まもるべきもの


「なあ」
「はい」
「何で海老の顔は駄目でソッチは大丈夫なんだ」
「慣れでしょうか」

すぐに片付けますからと言って古い新聞紙を丸め込みソレを片付ける。
夕方。何時ものように渉が一番乗りで家に戻ってくると百香里が何やら野太い声で叫んでいて。
最初は泥棒でも入ったかと慌ててリビングへ向かったのだが。そこにいたのは鬼の形相の百香里だけ。
そしてその手には丸められた雑誌と、彼女が睨んでいる床には死に掛けの黒い虫。

「……そういう、もんか」

伊勢えびを見て悲鳴を上げて逃げ回った女とは思えないその機敏さとヤツを恐れぬ強さ。
慣れといわれてしまうと何となく納得してしまう。
処理で忙しそうだからスーツを脱ぎ散らかさず部屋に戻る事にした。兄たちには買って来て
なんで自分には無いんだと駄々をこねて買ってもらった部屋着に着替えるために。


「夕飯前にごめんなさい、でもちゃんと綺麗にしましたから」
「いや。別に。ただ、あんた凄い顔と声だったな。近所のおっさんみたいな…」
「えっうそっ」
「内緒にしといてやるから。酒ちょうだい」
「はい」

本人も気づいていないらしい。あの顔は普段の大人しい百香里からは想像もつかない。
総司は知っているのだろうか。いや、知った所でどうにかなるような人でもないだろう。
何時ものようにビールとつまみと出してもらってテレビをつける。

「そういえばさ、服、どうした。結局買わなかったのか」
「買いました。1着。総司さんと出かける時なんかにいいかなって」
「ふうん」
「せっかく梨香さんに教えてもらったのに、すみません。それに」

千陽と仲たがいさせてしまった。自分にはそれを止められなかった。
強引に呼んで来てもらったのに不愉快な思いをさせてしまった。
ちょっとだけ冒険したかっただけなのに、その所為で。反省しなければ。

「いいよ」
「……」
「どうせ兄貴が来たらまた謝るつもりだろうが、そんなのしなくていい。迷惑だ」
「すいません」
「いいって。悪いのはアホな意地を張ってる女どもだ。災難だったな」
「そんな事」
「この話は終わりだ。兄貴にも何もしなくていい。ほら、飲めよ」
「は、はい」

お酌をしてもらってビールを飲む。あんまり美味しいとは思わなかったけれど全部飲み干して。
素直に苦いですね、と言ったら渉は笑っていた。
喧嘩させてしまった事で気持ちが落ち込んでいた百香里だったけれど彼のお陰か気持ちが少し軽くなった。

「ただいま!ユッカッリッちゃん!」
「お帰りなさい総司さん」

それから1時間ほど経過して総司が帰宅。百香里は玄関まで迎えに行って抱きしめられる。
今日は何だかご機嫌な気がする。なにかいい事があったのだろうか。

「うん。あ。これ自転車のパンフレットなんやけど」
「え?あの、私は別にそんな」
「ユカリちゃんの好きなん選び。何でもええよ」
「で、でも。こんなに沢山?普通のでいいんですよ?普通に走れてカゴさえあれば」
「せやから。そん中から選び」
「えぇ」

ドスン、と渡されたパンフレットの束。ちらっと見る限り全部違う会社の自転車。
スーパーに買い物に行くだけの自転車に何万も使うなんて百香里には想像もつかない。
もちろんサイクリングなんかも出来たら楽しいかも、とは思うけれど。本格的すぎる。
近所の自転車屋さんで見かけるようなのを想像していた。

「自転車?んなもん買ってどーすんの」
「買い物、です」

リビングに戻ると百香里の手にあるパンフを渉が興味ありげに取ってペラペラめくる。
総司は着替える為にいったん部屋に向かった。

「今までは?」
「歩きです」
「面倒な事してたんだな。車使えばもっと楽だろ」
「今の時代エコですよ。エコ!ダイエットにもなるんですから」
「で?どれにするか決めたの?」
「それが。…まさかこんな凄い自転車を買ってもらえるとは思わなくて。値段も、凄いし。
種類も豊富すぎて、違いとかよくわからないし。総司さんと話し合って決めます」
「たかが自転車でそこまで悩むことか?」

苦笑いする百香里にいつの間にかこっちも移って笑っていた。
それから着替えを済ませた総司が降りてきて彼もまた酒を飲む。自転車の相談をしながら。
百香里は夕飯の準備を進める。真守が帰ってきたら皆そろっての夕飯が始まるから。

「……」
「お帰りなさい真守さん。……真守さん?」
「……、…あ、ど、どうも。今戻りました」
「どうかなさいました?」
「いいえ」

酒が入ってか騒がしいリビング。そこへ音もなくはいってきた真守。
百香里は気づいて彼に声をかけるのだが聞いているのか居ないのかボーっとしている。
また何処か悪いのだろうかと心配するのだが、顔を覗き込んだら部屋へ行ってしまった。

「どないしたん?」
「真守さん何処か悪いんでしょうか?何だか元気が」
「そうか?会社では何時もどーりやったで?」

どうしたんだろう、と去っていった方を見つめていたら総司が来て。
彼が言うには自分が会社を出るまでは何時もと同じように職務を果たしていたという。
顔色が悪かったり何処か気分が悪そうだったという事もないらしい。だけど、何だか変。

「……義姉さん」
「真守さん」
「はい。何でしょうか」

やっぱり気になって彼の部屋へ。ノックしようとしたら彼が先に出てきた。

「何処か気分が悪いなら」
「何処も悪くありません、ただ、……少し、悩んでいるだけです」
「悩みですか?じゃあ、私なんかが口出しすることじゃないですね。ごめんなさい」

何処か体が悪いなら、と思っていた。でも悩んでいるのならばもうどうしようもない。
相手だってまだ20歳の娘なんかに相談に乗られたくは無いだろうし。
そのあたりは百香里だって分かっている。だからこれ以上は何も言うつもりはなかった。

「相談に乗っていただけませんか」
「え!?」

意外にも真守から切り出された。思わず声をあげる。

「無理にという事ではないので、すみません、自分で解決します」
「い、いえ。私なんかがお役に立てるかはわかりませんけど、相談に乗ります」
「ここだと不味いので、明日昼に伺ってもいいですか」
「はい」
「無茶なお願いをしてすみません」
「いえ」

初めてかもしれない。真守が助けを求めてくるなんて。ビックリした。
それから夕飯を終えて片付けもしてゆっくりテレビを見ながら総司と寛ぐ。
ついでに自転車のパンフレットを見てはどれがいいか話し合う。

「ユカリちゃんにはこういう可愛いのがええな」
「私はブレーキさえ壊れてなければ別に」
「そ、そんな危ない自転車乗ったらあかんよ」
「そうなんですよね。まだいけるかなってちょっと無茶しちゃって、それで転んで…痛かったな」
「ゆ、ユカリちゃんって…結構……いや!今はアカンで!今は!」
「はい」

パンフレットの中では値段も手ごろでシンプルな自転車に決定。
総司はもっと可愛いものを選ぼうと言ってくれたが。盗まれたら嫌だしスーパーに駆け込む事もあるし、
と色々と理由をつけて諦めてもらった。本音を言えばもう少しお手ごろな自転車の方がよかったけど。
せっかく選んで来てくれたのだからこの中からは選べませんとは言えない。それに、本音は嬉しい。


「社長」
「んー?なに?僕ちゃんとやってるでー?」
「そんな事は当然だからいいんです。専務はどちらです」

翌朝。何だか怖い顔をして社長室にやってきた千陽。何時ものように怒りに来たのかと思えば。
真守が居ないくらいでそう不安になる事もないだろうに。と、自分が言えた立場ではないので黙る。

「え?真守?知らんよ?」
「……そう、ですか」

そういえば朝顔を見たくらいでそれからは見ていないような。総司も彼から何も聞いていない。
千陽にも特に理由を告げずに出て行ったらしい。社内には居ないとのこと。
もうすぐ昼休みだからそう問題にはならないだろうと思うが。

「そういえば。千陽ちゃん。彼氏」
「黙って働く」
「はいっ」

何となく、真守が居ないと何時もの倍怖い。気がする。



「え。お見合いですか」
「はい」

リビングに2人きりというのが気がひけたのか真守に誘われて外のレストランへ。
席について注文をしてお互いに話しかけ難い空気だったが真守が時計を見て切り出す。
時間は限られている、このままではただ義姉と昼食を食べにきただけになる。

「いつ?」
「今週の日曜」
「え!じゃあもう明後日じゃないですか!」

この感じだと総司も渉も千陽だって知らないだろう。とにかくビックリ。
ただ真守だって適齢期の男性なのだからそういう話くらいはあるかも、とは思うが。
千陽といい感じになっていると思っていたからまさかお見合いだなんて聞くとは思わなかった。

「いつもはお会いする間に断わっていたんですが、今回は相手が悪くて」
「どういう…?」
「父の好敵手にして友人だった人物です。今は現役を引退して会社を息子に譲ってはいますが、
未だにその影響力は強く傘下の者だけでなく現社長すら逆らうことが出来ないと聞きます。
昔の事になりますが家にも何度か遊びに来ていて、面識があるんです。それで」
「断われなかったんですね」
「はい。……僕を、引き抜きたいと言って」
「え?」
「あ。いえ、相談したいのはそこではなくて。どうすれば不快感なくお引取り願えるかという事で」

正直背景はよくわからない。けど、彼が言いたいことはなんとなくわかる。
義父の友人で凄く有名な会社の元社長が真守を気に入って見合いを勧めている。
だけど彼にはその気がないから上手く断わる理由を百香里に相談している、と。

「あ、あの、素直に言うのが一番だと思います」
「……そう、ですよね。貴女ならそういうと思いました」
「え」
「ここの所仕事以外の事で問題が起こったり決断を迫られる事が多くて。少し、疲れていたのかもしれない。
考えるまでもない事を貴女に頼ろうとするなんて。いい歳をして恥かしい限りです」
「真守さん」

初めからいう事は決まっていたような口調。じゃあどうして相談なんて言ったんだろう。後押しが欲しかった?
不思議に思っていると注文していたランチが来て、とりあえず箸をもつ。けど、彼はまだじっとしていて。
食べていいのか悪いのかわからずにとりあえず待ってみる。

「御堂さんの事もそうだ。僕は仕事以外の事は何も出来ない」
「そんな事ありません」
「だけど僕には松前家を、会社を守るという義務があるんです。それ以外の事を見ている暇はない。
常に変動する情勢を見極めて波を乗り切らなければどんなに強い柱を持った会社でも脆く崩れてしまう。
それだけは絶対に避けなければならない。僕が柱を守る。だから、もう僕の事を構わないでください」
「……」
「皆が思うほど僕は器用ではないし、恋愛にも結婚にもさほど興味はないんです。
兄さんと貴女を見ているだけで幸せな気持ちになれるから。2人は自分たちだけの幸せを築いていってください」
「真守さんはそれでいいんですか?」
「はい。先方にもそう答えます。初めから答えが決まっていたのに相談なんて言ってすみません」

冷める前に食べてくださいと進められて、ここでやっと止まっていた手を動かし食べ始める。
美味しいけれど彼の言葉を思い出すとなんだかそれも半減して。
悪い事をしてしまった。真守によかれと思ってやっていたことが重荷だったなんて。ショックでもある。
店を出るとマンションまで送ってくれるという真守に、歩きたいからと断わって途中まで一緒に歩く。

「真守さん」
「はい」
「何時か必ず守りたいと思う人と出会いますよ」
「どういう意味ですか?」

分かれ道。それではと去る真守に百香里が投げかけた言葉。
どういう意味なのか気になるのか真守は振り返る。

「私も同じ。母を守りたくて、家族をこれ以上失いたくなくて何も見ないでただがむしゃらに働いてきた。
周りが恋愛とか欲しいものを何でも買ったりしててもそんなの全く興味なかった。関係ないって思ってた。
真守さんみたいに大きな会社を守るなんて大それたものじゃないけど、でも、それが私の世界だった」
「……」
「でも、総司さんと出会ってそんな私でも誰かを愛して、守りたいって思う気持ちがあるんだって分かったんです。
最初は戸惑ったりこれってよくないのかなって悩んだ事もあったけど。そんな時は総司さんが助けてくれた。
真守さんも戸惑うかもしれないけど、でも、一生かけて守りたいと思う人と出会えたらきっと」
「惚気ですか?本当に、幸せな人だな」
「え。あ。……そ、そういう訳じゃ」

真守に言われて頬を赤らめる。確かにちょっと熱く語ってしまったかもしれない。
彼の言葉が昔の自分とダブってみえてしまって。真守はただ笑っていた。貴女らしい、と。

「ではこうしましょう。兄さんがもう少しちゃんとしてくれたら、考えます。僕の幸せを」
「はい」
「あと、さっきの言葉を少しだけ訂正させてください」
「え?何ですか?」
「恋愛というものに少し興味がわきました。では、気をつけて帰ってください。失礼します」
「は、はい。真守さんも気をつけて」

タクシーを拾ってあっという間に去っていく真守。それを暫し眺めていたけれど。
百香里もマンションへと帰る。途中チラシで見たスーパーで買い物して。ドラッグストアにも寄って。
早く自転車が欲しい、手に入れる前に買いすぎた。両手に荷物を持って反省。


『ユカリちゃん電話出てくれんから何かあったんかと思った』
「すみません、ちょっと外に出てたので」

玄関に到着すると鳴り響く着信音。買い物した袋を玄関に置きっぱなしにして慌てて子機を取る。
携帯電話はうっかり机の上に置きっぱなしになっている。でもって着信アリ。相手は総司だろう。
何時も昼には電話をくれるのに、真守の相談が気になってつい忘れてしまっていた。

『それより。自転車頼んできたからなー明日には届くよー』
「ありがとうございます」
『明日はユカリちゃんとデートしたいなぁ〜お店予約してもえぇ?』
「いいですよ。この前は」
『ああ、それはもうええんや。あのワンピース楽しみにしてるから』
「はい」
『もっと声聞きたいけど、…また帰ってからな』
「はい。…総司さん、頑張ってくださいね。私頑張ってる総司さんが大好きです」
『そ、そうか?よっしゃー!やったるーー!』
「はい!やってください!」

電話を切る。とても張り切っていたようだからこれでよかった、かな。
明日は総司とデート。この前は悲惨な事になってしまったけれどお店に行くなら大丈夫。
またあのワンピースを着て少し化粧もして。楽しい夜になるだろうな、と今から微笑が出る。


「はー?見合い?」
「そんなん聞いてへんけど」
「僕に直に来た話なので。そして今初めて報告しました」

百香里と電話をした後、真守が部屋に来て。彼に呼ばれたとかで渉もきて。
何の話かと思えば明後日の日曜日に見合いをするという急な話。

「勝手にしたらいいだろ、いちいち俺に言うなよ」
「一応、な。何か余波が来るかもしれない。心しておいてくれ」
「どういう意味だ」
「相手はあの宮路家の姪なんだ」
「あのクソ爺の?あんた宮路の婿になる気?」
「断わるからこそ、何かあった時の為にお前に話してるんだ」
「じゃ。俺はお先に。あんたらがどーなろうが興味ないし、ただあの爺と親類になるのだけはごめんだからな」

出されたお茶に手を付けずそれだけ言うと渉は去っていった。
2人ともそれを止める気は無い。どうせそうなるだろうと思っていたし。

「もっと早よ話してくれたら俺が話ししに行ったのに」
「兄さんは仕事がある」
「お前もあるやん。そんで?ほんまに日曜日いくんか」
「行かなければ家に押しかけるとまで言われてしまうと、断われないでしょう」
「そこまで?あの爺ほんま昔っからお前の事欲しがっとったもんなあ。諦めのわるい爺やな」
「だけど、僕は何処にも行かない。何処にも。…、では仕事があるので失礼します」
「ああ」

穏やかな週末をおくれると思っていたのだが、これはまた波乱がありそうでため息が出る。
それでも百香里とのデートの為だ。今日は真面目に仕事をこなす。明日また来いといわれないように。
真守の見合いの事は千陽には黙っていよう、勝手にくっつけようとしておいてそんな話するのは酷すぎる。



「お帰りなさい渉さん」
「なあ、ユカりん知ってるか?兄貴の見合い」
「はい。今日、聞きました」
「何だ。知ってたのか。つまんねーな」

夕方。真守の見合い話を百香里に話そうと渉が何時に無く楽しそうに話しかけてきた。
でも彼らよりも先にそのことを知っていたから返事はいたって冷静。
もっと派手に驚くとおもったのに。それが面白くないようでちょっと拗ねた渉。

「でも断わるって言ってました」
「ああ。俺も反対」
「え。渉さんが?どうして?」
「あの家の親類になるなんてごめんだ」
「確か、お義父さんの友人だって」
「母さんを取り合った仲ってのもあるな。ま。爺の勝手な横恋慕だけど」

その話は聞いてない。もっと話が聞きたくて百香里は席につく。

「だから、嫌なんですか?」
「家族そろって馬鹿ばっかり。関わるだけ時間の無駄」
「そ、そんな言い方しなくても」
「ユカりんは会わない方がいい。……つまんねーから」
「はあ」

それ以上は教えてくれなかった。言った所で面白くないから、という理由で。
何てしている間に総司が帰ってきて後れて真守が帰ってきて何時もの夕飯。
見合いの事は特に話題には出ず何もなかったかのように過ぎ去った。

「総司さん」
「ん?」
「私、総司さんと出会えてよかった。幸せ。ずっと、一緒に居てくださいね」
「当たり前やろ。離れるわけないやん」
「総司さん」
「どーーーーーーーでもいいけど、そういうのは自分の部屋でしろよ。鬱陶しい」


翌日。買ってもらった自転車が届くのを今か今かと待ちわびる百香里。
予定では午前中に届くという事でハッキリとした時間はわからない。だから何処にもいけずソワソワ。
インターフォンがならないか確認したり。掃除をしながらもチラチラと時計を見てしまったり。

「可愛いなあぁもう」
「小学生かよ」

そんな百香里をうっとりした眼差しで見つめる総司に、呆れた顔の渉。
真守は休日だというのに部屋に篭って出てこない。恐らく仕事をしているのだと思う。
明日は見合いだというのにこんな所まで真面目人間。

「せやけど、真守大丈夫か?明日」
「あの秘書と出かけるのに俺に聞きに来るくらいだしな」
「まあデートと見合いは違うし。ちょろっと話しするだけやろからな」
「確かに。型にはまったお堅い会話は得意だろ」
「案外気がおうたりして」
「あの家の女だぜ?どうせロクでもねぇアバズレだ」
「そこまで言うかぁ?お前ほんま嫌いなんやなぁ」
「……あんたには関係ねぇよ」

険悪な空気。昔からあの家の話をすると渉は酷く不機嫌になった。
だけどそれも百香里が掃除から戻ってくると消えて。コーヒーをいれてもらって3人で寛ぐ。
今日は梨香とデートの予定はないらしい。百香里たちは自転車が来るまで動けないし。
何てしていると念願のインターフォンがなる。嬉しそうに来客の確認をする百香里。

「はい、……はあ」
「なに?ユカリちゃん」
「あの、宮路さんという方が」

どうやら自転車ではなくて来客。これにはかなりがっくり。
だけどちゃんと伝えなければと総司に来客者の名を言う。酷く驚いた顔をしているが。
百香里にはそれが誰なのかわからない。渉も心なしか驚いているように見える。

「はあ?爺がきたんか?」
「え?いえ、お爺さんではなくて…若い方」
「若い方、か」
「渉さん?」
「俺部屋に行く。何があっても呼ぶなよ、じゃ」
「あのっ」

そして若い方、と言う言葉に敏感に反応して部屋に行ってしまった。
よくわからないうちに総司が玄関へ行ってドアをあける。


「行き成り来て何や?和政」
「分かっていると思いますが明日の見合いについてです」

何だか顔を出してはいけない気がして、でも気になって。百香里は隅っこからこっそりと覗き込む。
玄関に居たのはビシッと高そうなスーツで決めたこれまた厳しそうな表情の青年。
年のころ真守と同じくらいだろうか。宮路という苗字なのは分かっているが関係は分からない。

「君から来るなんて。よほどの事だな」
「真守君。……明日の見合い、断わるつもりなんだろう」
「ああ。申し訳ないけれど、ね」

そこに部屋から出てきた真守。仲良しには正直見えない。なんだか不穏な空気。

「立ち話も何やし入るか?」
「いえ。結構です。断わるつもりなら美佳に傷がつかないようにこちらから断わらせていただこうと思いまして」
「どうしてもと言ってきたのはそちらだが?」
「祖父は歳をとって少し思考回路が鈍くなっている。今や父がグループの舵をとっているのだから、無視して結構です」
「強くでたな。まあ、僕もそれで構わない。余計な手間が省ける」
「では。そういう事で」

こんな緊張感溢れる場面に限ってインターフォンが鳴るからいやになる。
確認しに行くと待ちに待っていた自転車。でも今でていくのは思い切り気が引ける。
だけど出てしまったからには受け取らなければ。判子を持って恐る恐る玄関へ。

「俺の嫁さん。百香里。……自転車来たん?」
「はい。みたい、です」
「……」

宮路という青年の視線を浴びて冷や汗がでる。視線が鋭い所為かもしれない。
でもってあんまり良い雰囲気の視線ではない、ような気がする。

「話は終わった。それともコーヒーでも飲んでいきますか?」
「いえ。結構。失礼します」

ドキドキしながら青年を見送る。それと入れ違いで運送業者の人が入ってきて。
いきなり3人もお出迎えしていてビックリした顔をしていた。


「あのボンがなあ。えらい成長ぶりや」
「何言ってるんですか、彼はもう30ですよ」
「そうか。しかしあの目つきの悪さは何年経ってもかわらんなあ」
「全く」

会話にまったく入れない。届いた自転車を確認しに降りてきたのだが、何だか肩身が狭い。
先ほどの青年は何者なんだろう。2人の会話を聞いていてもいまいちわからない。
仲良しという雰囲気ではないし、自分から聞いてはいけないような気もして。

「あ。ごめんなユカリちゃん。あいつが明日見合いするはずやった家の息子や」
「ご察しの通り仲は最悪です」
「俺は別に嫌いやないけど、あ、爺は別な。あの色ボケ爺」
「あまり人の事を言えた立場ではないような気がしますが、まあ、そういうことです」

自転車を箱から出してくれながら2人は教えてくれた。さっきの青年が誰なのかを。
詳しい事は分からないが彼もまた有名な会社の御曹司で真守が見合いをするはずだった家の人で
やっぱりあの時感じた通りお互いに仲は悪いようす。その理由は教えてもらえなかった。
だけど親同士は好敵手で友人だったはずなのに。

「せやけど、大丈夫なんやろなぁあいつ。爺に言わんで勝手に話し断わったりして」
「さあ。どうでしょうね」
「話し持ってきたんも話し破談にしたんもあっちやからな、まあ、ええか」
「しかし、少し残念です。もしかしたら僕も恋愛が出来るかと思ったのに」
「お、お前、大丈夫か?熱あるんと違うか?」
「いたって正常ですよ」

不敵に笑う真守に苦笑いの総司。そんな会話があったなんて知らず、
百香里は新しい自転車に試乗。やっぱり楽でいい!とついニヤっとしてしまう。
明日は卵が安い日。これで貰った!と闘志を燃やすのだった。

おわり


2009/03/09