居場所、のあと


「なあ司。お父ちゃんと風呂入ろうや」
「ぷーん」
「なあなあ。一緒に100まで数えてぇな」
「ぷんぷーん」
「司」
「あ。ユズだ。ユズー」

あれからすっかり父親としての威厳と娘からの愛情を無くした総司。
話をしてくれるのだが遊ぼうとすると逃げてしまう。風呂も駄目。
父親と2人きりになるというのが嫌みたいだ。こんな日がずっと続いている。


「まだお父ちゃん嫌うんは早いやろ。そういうのは中学校くらいからやろぉおお」
「あの、社長?私の話は聞いていただいておりますでしょうか」
「あ?ああ。おったん。堪忍」
「…はあ」

家族の問題を会社に持ち込む事ですっかり有名な社長は今日も今日とてテンションが低い。
それでも仕事を放棄しないだけまだマシだがトップがこれでは周囲の士気はさがってしまう。
各部署からの文句というか相談というか泣き言というか。そういう物は全て秘書課に来る。

「社長をどうにかしないと。ほんと精神が脆いんだからいい歳して」
「主任。聞こえちゃいますよ」
「いいの。聞こえたってどうせ聞こえないわ。今は別の事で頭がいっぱいなんだから」
「はあ」

何があったのかの説明は真守から一通り受けている。
気持ちは察するし自分にとっても松前家の事は他人事ではない。
だけど会社のトップがあのままでいいという事もなく。解決策を模索する。

「こうなったら特効薬を連れてくるか」
「特効薬。奥様ですか?」
「お菓子とケーキとアイスとジュース、それからアニメのDVDとヌイグルミを用意して」
「は?」
「いいから早く」
「は、はい」

きてくれるか分からないがあの子がくるのが1番いい。
千陽は時計を見て時間を確認してから携帯を取り出し電話する。

『やだー』

第一声は思った通り。だがここで引き下がれない。

「司ちゃんの好きなお菓子もあるしジュースも飲み放題だよ。アニメもみれちゃうよ」
『でもパパ居るのやだ』
「そ、そういわず。専務も来るよ。…ちょっとだけ。ね?私を助けると思って。ママと一緒に来て欲しいな」
『ちょっとだけでいい?』
「うん。ちょっとでいいから」
『…じゃあ、いく』
「ありがとう。じゃあ待ってるね。気をつけて来てね」

乗り気ではない様子だったが千陽の為に来てくれる。心苦しい思い出はあるけれど。
これも会社の為。それに話をしたほうがきっと家族にとってもいいだろう。そう都合よく解釈して。
部下が準備したお菓子やジュースを配膳してDVDもセッティングして後は母子を待つのみ。
社長のスケジュールももちろんチェック済み。15分くらいなら自由に出来る。

「いっつも働け煩いのに休めってなんや気持ち悪いな」
「僕だってたまには社長を気遣いますよ」
「そうなん?まあ、ええけど。この部屋か」
「休憩時間は15分…いや、20分ほどです。ゆっくりしてください」
「あ、ああ。わかった」

暫くして何も知らない総司が真守に連れられて部屋の前へ。
真守は気を利かせて自分の部屋に戻り総司はドアを開ける。
そこにはアニメを観ながら両手にチョコを持って楽しそうな司。

「パパだ」
「何や司きてたんか。口の周りチョコついてんで」
「自分でできるもん」

口を拭こうと近づいたらポシェットからティッシュをとり拭いた。
やはりまだ距離が遠い。

「なあ司。ひとりで来たんか?」
「ママもいっしょ」
「ママは何処いったん」
「千陽ちゃんとお話しするから司はここでまってなさいって」

ここで漸く真守たちの気持ちを理解する。司の視線は依然としてテレビ。

「そうか。テレビおもろいか」
「まあまあ」
「父ちゃん…嫌いか」
「まあまあ」
「そうか。俺は司もママも大好きやけどな」
「…ほんとうかな」
「お。疑うんか?」
「だってママがたいへんな時パパぜんぜんたすけてくれないもん」
「何よりママを守りたいんや。けど、父ちゃんどんくさいでいっつもママに助けられとる。
そこは司の言うとおり助けてやれへん不甲斐ない父ちゃんや。せやけど、気持ちはほんまもんや」
「……」
「なあ、父ちゃんにチャンスくれんか」
「……ママがいいっていったらいい」
「分かった」

むすっとしながらも総司に頭を撫でられてちょっと嬉しそう。
少しして百香里が部屋に入ってくると司は母に抱っこしてもらいに走る。
前は総司にも抱っこしてと甘えてきたのに。この違いがまた泣ける。

「ママは何にも心配してないよ」
「ほんと?」
「うん。パパを信じてるから。それより司チョコ何個食べたの」
「なんこかなぁ」
「とぼけてもだめ。1日1個って言ってるでしょう。虫歯になったらすごく痛いのよ?」
「はぁい」
「ほら。パパに抱っこしてもらって。もうすぐ帰るからね」
「……」
「じゃあこれからはずっとママが抱っこしてもらおうかな。司の分まで取っちゃおうか」
「…やだ」
「素直に甘えていいから。パパは守ってくれるから。信じて。ね」

ママからおりると恐る恐るパパに近づく司。百香里はまた後で来ますと部屋を出る。
総司は自分から行きたいけれど司が怖がらないようにウズウズして待つ。
不安そうな顔をしながらもそっと小さな手が総司の足に触れた。

「……パパ…だっこ」
「任しとき」

嬉しくてニコニコしながら娘を抱き上げ頬にすりよる。痛いと怒られてもついしてしまう。
今回も痛いと怒られたがそれでも久しぶりに抱っこできて嬉しくて仕方がない。
このまま司と一緒に家に帰りたいくらい。でもそれは出来ない。
気遣ってくれた人たちの期待を裏切るような事は出来ないから。遊ぶのは帰ってから。

「大丈夫そうでした。司も本当はパパが好きだから」
「よかった。すみませんわざわざ。帰りはタクシーを用意しますから」
「お気遣いなく。途中で買い物とかしたいので。それより総司さんがご迷惑かけて」
「社長も当初に比べればだいぶ落ち着いてくださって、トップとしての威厳も出てきましたし」
「そうですか?」
「ええ。やはり松前家の長男だと信頼もされています」
「よかった」
「ママぁパパがほっぺ痛いのするー」
「はいはい。じゃあ帰ろうか」
「うん。千陽ちゃんばいばい。マモにもバイバイっていっといてね」
「はい。ありがとう司ちゃん。百香里さん」

会社を出て司と手を繋いで歩く。何となく距離が出来ていたパパと仲直り。
本人も本心ではそれを望んでいたのだと思う。だから今心なしか嬉しそう。
総司を元気にしてくれたのだからチョコレートの事はもう怒らないでおこう。
夕飯の買い物をしてマンションへ戻る。
総司たちが家に帰ったらまたテンション高く司と遊んでくれるのだろう。
百香里は家族を大事にしてくれる彼が好きだ。


「総司さん司とお風呂で遊ぶんじゃなかったんですか?」
「遊んだろ思たらママと遊んであげてって言うから」
「そ、それで」

夜。夕飯後のひと時。てっきり総司は司と風呂に入るものだと思っていたから
百香里は風呂の準備をして自分はリビングで雑誌を読んでいた。
だが彼は百香里の隣に座り徐にキスしようとしてきて。慌てて逃げる。

「何で逃げるん?百香里ちゃんの事もちゃーんと愛してる。ほんまや。全身で守る」
「ど、どういう意味の全身ですか」
「風呂いこ風呂。ほんで遊ぼうや」
「総司さんご機嫌ですね」
「司がな。やっと許してくれたんや。まあ、まだちょっとしこりあるけど。ええねん」
「よかったですね。あの子妙な所で頑固なんですよね。誰に似たのかな」
「そらユカ…、さ。風呂や風呂!」
「はい」

行き成りでびっくりはしたけれど彼がこんなにも機嫌がいいのは久しぶり。
これでまた何時ものように笑顔のある松前家に戻るだろう。自分の所為で父娘がギクシャクしてしまったから
百香里もずっと不安だった。彼女がずっと望んできた欠ける事のない幸せな家族。それを手にした後は
その幸せを守り手放さないようにしなければならないから。そんな事はないと分かっているのに。

「ユカリちゃんはほんま可愛い」
「総司さんそればっかり」
「そうやな。可愛いだけやない。しっかりしてて男前でそんでもって」
「総司さん」
「はい」
「大人しくしてください。…口の中で動いちゃう」
「あ…そこも可愛い」

風呂場では軽くじゃれあう程度に抑え後はベッドで。
ご機嫌な総司を見ていると百香里も自然と笑顔になる。

「総司さん」
「ん」
「私ちゃんと総司さんに守ってもらってますからね」
「ユカリちゃん」
「総司さんが居てくれるって思うと私すごく心強いし気も大きくなりますから」
「俺もユカリちゃんが家で待っててくれるって思うだけで頑張れる」
「頑張ってない時もあるみたいですけど?」
「あん。意地悪」

見つめあい笑いあいキスをして。やっと風呂からあがり寝室へ。
いい雰囲気のはずだったのだがベッドを見て夫婦揃って笑ってしまった。
そこには好きなヌイグルミを抱っこしたまま寝ている司。
パパとママをベッドの中で待ってそのまま寝てしまったようだ。

「えっちはお預けですね」
「しゃーないな。司起せんし。こんな可愛い寝顔やし」
「ええ。でも…司があんなに私の事考えてくれるなんて思いませんでした」
「父ちゃんの事も思ってくれたら嬉しいけどなあ」
「思ってますよ。ちょっとだけ素直になれないだけで」
「真守や渉には素直に甘えてんのになあ。何がちゃうんやろ。過ごしてる時間か?
せやろなあ、顔ら殆ど一緒やろ?まあ俺がいちゃん男前やけども」
「……」
「え。なんでそこで黙るん?」
「お休み司」
「え。なんで。その不自然な切り方なに?え。ちょっとユカリちゃん?百香里?」


つづく


2012/08/24