戦う
それは日曜日の朝。
「総司さんとデートがしたいんですが」
「何処行きたい?」
やけに重たいと思って目を開けると百香里が上に乗って自分を見つめていた。
ずっとこの体勢で起きるのを待っていたのだろうか。ちょっと怖いでもデートは嬉しい。
彼女から誘ってくれるのは久しぶりだ。
「このチラシにあるアウトレットモール」
「安いん?」
「はい。新装開店でなんと最大70パーオフ!」
「開店何時?」
「10時です。ここからだと40分ほどかかるので総司さん超特急で着替えてください」
「はい」
何となくこのオチが読めたからさほどショックは無い。司を連れて行かないのは迷子の可能性があるから。
狙っている買い物に集中するとママは何も見えなくなる。という事で総司は起きてキビキビ準備をする。
欲しいと思っているものがあるのだろう、そんな時に彼女を待たせるとピリピリしてきて怖いから。
「司も行きたいよ」
そんな両親を眺めていた司。忙しそうなので声をかけられず隣に座っていた渉に話しかける。
真守もその傍で新聞を読んでいてチラっと視線を向けた。
「やめとけ。こういう時は人が多いしお前絶対迷子になる」
「大丈夫だよ。パパに抱っこしてもらうもん」
「パパの両手は買い物袋を持つ専用だから無理だな」
「ユズ。マモ。…わかった。じゃあおるすばんしてるもん」
「ふて腐れんなよ。俺が犬みしてやる。猫でもいいから」
「ほんと?やった!」
「触ってもいいぞ」
「いっぱいもふもふするの。もふもふ!」
寂しそうにした司だが動物と触れ合えると聞いて嬉しそうにニコニコしている。
どうせ決戦は朝には終わりお昼を食べて帰ってくるだろうからそれくらいなら持つだろう。
後ろで何やらごそごそとしている夫婦を他所に2人はそう踏んで司に笑いかける。
「ユカリちゃんそんな怖い顔せんでも」
そんな朗らかな叔父さんと姪っ子の空気など知る由もない百香里たちは緊迫していた。
開店までには時間はまだある。だが皆入口で待っているはずだ。列になっているはず。
昨日のうちに総司に言っておくつもりだったが彼は会議とかで夜遅かった。
疲れて帰ってきた夫にそんな事言えなくて。でも今はそれを少し後悔している。
「総司さん。私、総司さんを愛してます。心から」
「お、俺もや。俺も愛してる」
「…スピード、もう少し上げましょうか」
「え。で、でも」
「総司さん」
「はい!愛してます!」
完全に百香里にコントロールされギリギリのスピードで会場へとたどり着く。
想像した通りすでに駐車場には車がぎっしりで開くのを待っている人たちの列。
だが無事に車は止められたしそれほど入口から離れてもいない。セーフだ。
「どうしたんですか総司さん顔色が悪いですけど」
「何でもない」
どうなるかと思ったが彼女がご機嫌ならいいとしよう。総司は苦笑いをした。
後ろの列はどんどん長くなっていき広い駐車場に入りきらない車も出てきて。
前の客もチラシを丹念に確認してはどう攻めるか相談しているようだった。
百香里のお目当てを見つけるまではとてものんびりは出来ないだろう。
やはり司を置いてきてよかった。総司は辺りを眺めながら心からそう思った。
「まずはここのお店に行きます」
「今流行ってるらしい子ども服のブランドやね」
「知ってますか?」
「ああ。ここの社長さんとは付き合いあって。パーティとかでもよう会うし」
「司がここの服が欲しいって言ってて。定価ではちょっと難しいのでここで」
「えー…そんなんせんでも普通に買うたらええやん。そんな高ないで?」
「Tシャツ1着1万が高くないと仰いましたか?」
「とんでもない。高いです。めっさ高いです」
微笑んでいるはずなのに百香里の目が物凄く怖かった。総司は慌てて話題をかえる。
どうやら彼女がこんなにも気合を入れているのは司の為でもあるようだ。自分にはあまりお金をかけないし
欲しがれば何でも買い与える総司たちを毎回注意するけれど、やはり娘には甘い母親。
「総司さんは自分で買うからいいとして」
「そ、そんな。俺も選んで。ユカリちゃんが選んだ服着たい」
「冗談です。総司さんのものは後でゆっくり選びましょう」
「うん」
「そろそろ開きます。場所は確認しましたね」
「走るとか言わんといてな?」
「何言ってるんですか。ダッシュですよダッシュ」
「それ意味一緒やん…」
でもきっと彼女に引っ張られ走るんだろうな。この歳にして朝から走るとは。
せめて準備運動させてもらいたかった。シクシクと落ち込んでいると開店のアナウンス。
そして混雑しているため走ったりしないようにと注意されていた。が。隣の嫁はやる気だ。
「総司さん」
「愛してます愛してます。ユカリちゃんの為やったら何でもします」
「そんな怯えないでください。ふふ。でも可愛い」
「…ユカリちゃん」
「さ。行きましょう!」
百香里は総司の手をギュッと握り締め他の客に混じって中へ中へ入って行く。
とにかく今は目当ての店へ駆け込み司が欲しがった服を買ってあげることが優先。
サイズは事前にチェックしており問題はないはずだ。全ては可愛い娘の為に。
その時の百香里は総司曰く惚れ直すくらい男前で頼りがいがあったらしい。
「松前さんじゃないですか」
「ああ。ども」
子ども服売り場といえどもお客は多く入る事すら困難。それでも目当ての服をもぎ取り
レジへ並ぶ百香里。総司はそんな彼女を眺めていた。そこへ声をかけてくるスーツの男。
「松前さんがアウトレット…あ、もしかして新規事業の視察に」
「普通に買い物ですわ。うちの娘がお宅の服好きで」
先ほど話していた社長だ。初日とあって様子を見に来たのだろう。
目敏く総司を見つけ近づいてきたらしい。あまり喋れる空気ではないが。
「そうでしたか。お嬢様に気に入っていただけるなんてとても嬉しいです。
もし宜しければ今度お嬢様を連れて店にいらっしゃいませんか?勿論貸切りにします。
そこで新作を取り揃えてじっくりと静かに選んでいただけるようにしますので」
「また寄らしてもらいますわ」
「今日はお1人で?お嬢様もご一緒に?」
「いや。嫁さんと。今レジ並んでますわ」
「そうですか。お買い上げありがとうございます」
ぺこぺこと頭を下げて戻っていく社長。何やら社員たちに指示を出している。
日曜でも大変だなと楽観的に眺めていた総司。そこへ買い物を終えた百香里。
その顔は朝の鬼のような顔とは打って変わって朗らかで嬉しそう。
「これで奈保ちゃんのお誕生会もいけます」
「なるほど。幼稚園児でもそんなん気にする時代なんやね」
「総司さんの時代は……、なんでもないです」
「今何を想像したんかは敢えて聞かんけど。けど。ちょっと傷ついた」
「そこまで酷い想像はしてないと思います。たぶん」
「いけず」
荷物を総司が持って後はぶらぶらと見てまわる。他の客たちはそれぞれ店を回って物色中。
百香里自身は身なりには特に気を使わず服などは専ら安い店で済ませてしまう。
ブランドには昔から興味はなく知識もない。
「これ総司さんが持ってる香水ですよね」
「ほんまやね」
「……あの店でTシャツが1枚買える」
「そ、そうか」
「私のフルコーデより高い」
「ユカリちゃん」
「私も少しくらい買ったほうがいいですよね」
「気に入ったもんがあれば買えばえんとちゃう?」
なんでこんな物が何で高いのか理解不能。
百香里は店を出てキョロキョロと自分でも着れそうな服のある店を探す。
そして見つけたお店に入ってみる。年齢層は百香里と同じくらいだろうか。
それなりに社会人もいそうだが女子大生くらいの若い子たちが多い気がする。
「ちょっと若いかな」
「まだまだ若いやん」
「総司さんはどっちがいいと思います?」
「ユカリちゃんは赤のが似合うでこっち」
「じゃあこれにしようっと。試着してきます」
百香里が手に取ったのは落ち着いた淡い赤のワンピ。
試着室へ入り数分後。
「めっちゃ可愛い」
「そうですか?派手じゃないですか?」
「全然」
「…私の顔が地味って事ですね」
「服やよ。服。ユカリちゃんの顔はもうほんま可愛い」
「じゃ、じゃあ。これにしようかな。えっと」
「後ろつっかえてるでまずは出といで」
「はい」
百香里が珍しく気に入ったワンピ。どれだけ気に入ったかは何時もは速攻で値札を確認するのに
それよりも先に着てみたくて試着した事からも分かる。脱いで改めて値札を見た。
「ユカリちゃん?」
「さ、30パーオフで4万って何ですか?絹か何かで出来てるんですか?イタリア製ですか?何ですかこれ」
「落ち着き。俺が買うて来るでここで待っといて」
「でも」
「ええから。疲れたやろ、そこのベンチに座っとき」
「…はい」
あんなに頼りになった百香里が値札1つでこんなにもパニックになっている。
もう慣れてしまった光景ではあるけれど。彼女を店から出して総司はレジに並んだ。
彼女が気に入ったものを値段の為に諦めるなんて出来るわけがない。
「どっか休んでいこか」
一通り買い物を終えて駐車場へ向かう途中。歩き通しで疲れただろうと百香里に声をかける。
買えた安心と歩き回った疲れで先ほどからずっと黙りっぱなしだったから。
「はい。甘いものが食べたいです」
「疲れた時は美味いやろな。よっしゃ店よってこ」
「司にも買っていってあげないと。拗ねてますよね」
「せやね。もうちょい大きなったら連れて行けるんやけど」
「あの子は私と違って皆さんによくしてもらってるからブランドとか詳しいんですよ。
この前なんか渉さんが持ってる服とか財布とか全部知ってましたから。だから。
あの子をここに連れて来たらそれこそ何でも欲しがっちゃいます…」
「あの子なりに要るもんと要らんもんを分かってるから。必要以上に欲しがったりはせえへんよ」
「甘やかしちゃうんですよね。大人が」
「何や視線が痛い」
車に荷物を入れてやっと会場を後にする。もうお昼を少し過ぎていた。
安心すると疲労と一緒に空腹が襲ってきて適当に目に付いた店へ入る。
ランチセットと百香里は甘いものを注文。総司はコーヒーにした。
「今日はありがとうございます」
「デートやから」
「あ。そうだった」
「ユカリちゃんー」
「ふふ。デートですもんね。やっぱり最後は思いっきり甘えなきゃ」
待っている間。さりげなく総司の手を握る。
暖かくて大きな手はすぐに百香里の手を握り返した。
「ほな休憩寄ってく?そこに看板出てた」
「総司さん」
「冗談やって」
「持ち帰りのケーキ頼んじゃった後に言うの無しです」
「あー…そやったね」
タイミングが悪かった。もっと早く看板を見ておけばよかったと総司は思ったが
そんな中でランチが来て美味しくいただく。司にはメールで今帰るとだけ送る。
どうやら彼女に何を買ったか教えてないらしい。さぞかし驚くだろう。
「ここで少し休憩」
「狭ない?」
「…少しですから」
マンションの駐車場に到着し車をとめシートベルトを外したら百香里に手を握られて。
何事かと彼女の方を見るとキスされた。そのまま百香里が身を乗り出し総司の膝に座る。
誰か来る可能性はあるけれど、日曜日で薄暗く人気の全くない場所。
「少しか」
物足りないという顔で百香里を抱きしめて見つめる総司。
「残りは夜です」
そんな夫に微笑みかけまたキスする。
「…百香里」
「ん。駄目ですよ。…そんなにしないで」
「分からんて」
「ぁん。…だめ。ケーキもって行かないと。司の好きなチョコケーキが溶けちゃったら泣きますよ?」
「しゃーないな。行こか」
「はい」
総司からの本格的なキスと優しい愛撫に体が熱くなりそうになるのを堪え荷物を持って中へ。
エレベーターをのぼり通路を歩き我が家へ。司はきっと驚いてそして喜ぶだろう。
総司は両手に荷物なのでかわりに百香里が嬉しそうに鍵をあける。
「…何やこの匂い」
「こ…これって」
玄関を開けると何か何時もと違うにおいがする。なんだろう。
2人は違和感を覚えながらも廊下を歩いていきリビングへの扉を開いた。
「あ。ママ」
「つ、つか」
行き成りの事で意識が追いつかなかったけれど、それもすぐに理解できた。
司の何倍もの巨大な毛の塊が自分に飛び掛ってきたのだ。いや、自分というかケーキの入った箱だ。
その巨大な物体は嬉しそうにケーキにかじりついている。それをお腹壊すよと止める司。
「ユカリちゃんしっかり。怪我ない?」
「つ、司…?これ…なに?」
「ジョセフ!」
「じょ…せ…?」
「優しくってかわいくって頭もいいんだよ?もっふもふ!ママもほら!もっふもふ!」
なんでここに犬がいるの。しかもありえないくらい巨大な犬。
嬉しそうにジョセフにくっ付いて嬉しそうに笑っている司。
「何で犬がここに居るんや?司どないした買うたんか?」
「か…か…た…?」
欲しがれば何でも与える人が居るから否定できないけれど、こんな大きいのを?
子犬とかじゃなくて?いきなり?母親に何の相談もなく?エサは?散歩は?寝床は?風呂は?
お金はどれくらいかかるの?そもそも大きすぎるでしょう?百香里の中で色んな言葉が溢れて。
「百香里!」
「ママ!」
オーバーヒートしたようでそのまま地面に倒れこんだ。
つづく