三つ巴 2


「何なのよあのオバサン!ほんとムカツク!」
「……」
「そっちは一流企業で社長秘書だからお高くとまってるんでしょうけどさ!」
「……」

夜。梨香の部屋。何となくこうなる気はしていた。ご機嫌とり、というのも何だが彼女の為に買ったワインがあっという間に消える。
やめろと言ったって怒っている時に話を聞くような女ではないからとりあえず適当に聞くふりをして黙る。
ただ、百香里に対しての不満ではなくてどうも同席していた秘書の千陽に関しての事らしい。

「……私だってちゃんとやってるわよ。なのに何よ、何も知らない癖に。ほんと、マジ、ムカツク」
「それくらいにしとけ」
「渉!何か言ってやってよ!くやしい!」
「どうせお前も喧嘩腰に話したんだろ」

あの秘書も真守の前では大人しいが根はそうとう気が強くて強情そう。その真ん中で困った顔をする百香里。
酒も入ってなお更激しく捲くし立てる梨香を見ているとそんな車内の光景が安易に想像出来る。
わかったわかった、と揺さぶってくる梨香の肩を抱いてやったら気が済んだのか静まった。

「……ねえ、渉」
「ん」
「あなたには社長の道はないの?」

渉にぎゅっと抱きついて今度は甘えた声。さっきまで甲高く叫んでいたかと思えば。
呆れながらもやりたいようにやらせてやる。

「さあ。でも、あのおっさん昔から俺が欲しがったらなんでもくれた」
「じゃあ」
「くれるかもな。社長の椅子」

思い出す過去。まだ総司が家出をする前の遠い記憶。
弟がよほど可愛いのかお人よしなのか馬鹿なのか。何のためらいもなく何でもくれた。
たぶん今もそうだろう。唯一どんなに強請ってもくれないのは最愛の妻。

「でも渉にはその気はないんでしょ」
「面倒はごめんだ。お前も社長狙いだったら俺じゃなくて兄貴狙えよ」
「真守さん?パスパス。あーいう頭固そうな人って一緒に居て緊張っていうか。退屈しそう」
「まあな」
「それに社長夫人目当てじゃないから。渉だから、だよ」
「……俺だから、か」

そういうとにっこり笑って渉の頬にキスする。機嫌はすっかりよくなったらしい。
ワインボトルが半分以上無くなっていてかなり酒臭いけれど、まあ、叫ばれるよりはマシだ。
そのまま渉に抱きついて眠ってしまった梨香を抱き上げてベッドに寝かせる。

「渉」
「ん」
「貴方は天才よ。松前家の誰も本当の貴方には勝てない。私はわかってるからね」
「………煙草買ってくる、先寝てろ」

部屋の電気を消して一端マンションを出る。今頃他の連中は何をしているのだろう。
どうでもいい、と切り捨てながらも心のどこかで気になっている自分が居て。
煙草を買いながら苦笑いした。どうやらあのおせっかいで変な女に少々毒されたらしい。



「あの、専務」
「はい」
「こんな素敵なお店、私なんかの為に」
「いえ、本当の事を言うと譲ってもらったんです、予約したのは僕ではないんです。すみません」
「いえ。……そんな事だろうと思ったし」
「え?」
「何でもないです。いいお店ですね」

険悪なまま社長夫人の買い物を終えてすぐに真守から連絡を貰って。
嫌な気分だったのなんてすぐに忘れて着替えを済ませ彼の運転する車に乗って店に来た。
正直な所彼がこんなオシャレなお店を知っているわけがないと思っていたから特にショックはなく。
寧ろ納得してしまう。誰が来るはずだったのか謎だがいい店だしいい席だし気分はいい。

「それと、御堂さんにはお詫びをしなければ」
「え?今日の事でしたらぜんっぜん何も」
「いえ。そうではなくて、貴方に恋人が居ながら兄が大変失礼な事をしてしまって申し訳ありません。
不甲斐ない僕を思っての事なんです。どうか、許してやってください」

いい事がありそう、なんて明るい気分だった千陽。なのに真守は怖いくらい真面目な顔をして。
いや、真面目な顔は毎日見ているから違和感はないけれど。
彼の言っていることの意味が分からなくて暫し呆然として、今日の事を振り返り。

「ち、ちが……あのそれは」

言いかけた所でタイミング悪くウェイターが料理と酒を持ってくる。
美味しそう、と何時もなら大喜びする所だが真守に誤解されたままでは美味しくない。
たぶん百香里が言ったんだろう。彼女を責めるわけにはいかないが、ちょっと恨めしい。

「貴方にこんな事を言うのも変だけれど、少しだけホッとしているんです」
「え」
「あのまま本格的に貴方とデートを重ねて僕がもし貴方を愛してしまったら」
「……ら?」
「今のバランスを保てなくなる。僕は不器用だから、一度にいくつの事をするなんて出来ない」

酒が入ったからか、もう千陽を好きになる事はないと踏んだからか。
ポロポロと自分の気持ちを吐き出す真守。その表情は言葉と同様何時になく弱気。

「あのっ。そんな事、ありません。専務は今まで幾つもの困難を解決し商談をまとめ会社の為に」
「それは、前も言ったかもしれませんがたんに父親の真似をしているだけです」

頂きます、と言ってワインを飲む。興奮して前のめりになっていた千陽もとりあえずそれにあわせひと口。
気分はあまり乗らないしまだ誤解されたままだけど、さすが高級な店。気分関係なくワインが美味い。
ただ、流石に何時もの調子でガバガバと飲んだりは出来ないが。

「専務はもっと前に出ていいんです。どうしてそう自分を抑えてしまわれるんですか」
「僕だって社長の座を狙ってた頃があったんですよ?」
「ではどうして」
「自分の位置を知ってしまったから、かな」
「位置、ですか?」

グラスを置いて真守を見る。そういう顔は何処か寂しそうで辛そうで。千陽は胸が苦しくなる。
どうしてそんな顔をするのか、自分には何が出来るのか。彼の為にしてあげられることは。
不安げに見つめる千陽の視線に気付いたのか慌てて苦笑いをする。

「貴方には愚痴を聞いてもらってばかりで。ああ、そうか。僕が自分の事ばかり話していたから切り出せなかったんですね、
配慮が出来ずにすみませんでした」
「誤解なんです!私にはその、交際してはいないんです。……したい人は、いても」
「え?それはつまり」
「その、売り言葉に買い言葉といいましょうか。いい歳をして……反省しています」

千陽の説明を最後まで聞く。百香里は何も言っていなかったからてっきり上手くやっているのだとばかり。
申し訳ありませんと謝る彼女に、呼んだのは自分だから気にしないでくださいと返した。
周囲は楽しく食事をしているのに、なんだかここだけが変な空気。でも、隠しておくわけにはいかなかった。
それによって真守からの信頼を失うかもしれないけれど、嘘はつきたくない。

「ははは」
「専務?」

千陽の気持ちとは反対に明るく笑う真守。

「いえ、なんでもないです」
「そんな言い方をなされると、その、気になります」
「すみません。ただ、貴方とはこれからもいい友好関係が築けそうだと思った。それだけです」
「……、……ゆうこう」

すっきりとした笑みを浮かべる真守は素敵だと思うが、その言葉は破壊力抜群すぎた。
確かにまだ何も始まっていない。それは分かっているけれど。後はもう作り笑いでごまかして、
帰りのコンビニでヤケ酒とつまみを大量に購入する自分の未来がありありと見えた。



「乾杯」
「乾杯」

その頃マンションでは今日買ってきた新しい服に着替えて夕食を頂く2人。
梨香の意見千陽の意見を聞きながらも結局は自分の趣味を大いに取り入れたシンプルなワンピース。
乾杯もしたけれどテーブルの豪華な料理に目もくれず総司はさっきから百香里ばかり見ている。

「……」
「あの、恥かしいのでそんなに見ないでください。それにせっかくの料理が冷めて」
「百香里」
「はい」

真面目な顔。こうして正面から真っ直ぐに彼を見る事はあまりない。恥かしくて、ドキドキして。
初めて会った時も緊張してしまって視線を合わせることが出来なかった。
今もあんまり変わってないんだな、と内心思いつつ視線を出来るだけ合わせ彼の言葉を待つ。

「何してもかまん、好きにしたらええ。ただ、……俺を置いていかんでほしい」
「どうしたんですか?服派手すぎました?ごめんなさい、もう着ませんからそんな事」
「可愛い。可愛いよ、めっさ……」

だけど、それだけに心配。

「信頼がないんですね」
「そやない、ただ」
「信じてもらえなかったら私も貴方を信じられませんから」
「百香里」

弁解しようとした総司よりも早く。百香里は怖い顔をしてグラスに並々の酒を注ぎ一気に飲み干した。
総司が知る限り彼女はあまり酒につよくない。果実酒でもベロベロになってしまうくらい。
止めようとしたがすでに遅く空っぽのグラスとトマトみたいに真っ赤な顔した百香里。

「……」
「ゆ、百香里?ユカリちゃん?」
「……着替え…ぇ…てぃ…きます」

怒った顔のまま立ち上がって2階へ。

「待って!ユカリちゃん危な」

上がろうとしたのだろうがそのまま意識が遠のいて後ろに倒れた。せっかくの食事。
せっかくの2人きりの時間が。こんなのよくない、もっと話さなければ。けれど体が動かなくて。
暖かく柔らかな感覚に身を任せ眠りについた。


「……ん」

どれほど眠っていたのだろう。うっすらと目を開けるとそこは真っ暗な部屋。ベッドに寝ているから寝室。
眠っている自分。あと、その自分をしっかりと抱きしめる総司の温もり。
何でここに?何をしたんだっけ?と寝ぼけながら徐々に意識がはっきりとしていく。

「ユカリちゃん」
「……」
「まだ怒ってる?」
「……」

そうだ。2人きりで夕食を食べようとして。新しい服を披露して。そして総司が。
語りかけてくる総司にさっきの事を思い出してすぐには言葉がでない。
ついでに物凄くお酒臭い自分。それとなく総司から離れようとするのだが逃がしてはくれない。
何とか寝返りをうつふりをして反対側に体を向けてみる。

「……浮気されてん。前の、嫁に」

百香里を抱きしめてその耳元で白状する。元妻の事なんて本当は言うつもりなんてなかったけれど。

「……浮気」

それでやっと彼女が反応してくれた。百香里のタヌキ寝入りなんてすぐに分かっていた。でも。
ギクシャクしてしまった今は何時ものようにはできない気がして。臆病になる。

「それも鉢合わせやで」
「……」
「あいつだけが悪いんやない。俺もちゃんとした関係を築けんかったから。やからかな。あんま自信なくて。
もしかしたら信じられんようになっとったんかもしれん。俺の歳とかユカリちゃんが可愛い過ぎるんもあるけど」
「……複雑です」

総司の元妻が浮気しなければ子どもも居る事だしきっとそのまま結婚生活は続いていて。
百香里と出会う事はなかった。気付かないですれ違ったままで違う相手と結ばれていたのだろうし。
でもその所為で総司は百香里にもずっと言えないほどに傷ついて悩みを抱えていて。

「堪忍な。変な話して」
「じゃあ、私も」
「え?」
「実は私」
「いやや!いやや!何か嫌な予感する!聞きたない!何も聞きたない!」
「えぇ。言いたいなぁ」
「俺が聞いて楽しいことなん?」
「元カレの話しです」
「も、元か……。ぜっっっっったいにせんといて!……泣くから」
「もう泣いてません?」

振り返って総司を見る。既に目頭が潤んでいてちょっと意地悪だったかな、と反省。
総司のオデコと鼻先と唇に軽くキスをする。酒臭いけれど怒ってはこない、と思う。

「……ユカリちゃん」
「あ。駄目ですよ、まずは夕飯を」
「いや、その、夕飯な?言い難いんやけど……」
「え?」
「ユカリちゃんが倒れた時に…その、テーブルクロス引っ張って滅茶苦茶に」
「え………えええ!?」

総司の言葉に頭の中真っ白になって暫くは放心状態。手間もかかったが結構奮発した。
それが全部床に。失ったものの計算式が頭の中でカタカタとキーボードを叩きレシート状になって出てくる。
あまりの衝撃にまた気を失いそうになるのを堪えベッドから起き上がる。話が終わったら空腹で。

「そ、そや。今日は俺が作る!」
「総司さんが?」
「俺かて料理出来るし!まあ、……チャーハンとかやけど、でも」
「……そうですね、それが、いいかな。ご飯ありますし……はぁあ」

片付けは全て総司がしてくれた。ゴミ箱には捨てられた可哀想な料理たちの残骸が。
もったいない。見れば見るほど落ち込んできて暗くなる。軽く涙目。
たぶんどんな陰口悪口を言われるよりも大事な食材を無駄にするほうが百香里には堪える。

「そ、そこまで落ち込まんでも。悪いんは俺やし?な?なー?ユカリちゃーん」
「……すいません、私、暫く立ち直れそうにありません」
「ユカリちゃんが笑ってくれんと俺も悲しい、……なあ、ユカリちゃん。そんな顔せんで。なあ?」
「総司さんの料理待ってます」

料理は総司に任せ自分はソファに座ってため息。そんな彼女を見ながらありあわせのもので夕飯完成。
シンプルながら定番のチャーハンは美味しい。ただ、気が抜けた状態の百香里が。
総司も気を使って声をかけるのだがよっぽど無駄にしてしまったのが辛いのか返事も生気が無い。

「なあなあ。ユカリちゃんお風呂はいろー?背中ながすから」

片付けはしますからと台所に立つ百香里を抱きしめて甘えてみる。相変わらず反応は薄いけれど。

「総司さん」
「なに?」
「何時までも落ち込んでちゃ駄目ですよね、私、この無念さをバネにもっと強くなりますっ」
「えーっ…そ、そんな大げさな……あ、いや。うん。それがええ!ユカリちゃん〜」
「ちょっと邪魔なので座っててください直ぐに終わります」
「はい」

百香里が元気になってくれたのはいいけれど、何だかパワーが違う方向に向いているような。
風呂に入る準備を終えて待っていた総司。知らなかった彼女の一面を知ったような気持ち。
さっきの真面目な話も吹っ飛ぶような。でも、その方がいい。片づけをしている百香里を見つめながら思う。
自分の中にある嫌なもの悪いものが彼女と一緒なら消えてくれるかもしれない。

「総司さん」
「お疲れさん。さー風呂いこ」
「……」

片づけを終えて総司の下へきた百香里。これでやっとイチャイチャできると喜んだのだが。
じっと顔を見つめて黙ったままの百香里。もしかしてまだ気にしているのか。

「ユカリちゃ」

言い終わる前にギュッと強く抱きつかれて彼女から深いキス。

「他の皆さんは楽しんでるのに私だけ嫌です。だから」
「よし!風呂いってベッドや!んでもうめっさ」
「あ。今夜はもう遅いし眠いので寝ます」
「………寝るんや」
「はい。総司さんお風呂行きましょうか。このまま抱っこしていってくださいな!」



そして迎えた翌朝。

「おはようございます」
「おはようございます真守さん」

何時ものようにリビングへ来た真守。そこにあったのは何時ものように忙しく台所で調理中の義姉と
珍しく早く起きていたらしい兄の項垂れた姿。たしか昨日の夜は2人仲良く過ごしたはず。
不気味なほど静かな兄に嫌なものを感じつつ自分の席に座る。義姉は元気そうなのに。

「……真守」
「な、なんですか」
「……千陽ちゃんは取り返せたんか」
「いえあれは、ちょっとした行き違いで……それよりも兄さん大丈夫ですか?」
「ああ、めっちゃええ気分」
「そうは見えませんが」

何があったのだろう、気になるけれど夫婦間の事を聞くのは悪い気がする。
気まずいので目の前の新聞を広げ出来るだけ視線を合わせないように。
百香里が出してくれたコーヒーを飲みながら。渉来いと強く念じる。

「なーーーーーーんか、すげぇ嫌な感じ」
「渉」

念が通じたのか梨香のマンションから会社へ行かず一旦戻ってきた渉。
リビングに入るなりその異質さに気付き戻ろうとしたが、もう仕方ない。

「やめろよその俺に何か望む顔。ユカりん、あんたの旦那が何か気持ち悪い事になってるぞ。どうにかしろよ」
「おはようございます渉さん。コーヒー如何ですか?それとも」
「いや。着替えるだけだから、先行く。こんな気色悪いのと一緒にいられるか」

ここは逃げるが勝ちと部屋に戻り着替えを済ませさっさとマンションを出る。
続いて真守もそそくさと出て行った。何時もなら引っ張っていく役目をおっているのだが。
何だか酷く疲れている様子だし込み入った事情があるのなら入りにくい。

「総司さん。お仕事の時間ですよ」
「……うん」
「じゃあ、お休みしちゃいます?私が連絡しますから」

逃げるように出て行った弟たち。未だ項垂れて元気のない総司。
百香里はその隣に座って手を握る。何でこうなってしまったのか、自分なりに何となく理解している。
身を寄せて何時になく甘やかす。本当は送り出さなければならないのだろうけど。

「ほんまに?」
「はい。……私でないと、駄目、ですものね」
「うん!うん!ユカリちゃーーーん!」

千陽に電話をすると1日は無理だが昼までなら大丈夫ですとの返事。
それで十分。報告しようと受話器を戻すなり総司に抱き上げられて寝室へ消えた。


「大変だなユカりん」
「ああ。だが1日中あのままでは困る」
「まあな」
「珍しいな。お前が誰かを心配するなんて」

社長不在の会社。今頃新妻と宜しくやっているんだろうと安易に予想はつく。
書類を届けるという名目で専務室にやってきた渉。何かと思えばさりげなく社長の事。
あっさりとしている割に最近は彼も何処か変わってきているような気がする。

「心配なんかしてない。相手はいい歳したおっさんだぜ?」
「お前が心配なのは」
「誰も心配してねぇよ。自分で選んだんだろ。自分で来たんだ。……自業自得だ」
「だから一度も根を上げたことなんてないだろ、義姉さんは」

書類に目を通しながらの会話。何となく向かい合って話はしたくない、お互いに。

「……思ってること言えない女も居る」
「男もな」
「あんた最近かわったよな」
「そうか。お前もだいぶ変わった気がするがな」
「けど、あのおっさんは変わらないな」

何時も能天気で馬鹿で嫁に首っ丈でヘラヘラしている兄しか頭に浮かばない。
そして時折思い出したように弟の頭を撫でてくる。今でも。気持ちが悪いしやめろと言ってもやめない。
思い出すだけでムカツキと寒気がして慌てて記憶から消す。

「そうでもない。あの人もだいぶ変わったよ」
「そうか?」
「松前家の長男の重圧というのをお前は見てないからな。常に父親の監視下にあって何の自由もなく生きるのは辛かったろう」
「だからいい歳して家出なんてしたんだろ?つか出てく前はあんな喋り方じゃなかったよなぁ」
「あれは初めての抵抗だったんだ。ずっと従ってきた兄さんが。初めて父さんにたてついた」
「……アホくさ。勝手にやってりゃいいだろ」
「羨ましいのか?親と喧嘩できた兄さんが」
「それはあんただろ。……じゃ」

時間だからと出ていった渉と入れ違いでお茶を持ってきた千陽とすれ違う。
軽く会釈はしてくれたが特に言葉はない。何となく怒っているような気がしたのは千陽の気のせいか。
兄弟でよく喧嘩する光景を見た事があるから特に気にはしていないが。

「すみません、お茶は頂くので置いておいてください」
「はい」
「……」
「あの、専務?どうかなされましたか?」
「いえ。兄さんはまだ」
「13時きっかりにお迎えにあがります」
「お願いします」



時計を見てこっそりと抜け出そうとベッド中でモゾモゾと動き回る。
お隣さんは眠っているようだから大丈夫だと思ったのだが、甘かったようで。腰を捕まれて動けない。
それでも昼の準備があるからと何とかすりぬけようとするが首筋に唇がきて続いて耳を軽く食む。

「……総司さん」
「昼はまた俺が作る」
「でも」
「ユカリちゃんは焦らすの好きやな。でも、……もうあかん」
「12時になっちゃいますよ?」

こそばゆさに悶えながら何とか時計を指差す。掃除や洗濯は終えたけれど食事の準備はまだ。
昨晩はショックのあまり総司に作らせてしまったから今日は挽回しなければと思っているのに。
総司は指差す百香里の手を掴みベッドに戻す。

「まだ10分ある。なぁ?百香里」
「……あなた」

結局12時を過ぎてからベッドから脱出。言った通り百香里は椅子に座ったままで総司が昼食を作った。
百香里が何時も作ってくれるような手の込んだ料理ではないけれど十分に美味しい。

「そや。自転車やけど」
「はい。気が向いた時でいいので宜しくお願いします」
「気ぃつけてな。この辺車多いし」
「はい」
「それと。な」
「はい?」
「……も、……元彼って、…ど、どんなん?」

スプーンを握ったまま真剣な顔で百香里を見つめる総司。当の百香里はそんなキョトン。
もしかして昨日の夜言った事を忘れているのだろうか。
元妻が居ながら元彼の事にとやかく言うつもりはないしそんな資格はないのだが。
やっぱり気になるというか。少しくらいは知っていてもいいかも、とか。総司の中で葛藤して。

「話したほうがいいでしょうか」
「うん。あ。いや、やめて。やっぱり、言わんで……」
「あれは確か私が」
「ユカリちゃんの意地悪。……い、今は俺のユカリちゃんやからな。俺の、や」
「はい。もう言いません。片付けは私がしますから総司さんは準備してください、そろそろ千陽さんが」

ピンポーン

「もう?まだ時間あるのにーいややぁー」
「そうやって駄々こねるからですよ。総司さんの事分かってるんだ。さすが秘書さん」
「ユカリちゃんー」
「お仕事頑張ってくださいね。そうじゃないと」
「ああっなんか企んどる!俺の嫌な事企んどるやろ!うううん…ユカリちゃんめ。着替えてくる」

総司は着替える為に部屋に戻り百香里は玄関を開け千陽を中に入れる。
ちょっと意地悪をしすぎたろうか。でも、たまにはこういうのも悪くない。
ちょっと拗ねた総司を見送れば何時もの静かなリビング。寂しい、けど大丈夫。

「自転車も手に入れた事だし。これでもう1件スーパー回れるかな。よーし!」



おわり


2009/03/02