みんなの幸せ
-前編-
それは重役たちとの打ち合わせ中の事。
資料を読みながら話をしていると千陽が部屋に入ってきて総司の隣に立ち。
「社長、少し宜しいでしょうか」
周りを気にして小さい声で社長の作業をとめる。大抵の事は終わってから報告する秘書。
こんな大事な場面で割って入るということは何か緊急を要する事があったのだろうか。
ここに専務は参加していない。彼が居れば問題ないはずだが。
「何や」
総司は止まっていた手を再び動かしながら聞くことにした。
「…お嬢様からお電話が」
総司にだけ聞こえるように更に小さい声で千陽は言う。
「司やて?」
思わず視線を彼女に向ける。そんな嘘を言う場面でも相手でもないから事実なのだろうが。
でも幼稚園に行っている筈だし何より百香里が居るはず。寂しい事に普段から母娘そろって
総司に電話をするなんてことはしてくれない。仕事の邪魔だろうからと。よほどの事でないと。
「どうしても社長に取り次いで欲しいと。その、……泣き出しまして」
「泣いてる!?」
総司の声に気を使って黙っていた重役たちが一斉に視線を向ける。
社長は真っ青な顔をして立ち上がりそのまま部屋を出て行った。
何が起こったのかは分からないが秘書が取り繕って説明をした。
「社長」
「電話は何処や。司からの電話はどれや!」
「こ、此方です」
何か起こったのは間違いない。それも悪い方向で。
司が電話をするということは百香里が電話に出られないということで。
あの子が泣いてしまうということはもしかして百香里に何かあったのか。
総司は不安を抱えながらも別の秘書から電話を受け取る。
「司。遅なって堪忍な。お父ちゃんや。どないした。何かあったんか?」
『パパ…っ…パパ』
「そんな泣かんと。ママはどないした?ママは傍におらんのか」
『ママ…うごかないの…』
「今何処や。家か?」
『そと。お迎えちょっとはやめに来てね。それでね。その。かえり』
「すぐ迎えに行くで見えるもんなんでもええから片っ端から言うてき」
『…まっく…こうえん…ううっ…くりーにんぐ…』
「……ああ、だいたい分かった。すぐ行くでな」
司の言葉に嫌な予感がこれ以上あたらない事を祈りながら車のカギを持って飛び出す。
秘書たちの言葉などもう何も聞こえない。エレベーターを降りる時も社員たちの驚く顔や
何か喋っているようなしぐさが見えたがそんなものはもうどうだっていい。
今はただ1秒でも早く司と動かないという百香里のもとへいかなければ。それだけだ。
「パパ!」
車をとめて恐らくこのあたりであろうめぼしをつけた場所を走ってまわる。
こんなことなら司にもお子様携帯を持たせるべきだったか。
暫くして遠くで司の声がして総司も此方に手を振る娘の姿を確認してかけよる。
「ママは何処や」
「総司さんごめんなさい。司は大げさなんです」
「百香里」
司を抱っこして無事を確認すると百香里がひょっこり顔を出した。
顔色はあまり良くないものの自分の力で歩けるようだ。
「ちょっとめまいがして。それで座ってたら司が勘違いしちゃって」
「だってママつらそうだったから」
「ママは体が丈夫なのが唯一のとりえなんだから」
「…ママ」
司は総司からおりるとママの下へかけよってギュッと抱きついた。
その頭を優しく撫でる百香里。
「病院で診てもらい」
「大丈夫ですって」
「顔色悪いし調子まだええないんやろ」
「少し休めばこんなの」
「こんなの?司が泣いて俺に電話してくるくらい心配してるのに放置したらあかんやろ。
それでまた調子悪なったらどうするんや。また司が泣くほど心配さしたいんか」
「……」
「親は子を心配するもんや。けどな。子に心配させるんは親としてやったらあかんのとちゃうか」
「……はい」
俯く百香里。2人の空気を感じ取ったのか司は総司の前に立つ。
「ママおこらないで。やだ。やだやだやだ。こわいのやだ」
「怒ってへん。喉渇いたやろ、ジュースかったるでそこの自販機いこか」
「…ママのも?」
「ママのもや」
抱っこされるとチラチラ百香里の方を見ながら自販機の前へ。
自分のとママの分のジュースを買って戻ってくる。
休憩を挟み百香里が乗ってきた自転車を車に乗せて走り出す。何となく重たい空気。
司はどうしていいか分からなくて俯いてしまった。音楽も会話もなにもない。
「総司さん」
「ちょっと言い過ぎたかもしれんけど。病院には行こうな」
「…その事、…なんですが」
「何や」
百香里が視線を向けて少し話しそうと唇を動かすと総司が先に言う。
お互いにきっかけがなくて戸惑っていただけで。
「…私、…その」
「どないした?またどっか悪いんか?」
「やだ!ママをイジメないで!ママいじめたらパパダイキライだからね!」
チャイルドシートで固定されているものの手足をジタバタしまくりその辺のモノを投げる司。
「落ち着きや。なんもイジメてへんて。ほれ車んなかで暴れたら危ないやろ」
「司、いい子だから。静かにして。ママ、パパとちょっとお話があるの」
「…わかればなし?」
「そ、そんな恐ろしい単語ようしっとるな。…また昼のメロドラマかいな」
「まあ。いいじゃないですか。何処か静かな場所に…って、総司さんお仕事は?」
「そんなんどうでもええわ。司泣いてんのに」
「……総司さん。お母さんの所に行ってください。司を預けてきます」
「わかった」
「えー。司もママと病院行く」
「注射するから病院なんかダイキライって叫んでたのに?」
「お婆ちゃんとあそんでる」
大人しくなった司を母の所に預けて車はまた走り出す。会社の事は気になるけれど、
でも悔いはまったくない。恐らく事情を察した真守が上手くフォローしてくれているだろう。
あれから百香里は黙ってしまって総司もどう切り出そうかまた戸惑ってしまう。
「病院はかかりつけんとこでええな」
「総司さん私たぶん2人目です」
「そうか2人目か。ほな産婦人科やな。……え。え?ええええええええ!?」
「総司さん前みて!前!」
あんまりにもすんなり言うからこっちもそのまま乗っかってしまったけど。
2人目ということは妊娠しているということでということは。駄目だ混乱する。
総司はいったん車を路肩にとめて深呼吸。まだ喋れない。もう1度深呼吸。
「自分ほんまなんでそういう大事な事を言わんの?心臓に悪いて前も言わんかったか?」
「怒らないでください。今回はちゃんと病院へ行く前に言おうと思ったんですけどタイミングが合わなくて」
「検査薬は試したん?」
「えっと。その。…それも試そうと思って今日買ってきた所で」
「そ、そうか」
のんびりというよりは百香里の事だからドラッグストアの安売りを狙っていたとしか。
嫌、今はそんな事をとやかく言っている場合ではない。
「総司さん大丈夫ですか?何だかすごいテンパってる」
「テンパるやろ普通。ユカリちゃんはもうほんと可愛いだけやないんやから」
「そんな。あ。もしかしてまだ子ども…欲しくなかったとか…私も色々言っちゃった後ですしね」
特に子どもを意識せずゴム無しでしたのはほんの僅か。殆どは避妊してのセックス。
司の時は何度頑張っても中々授からなかったのに。意識しないといいのか。
2人目をどうするかいったりきたりではっきりと定まっていなかった。
だから余計に百香里としては言い出しにくい流れだったのかもしれない。
「そ、そんな事あるかいな!せ、せやけど。こ、困ったな。…落ち着け俺。落ち着け」
「そうですよ3回目じゃないですかプロですよプロ」
「何時になったらその言葉の棘無くなるんかな」
「さあ」
「認めよった」
でもいい。総司は自然と顔がニヤけるのを自覚しながらも産婦人科へと車を走らせる。
百香里はそんな嬉しそうな夫の様子を見て安心したような顔をしていた。
「ねえお婆ちゃん」
「なに?」
「お婆ちゃんはママの事しんぱい?」
「うん。心配」
「こどもだから?」
「あの子しっかりしてるように見えて案外ぼけーっとしてるから」
ママとパパを待っている間、お婆ちゃんの家で遊んでいる司。
おやつのおまんじゅうを貰って食べながら一緒にテレビをみていた。
もうすぐお婆ちゃんはこの部屋を出て伯父さんと暮らすらしい。
「そっか。ママも司のことしんぱいしてくれるかな」
「当たり前だよ。腹痛めて産んだ子だもの」
「パパも?」
「ああ。パパもだよ。司の電話ですぐに来てくれたんでしょ?忙しいのにさ」
「…司、何もかんがえてなかった。ママつらそうだからパパにたすけてほしかった」
「ママはちょっと痛いくらいじゃ我慢したらなんとかなるって思ってるからね。
私の所為だけど。でも、司のお陰でママは病院へ行けたんだ。いい事したよ?」
頭を撫でるお婆ちゃんの手がざらざらしているのにはもう慣れた。
ママに言ったらそれはお婆ちゃんが今まで頑張ってきた証なのだと教えられた。
お婆ちゃんの話をするママはとても誇らしげ。大好きなんだと司でも分かった。
だから司も優しいお婆ちゃんは好き。大好き。
「じゃあじゃあパパのママもかなぁ」
「気になる?」
「なる。けど。もういないんだよね。パパのパパもママも」
「そうだね」
「ユズに聞いてもマモに聞いてもちゃんと説明してくれないんだ。みんなのパパとママなのに」
「まあ、男ってのはそんなもんだよ。自立してるのよ」
「じりつ」
「あ。難しかったね。まあそんなもんってこった」
笑って誤魔化して司にこれも食べなと煎餅をくれた。もちろん食べる。
「司ね。ジジョなの」
「え?何言ってんの長女でしょ」
「ううん。違うの。大人のひとたちが皆司のことジジョっていうの。ジジョって何かなっておもって
幼稚園でゆきほちゃんに聞いたらパパとママの2番目の子なんだって」
「そう…なの」
「いちばんうえのおねえちゃんって何処にいるのかな」
「……」
「パパとママといっしょに居ないとさみしいのに。パパとママは心配じゃないのかな?
家に居ないの。遊びにいったのかな?まいごかな?なんで探さないの?」
「司は長女だよ。パパとママの唯一の子だよ」
「そうなの?みんなまちがえてるのかな?わかんない」
口いっぱいに煎餅をほうばって小首をかしげる司。
祖母はどう返事をすべきか分からずとりあえず誤魔化した。嘘はついてない。
この子は総司と百香里の子だ。その上に姉なんかいない。
暫くして携帯にメールが入りもうすぐ迎えに行くとあって司は嬉しそうにしていた。
「百香里。もう!あんたって子は。松前さんにどれだけ迷惑かけりゃ」
「ま、まあまあ。ええんです。ほんま。ええんです」
「申し訳ありません松前さん。この子ったらもうツバつけときゃ治るとか思っててほんともう恥かしい」
「お母さん。そこまで言わなくても」
「ママ。ママ。抱っこママ」
「お父ちゃんがしたるでな」
夕飯にどうぞと肉じゃがをもらい司を連れて先に車へ向かう総司。
百香里は母に話があるからと残る。
「あのね、お母さん私」
「気をつけなよ百香里」
「それはもう分かったから」
「そうじゃなくて。司に前妻さんとの子どもの事バレるとこだったんだから」
「え」
切り出そうとしたら先に言われた。司にバレるってどういうこと?
母はとても渋い顔をしている。
「あんたの周りの大人が司のこと次女だって言うんだって。それであの子も気になっちゃって。
総司さんと百香里の間には司しか居ないってちゃんと言っておいたからね。安心しな」
「それなんだけど。私、話をしようと思ってるの。唯さんの事」
「はあ?何で?しなくていいだろ前妻との娘なんか。あんな小さい子にはわかんないし傷つけるかもよ」
「お母さんも聞いたでしょ?周りの人たちはそういうの気にしないで司に言ってしまうから。
もしかしたら心無い酷い事も聞いてしまうかもしれない。その前にちゃんとあの子に理解してほしい」
説明をして傷ついてしまう可能性は確かにある。もう少し時間を置いてからの方がいいかもしれないとも思った。
でも周りからの言葉で傷つく可能性の方が高い。松前家は忙しい所で常に何処で誰が見ているか分からない。
百香里はそれをこの結婚生活で身に染みて理解している。大事な娘を心無い言葉で傷つけさせるなんて。
総司は百香里が良いと思うならと言ってくれた。だから、恐怖はあるけれど話をしようと決めたのだ。
「百香里」
「それにね。あの子もお姉さんになるしちょうどいいかなって思って」
もしかしたらから確信に変わった今がチャンスだと思う。
お腹をさすりながら母にも報告。
「お姉さん?…て、…ことは、…あんたまさか」
「えへへ。2人目授かりました」
「ば、…馬鹿!何でそんな大事な体で何やってんだ!馬鹿!馬鹿百香里!」
「お母さんそんな怒らなくても」
「こんな年老いた親を心配させるんじゃないよ!もうあんただけの体じゃないって司の時も言ったろ!」
「は、はい。ごめんなさい」
「ほんとにどうしようもない子だよお前は。これからは無理は絶対するんじゃないよ。
2回目だからとかいって気を抜いて何かあってからじゃ遅いんだよ。あんたはすぐ調子に乗るからね」
「はい」
「全く。何かあったら電話しておいで。すぐ行くから」
「お母さんありがとう。大好き」
「はあ?なんだい気持ち悪いね」
「じゃあそろそろ行きます。またよろしくお願します」
「気をつけてね」
「うん」
ニコっと笑って手を振り部屋を出る。母の前だと結婚する前の自分に戻れる気がする。
百香里の家族の原点。私も家族をつくりあんな母みたいになりたいと思っていた。
今はまだそこまで行かないけど。お腹を撫でながら総司たちの待つ車へむかった。
「シケた夕飯だな」
「気に食わないなら自分で作れ」
「司たちはどうした」
「外で食事を済ませ、司の部屋で話をするらしい。大事な話を」
「大事な話しねえ」
辛気臭い兄貴と2人で飯になるなら梨香の所に行けばよかった。今更だけど。
司たちが何を話しているのか分からないが後でそれとなく聞けばいい。
「やっぱりお姉ちゃんいるんだ。何でいっしょにすまないの?」
「その人はお母さんと住むって決めたから。パパとはこなかったの」
「お母さん?ママ…司わかんない」
「お父ちゃんな。ママと結婚する前に別の人と結婚してて。その人と子ども」
「わかんない。わかんない。わかんない!むずかしい言葉わかんない!」
「司まって」
「司」
「わかんない!」
耳に手を当てて走って部屋から逃走する司。慌てて追いかける2人。
全てではなくても少しは分かって欲しかったのだが、やはりまだ早かったか。
「どうした司」
「司?」
「わーわーわーーー!」
「何だありゃ」
食事中の2人の横を耳に手を当てて叫びながら走り去る司。
後から追いかける兄夫婦。謎の光景だ。
「わーーーー!」
「こら。突っ込んできたら痛いじゃないか」
散々走り回って叫んで最後に真守に激突して止まった。
まるでネジがきれたオモチャのような。
「司は今日からマモの子になる」
「は?」
「ねー!」
「ちょ、ちょっと。どうなってんだよ。何でソイツなんだよ!」
「渉。そこじゃないだろ」
「司何言ってるの」
「なるのーーーー!」
その後、真守にかじりつく司を引き離すのに30分以上かかった。
つづく