里はたまに思い出しては1人微笑んでいる。

「いいじゃないですか惚気たって。ダメですか?」
「ユカリちゃんの意地悪」
「そんな私は嫌い?」
「めっちゃ好き…」

さっきよりもさらに頬を赤らめ困った顔をする総司にニコっと無邪気に笑って返す百香里。
ちょっと意地悪しすぎただろうか。でも、これで少しは何時もの総司に戻ってくれるだろうか。
突然仕事なんか探したり何時もと違う格好や化粧なんてして戸惑っているようだから。

「今日は散歩するには丁度いい天気ですね。あ。何か買ってもらおうかな」
「それやったら軽くドライブして何時もの商店街めぐりでも行こか」
「はい。あの時の子犬まだいるかな」
「居ったらそのままウチにつれてくる?そしたらユカリちゃんも」

働きに行こうとかボランティアしようとか言わなくなる、かも。
漸く行き先が決まって何時もの駐車場まで走らせる。やっと何時もの雰囲気になれたろうか。
途中のペットショップにて子犬をとても欲しそうにしていたからこの際それで彼女に家に居てもらえたらなんて。
あの時は犬に百香里を取られたくないなんて思っていたのに。げんきんなものだ。

「渉さんに聞いたんですけど、真守さんって犬ダメなんですって」
「まだあかんかったんかあいつ」
「小学生の頃にお尻を思いっきり噛まれたとか」
「せやけど相手は小型犬やし噛まれたとか言うても遊びの軽いもんやのに、泣きじゃくって大騒ぎしよって。
元々臆病な所があったからそんなもんでも相当ビビったんやろなあ真守は」

今でも思い出せる。ちょっと犬に噛まれただけで大泣きして自分の後ろに隠れた真守。
あの父親の子とは思えぬほど穏やかでちょっとの事では怒らず気も弱い方だった。
だがそれも低学年まで。何があったのか、小学校を卒業する頃には既に眼鏡で今の彼まんま。

「私なんて昔大型犬に1キロくらい引きずられたことありますよ」
「ユカリちゃん凄…やなくて。危ないやんそんな」
「若気の至りです」
「そういうもん?」

想像するとかなり危ない映像なのだが。当の本人は懐かしそうな顔をして笑っている。
百香里の幼い頃の事を知りたいような知りたくないような。まだ凄い武勇伝が出てきそうな。
とっても活発で元気な子どもだったんだろうな、という感じで総司の中で締めくくった。


「総司さんの服って何時も何処で買うんです?こういうお店じゃないですよね」
「何時も着とるスーツとかパーティとかの余所行きとかは全部千陽ちゃんに任せっぱなしやなあ。俺も自分で買うんやで?
せやのに俺の服見て何年前のセンスやとか派手すぎやとか似合ってへんとか滅多切りや。ほんま厳しい」

車から降りて商店街目指して歩き出す。休日だけに他にも人は多いから手をしっかり繋いで。
前回はあまりにも奇抜な格好をしていた総司に躊躇ってしまって最初は距離を置いて歩いた。
今回は百香里の方がオシャレをしているから総司は彼女を守るようにくっ付いて歩く。

「それで何時もビシっと決まってるんだ」

歩き出して最初に目に付いた紳士服のお店。ちょうどセールをやっているようで人も多く値段もかなりお得。
何時もの癖というか本能で総司に何かいいものはないかと探しそうになったがすぐにやめた。
クローゼットには沢山服があるしどれも高そうなブランドのものばかり。そこにセール品をまぎれさせるのは。

「それって俺の私服があかんって意味?」
「そんな事言ってません、どんな総司さんも素敵ですから」
「それやったらええけどさぁ」

でも下着くらいならいいだろうかと悩んでいると隣の総司は不服そうな顔。
自分のセンスにかなり自信があるようでそれを否定されるのが嫌らしい。
よっぽど厳しく千陽に私服や自分で選んだスーツなどを却下されているもよう。

「因みに今着てる服は自前ですか?」
「え!?いや、その、……デート用に、選んでもらったりして」

自分のセンスに自信があるくせにやっぱり若い百香里の視線は気になるようで。
ちょこちょことファッション雑誌を読んでいたり千陽にアドバイスを求めたりして私服をこっそり入れ替えている。
とくにデートするときは気合をいれて。とはいえ選んでもらってばかりなのがバレて少し恥かしい。

「総司さんたら。千陽さんに頼りっぱなしじゃないですか」
「自分で行く言うてるのにアカンって怒るんやもん」
「お仕事中だからですよ。もう」

大変だとはだいぶ前から分かっていたけれど。今度千陽にケーキを焼いてプレゼントしよう。
それでも足りない気がするが。名残惜しいが人がさらに増えてきたので移動。
他にもセールとか安売りとか売りつくしとかの文字を見るたびに敏感に反応して足が止まる。
どうも今日は商店街全体がお得な日らしい。通りで人が何時もより多いわけだ。

「ユカリちゃん機嫌直してぇ。なぁ?今度は自前で勝負するから」
「じゃああのお店のクレープ買ってください」

セールに夢中になって喋るのを忘れただけなのだが、総司からしたら怒っていると思ったらしい。
そこに美味しそうな匂いがしてみればクレープ屋。丁度いいと総司に買ってもらう事にした。
少し並びはしたが無事購入。総司はあまり得意ではないようで百香里のぶんだけ。

「ああ、もう居らんな」
「ほんとだ。でもまた新しい子犬が居ますよ。可愛い」

食べながら歩いているとペットショップが目に入る。以前百香里が気になった子犬は居らず。
かわりに別の種類の子犬が暖かなベッドで眠っていた。少しだけ残念に思いながらも
気持ちは其方に移動したようで食べかけのクレープを握ったままその子犬に釘付け。

「どうする?真守の事気にしとるんやったら」
「それもありますけど、もしお仕事するって決まった時世話が大変ですから」
「……そう」

やっぱり仕事をする気なのか。子犬を嬉しそうに見る百香里に対し総司はテンションが下がる。
たっぷりと子犬たちを眺めてからまた歩き出す。
恐らく最後は何時もの通り公園に到着してベンチに座ってゆっくりと休む事になるだろう。
何時までも暗い顔をしていては百香里が心配する。笑顔を作ってまた手を繋いだ。



「公園、家族やカップルだらけでしたね」
「ほんまに。俺らの特等席まで座られとるとは」

総司の考えていたコースはあっさりつぶれた。人が多い時間に来てしまったらしい。
長閑な公園はどこもかしこも人だらけで何時も座るベンチすらも高校生カップルに取られて。
人目も憚らずイチャつかれてちょっと腹立たしく思いながら移動。

「けど。総司さんはここの方が良かったんじゃないですか?」
「そやね」

百香里の視線の先には柔らかな胸に顔を埋める総司。さっきまで元気がなかったのに。
公園を通りこして何時ものコース通りラブホテルに入って。
一緒にお風呂に入ってベッドに入ったくらいから何時もの彼。思わず笑ってしまう。

「……よかった」
「ん?」
「総司さん元気ないみたいだから。その、もしここに来ても元気ないままだったらどうしようって」

総司は優しい人だからもしかしたら自分の考えている事に言いたくても言えないのかもしれない。
百香里としても話し合いは大事だが口論するのは避けたい。そんな事今まで一度もなかったけれど。
何も言わないが明らかに元気の無い夫を見て、言い方は悪いが自分の体で機嫌を取ろうと思った。

「ユカリちゃんの裸前にして萎むやなんて男やないで!もうビンビンのカチカチの」
「無理してません?」
「してへんよ。何やったら触ってみる?」

総司はニコッと笑って百香里の手をとり自分のソコへ導く。確かに元気なようで。
百香里は顔を赤らめてすぐに手を離す。妻の恥かしそうな顔を間近に見て楽しそうな笑み。

「もう」
「可愛い。なあ、ユカリちゃん。外に出るんやったら反対はせぇへんよ。やりたい事したらええ。
ただ、気持ちだけは俺の傍に居ってな。体はしかたないけど心は居れるやろ?
ユカリちゃんと一緒に居れてほんま幸せで充実した生活なんや。それを失うんは嫌や、怖い」
「総司さんは何時も私の事を考えてくれてます?」
「あたりまえやん。もうユカリちゃん一色で」
「だから千陽さんや真守さんに怒られちゃうんですよ。社長さんなんですからしっかりしてください」
「えー。そんなー」

自分の中で話をまとめてある程度妥協もしてやっと言葉に出来たのに。
ここは頬を赤らめてはいと同意してくれると思ったのに。あっさりと進路変更してお説教。
またちょっとテンションが下がった所で総司の首に手を巻いて百香里から軽くキス。
化粧は落ちてしまったが朝のあの艶やかな唇を思い出して貪るように深いキスで返す。

「……あなた」
「ユカリちゃん。なあ、ええやろ?はいって言うて。やないと僕すねるよ」
「同意するまでもないじゃないですか。総司さんの事考えてます、いつも。あ。でも一色ではないかも」
「もー。今日の百香里は意地悪や!」

ぎゅっと抱きしめると百香里のまだ濡れていない場所へ手を伸ばす。
勢いが強かったのか少々痛かったようで百香里は不安そうな声をだした。
耳元で優しく謝って今度は百香里に自分で股を開かせてからゆっくりと愛撫を始める。

「……ん」
「もっと開いて。そう、……んー。ここか?」
「あんっ」

特に敏感な場所を探りあて軽く指先で摘むと百香里は大きく振るえ一段と甘い声をあげた。
見つけたら後はゆっくり丁寧に愛撫してぬらしていく。全体を指でなぞってみたり。
かと思えば入口まで指を突っ込んでみたり、忘れずに耳元では彼女にえっちなことを言って。
顔を赤らめちゃんと反応してくれるのが可愛くてつい毎回してしまう。後で怒られるけれど。

「意地悪返ししたろ。今日は覚悟しぃ」
「え。でも」
「でもはなーしーやで」

開いた方の手で百香里の柔らかな胸を揉む。この触れた時の感触がたまらなく好き。
どう愛撫したら喜ぶかある程度把握しているものの新しく開拓するのも楽しい。
今日はもうここでずっと過ごそうと決めた。百香里の反応に胸の頂を軽く指先で弾く。

「お昼食べないとお腹」
「休憩を挟んで、覚悟!」
「あと洗濯。夕飯の準備。特売日」

どうして胸とソコを愛撫されながら現実的なスケジュールを淡々と述べられるのか。
もしかしてそんなに気持ちよくないのか。とか変な勘ぐりをいれたくなる。
思わず愛撫していた手が止まった。

「ユカリちゃんー」


結局お昼前にはホテルを出て、レストランで昼食を食べてスーパーで買い物をして帰宅。
1日を甘くえっちに過ごす予定を組み立てていた総司としては不服極まりない。
マンションに戻ってきても百香里は急がしそうで慌しくて。仕方なくテレビをつけるが面白くない。

「総司さんも暇なら手伝ってください。家事一般は得意じゃなかったんですか?」
「何したらええの。ユカリちゃんにやらしー事するくらいしかできへんけど」
「何ですかそれは。じゃあ、今からお風呂掃除しに行くんで一緒にいきます?」
「うん」

それを悪いと思ったのか百香里からの素敵な提案。
たまには掃除も悪くない。何て思いながら2人お風呂場に消えた。



「専務。休日なのにいらしてたんですか?」
「御堂さんこそ。どうしてここに」
「私はただ部屋に忘れ物をしてしまったのでとりに」

日曜の会社。平日は多くの社員でにぎわうオフィスも人気は無く静かなものだ。
専務室で1人パソコンに向かっていた真守は部屋に入ってきた千陽を見て驚いた顔。
彼女もまた専務が居るとは聞いていなくて驚いた顔をした。

「人が居ないと静かでいいですね。それに、怒る相手もいないからストレスもたまらない」
「そうですね、でも、専務が休日出勤なさるほど重要な仕事でしたら私も何かお手伝いを」
「お恥かしい話しですが、家に居づらくて」
「何か……」

あったんですか、と言い掛けてやめる。何かあったからここに居るんだろうし。
それを自分なんかが聞いていいのかとても迷う所だ。迂闊に突っ込まないほうがいい。
気持ちを落ち着かせて、千陽はとりあえずお茶を出す事にした。

「ありがとう」
「いえ。他にも何かありましたら」
「女性に贈り物をしたいんですが、何がいいでしょうか」
「え」

女性に贈り物。誰に?話の感じからして自分、ではなさそうだ。軽くショック。
いや、時間の経過と共に大きなショックにかわってきている。専務が女にプレゼントなんて。
自分の知っている人だろうか。それとも全く知らない人?見合い相手とか。まさか秘書課の?
あらゆる可能性をフル回転で考えるものだから頭が痛くなってきた。

「唐突にすみません。ただ、やはり同じ女性に聞いたほうがいいかと」
「あの、ど、どな、たに?差し支えなければ…」
「義姉さんにですが」
「あ。奥様ですか。ああ、ああ」
「御堂さん?」

なんだ。よかった。

「いえ。あの、奥様でしたら花なんてどうでしょう」
「花ですか。よかったら一緒に見てもらえますか」
「え」
「何か用事があるようでしたら結構です、すみません」
「いえ。何もありませんが。専務は」
「僕も特に予定はないので。これも明日またやればいい」
「では、その、お供させていただきます」

理由はどうあれこれはいいタイミングだった。うっかりハンカチを忘れてしまったのだが。
ハンカチくらいいいかと思って放置しようかと迷っていた。でも来てよかった。
一端トイレに入って身なりを整える。まさか専務が居るとは思わなくて地味な服で来たのが悔やまれる。
化粧を確認して再び専務室へ。真守は既に片付けて出かける準備を終えていた。


「思っていたよりも種類があるな」
「奥様なら派手すぎない明るい花がいいでしょうか」

会社を出てすぐの大通り沿いにある花屋。
千陽だってそんなに花に詳しくはないがとりあえず中に入ってみる。百香里にプレゼントするという花。
どういう理由でかは聞いていないが専務は普段からそんな事をする人ではないと思うのでよっぽどの事だ。
百香里の誕生日とかではないと思う。夫婦の記念日でもない。

「ああ、そうですね。御堂さん選んでいただけませんか」
「いいんですか?専務がプレゼントなさるんじゃ」
「僕のセンスで義姉さんが喜ぶとは」
「そんな事ありませんよ、プレゼントなんですよね。私に任せるより専務が選んだ事に意味があるはずです。
私もあんまり詳しくはないですがアドバイスしますから。とりあえず選んでみてはどうですか?」
「では、変だったらすぐに教えてください」
「はい」

困っている真守を見て自分が選んであげようとか店員に任せようとか考えたが見守る事にした。
真守が選ぶ事に意味があるように思えて。分からないなりに考えて花を選ぶ後姿にちょっと笑う。
店員も同じように見守ってくれていた。

「どうでしょうか」
「綺麗です。バランスもいいですね。これにしましょう」
「良かった。久しぶりに緊張したな」
「私も。緊張して手が震えてる専務なんて初めてみました」
「御堂さん」

プレゼント用に綺麗に包んでもらって店から出る。満足げな真守に千陽も微笑む。
彼の車に乗せてもらい千陽はマンションまで送ってもらう事になった。
花の鮮度もあるからまた今度お礼にお食事でもとお誘いをしてもらって。
今日は本当にツイている。毎回切ない思いをしているだけに神さまに感謝しなければ。



「え。これ。私に?」
「こんな事しか出来ませんが、どうぞ受け取ってください」

千陽を送り届け緊張しながらもマンションに戻る。リビングには夕飯の準備をする百香里。
花束を渡すなんて母の日に母にカーネーションを贈ったくらいで。
お詫びの為に買った花なのに妙に緊張してしまって押し付けるように彼女に手渡す。

「綺麗ですね。ありがとうございます」
「あの」
「でもそんな気を使わないでくださいね。もう大丈夫ですから」

綺麗な花。真守が選んだのだろうか。男の人から花束なんて初めてだ。
でも見るからに高そう。自分はもう気にしないでおこうと決めたのに。
真守は真面目な人だから、もしかして悩ませてしまったのだろうか。

「ずっとどう謝罪をすべきか考えて」
「あ。真守さん。そういえば私当たったんですよ」
「え」

真剣な顔をして言葉を発しようとする真守を遮り何やらはがきを持ってくる。
そこには桐の箱に入ったメロンの写真。そして「当選おめでとうございます」の文字。

「美味しそうでしょ?メロン。狙ってたのは商品券だったんですけどメロンもいいですよね。
真守さんの名前をお借りして10枚ほどはがきを出しまして。来週には届くんです」
「そ、そうですか。良かったですね」
「こういう会話が出来るの真守さんだけだから。甘えちゃってたんですよね。ごめんなさい」
「そんな、義姉さんは」

自分に出来る事を必死にやっていただけだ。傍で見て理解していたはずなのに。
何より自分の思いあがりに気づいた。何も松前家を支えていたのは自分だけではない。
百香里という存在も大事な柱になっていた。それも何処かでわかっていたのに。

「という事で。もういいじゃないですか?ね」
「……、…僕は」
「私お兄ちゃんに甘やかされて育って喧嘩とかしたことないから。こういう時どうしたらいいか分からないんです」
「僕も、ないです」

表向きはもう何もなかったかのように振舞っていたけれど、何となく距離が出来て。
お互いにわだかまりなく何時も通りになりたいのに変な所で気遣いあって出来ずにいた。
百香里は総司にそれとなく相談したが気にするなと言われるし。
花束を枯らせないように花瓶に移したら綺麗ですね、と百香里はもう一度言った。

「あ。それとも思いっきり殴り合いあって最後に青空を眺めて笑ったほうがいいんでしょうか」
「すみませんがその行為の意図が見えないので遠慮します」
「じゃあ、このお話はこれで終わりにしましょう。いいですよね?」
「はい。そうでないと、……兄さんに睨まれますから」
「え?」

真守の視線を追いかけるとじーっと此方の様子を伺っている総司の姿。
居たのなら声をかけてくれたらよかったのに、何故か拗ねた顔をしてみるからに不機嫌そう。
視線を真守に戻すと困ったような顔。何か不味い事でもしてしまったのだろうか。
百香里には総司を怒らせるような事をした覚えは無い、悦ばせる事はしても。

「では、その、僕はこれで」

その気迫に負けたのか素早く部屋に戻る真守。

「何やあいつ。ユカリちゃんに花とか……俺かて」
「どうしたんですか?あ。花ですか?綺麗ですよね。真守さんが買ってきてくださって」
「ユカリちゃんのが綺麗や」
「そんな怖い顔をして言われても嬉しくありません。どうしちゃったんですか?総司さん」
「だってー」

弟たちと一緒に住んでいるのだからある程度百香里と仲良くするのは許してはいるけれど。
何だか自分には分からない楽しそうな話をして花なんか貰って。ちょっと嫉妬。いや、かなり嫉妬。
これからは自分だけ見てくれるはずじゃなかったのかと子どものように拗ねる。

「だってじゃありません。あ、そろそろ時間なので洗濯物取り込むの手伝ってくれます?」
「ユカリちゃん」
「……あなた。ね?お願いします」
「よっしゃ何でも言うてや」

が。軽く頬にキスされて可愛くおねだりされたらそんなものどうでもよくなった。


おわり


2009/04/28