甘いもの


「ママきらい」
「司の為なんだから。我慢なさい」
「やだ。ママきらい。ママきらい!ちゅーしゃはもっときらいー!」

マンションとはいえ2階もあって沢山部屋のある広い家なんて小さい子が走り回るともう手が付けられない。
百香里は必死に走って追いかけるが司はあっという間に居なくなって。
見つけてもまたするりと手をすり抜け走って逃げる。絶対につかまるもんかと必死だ。
やっと追い詰めて手を伸ばしたら素早くかわされて、司はドアを開けて廊下へ。

「ほい捕まえた」

出た所で大きな手につかまって抱っこされる。

「いやー!いやー!いやあああ!」

それでもまだ諦めないと足をジタバタする司。だがそれくらいの抵抗ではビクともしない。
それは仕事に行ったはずの渉だった。スーツが見えて一瞬総司かと思ったが社長である彼が
娘の予防接種の為にわざわざ会社を抜けてくるなんてないか。渉が居るのも変ではあるが、
恐らくはその社長に頼まれて来たのだろう。或いは社長のかわりに来たか。

「司諦めなさい!今日ダメでもまた次必ず行くんだから。嫌な事は先に済ましちゃったほうがいいの」
「やだあああ!やだ!やだ!」

まだ抵抗をする司は渉から降りようと必死にもがいていて彼の頭にしがみ付く。
お陰でスカートなのに半分パンツが見えている。

「終わったらアイス買ってやる。ダブルだぞ。ダブル」
「だ…だぶる…?」
「そう。ダブル。お前いっつも1つに絞れねーって悩んでんだろ?どっちもいいんだぞ」
「ち…ちょこ…とちょこくっきー?」

渉の言葉にだいぶ心が揺れているようでさりげなくママに「いいの?」という視線。

「そうね。司も頑張るんだもの、いいわ。ママ買ってあげる」
「……じゃ、じゃあ。…がんばる」
「よし!お前はやっぱりいい子だ!行くぞ司。さっさと終わらせてダブルだ」
「う、うん。…だぶるっ」

ママの了解も得て少し嬉しそうに注射を受けに病院へ向かう。
最初は自転車で行こうと思っていたのだが渉が戻ってきたから彼の車で。
了承したもののやはりまだ司は不安なようで百香里に抱きついて離れない。
その度に百香里は頭を撫でてあげて。一緒に見ていたアニメの話をした。


「おいこら」
「やっぱりやだ!やだ!やだあああああ!」

受付を済ませ順番を待っている間。やはり同じ年代の子たちも注射を受けに来ていて。
ドア越しにその子たちの悲鳴やら泣き声やら怒声やら色んな叫びが聞こえてきて。
司は不安になったようで逃げようとママのひざから下りた。走ろうとしたら渉につかまる。

「一瞬だ。一瞬で終わる」
「やだ!やだあ!やだああああああ!」
「司。いい子だから大人しくして。ママも隣で一緒に居るから」
「じゃあママがかわりにして」
「ママはもう司くらいの時にしました。渉さんだって真守さんだってパパだってしたのよ?」
「ほ…ほんと…?」
「ああ。もう覚えてねえけど。したよ。だからお前も出来るって。な」

皆やっていること。怖くない。一瞬で終わる。
渉に頭をなでられてちょっと落ち着いた様子の司。

「うわあああああああああああああああああああん!」

が、すぐ隣で盛大に子どもの泣き声がして。

「う…う…うぁあああああん!」

知らない子の恐怖が移ったのか何故か司まで泣き出した。
もしかしたらギリギリのところで踏ん張っていたのがはじけたのかもしれない。
どちらにしろ大声で泣き叫び足をジタバタして渉を困らせる。百香里も困る。

「な、なんでお前まで泣くんだよ」
「こわいよぉおおお!いたいのやだよおお!」
「このままじゃ他の方の迷惑になりますし順番が来るまで外で待ってます」
「おい。アイスとチョコでどうだ」
「ううううう」

首を横にふる司。いざ恐怖を目の前にして食べ物じゃだめになったらしい。

「分かった。じゃあ、お前をバニーに会わせてやる」
「ば…っ…ばにー…?!」
「お前が大好きな奴だろ。どうだ。握手しほうだいだぞ」
「ぎゅってしていい?」
「いい」
「だっこしてくれる?」
「する。肩車もするぞ」

お母さんと一緒に出てくる人気キャラクターうさぎのバニー。
司が最近ハマっていてヌイグルミやポーチなどそろえている。
そのバニーに会えるとあって目を輝かせる司。

「あ、あの。ジョージはは来ますか」
「あんたが本気になってどーすんの」
「すいません」

つい百香里も目が輝いた。

「わかった、バニーだけじゃ寂しいよな。仲良しアイランドの連中全部呼んでやる」
「おおぉ」
「素敵」
「だから。ユカりん」
「はいすいません」

渉の言葉に黙る母娘。どうやら結論は出たようだ。

「お母さん私もちゅうしゃがんばるからばにーとあいたい…」
「じゃあ帰りにDVDかりていこうね」
「でもあの子」
「ほら、順番来たわよ」
「う、うん」

話を聞いていたほかの家族。子どもたちは素直に羨ましがっていたが
その親たちは注射をさせるための口実なのだろうと特に気にしていない。
司は恐怖を我慢するため渉にがっしりとかじりついて。
百香里はそんな娘の頭を撫でてバニーの話をして気持ちを落ち着かせる。

「バニーとアイスたべるの。だぶるのアイスたべるの」
「そうだ。バニーが待ってんぞ」
「バニーがまってんもん。まってんもんっ」

とうとう順番がきて先生の前へ。やはり怖くて渉から離れられず
彼に抱きついたまま手だけ先生に向けて注射してもらうことに。
見るのも怖いとかで目をギュッと閉じて小さく震えている。涙も少し。

「お、お父さんそんな睨まなくても」
「いいから早くしてくれよ司が可哀想だろうが」
「は、はい」

かわりに渉が司の腕に刺さろうとしている注射針を睨みつける。
どうやら彼はちゃんと刺すのを見ないと安心しないタイプらしい。
百香里はそんな2人を眺めてちょっと笑った。

「はい。終わりましたよ」

あっという間の事だった。痛かったけど。終わった。

「う…うぅう…」
「おいおいもう終わったんだぞ?何で泣くんだよ」
「お…おわった…ぁああああ」
「気が抜けちゃったのね。でも、よく頑張ったね司」
「ママぁああ」

両手を広げママの胸に飛び込んで次はママに抱っこしてもらう。
泣きじゃくる娘を連れて病院から出る頃には司は疲れて寝ていた。
やっと目的を遂げてひと段落ついて車の中は静かなもの。

「ありがとうございます。私1人じゃたぶん」
「小さいくせに意外と力あるもんな。司」
「それにすばしっこいんです」

頭で考えて逃げるようになってからは手がつけられない。
体力もついてきているし。子どもだと油断したら痛い目を見る。
百香里は苦笑して渉も同じように笑っていた。

「あんたも疲れたろ。どっか店よって行こう。甘いもんでも食べてさ」
「でも渉さんお仕事は?総司さんに言われて来たんですよね」
「まあまあ。休憩くらいさしてよ」
「あ、すみません。この子必死になるとほんと力強くて。怪我とかしませんでした?」
「それはねえけどシャツがドロドロだ」

高そうなスーツが司の汗と涙と唾液と鼻水いろんなものでベットリ。

「ごめんなさい。ちゃんと洗いますから」
「いいよクリーニングだしとくから。司にはまだ赤ん坊の時とかよくおしっこかけられたし。
あーそうそう、調子悪くてゲロはかれたこともあったっけか。はは、今更なんとも思わないよ」
「ほんとごめんなさい」
「いいって。あんたも昼間は1人であんな暴れん坊相手にして大変だろ」
「でもやっぱり可愛いが勝つんですよね。親バカです」
「いいんじゃねえの?あんたらしくて」

目に付いたカフェに車をとめて司を優しく起こす。
甘いものが食べられると聞いたら寝ぼけ眼で起き上がってきた。
渉に抱っこしてもらいながら店に入る。すぐに甘い香りがしてきて。

「これがいい!これ!ぜったいこれ!」
「チョコレートサンダーデラックス」
「これ!これ!」
「わかったから落ち着け」
「司こんなに大きいの食べきれるの?」
「たべる」
「無理なら俺がもらうから。いいじゃん、こいつ頑張ったんだしさ」
「そ、そうですけど。…大丈夫かな」

それにこれパフェのくせに1400円とかするし。高すぎじゃないか?
百香里はメニューを見て何度か値段を確認してしまった。
病院に行くから多少多めに財布に入れてきたがちょっと不安だ。

「ユカりんはどれにする?」
「私はお茶でいいです」
「ママもたべようよ。甘いのおいしいよ。ね。ユズ」
「そうそう。司お前ママの選んでやれ」
「うん!」
「ちょ、ちょっと。司」
「ママの好きなりんごのけーき」
「よし。それだな」

奢ってもらうというのは未だに不慣れ。総司でも最初はちょっと戸惑った。
渉には仕事を中断してまで来てもらったのに。そんな百香里の不安など全く気にせず
パパのお土産まで選んでバンバン注文していく娘とその叔父さん。

「あ。そうだ。私ちょっと総司さんに連絡してきます」
「あー。そうだった。忘れてた。報告しといて」
「はい」
「パパにでんわ?」
「そう。司はいい子でしたって報告するの」
「うん」

きっと今頃社長室で悶々としているだろうから教えてあげよう。
真守も同じように心配しているだろうし。店内は少し騒がしいので
いったん出て静かな場所で総司に直に繋がる番号にかける。

『よかった。遅いからなんぞあったんかと思ったわぁあ』
「すみません。今ちょっと休憩ちゅうでお茶してまして」
『そうか。せやけど無事に終わってよかったわ』
「渉さんのお陰です。私1人じゃ無理だったかも」
『俺が行きたかったんやけどな』
「無理ですね」
『真守が鬼みたいな顔してアカン言うから』
「ふふ。想像出来ます」
『お疲れさんやったな。帰ったらまた話し聞かせてや』
「はい」
『ユカリちゃん。愛してるってゆーて』
「愛してます総司さん。総司さんもはいどうぞ」
『愛してる。もう、ユカリちゃ…あ、いや、わかったもう切る。切るでそんな怖い顔せんで』
「真守さんにも伝えておいてくださいね。それじゃ、また夜会いましょうね」
『うん。ユカリちゃんも司も愛してる』

念入りに総司は言うと電話を切る。どうやら真守か千陽が傍に居て睨んでいるらしい。
何時もの光景だ。百香里は笑いながら電話を切り席に戻る。と。目に入ったもの。

「な、なんですかこれ」

それは明らかに1人分とは思えない量のモリモリに盛られたチョコのパフェ。

「ち…ちょこぱふぇ?」
「可愛くいってもママには効きません。司。これ残したらママ怒るからね」
「ままぁ」
「ママじゃないの。だから言ったでしょうちゃんと見なさいって。そもそも1400円もするんだから小さい訳」
「まあまあ。3人で食えばなんとかなるって。なあ司」
「なるなる」
「渉さん」
「残すのはよくねえんだろ。じゃあ食うしかねえ。ほらスプーン」
「…はい」

何とか全て完食したもののもう暫くチョコレート食べたくないと思う百香里だった。
渉も流石にあれだけ食べたらちょっとげっそりした様子。
司はそれでもまだまだチョコがすきなようで嬉しそうにしていたけれど。



「よう頑張ったな司。お父ちゃん嬉しいわ」
「パパ顔いたいー」

夜。総司は帰るなり司を抱き上げて頬をくっつけグリグリ。
娘はそれを嫌そうに解除しようとパパの顔を持って押しのける。

「がんばったがんばった。何でもこうたるで」
「駄目です」
「ユカリちゃん。せやけど頑張ったわけやし」
「渉さんからも真守さんからも好きなもの買ってもらって総司さんまでそんな甘やかして。駄目ったら駄目です。
癖になりますから。司もパパに挨拶したら真守さんの所へ戻って。まだパズル途中でしょ」
「はーい。ばいばいパパ」
「そんな寂しい。ちゅうしてちゅう」
「ちゅー」

頬にかわいくキスすると司はおろされて真守のもとへ。一緒に懸賞つきパズル。
殆ど真守がとくので司はその隣で喋っているだけなのだが。それでも楽しいらしい。

「お帰りなさい総司さん」
「ユカリちゃんには口にちゅうしてほしいわ」
「それより」
「ん?なんや」
「2人だけで大事なお話があります」
「ええよ」

真面目な表情の百香里に言われて総司もふざける事無く寝室へ向かう。
まずは着替えをしてくださいと総司から脱いだスーツを受け取りクローゼットへ。
かわりに部屋着を渡すと彼は百香里にちょっかいを出す事無く大人しく着替えた。

「司に総司さんの娘さんの事を話そうと思います」
「行き成りやね。けど、ユカリちゃんなりに考えてのことなんやろ」
「ええ。まあ」
「わかった」
「何も気にする事ないです。何も。総司さんが私たちを愛してくれてるから」

そう言って総司に抱きついてその頬に手を寄せてキスする。
百香里の身長では届かないから頭を下げてもらって。

「百香里」
「…あ、あの。総司さん」
「なに」
「あの。もし、よかったら日曜日…一緒に行って欲しいところが」
「バーゲン?」
「え。あ。ええ…」

歯切れの悪い所を見るにもしかして値引きでなく普通に買い物?
それも別にいいとおもうけれど。話しかけようとしたらドアをノックする音。
ノックというかただ思い切りドアを叩いているだけ。これは司だ。

「ママ!ママ!」
「どうしたの司」

ドアを開けるなり司が飛び掛ってきて抱っこされる。

「なんや?」
「にちようびにバニーにあえるの!」
「そう。よかったね」
「ばにーってなんや」
「ジョージも居るんだよ?ママいっぱいぎゅーってしよう」
「カメラもって行かないとね」
「ジョージやと」
「パパ顔こわい」
「パパはいいから。渉さんにちゃんとお話し聞かないとね。さ行こう司」
「うん!」
「ユカリちゃん!こら!何で旦那の前で浮気の話を!許さんで!待て!待ってください!話を聞いてください!」

あんな浮かれたユカリちゃん初めて見たかもしれん。
真面目な顔をして真守に相談したら「たかがキグルミじゃないですか」と冷静な言葉を貰った。
でも後ろで3人盛り上がっているのを観ると夫として父親としてなんだか切なくなるのだが。
中に入ってもその番組を知らないからまったく話しに混ざれない悲しみ。

「僕は今忙しいので愚痴るなら義姉さんにお願します」
「そのユカリちゃんが浮かれこんで話し聞いてくれへんのやもん。なあなあ真守どう思う」
「どうも思いません」
「ここはやっぱり男らしくユカリちゃんを引っ張ってやね」
「義姉さんにそんな乱暴な事できるんですか」
「出来るわけないやん。あんな華奢な腕。…意外に力は強い訳やけど。この前なんか
料理してるとこちょっかいだしたら怖い顔して肩叩かれてそれがめっさ痛いのなんの」
「分かりましたから黙っていてください。集中できません」
「はいすんません」

つづく


2012/10/18