不覚
「百香里ちゃんこっちこっち」
「お義姉さん」
「こんにちは。気分はどう?何処も悪くない?」
「はい。大丈夫です」
昼すぎて、待ち合わせた場所は家からそう遠くは無いバス停。
といってもバスには乗らず義姉の車に乗り込みデパートへ。
目的は編み物をする為の道具を買うこと。あと総司への不満を愚痴る事。
といっても総司への不満は殆ど解消されて愚痴ることはない。
「順調でよかった。あの人も心配してたから」
「お兄ちゃん…、あの、今度遊びに行っても良いですか?」
「ええ。もちろん」
何時かは分かってくれると思いながらやり過ごしてきたけど。何時まで経っても平行線で、
話し合いすら出来なくて。両者の間に居る百香里は辛いところ。
この子が生まれることでいい足がかりになってくれたらと思っているのだが。
車を駐車場にとめて2人で歩き出す。義姉と買い物に行くのは本当に久しぶり。
結婚する前からもよく遊んでもらっていた。
「帽子も可愛いですよね。お揃いの帽子なんて可愛いかなって」
「そうね。きっと可愛いわ。こういう飾りもつけるといいかも」
「沢山ありすぎて迷いますね…」
手芸が得意な義姉がよく来るという手芸店。確かに種類が豊富で店の雰囲気もいい。
百香里は苦手ではないが編み物なんかは簡単なマフラーくらいしか出来ない。
何時も母がセーターを編んでくれたり服のサイズを直してくれたりしていたから。
今更ながらその大変さや偉大さを知る。
「まあまあ。色々試してみるといいんじゃない?」
「そうですね。じゃあこれ2つ……え?」
「どうしたの?」
「これゼロの数間違ってません?こんな小さな飾りなのに1つ500円!?」
「そういうものよ?」
知らなかった。正直こんな小さい飾り100円均一でも見たことある。
それを500円で買うなんて。信じられない。
百香里は静に手に取った飾りを元の棚に戻す。
「無理です無理です。練習にこんなの使えませんいりません」
「そんな怖い顔しないで。ここは私が持つから」
「だ、駄目ですよ。お義姉さんには教えてもらうのに。自分で買います」
「そんな真っ青な顔されちゃね。体に悪いわよ」
「でも」
「いいのいいの。さあ毛糸選びに行きましょう」
義姉は百香里が気に入ったらしい飾りを取り次の場所へ移動。
そこでも毛糸のお値段に驚いて目を白黒させる百香里に苦笑い。
今まで趣味の手芸なんてものに縁がなかったからだろうと思う。
彼女の兄もそう。よく値段を見ては驚いていたのを思い出した
「私、間違ってました」
「え?何が?」
買い物を終えて休憩の為入った喫茶店。
注文を終えてすぐ百香里は軽くため息をする。
「お母さんがよくセーターとかマフラーとか編んでくれたり古い服をリメイクしてくれたから。
そういう素材はもっと簡単に手に入るものだとばっかり思ってて。甘く見てました」
「あのお店は質がいいものをそろえてるから、全体的にちょっと高かったかもね」
百香里がまさかここまで気にしているとは思わなかった。
自分の想像が外れていた事もショックの一因でもあるようだ。
「お母さんみたいに何でも編んでやれる作ってあげられるお母さんになりたいんです…けど」
「なれるわよ。百香里ちゃんはそんなお義母さんの娘でずっと傍で見てきたんだもの」
「がんばります」
「でも、そんな気にする事ないじゃない?なんたって社長夫人なんだし」
「総司さんは頑張ってる社長さんですけど、私は特に何をしてるって訳でもないので」
「真面目なんだから。そういうのもあの人にそっくりね。さすが兄妹」
不自由しない生活をしているはずなのにどこか今までの生活が抜け切らない。
高価なものや嗜好品には手を付けず安くてお手軽で利用価値のあるものに飛びつく。
享子は両親ともにしっかりとした職を持ち裕福な家で育った所為か比較的のんびり。
それでたまにキビキビ行動する夫に怒られたりもする。あまり深刻には考えていないけど。
「ここは私が」
「いいのいいの。家にご招待してもらうんだもの、私が払うわ」
「でも今日はお義姉さんに甘えっぱなしで」
「たまにはたっぷり甘えなさいな」
休憩を終えて車に戻る。あとは百香里の家に行き編み物のレクチャー。
享子としては百香里がどんな高級なマンションに住んでいるのだろうと
色々と想像をかき立てられる。彼女の案内にしたがい車を走らせ松前家へ。
「今お茶を淹れますね」
「……」
「お義姉さん?」
「いや、なんか、…うん。…これが俗に言う億ションって奴なのかしら」
慣れた様子で平然と中へ入って行く義妹に対して玄関で足が止まる享子。
マンションの外観からしてすごいと思っていたが中に入ったら更にビックリ。
我が家よりも広いんじゃないかと思う。そして綺麗。想像のはるか上を行く場所だった。
「え?オクションなんかじゃないですよ。マンションですよ?」
「…百香里ちゃんって、強いのね」
「え?全然強くないですけど…あ。でも結構腕力には自信が」
「お邪魔します」
かみ合わない会話を適当に切り上げ部屋に上がる。キョロキョロと周囲を見渡し
案内されるままにリビングへ。そこでもまたビックリ。広い。大きなテレビ高級そうなソファ。
キッチンも使い勝手の良さそうな最新式。こんな空間はテレビとかドラマとかでしか見ない。
「どうぞ座ってください」
「え、ええ」
こんな所で暮らしていると知ったら少しは夫も考えを改めるのではと薄っすら思った。
百香里もお茶をいれ席につく。テーブルには買ってきた材料と本。
「この服が気になってて。でも説明を読んでも分かり難いのでお義姉さんに教えてもらえたら」
「どれどれ」
「私には難しいでしょうか」
「ちょっと癖があるけど百香里ちゃんなら大丈夫でしょう」
「よろしくお願いします」
享子もあみぐるみを作りながら百香里に教えていく。
一生懸命話を聞いて編むうちに時間はあっという間に過ぎて。
空が薄暗くなっているのにすぐには気づかなかった。
「今のが嫁さんなんだ」
チラっと時計を見るや義姉は大慌てで見送りは玄関まででいいからと
あいさつもそこそこに跳び出て行った。それと入れ替わるように入ってきた渉。
見知らぬ女が家からいきなり出てきて少し驚いている様子だったが
百香里から義姉だと聞かされ納得した様子でリビングに入る。
「はい。さっきまで編み物を教えてくれてて…すみません散らかして、すぐ片付けます」
「編み物。そういうの得意だと思ってた」
「簡単なマフラーとかなら出来るんですけど、それ以外はした事がなくて」
「へえ。意外」
部屋着に着替えるためいったん部屋へ入る渉。その間に机の上のものを手早く片付ける。
でも編み物に夢中で夕飯もお酒の準備もしてない事に気づいた百香里。
「ど、どうしよう。どうしよう…」
お酒は前に総司に買って来てもらったからある。つまみもまだある。
問題なのは夕飯。やはり総司に電話して何か買って来てもらうか。
まさかこんなにも自分が熱中するとは思わなくて不覚だった。
「ユカりん?」
「……」
「おい大丈夫か?気分悪いのか?しっかりしろ!」
考え込んでいる所に着替えを終えて出てきた渉。リビングのドアを開けたら
百香里が真っ青な顔して突っ立っているから何事かといっきに肝が冷えるが、
夕飯のメニューを考えてました、なんて暢気な返事が来て安心とともに脱力した。
「ありあわせのもので何か…でもご飯が…うーん」
「適当に弁当でも買えばいいんじゃねえの」
「お弁当ですか?」
「杉田屋の弁当は美味いよ」
「へえ…、じゃあ、総司さんにお願いして」
「ンな手間だよ。俺がしてやる」
渉が美味しいというくらいだからそうとう美味しいお弁当なのだろう。
そんな興味と時間もあまり無いしでここは彼の案にのる事にした。
飲んでいたビールを机に置いて杉田屋へ電話をかける渉。店に取りに行かなくても
家まで運んで来てくれるらしい。これで何とか夕飯は確保できた。
「ありがとうございます」
「別に。ユカりんも食べてみるといいよ、美味いから」
「はい。実はとても楽しみなんです」
「はは、そんな顔してる」
本当は自分で料理したかったけれど。明日からは時間を決めて編み物をしよう。
どうせ動きは制限されていて最低限の事をしたらもう暇になってしまうのだから。
それから少しして義姉から電話がかかってきた。今無事家に到着したという。
また分からない所があったら何時でも聞いてねと言ってくれた。
「渉さんはモテるから手編みのセーターとかマフラー沢山もらったんじゃないですか?」
電話を終えて振り返ると百香里の読んでいた手芸雑誌をペラペラ捲っている渉。
「まあまあかな。あ。でも昔すげえ強烈なのがあってさ。そいつと全然話しとかしてねぇのに
バレンタインの時いきなり渡されたのが胸ん所にでけえハートマークのついたセーター」
「そんな笑うことはないんじゃないですか?一生懸命編んでくれたのに」
「笑うしかねぇだろ?ンな気持ち悪いもん。ハートマークのど真ん中にLOVEとかあるんだぞ」
「そ、それは」
想像するとちょっと、いや、かなり嫌かも。
どんなものでも着れたらいいじゃないと思う百香里でも
いざそれを貰ったら扱いに困るだろう。気持ちはありがたいけど。
「突き返さなかっただけ優しいだろ。ま、中みてすぐに捨てたけど」
「捨てるなんて勿体無い。その、寄付するとか…」
「ああ、次はそうする」
適当に返事をする渉。捨てるのがいい事だとは言わないがそれを責める気にもなれなかった。
夕飯の準備をしなくていいからソファに座って休憩する百香里。今日は何かと歩いた気がする。
せっかくデパートに行ったのだから服でも見てくればよかった。買うかは別として。
「ユカリちゃんただいま」
「お帰りなさい」
何時もと同じくらいの時間にご帰宅の総司。
リビングに入るとすぐにテーブルに箱を置いて百香里の元へ。
妻を抱き寄せて軽くオデコにキスをする。これも日課。
「何もなかった?元気やった?」
「はい。で、何ですかあの大きな箱」
「あれな。来る途中で杉田屋の配達兄さんと出くわして、そこでもろてきた」
「そうですか。にしても、大きすぎません?何人分ですか?」
お弁当と聞いてもう一度机の上の箱を見る。まるで重箱。
それを1人1個とかちょっと多すぎるような。
街にあるお弁当屋さんを想像していた百香里は驚くばかり。
「箱は大きいけど中身はそんな多ないよ。せやけどどないしたん?弁当って」
「すいません、私編み物に熱中しちゃって。お夕飯…その、作るの忘れて」
「あははは。ユカリちゃんでもうっかりする事あるんやねぇ」
「ごめんなさい」
「そんなん気にせんでええから。ご飯にしよ」
着替える為に部屋に向かった総司。そのうちにお茶の準備をする。
真守は今日も夜遅いのだろうか。聞きそびれてしまったけれど、
この時間までに帰ってこないとなるとその可能性は高い。
「うわ。豪華ですね…食べるの勿体無い」
さっそく1つ取って食べ始める渉。お茶を出して百香里も座る。
まだ総司が来ていないから弁当には触れていないけれど、渉の弁当を見て唖然とする。
これはお手軽なお弁当というよりもう1つの料理。フルコース。エビが大きい。
「普通のでいいっつったんだけど。何かすげえのが来た」
「それでこんな」
「祝いなのかもな」
「祝い?」
「そ。ユカりんのおめでた祝い」
「でも私杉田さんと会ったことないんですけど…」
「ユカりんの事は知らなくても、会社とかおっさんの事は知ってるだろうし。
その嫁が妊娠したことも他の連中は知ってる、どっからか漏れるもんだ」
「そうなんですか。お礼した方がいいでしょうか」
「キリがねえよ、やめとけ」
もし祝ってくれてサービスしてくれたのなら感謝すべきなのだろう。
渉は気にするなといって弁当を食べ始めたけれど。暫くして総司がおりてきて
一緒にお弁当を食べる。彼も中身があまりにも豪華なのに驚いていた。
「お義姉さんと買い物楽しかった?」
「はい。久しぶりだったからかな、つい甘えてしまって色々買ってもらいました」
「こんな可愛い義妹に甘えられたら悪い気せぇへんて」
「もう。総司さん」
食後片づけを終え自室に入り休憩する百香里。1度熱中してしまうと何も見えなくなる。
そうなると家事は出来ないし何より総司が構ってくれないと拗ねるだろう。
よって今日はもう編み物はしないで隣に座った総司に甘える。
「ほんまやってぇ。めっちゃ可愛いもん」
「あの。…やっぱり教養とかあって身だしなみとかもよくした方がいいですよね?」
「え?何?何の話?」
「邪魔にならないようにしてるつもりだったんですけど。案外人って見てるものだし。
私が高卒で身だしなみもそんな気を使わないような人間だと知られると総司さん困るんじゃ」
「誰がそんな事言うた。何処のどいつや」
さっきまで百香里の肩を抱き穏やかだった総司の空気ががらりとかわった。
軽く冗談めかして言うのではなく怖いくらい真面目に此方を見ている。
まさかこんなに真剣に返されるとは思わなくて百香里は少し戸惑う。
「誰かに言われた訳じゃないです、自分が少し思っただけで」
「ほんまに?隠したらあかんで?」
「はい。隠してないです」
「それやったらええ…くない。全然ええない。そんなん言わんといてユカリちゃん」
「変な事を言ってごめんなさい。今更勉強をしても身に付かないでしょうしね」
着飾るなんて事もなれてないから3日もすれば疲れてやめてしまうだろう。
自分はそういう人間だ。周囲が言うようなセレブとか社長夫人なんて柄じゃない。
分かってるからなお更どうしようもなく、辛いところ。
「今はお腹の子と俺の事だけ考えて」
総司にギュッと抱きしめられキスする。それだけで安心して、
彼に守られていると実感する。何より幸せな気持ち。
「あ。今リビングのドア開く音がしましたね」
「そうか?」
「真守さんが帰ってきたのかな。ちょっと行って来ます」
「えー。今めっちゃええとこ」
「じゃあ続きはベッドで」
「あ。ほんま何か音する」
「もう」
いい雰囲気になってもやはりそれ以上の気は起こらないらしい。
総司と共にリビングへ向かうとやはり帰ってきていた真守の姿。
夕飯はこれからというので彼の分の弁当を出す。
「なあ真守、会社とユカリちゃんを完全に引き離すことはできんのかもしれんな」
「何かあったんですか」
「俺もよう分からんのやけど、気にしてるみたいやったから。何か感じるんかなぁ」
お茶の準備をしている百香里を他所にこそっと話しかける総司。
昼間彼女を守ろうと話をしていたばかりなのに。あっさりと言われた。
外に出て人と話をする以上やはり付いて回るものなのかもしれない。
松前グループの社長夫人、という肩書きが。
「体に影響が出るようなら義姉さんには実家に戻ってもらったほうが」
「ユカリちゃんが居らん家なんて嫌や。けど、…最終手段にとっとくか」
「どうかしました?最終手段って?」
「ビジネスの話です」
「そうですか。じゃあ、私は」
「風呂?俺も入るー」
「お仕事のお話はちゃんとしてください」
「そ、そんな」
家に帰ってまで仕事の話をするなんて大変だと邪魔しないように席を外す。
百香里が去って寂しそうにする総司だが今追いかけても怒られるだけ。
仕方なく自分もお茶を淹れた。真守は少し笑っているようだった。
続く