みんなの幸せ
-後編-


「それで何で貴方がイラついてるわけ?」
「…煩い」

たまには外で飲もうと梨香が強引に連れてきたバー。
席についたはいいが渉は心ここに在らずという表情で何処か遠くを見ていて。
何があったのと問いただすと兄夫婦の問題をポロポロと語りだした。なるほど、と納得。
彼の行動理念は何時も自分自身の為だけにあったのに今やそれは完全に変わって。
姪っ子を中心として家族全体の事を考えるようになっていた。本人は否定するけど。

「司ちゃんショックだったのかしら。やっぱり話すの早かったのよ」
「言わなかったとしても余計な事を吹き込む連中は多いからな。どうせバレた。
それにあいつはっきりとは分からなくても何となくそんな気がしてたみたいだからな」
「そうなの?子どもって凄いのね」

実はお姉さんがいてその人はパパがまだママと結婚する前に結婚していた人との子でした。
幼稚園児には全てを理解する事はできないかもしれないが司は「いみぷー」とふて腐れるだけで
気持ちが不安定になって泣いたり騒いだり父親を問い詰めたりなんて事はしなかった。

「…つーか何でアイツなんだよ」
「何が?」
「俺のが絶対」
「渉」
「あ?何だよ」
「ね。今夜は泊まっていくでしょ?新しい下着買ったの」
「はあ?下着なんかすぐ脱がすだろ」
「渉好みの派手なのにしたんだ。だからね?」

泊まっていってね、と念押しの視線。

「あぁ…。あ。待てよ」
「何よ」

満更でもない顔をしていた渉だが何かを思い出したようにゴソゴソとポケットを漁り
小さな紙切れを取り出して絶句。

「…やばい」
「何がやばいの?」
「あいつに頼まれてたんだったっ…やべぇ。おい梨香先帰る!」
「ま、まってよ!渉!」

あんなに焦った渉を見たのは初めて。よほど大事なものなのだろう。
でも録画ってなんだ。急いで店を飛び出す渉に梨香は会計をすませ追いかける。
せっかく下着を新調して飲みなおすためのワインも買って彼を呼ぶ準備は万端だったのに。
店から出ると彼は既にタクシーを拾って去った後だった。あんな素早い男だったなんて。

「お帰り渉。早かったな」
「あ」
「アニメの件なら僕がメモをしておいたから問題ない」
「……あそう」
「遅くなるなら事前に録画設定にしておけばよかったな」

慌ててリビングに入ると珍しく早く帰ってきていた真守が居た。
かわりに何時もいるはずの百香里の姿は無い。

「司は何処だ。その、…怒ってた?」
「みどりの様子を見にいってる。怒っては無い。ただ、約束をしたのに渉が居なくて
不安そうにしていた。だから僕が変わりに来たんだと話したら一応納得はしていたよ」
「そっか。あーくそ、何やってんだろ。朝話したのに」
「あまり話を聞いてない様子だったからな、お前」
「……」
「それより義姉さんは兄さんと病院へ行った。遅くなるそうだから何か作ろうと思う。何がいい」
「え。ユカりんどっか悪いのか?」
「知らなかったのか?義姉さんが妊娠したこと」
「し、知らねえよ!何だよそれ!何で俺知らないんだよ!」
「今朝話してたろう?まさかそれも覚えてないのか?お前、大丈夫か」
「マジで?…そっか。そうなのか。2人目か」

また家族が増える。けれど2人目とあって心には余裕があった。
司の時はどうなるかと思っていたのに。

「ユズだ」
「あ、ああ。司。ただいま…」
「おかえりなさい」

話をしていると部屋から出てきた司。なんとなく気まずい渉。
せめて何かお菓子でも土産を買ってきたらよかった。

「司」
「梨香ちゃんはだいじにしないといけないんだよ」
「え?」
「さみしくてないちゃうよ」
「あいつまたメールしたな」
「おうぼさきはマモに書いてもらったから大丈夫だよ」

それを察したのか司は渉の傍に来てニッコリと笑ってくれた。
リビングでみどりの世話をすると渉が怒るので部屋でしか世話をしなくなった。
小さいなりに周りを見ていてちゃんと気をつけている。それができる子。
渉は未だにこちらを見つめている姪っ子を抱き上げて頭を撫でてやる。

「腹へったろ。何がいい」
「はんばーぐー!」
「だってさ」
「行き成り難易度が上がったな。でも、挑戦してみよう」
「俺も…するわ」
「そうか」
「司もする!えっと。チョコをゆでるかかり!」
「そりゃ残念だったな。ハンバーグにチョコは入れません」
「そうなの…」
「そうなの。お前はソファに座って絵本を読むかかりだ」
「はーい」

ごはんが食べられると両手を挙げて返事した司の頬に軽くキスをしておろす。
珍しく自分から手伝うなんて言い出した弟に驚きつつも真守はレシピ本を取り出した。
こんなこともあろうかと密かに買って研究していた料理。失敗は許されない。

「あんたそんなもん持ってたのか。主夫にでもなる気か?」
「それもいいな」
「げー」
「こっくさんこっくさん。にんじんとぴーまんはいれないでほしいな」
「どうすんだよコックさんよ」
「苦手なものは子どものうちに直す」
「だって。諦めろ司」
「げーーー」
「お前の下品な物言いが司に移ったな。嘆かわしい」
「うっさい」
「うっちゃい!」
「暇そうだな司。なら今からゲームをしよう。渉の真似をするとにんじんが増えるゲームだ」
「ご…ごめんなさいもういいません」

不満げに頬を膨らませ渉の真似をして悪態をついていた司だが両手にニンジンを持った真守を見て
びくっと体を震わせあっという間に退散していった。ソファで大人しく絵本を読みながら
気になるのかチラチラと台所を見ている。目が合うと絵本で顔を隠す。バレバレなのに。

「何だありゃ。ほんと可愛い奴だな」
「司の為にも成功させないとな」
「ああ。この本どおりにすりゃいいんだろ?そこまで難しく無さそうじゃん」
「塩少々…少々とは何グラムだと思う」
「少々ってんだから適当に摘んでいれたらいいだろ」
「本当にそれでいいのか」
「ええ。…い、いや。あぁ。……梨香に聞くわ」
「そうして欲しい」

社運をかけた一大プロジェクト並みの厳しい緊張感ある顔でレシピ本を睨んでいる真守。
専務さんはこんなことでも一生懸命なんだなと呆れたような口調で言ったら無視された。
それくらいもう司に食べさせるハンバーグで頭が一杯なのだろう。
あと、苦手なにんじんは使う気満々ですでにまな板の上ににんじんが置いてあった。


「ちゃんとごはん食べてますかね。司たち」
「大丈夫やって」
「会う事になりましたけど、それで何か言ってました?」
「いや。特には。ただ、会いたいんやったら別にええよって」
「勝手な人だと思ったでしょうね」
「まだ気にしてたん」
「しますよ」

病院を出て総司に誘われるままにお店に入った。食事は真守に任せている。
だから今日は会社には社長も専務も早々と帰ってしまっていない。
個室に案内されて緊張しながらも座敷に案内されてお茶を飲みやっと少し落ち着いた。

「まあ、な」

司がお姉ちゃんに会いたいと言ったから相手に連絡して会う段取りをつけた。
今まで散々彼女たちが総司に近寄る事を避けてきたのに。勝手な話だと思う。
だから最初は思いとどまらせようと説得したのだが、
娘は純粋に姉に会いたいと何度もせがむ。それで結局根気負けしてしまった。

「話をしたら会いたいと言うのは分かってたのに。やっぱりもっと強くとめるべきだったのかな」

総司の前妻からしたらさぞかし不愉快な気持ちだろう。糾弾されるだろうか。

「唯も司に興味あるみたいやし、ええ機会や。お腹の子も心配するでそんな悩まんと。な?」

総司は立ち上がると百香里の後ろにまわりこみそっと抱きしめる。
手は新しい命を宿しているお腹。優しく撫でた。

「男の子だといいですね。だったら総の字を取って…うーん」
「それはもうええよ。煩い人もおらんし今の世の中鬱陶しいだけや。俺で終わりで」
「ダメですよ。かっこいいじゃないですか。代々伝わってる感じが」
「古臭いだけやで」
「いいんです。絶対に絶対に総をつけるんです!」
「そんな興奮せんと。…興奮するんは俺とえっちの時だけやで」

耳元で囁くとさりげなくお腹にあった手を胸に移動させて揉む。
ビクっと小さく体を震わせ恥かしそうに頬を赤らめる百香里。

「また制限されちゃいますね」
「せやね」
「今夜はえっちしましょうね」
「しよな」
「明日も」
「うん」
「あさっては別にいいです」
「何でや。ここはずーっとしましょねって言うとこちゃうの」
「……、そうですね」
「何そのめっさイヤイヤな顔」
「だって総司さん全然落ち着いてくれないじゃないですか。その、回数だって…多いし」
「そうか?これでも歳の所為か体力落ちてる気が」
「冗談はやめましょうよ」
「真顔!」

妻と自分の気持ちの差に軽いショックを覚えつつも料理が運ばれてきて大人しく食事。
落ち込んでいた百香里もやはりお腹は空いていたようで美味しそうに食べて。
お腹が一杯になると気持ちも明るくなるのか少しは落ち着いてくれたようだった。

「総司さん」
「ん」
「もし男の子だったら私に遠慮しないでバンバン鍛えちゃってください」

司への土産のケーキも買って家路につく途中の車内。
百香里が言いたいのはもし男だったら松前家当主として鍛えてくれということだろう。
言いたいことは分かるのだが今でもまだ自分が当主である事に違和感がある総司は苦笑する。
家が嫌で逃げ出した人間に説得力も何もないだろう。それは彼女も分かっていると思うのだが。

「俺よりユカリちゃんと居った方がよっぽどええ子に育つで」
「私は飴担当で。総司さんは鞭でいきましょう。何事もバランスです」
「……」

どっちかっていうと百香里の方が鞭な気がする。なんて言わないほうがいいか。

「なんて偉そうに言えるほど子育て上手くないですけど」
「そんなん言うたら俺なんか司に何べん怒られたかわからん。ママをいじめるなって。
司より仕事のが大事かて。こんなにママも司も愛してんのになあ。悲しいわ」
「ちゃんと分かってると思いますけど。パパに構って欲しくてあの子なりに甘えてるのかもしれませんね」
「肝が冷える甘えんぼやなぁ」
「甘えるのが下手なのは母親譲りです」
「俺をその気にさせるんはめっさ上手いけどな」

運転中なので前を向いたまま嬉しそうに笑う総司。
そんな彼の横顔を満更でもない様子で見つめている百香里。
さりげなく彼の太ももに手を置いてそっとなぞってみる。

「あかんて。今は何も出来へん」
「いいんです。私が触れたいだけだから」
「…はよ帰って俺も触れたい」
「はい」
「可愛い子やね。ほんま」

ちょっとだけ百香里の手を撫でると運転に集中する。はやく帰りたい。

「おかえりなさい」
「ただいま。ごはんはもう食べた?」
「うん。マモとユズがね、はんばーぐ作ってくれた」
「え。ハンバーグ!?」
「そらまた。頑張ったな」

玄関を開けると司が走って来てママに抱きつく。ママには素直に甘えるのに。
ちょっと寂しい総司だが司を抱っこしてリビングへ向かう。いきなりハンバーグなんてものを
普段料理をしない彼らがちゃんと作れるのだろうか。失礼を承知でちょっと不審がる。

「何とか形にはなりました」
「そうそう食えた」
「おいしかったよ。…にんじんいがいは」
「今後の課題だな司」
「……にんじんきらい」
「また残したの司」

台所はきれいに整理されていて殺伐としたものを想像していた百香里を驚かせた。
司は土産のケーキを食べたそうにしてそれを持っている総司の顔を見つめている。
ママを気にしてか言葉にはしないけれど、ウルウルとおねだりの視線。

「ま、まあ。ええやんか。それよりケーキ食べへん?俺お茶いれるから」

目当てはケーキと分かっていながらも娘には勝てないのが父親というもの。

「ねえ、司。お姉ちゃんに会って何を話すの?」
「いろいろ」
「やっぱり会いたい?」
「うん」
「そう」
「……ママ」
「そんな顔しないで。ママ心配性だから」

チョコケーキを美味しそうに口いっぱいにほうばる司を見つめる百香里。
司はそんな母を不安げに見つめかえす。

「司ちゃんとお姉ちゃんこんにちはっていえるよ。だって司もお姉ちゃんになるんだもん」
「お姉ちゃんも本当は優しいええ子なんやけどな。ちょっとばかし意地の悪い事言うてしまうかもしれん。
せやけど司が嫌いとかそんなんやないから。素直になれんだけなんや、司も嫌わんと仲良うしたってな」
「みどりも連れて行く。みどりにも教えてあげるの。お姉ちゃんですって。みどり可愛いからきっと笑ってくれるよ」
「連れて行くの」
「うん」
「そ、そうか。まあ、ええ話の種かもしれんな」

両親の心配を他所に司は不安も恐怖もなくただ姉に会える事を楽しみにしているようだ。
今はもう百香里たちとの事を認めてくれる発言をしていると総司から聞いているけれど。
どうか2人が会う事が悪い方向へ行かないように。司はケーキを食べ終わると真守にメモしてもらった
視聴者プレゼントの応募先をハガキに書き始める。隣には渉がいてあれこれ指導している。

「よし。今のうちにお風呂です」

百香里の言葉に総司は頷き、風呂へ向かった2人。
総司が脱いでいると後ろにいた百香里がギュッと抱きつく。彼女は既に脱ぎ終えたようで
背中に当たる柔らかな胸の感触と肌の温もり。そのまま彼女がすべて脱がせてくれた。

「ユカリちゃん?」

湯船に浸かってのんびりしていると膝に座っていた百香里が振り返り顔を見つめてくる。
キスしてほしい様子でもなく。何か考え中ようで。

「総太郎」
「爺ちゃんやな」
「じゃあ、総一」
「ひーじいちゃん」
「総一郎」
「親父やね」
「じゃあ…じゃあ…総…総…」
「そんな真面目に考えんでもええやん。せやね、ユカリちゃんからとろうやその方がよっぽどご利益ありそう」
「無いです」
「そんな断言せんでも。ユカリちゃんはこの家に色んなもんくれた女神さんやしな」
「総司さんが居てくれたから。私だけじゃ、何も無かったです。きっと」

今も仕事に明け暮れてこんな風に笑いあえる温かな家族であることも無かったはず。
総司は百香里の事を凄いと言うけれど。自分は何もすごい事なんかしていない。
自分自身も足りないものだらけだった。それを総司に出合って知った。
そしてもっと欲しいもっと満たされたいと欲望が生まれて。だから家族にも拘った。

「子どもの名前は何ぼでもなるで。まだユカリちゃんの中でおるんやしな」
「はい」
「難しい話はこんくらいにして寝室で楽しい事しよ」
「楽しいのは総司さんだけじゃ…」
「え?」
「じゃあ総司さん10数えたら出ましょう」
「はい」

軽いキスをして風呂から出る。ここで長居するよりも寝室の方がいい。
リビングでは何故か真守も参加して3人でハガキを書いていた。

「まず目立つ事だ」
「おお。やっぱ経験者は違うな」
「ちがうちがう」
「数出せばいいという物でもない」
「何かすげえ当たる気がして来たぞ」
「司もー!」

盛り上がっているのでおやすみと一声かけて寝室へと上がっていく。
無邪気に笑っている司を中心に叔父さんたちも楽しげで。

「何も正座して待たなくても」
「ほらほら早うこっちおいで」

これから奥さんとえっちという旦那さまもこれ以上ないというくらい幸せそうな顔。
ベッドの上でおいでおいでと百香里を呼ぶ。

「総司さん可愛い」

元気すぎるのも困るけれど、そんな旦那様をみるのは嫌いじゃなくて。
口にはしないけれどそんな所も大好きだったりする。

「ユカリちゃんのが可愛い。ほら、抱きしめられへんでもっとこっちおいで」
「はい」
「めっさ幸せ」
「司を抱っこしても同じ事言いますよね」
「どっちも幸せやけど。ユカリちゃんにはもっと幸せにさしてもらうから」
「私も幸せになるんですか?」
「当たり前やん。…なあ、百香里」
「…もう。こんな時だけ」


つづく


2012/11/10