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「あの、そんな……見ないでください」

頬を赤らめてチラチラと後ろを見ては恥かしそうに俯く。イジワルと分かっていても可愛い仕草が見たい。
4人分の洗濯物をする後姿。長くて艶やかな髪が風に揺れてきらきらと光って綺麗。
何時までも見つめていたい愛する妻の姿。

「朝の会議に10分ほど遅れております。今回は重役たちにどういういいわけをいたしましょうか」
「あん。千陽ちゃん。現実に戻さんといてぇ」

幸せいっぱいの所にドスンと一発腹に来る一言。振り返ると手帳片手に此方に微笑む秘書。
といいつつも目はまったく笑ってない。瞳の奥底には「激怒」の文字が見えるくらいだ。
それでも懲りずにもう少しここに居たいんだと甘えた声を出して千陽に強請ってみる。

「何万人という社員の頂点であるという現実を1秒でも早くご理解していただかないと困りますので」

思ってた通りあっさりと跳ね返された。

「見てみ?ユカリちゃんめっちゃ可愛いやん?あの後ろ姿ほんまええわぁ〜前はもっとええけど」
「惚気ている間にも時間は過ぎています。このままだと専務が胃痛で吐血します」
「総司さん。早く行かないと。ね?」

時計を見て早くしてくださいと苛々の募る千陽。この調子だと首根っこ引っ張られるのも時間の問題か。
今日は朝微熱があるんだとか腹が痛いんだとか駄々をこねまくって。
渉は呆れ真守は会議があるから引っ張ることも出来ず総司を置いて先に会社へ向かった。

「ユカリちゃんそんな顔せんといて。ほな、行くわ」
「うん。頑張ってください!」
「ユカリちゃ」

ぐい

「はいはい、今なら渋滞に巻き込まれたで済みます。失礼します奥様」
「まって!行くときはチューしてから」
「お黙り」

ずるずると引っ張られてやっとマンションを出て行く総司。百香里は笑顔で手を振った。
それにしても秘書は大変な仕事だ。以前総司に秘書になってくれとか言われたけど絶対に無理。
何より千陽のように総司を引っ張れない。逆に引っ張り込まれてえっちな事をされてしまう。
やっぱりキャリアウーマンは違うなと洗濯物を干しながら何度も頷いた。



「ああ。俺のユカリちゃん……」

長ったらしい会議を終えて社長室で項垂れる。娘の写真は机の奥に仕舞い今や百香里の写真だけ。
それを眺めてはニコニコしたり時には我慢できずに電話したり。そして秘書に思い切り怒られたり。
写真を見つめ指でなぞる。やっぱり行ってきますのキスはしたかった。

「今日も今日とて馬鹿面さげてんな。他にやることあんじゃないの?社長さん」
「何や渉。めずらしい」

写真に夢中で気配に気付かなかった。目の前には渉。ノックしたが反応が無かったとのこと。
弟とはいえ会社では一般社員。そう社長室に来ることもないが渉は秘書も何も通さない。
秘書たちも渉が三男坊であると知っている為あまり強くは出られないし。
行き成り来て言いたいことだけ言って去っていき、その度に示しが付かないと真守は激怒する。

「別に。ただ、専務がマジで死んじまいそうで。そうなると俺が専務とかってふざけた話になりそうだから」
「俺かて真面目にやっとる!真守のがその割合が大きいだけで」
「それって十分怠慢だろぉが」
「それで何や?ただ説教しに来たんと違うやろ?」

総司は渉が勝手に入って来たことも応接用のソファにふんぞり返るのも特に怒る様子はなく。
ただ激務をこなす真守の心配をしに来たとは思えない渉の話を優先させた。

「それがさぁ」

それをいい事に許しも得ていないのにポケットから煙草をとりふかす。
あんたもどう?と差し出してみるが総司はいらんと手を振った。
こんな光景を真守が見たら怒りで頭に血が上りすぎて倒れるかもしれない。

「見合い?お前にか?せやけどあのお姉ちゃんどないすんの」
「いいとこの娘サンって奴でさ。美人っちゃ美人なんだわ。若いし」

渉が言うには先日上司と共に商談の為取引先へ向かった。そこでの帰り道。
偶然にも通りかかったその会社の重役が渉を見て是非自分の娘と見合いをさせたいと申し出てきたらしい。
後日その事を上司から知らされた。もちろん自分には既に恋人が居ることも説明済みだ。
渉からすれば何の付き合いも無い人物だが取引先とあって無碍には出来ず。とりあえず写真を貰った。

「女乗り換える相談やったら受けへんで」
「セフレなら喜んでなるけど、梨香と別れるつもりねぇし。あんたから言ってくんね?」
「は?何で俺が言わなあかんねん、お前に来た話やろが」

娘の容姿はなかなか宜しく、内心惜しかったなと思ったものの。梨香と別れる気はない。
それに見合いなんて柄じゃないし。誰かに言われて付き合うというのは渉のカンにさわる。

「俺のような平社員が他社とはいえ重役の娘どうだって言われて断わったらさー、体面悪いだろ」
「せやけど相手もお前がウチの三男坊やって知っとんやろ?」
「だろうよ、じゃなきゃ俺なんか指名してくるわけがねえ」
「俺かてお前には絶対嫁がさんわ」

松前家の三男だから娘を嫁がせて力を得ようとか有利になろうとかそんな所だろう。
中には純粋に娘を勧めてくるおせっかいな人も居るけれど、今回のはあまりにも胡散臭い。
そんなどうでもいい権力争いの道具になる気はない。それに自分でも結婚は向いてないと思う。

「だからさ、あんたから言っといてくれねーかな。これ名刺」
「……面倒押し付けよって」
「なあいいだろ?兄貴。可愛い弟の為にさ」
「まぁなあ。……しゃーないな」
「末っ子だからって甘やかすのはよくないですよ」
「げぇ」

何時もは無視してくる渉が何時に無く甘えてきて兄である自分を頼ってくれる。
総司にはそれが嬉しいらしく名刺を受け取る。渉は内心ちょろいもんだ、とニヤつく。
が。そこにキランと眼鏡を光らせて登場の真守。その手には分厚い書類。

「社長に対して何様だお前は。会社では兄弟は無い。用も無く社長室に来て煙草をふかすとは何事だ!」
「はいはい、すいませんでしたー」
「ま、まあそう怒らんでも」

想像通りの大激怒。今にも殴りかかってきそうなくらいの怒声をあげる。
総司は慌てて真守に声をかけるが余計睨まれるばかり。これは不味い空気だ。
そんな中でもうろたえる事なく、いい所だったのにと渋々煙草を消す渉。

「大体貴方が甘やかすからこういう駄目な社員が生まれてしまうんですよ!」
「そんな怒ると体に悪いで?」
「誰のせいで!」
「あ。つーかさ、あんた見合いしたらいいんじゃねえの?」
「ああ」
「見合い?」

1人激怒する真守。何で貴方たちは何時も!と言いかけた所でまあ座れと渉に言われ。
何でお前が言うんだと怒るが、このまま叫んでも仕方ないとソファに座る。
そして渉から先ほどの話を聞く。見合いについて。

「決まり決まり。あんた彼女居ないだろ?」
「居ないが……」
「美人だしいい体してるし、若い。その上いいとこの娘だぜ?言う事ねえだろ」

まさかそんな話をしているとは思わなくて、しかもそれを自分にふってくるなんて。
つい怒るのも忘れて真剣に考えてしまう。結婚を意識しない訳でもないし。もういい歳だ。
自分なりに色々と考えてみたりする。どんな女性がいいだろうか、とか。勧めてくれる人も多い。

「まだ結婚は考えていないんだ。兄さんがしっかりしてくれるまでは……」
「お、俺はその、しっかりしてんで?」
「どこがだよ」

でも兄がしっかりと将来を見据え松前家の長男としてグループを引っ張ってくれるようになるまでは。
自分が兄を会社を支えなければならない。それは亡くなった両親からも言われた言葉だった。
それまでは自分の幸せを優先させる事は出来ない。そう心に堅く決めている。

「それに、とても素敵な人なんだろうと思うけど、僕は愛する女性は自分で見つけたいんだ。
お互いをきちんと理解しあえる人でないと。ずっと一緒に生きていく人だしね」
「はっ、いい歳して。結婚に夢みる中学生か?一生童貞決定だな」
「か、勝手に決めるな!!」
「もうええやないか。渉、自分で断わってこい。真守はいっぺん決めた事は絶対かえへんから無理やわ。諦め」
「ちぇ」

名刺を渉に戻し真守から資料を受け取る。話も終わった所で各自解散。
また1人に戻った社長室。弟たちが居なくなってから机にあった携帯電話を取る。
一応確認するが大丈夫。秘書が来る気配はない。

プルルルル…

『はい。松前です』
「ああ、百香里か。俺やけど」
『総司さん』

百香里の明るい声。これだけで気持ちが明るくなるから不思議だ。

「あ。ズル休みしてるん違うよ?今ちょっと休憩中やねん」
『なら、いいです』
「百香里」
『はい』
「今日は俺の夕飯いらんわ」
『遅くなるんですね、わかりました』
「百香里のもいらん」
『え?』
「外で飯食べよ。フレンチがええ?中華?和食?何でもええよ」
『どうしたんですか?急に』
「何となく」
『えぇ。もう、……んー。和食かなぁ」
「それやったら寿司とかどうや?」
『あ。いいですね!』
「回ってない寿司食わしたるわ。おめかしして待っとき」
『え。でも』
「愛してるで。百香里、またな」
『総司さん……』

携帯を切る。百香里は突然の事で少々困惑しているようだったが、まあそれもいいだろう。
大きく背伸びをして目の前の資料に目を通す。途中内線で千陽を呼びお茶を頼む。

「専務…あの」
「はい。また社長が何か」
「いえ、…寧ろ真面目にやってるんです。その、それが普通なんですけど…何だか凄く真剣で」
「そうですか」
「先代の社長とは数回顔を合わせただけなんですけど、真剣なお顔は似てますね…やはり」
「……まあ、親子ですから」



その頃のマンションでは。受話器を置いた百香里は戸惑っていた。
お寿司は大好物だし連れて行ってもらえるなんて嬉しいけれど、どんな格好をすればいいのか?と。
いきなりおめかしなんて言われても困る。何時もの代わり映えしない服にエプロン姿の自分を見つめる。
やっぱり社長夫人らしい服装でないと駄目だろうな。百香里は慌てて寝室へ向かった。

「着物。はちょっと気張りすぎかな。ドレス。はおすし屋さんに行くのに派手すぎだよね……困ったな。
あ!いけない!真守さんと渉さんのご飯よういしなきゃいけないんだった!」

自分たちは不要でも彼らは必要。あとお酒のつまみも。真守は飲まないが渉が結構飲むから。
それから夕飯の支度をしたり洗濯物を取り込んだりであっという間に日が暮れて。夕方になってしまった。
結局どんな格好で行ったらいいのかわからないままにエプロンも脱げず呆然と立ちすくむ。

「何だよ、泥棒にでも入られたような顔して」
「あ。渉さん、お帰りなさい」
「ただいま。ビール冷えてる?」
「はい。今」

そこに5時になったら何があろうと帰ってくる渉が一番乗り。スーツをソファに脱ぎ散らかして席に座る。
シワにならないようにそれをハンガーにかけてから冷蔵庫からビールとつまみを出す。
困った顔をする百香里に何かあったの?と聞くと総司と夕飯に寿司屋へ行くと返された。

「すし?いいね」
「すいません……」
「別に。俺は寿司よりあんたの飯のがいいし」
「渉さん」

ありがとうございます、と言ってお酌をする。でもやっぱり元気が無い。時計を見てはため息。

「で?すし嫌いなの?」
「え?」
「ずっと暗い顔してる」
「それが、その、どういう格好をしていいのか分からなくて」
「はっはっは、あんた面白いな。そんなつまんねぇ事で悩んでたの?あっはっはっは」

嫌いでないならどうして。と思っていた渉に実に百香里らしい返事が返ってきた。
思わずビールを噴出しそうになるのを堪えいったんグラスをテーブルに戻す。
百香里は笑われても怒りはしなかったが少し拗ねた顔をして視線を逸らす。

「渉さんはそういうお店慣れてるから」
「女に連れてけって言われてたまに行くけど、だいたい派手な格好で来るな」
「派手、ですか」
「そう。この前なんかヒョウ柄だったなコート」
「……あの、この前って」

もちろん梨香さんですよね、といおうかと思ったがここは聞かないほうが良さそうだ。
何となくそう察して黙る。

「ま。あんたには似合わないし、高い店ほどそういう馬鹿女は毛嫌いされるしな」
「じゃあ地味な感じですか?」
「地味すぎたらお通夜になるだろ」
「難しいですね」

服装なんてなんでもいいのに。そんな事を真剣に考える百香里にケラケラ笑いながら
再びグラスをとりぐびぐびと盛大にビールを飲む。やっぱりあんたは面白い、と。
笑われながらも百香里はチラっと時計を見る。うすぐ総司が来る頃だろうか。
どうしよう、まだ着替えていない。化粧も特に念入りにはしていないのに。

「服買ってもらいなよ。いっつも似たような服ばっかだし」
「あまり服に興味が無くて」
「せっかくの美人が勿体無いぜ?あんたに似合う服なら幾らでも買ってやるよ」
「もう酔ったんですか?」
「はっ、そうかも」
「うーん。悩んでも仕方ない、一番無難な格好で行きます」
「そーしな」

何杯目かのビールを飲み少々顔の赤い渉。飲みすぎはいけませんよ、と言ってから寝室に戻る。
無いものは無いんだからもう仕方ない。エプロンを置いて着替えを済ませる。
地味すぎず派手すぎない服装。総司がくれたペンダントやカバンをここぞとばかりに使う。
普段は高価すぎて怖くて使うことが無かった代物だ。香水もふいて、いざ。

「お出かけですか」
「あ。真守さん、お帰りなさい」
「兄貴と寿司だってよ」
「ああ。それで兄さん」
「え?」

下で物音がすると思って急いで降りてみれば真守。何時もよりだいぶ早い帰宅だ。
彼は5時であろうと12時であろうと仕事が片付くまでは絶対に帰ってこない人だ。
それが渉よりは遅いものの6時前に帰ってきた。ビックリしながらも彼の夕食の準備をする。
自分でしますと言ってくれたが彼も疲れているだろう。

「兄さん今日は何時もとちがって真面目に仕事をしていて。皆して驚いてたんです」
「そう…でしたか」
「今日だけだろうけどな」
「渉」


プルルルプルルル…

「はい。松前です」
『ユカリちゃん、俺やけどおりてこれるか?』
「総司さん。はい、今行きます」
『外で待っとる』
「はい」

夕飯を用意し終えた所でタイミングよく総司から連絡がはいる。やっぱり早い。
何時もより何倍も早く仕事をこなしたのは、自分との時間のため?
嬉しいような恥かしいような。弟たちに見送られて部屋を後にした。

「ユカリちゃん!」
「総司さん」
「おめかししてくれたん?めっちゃ可愛い」
「総司さん」

外に出た所で総司の声。呼ばれたほうへ向かうと車から出て迎えてくれた。
というよりも百香里を抱きしめたかったらしく。外なのにギュウギュウ。

「ユカリちゃぁん」
「……お腹すきました」
「俺も。さ、いこ」
「はい」

恥かしいのでさっそく総司の車に乗り込む。スーツ姿のままでちょっと違和感があるけれど、
それでもかっこいい。今日もお仕事ご苦労様でした、と言うとそうでもないでとはにかんだ。
自分はなんて素敵な旦那さまと結婚できたんだろうと百香里もニヤケてしまう。

「なに?何がおかしいの?」
「ふふ」
「あんまり俺の分からんほうへ行かんといてなぁ。寂しい」
「素敵な人って思っただけです」
「何や、照れるな」
「ふふ」
「これって惚気やな、はは」
「ですね」

ははは、と仲良く笑っていられたのも今のうち。車が見知らぬ道を通り狭い駐車場に入って。
それでもってよくグルメ番組に出てきそうな佇まいの格式ある寿司屋に入ってからは一切笑えなくなった。
客も皆身なりがいいからお金持ちに見えるし、実際そうなんだろうと思う。
視線を感じてしまいドキドキしながらカウンター席に座る。

「何がええ?」
「あの、……総司さんにお任せします」
「それやったらお任せで一半二人前な」
「はい」

総司の真似をして手を拭いたりお茶を飲んだり。キョロキョロしたら怪しまれるにちがいない。
真っ直ぐ正面をみたまま固まる。美味しそうなネタが保存されているけれど。
それに感動している余裕は無い。

「そんな硬くならんでええよ。ここはひい爺さんの代から通わしてもらっとるなじみの店やし」
「……」
「あ。これはマズかったか?えーっと、まあ、ええやん」
「相変わらず適当な男だねえ」
「う、うるさいなぁ。ほっとけ」

いつの間にか前に立っていた寿司屋の男性。総司くらいの年齢だろうか。
なじみの店らしいし2人仲がいいのかもしれない。
静まり返った店の中で緊張していた百香里は少しほぐれる。

「お前新婚の癖にもう愛人か?いいご身分だねえ社長ってのは」
「あほ抜かせ!」
「総司さんっ」
「嫁じゃ」
「は。そういう冗談いう歳かい?総司よぉ」
「こ、この」

客に対して中々素直な会話をする男性。普通なら怒られそうなのに、いや怒ってはいるけど。
それは彼の知っててからかってくる事に対してだし。これはまるで友人同士のように仲の良い会話。
お茶を飲みながら、時折お客さんの様子を伺いながら今度はハラハラする百香里。

「あの、総司さんとはどういう?」
「同級生だよ、小中高と連チャンで」
「へえ」
「あんたが噂の若妻さんか、いいね。若い肌ってのはさぁ」
「人の嫁に手ぇだしたら許さんぞボケカス」
「40のおっさんが何をカッカしなさるよ、今日は特別サービスするぜ。お名前は?」
「百香里です」
「ごゆっくりどうぞ、百香里奥様」

幼馴染なら納得。話を終えると百香里に向かってニコっと笑ってすしを握り始める。
総司の話では彼が父親から引き継いで店主らしい。そこも総司と一緒だ。
そんな2人のやりとりのお陰かいつの間にか緊張はなくなり総司とも自然と会話できるようになった。
とはいえ。店は静かだし値段の書いてないのが多くて怖い。怖すぎる。幾らするんだろう。
1つ隣の席の男性は値段など気にする様子も無く大トロを様々なバリエーションで連呼している。

「総司さん」
「ん?何や?」
「どうして急に誘ってくださったんですか?」
「ユカリちゃんとご飯食べたかったから」
「それだけ?」

客も減りもう少し喋られる雰囲気になってきた所で総司に尋ねる。朝はそんな事言ってなかったし。
昼いきなり電話してくる事は多々あるけれど、夕食に誘われるのは初めてだったから。
誘ってくれる事は嬉しいけれど、裏に何かあるのだろうかと何となく気になっていた。

「家族で来てへんのユカリちゃんだけやし、これからも何度か来たいし」
「総司さん」
「でも正直言うと回っとる寿司屋のがええなあ。味は落ちるけどユカリちゃんめっちゃ喋ってくれるし」
「ここでしゃべるのは不味いですよ、他の方に迷惑になりますし」
「そうだ。つうか俺の店で回る寿司屋の話すんじゃねえよ」

またしても店主の横やり。お前は入ってくんなと不愉快そうな顔をする総司。

「ごめんなさい、もうしわけありません。あの、どうか」
「奥様が言うなら仕方ねえな」
「手ぇ離せや燃やすぞワレ」

百香里の手を握る男の手をバチバチと本気で叩く総司。毎回こうなんだろうか、この2人。
さぞかし不快な思いをしているだろうと他の客を見るがまったくの無視ですしを食べている。
これが大人と言うものなのかと思いながらすいません、とぺこぺこと頭を下げる。

「美味しいです」
「やろ」
「はい」
「もっと食べ。好きなん注文してえからなぁ」
「で、でも値段書いてないですよ…」
「ユカリちゃん、あーん」
「あ…あん」

美味しいけど、やっぱり追加注文なんて出来ない。そんな百香里の気持ちを知ってか。
適当に彼女が好みそうな寿司を注文してははいあーんと食べさせる総司。
自分で出来ますと恥かしそうに言うけれど、聞いてもらえそうには無い。

「んー。可愛い唇。後で思いっきり吸ったろ」
「変態野朗」
「おのれは働けや。ほれ。寿司つくらんかい」

本来なら一生食べられないであろう高価で美味しいお寿司を堪能して、店主に挨拶をして店を出る。
結局幾らだったのかは教えてもらえなかった。
何もしてない自分がこんな贅沢をしていいのだろうか。まだ少しドキドキしている。
車に乗り込むとすぐに帰るのは勿体無いからと遠回りしてドライブ。

「ごちそうさまでした」
「また行こな」
「はい」
「なあ、ユカリちゃん」
「何ですか?」
「うん、……あのな」
「あ。ホテル泊まろうって言うなら構いませんよ」
「いや、そうやなくて」
「じゃあ?」

不思議そうな顔をする百香里。何時もならここでホテル予約してんねん、とか言ってそのまま直行するのに。
車は街を出て静かな山道へと進む。付き合っていた頃に何度か来た展望台へ向かっているのだと察した。
車を止めて、2人手を繋いで夜の街を見下ろす。美しいけれど、明るすぎて少々目に痛い。

「年甲斐も無く、先の事を考えてもうて」
「先の事?」

手を繋いでその明るい世界を眺める。あの頃とさしてかわらない光景。
違うのは恋人同士から夫婦になったということだけ。

「ユカリちゃんとずっと一緒に居りたい」
「居ますよ。当たり前じゃないですか」
「……百香里」
「変な総司さん。私は何処にも行きません。貴方の妻ですもの」
「うん」
「あなた」
「百香里」

見つめあい抱きしめあう。暖かな総司の胸に顔を埋めると、何やらお尻がもぞもぞ。
少し離れて視線を自分のお尻に向けると彼の手が撫で撫でと。

「……えっと、流石に外はいやです」
「よっしゃ、そんなら」

旦那さまの視線の先に車。ああ移動するのかと思ったけど、ちょっとまてよ。何となくいやな予感。
もう一度恐る恐る総司を見つめる。駄目だ、これは我慢できない時の顔だ。
街へ戻ってホテルにはいるだけの余裕が無い顔だ。

「あのですね、やっぱりこういう場所でその」

さあ行こう、とずるずる引っ張られながらムダだろうと分かっていても抵抗してみる。
なのに気付いた時にはすっかり下着姿で後部座席に寝転んでいた。
高いだけに快適な車だと常々思っていたけれど、こういう時にもいいんだと変な所で納得してしまった。


つづく


2008/12/06