疑惑
「話し聞いてる?」
「…あ?ああ」
「そういう趣味になったわけ?」
「趣味?」
「そう。女子学生をじーっと眺めるような変態趣味」
「は?」
金曜日の夕方。
デートの約束をしていたから着飾って待ち合わせ場所へ来た梨香。
夕食を食べてそのまま自分の部屋に泊める予定。なのに彼は自分を見ない。
目の前を歩いている学生をジッと見つめたまま会話にならない。こんなの前もあった。
「そ、そんなに制服が好きなら…着るし。それとも若い子がいいの?
確かに肌とかはきれいかもしれないけど、あれは流石に若すぎじゃない」
「お前先に部屋行ってろ」
「渉」
「グダグダ言うな。いいから行け」
「……わかった」
せっかく新しく買った服もばっちり決めたメイクも触れられないまま。
梨香は渋々踵を返し自分の部屋に戻った。そんな彼女を気遣う様子もなく
前を歩く少女の後をつける渉。もしも自分の考えが当たっていたら。
少女は何かメモのようなものを持っていて時たまそれを眺めまた歩き出す。
「うわ。大きい…ここがパパの」
「……マジかよ」
数分後到着したのは見慣れた高級マンション。自分が何時も帰る場所。
やはり思った通り彼女はメモを頼りに父親に会いに来たようだ。
緊張しながらもインターフォンを押している。渉は慌てて止めに入った。
「え?あ。おじさん」
「いいからこい」
「でもパパが」
「いいから」
この時間帯はまだ帰ってきてないだろう。金曜日は何かと忙しい、
真守に引っ張られ秘書に睨まれ社長も楽じゃない。だから居るのは百香里だけ。
今頃渉に買ってもらったCDラジカセで胎教CDを聴きながら夕飯の準備をしている。
『はーい』
少女の手を引いて外に出る途中彼女の声がした。でも誰も出ない。
画面にも誰も映ってないからイタズラかなにかだと思ってくれるだろう。
マンションの裏手、人気がない場所まで来るとやっと手を離す。
「何ですか?別に会っちゃいけないって決められてないでしょ?」
「今行ったってまだ帰ってない、会社だ」
「じゃあ待ってます」
笑顔ではいるがその奥では絶対に帰らないからという強い意思を感じる。総司の娘唯。
見た目は母親に似ておっとりとした可愛い子だが中身は中々に生意気。後妻が居ると知っていて
父親の所に来るくらいの気構えなのだからすぐにひっこむ子じゃないとは思っていたが。
これは少々厄介かもしれない。
「用があるなら俺が聞いて伝えてやる」
「こんな凄いマンションの中なんてそうそう見れないし。新しい奥さんも見てみたいし」
「お前、自分がそこに入ったらどうなるか分かってて言ってんだろ」
「法的に私を止める事は出来ないんじゃないですか?パパがだめって言ったら分からないけど。
でもパパが私のいう事聞いてくれなかったことなんて一度もないから。ちょっと見せて欲しいだけだし」
確かにあの男は娘に甘い。離婚して面倒をみてやれなかったという負い目もあると思う。
でもそれを許してしまったら今とても不安定な百香里を追い詰めたりしないだろうか。
邪推ではあるがもしそれがこの子の狙いだったらなかなかの大物だ。
「悪いが君を部屋にはあげられない」
どうしたものかと考えていると後ろから声。真守だ。
彼が総司よりも早く帰るなんて珍しい。だがこれは心強い加勢。
「どうしてですか?」
「部屋は僕たち3人のものだ。例え兄さんが認めても僕と渉が拒否すれば法的にも無理だよ。
そんなに会いたければ外で会うといい、ここは僕や渉の家でもあるんだからね」
「そう。でもそんな怖い顔して言わなくてもよくないですか?私はただパパに会いに来ただけなのに。
まるでイジメ。お金持ちって冷たいっていうけど本当なんだ。怖い」
「怖い所へ態々来る事もない。もう遅いし帰ったほうがいいよ、君が来た事はちゃんと伝えるから」
真守はそう優しい口調で言いながらも全く引く気はないという強い態度。
彼もまた彼女を部屋に上げたら家がどうなるか想像しているのだろう。
余計な波風はたたせない。特に今は。
「新しい奥さんってどんな人?」
「それを知ってどうする?」
「別に。まあ、どんな人が来てもママには勝てないからいいんだけどね」
「出口はあっちだ。1人で帰れる?タクシーを呼ぼうか」
「大丈夫です。それじゃ、また」
軽く礼をして去っていく唯。
彼女の姿が見えなくなるのをちゃんと確認してから2人は部屋へ向かう。
全く会話がないエレベーター。こうして一緒に上がっていくのは珍しい。
「…義姉さんには言うなよ」
「別におっさんにも言わなくていいんじゃねえの」
玄関のドア前。ボソッと真守が言った。
そんな事言われなくても分かっている。言える訳がない。
はじめから何もなかった事にしたらいい。
「いや、言うべきだろう。また来るらしいから」
「クソ生意気なガキだ」
「だが、悪い子じゃない」
生意気な事を言っても本当は寂しいのだろう。父親に会いたかったはず。
母親とよりを戻して欲しいと願っているはず。それは子どもなら思うこと。
だから、彼女を強く責めることも出来ない。
「気持ちが離れてる以上は無理だろ」
「そうだな。兄さんはもう義姉さんしか見てないから」
「…ガキなんて面倒なだけだ」
「そんな事を言うな、これからその子どもが増えるんだぞ?」
「俺は知らねえ」
「そういうお前が1番やる気だったりしてな」
「はあ?」
「とにかく入ろう」
廊下に突っ立ったままはおかしい。真守が鍵を開けてやっと中に入る。
と、すぐに胎教のあの眠くなる音楽と夕飯のいい匂い。いっきにお腹が空いてきた。
真守はその前に自分の部屋に入り着替える。渉は着替える前にリビングに向かう。
彼女の作るものは何でも美味しいけれど、何となく今夜のメニューが知りたくて。
「お帰りなさ…あれ?渉さん早かったですね?」
「何それ」
「なにって。今日は梨香さんとデートで帰らないって仰ってたから」
「…あ。…そうだった。あいつ」
唯の事ですっかり忘れていたけど梨香とデートの途中だった。
しかも彼女を部屋に行かせたまま。今さら思い出し時計を見る。
彼女の事だから夕飯を食べずに部屋で待っているだろう。
「えっと。…どうしましょうか?」
「ねえ、メニューなに」
「野菜を沢山もらったのでシチューです。田舎に住んでいるおじさんが送ってくれるんですけど、
とっても美味しいんですよ。昔はサツマイモ貰ってふかしてました…またくれないかなぁ」
「美味そうだな。明日食うから残しといて」
「はい」
百香里には着替えに戻っただけと言って部屋に戻る。
簡単に着替えを済ませて部屋を出て行った渉。入れ違いに真守がリビングへ向かうが
出て行く弟の事を気にしている様子はない。どうせ彼女の所だろうと察しはすぐについた。
「美味しそうですね」
「でしょう?ピンチになるとお米なんかも送ってくれて。ほんと助かりました」
リビングの片隅には中くらいのダンボールが2つ。中にはジャガイモやニンジン玉ねぎなどの野菜が
収穫されたままの姿であった。どれも売られていてもおかしくない見た目。
さぞかし味も美味しいのだろう。真守が箱を覗き込むと嬉しそうにそれを説明する百香里。
「ですがこんなに沢山の野菜を1人で運んだんですか?」
「はい。少しずつ小分けにして運びました」
「大変だったんじゃないですか?兄さんか僕が戻るまで待ってくれたら」
「玄関に何時までも野菜の箱が置いてあるなんてお客さんが来たら変に思われるでしょう?」
「誰も気にしませんよ、ですからどうかもう無茶はしないでください」
「だ、だって。キンチョールとか書いてますよこの箱。どれだけ蚊が出るんだって話で」
「義姉さん」
「はい。…すいません」
気にしてる、と総司が言っているようにやはり人の目を気にし出したのか。
子どもを身ごもり何か自覚のようなものが芽生えたのか。松前家の嫁として。
そんなもの気にしなくていいのに。珍しくシュンとしている百香里。
「酒を少し頂いてもいいですか」
「え?あ。はい。何にしましょう。ビール?ワイン?それとも日本酒?」
「自分で用意しますから。義姉さんもいかがですか。ああ、酒じゃなくてソフトドリンク」
「はい。総司さんはもう少し遅くなるそうですから。飲みましょう」
「そうだ。僕がつまみを用意しますよ、少し勉強しました」
「えっ。だ、大丈夫ですか?」
「問題ありません。ゆでて皮をむくだけです」
真守の手にはじゃがいも。なるほど、と安心しつつもやはり気になって覗いてしまう。
いつの間にか料理を勉強しようとしている彼。それはたぶん自分の為なんだろう。
百香里は恐縮してしまう。だって本来ならそんな事しなくてもいい人なのに。
素直に誰かお手伝いさんに頼んで来てもらったほうがいいのかもしれない。
「何や?美味そうやねぇ」
暫くして総司が帰宅する。インターフォンを押して彼女を呼ぶのは最近しない。
リビングに入ると珍しく真守が酒を飲み百香里もジュースを飲み
何やら食べている。じゃがいもみたいだ。とても美味しそう。
「お帰りなさい総司さん」
「ただいま。金曜日やのに遅なって堪忍なぁ。元気やった?何処もわるない?」
百香里は手を止め夫のもへ向かうとすぐに抱き寄せられ何時もの確認と頬にキス。
「はい。元気でした。総司さんもお疲れ様です」
「やっと休みや。2人でのんびりしよなぁ」
「3人です」
「そや」
優しく百香里の頭を撫で着替えにいったん部屋へ向かう。
「ああ、そうだ。兄さんに話があったんだ」
わざとらしく言ってその後を追いかける真守。
百香里は仕事の話だろうと思い特に気にしていない。
「何やて?」
「渉が止めてくれなかったらどうなってたか分からない」
「誰がここを」
「それはまた後で考えるとして。問題は彼女がまたここに来る可能性だ」
夫婦の部屋。ノックをして中に入り着替え中の兄に唯が来たことを話す。
やはり何も知らなかったようで驚いた顔をして此方を見た。
月に1、2度娘と会う事はしていてもここには来ないように教えてないはず。
「俺に会いに来たんやったら明日でも会いに行けば」
「そうだろうか。彼女の目的は兄さんじゃなくて義姉さんのように思う」
「なんでや。ユカリちゃんに何の用が……まさか」
真守の言葉で何かを察したらしい総司。力なくベッドに座った。
「あまり悪いようには考えたくない。別れてしまったとはいえ彼女も松前家の血を引いている。
だけど、もしも今の兄さんの家庭を壊そうとしているのなら」
「あ、アホ言うな。唯はそんな子と違う!」
「どんな人が来ても母親には勝てないと彼女は言った」
「……」
「大事になる前に話をしてください。何なら弁護士を介してでもいい」
これから更にお腹が大きくなって大変になっていく百香里。
そうでなくても母との復縁を望む前妻との子が居ると微妙な空気になる。
厳しい所ではあるがここは心を鬼にしてもらわないと家が混乱してしまう。
「お前にも渉にも迷惑かけたな。…堪忍したってや」
「僕も渉も今の生活を守れるならこれくらい迷惑だとは思いません。ただ、後は貴方にしか出来ないことだ」
「分かってる、…分かってるよ」
「この事は義姉さんには言うつもりはない。それでいいですね?」
「ああ。…頼むわ」
力なく答える総司だがそれでも下で準備して待っている百香里がいる。
彼女にへこんでいる顔を見せられない。着替えを済ませると何も無かったように
笑顔でおりて行く。真守も同じように何もなかったように穏やかな様子だ。
「総司さん…疲れてるんですか?あんまり顔色が」
「ああ、今日はちょっと疲れたかもしれん」
「ごめんなさい。疲れてるのに一緒にお風呂なんて」
食後の休憩を挟み百香里は風呂に入ろうと総司を誘った。明日は休日。
浮かれているのは百香里も同じでずっと一緒に居られると喜んでいた。
けれどお湯につかっても何処か浮かない様子の総司。顔色も心なしか悪い。
彼の膝に座って顔を覗きこんでいたが少し離れる。
「傍に居って。いかんといて」
「総司さん」
「ユカリちゃんが居らんと何もできへん」
離れた距離を取り戻すように少々強引に百香里を抱き寄せる。
強めにギュッと抱きしめると困惑しながらも抱き返してくれた。
「ずっと貴方の傍にいます。そう誓ったじゃないですか。ね?」
「…百香里」
見つめあい久しぶりのキスをする。とても気持ちいいと思った。
そのままの流れでもっと刺激が欲しいとも思ったけれど、
疲れている総司にそれ以上を強請る行為は出来なかった。
それからは何時もの流れになりゆっくりと温まり風呂をあがる。
「総司さん見てください。少し編んでみました」
「お。やっとるねぇ」
「生まれるまでにはどうにかモノにしたいんですけど」
「出来る。ユカリちゃんなら」
「がんばります」
戸締りをして寝室に入る。眠る準備をしながらも総司に編みかけの毛糸を見せた。
本当はもう少し形になってから見せようと思ったのだがつい彼に見せたくて。
母や義姉に比べれば自分なんて本当にまだまだだけど。でも最初のいっぽ。
「おいでユカリちゃん。もう遅いし寝よ」
「はい」
「あとな、…調子ええ時あったら教えて」
「え?どういう意味ですか?」
毛糸を片付けてベッドにあがり総司の隣に横になる。
腕枕をしてもらいぎゅっと甘えるように抱きついたら、
彼は優しく髪を撫でオデコにキスをしてくれた。
「ずーっと我慢は出来そうにないから」
「よかった。ずーっと我慢しっぱなしなのかと思ってました」
「百香里ちゃんが可愛いから」
「私の所為ですか」
「僕がえっちやから」
「…私にだけですよね」
「当たり前やん」
気遣いつつも総司からえっちしようと言ってくれて嬉しい。
今日は無理だけど明日くらい調子を見て出来るだろうか。
百香里は久しぶりの感覚にドキドキしながら目を閉じた。
「なあ、聞いてよ」
「はい。どうしました?」
「昨日さ。夜あいつの部屋に行ったらさ」
「はい」
翌朝、ぐっすり眠っている総司を起こさないように降りて朝食の準備。
真守もまだ起きてこない中梨香の部屋に行っていた渉が帰ってきた。
こんな早朝に帰ってこなくてもいいのに。
「あいつ何を狂ったか制服着てやがった」
「制服ですか。梨香さんってスチュワーデス?」
「そういう制服じゃなくて。ガキが着てるやつ。ブレザーのリボンの、あれ」
「ああ。………え!?」
ビックリして作業していた手を止めて渉を見る。彼は自分で淹れたコーヒーを飲みながら
適当にペラペラと新聞を読み百香里の視線にだろ?という表情。
「AVでたまにそういうの借りるけど、現実でいいかっていうと別だよな」
「はあ……」
「いい歳して。ンなもん見て勃つかっての。…まあ、勃ったけど」
「朝から下品な話だな」
「あ、おはようございます。真守さん」
「おはようございます。こいつに付き合うことはありませんから、すみません」
本当は怒鳴りたいのを堪え穏やかに渉に注意をする真守。
渉がいた事に少々驚きながらも呆れた顔をして席につく。
「…制服か。…総司さん、喜ぶかな」
「ユカりんなら何でも喜ぶんじゃないの」
「お前はもう黙れ。義姉さんも変な事を考えないように」
「あんたもさ、あの秘書さんとそーいうプレイしてみれば?」
「する訳ないだろう。いい加減にしろ」
「マジで怒るなよ。冗談だろ?じょーだん」
ケラケラと笑う渉に疲れたような顔をする真守。百香里はちょっと本気に考えている。
制服は持ってないけど家に帰れば高校の制服が残っているかも。いや、でもそんな可愛くない。
とても地味なものだ。同級生たちはダサいと文句を言っていたくらい。
「義姉さん?何処か悪いんですか?」
「おい。大丈夫か…?」
「お前が下世話な話をするからだ」
「俺の所為かよ」
黙りこくってしまった義姉を心配そうに見つめるがすぐに誤解はとける。
その後、真守の説得で制服云々は白紙になった。
続く