裏切り


「そんで旦那を偵察に来たわけだ」
「そ、そういう訳じゃないですよ。私は総司さんを信じてますから。司がどうしてもっていうので」
「ふぅん」

キョロキョロと視線を惑わせる彼女の顔をじーっと見つめる渉。
それでまた動揺して隣でジュースを飲んでいる司にわざとらしく声をかける。
司は話を聞いてなかったようでキョトンとして、とりあえずウンと頷いた。

「それより。すみません、行き成り来ちゃって。でもまさか総司さんが居ないなんて」
「社長ってのは椅子に座ってりゃ良いってもんでもねーからな。何かと借り出されて結構忙しいらしい」
「そう、ですよね。ごめんなさい」

安易な気持ちで来てしまったことを落ち込む百香里。
普段冷静な彼女が会社に来たのはそれだけ心配だったからだ。
司が駄々をこねたからだというのもあるのだろうけど。渉は視線を隣の司へ。

「なあ司。ケーキ食いたくねえか」
「食べたい!」
「お昼前でしょ。ケーキはおやつの時間に食べましょうね。ママが焼いてあげるから」
「じゃあ昼飯にしよう。社長サンは昼過ぎないと戻らないらしいからさ」
「もう帰ります」
「えぇ。ユズとご飯たべたい。…ママ。ママ」

予定が狂いテンパってきている百香里を尻目に渉とご飯が食べたいとツンツンとママの腕をつつく司。
もうすっかりパパの会社に来た理由を忘れている。

「でもね」
「食いたいもん考えとけよ。俺ちょっと上司に言ってくるからさ。2人はここに居ろ」
「渉さん」
「飯食って戻ってきたら帰ってるかもしれないだろ」

渉はそう言うと店を出て行く。何も言わずさりげなく会計もしてくれた。
百香里はまだ少し複雑な気持ちではあるけれど。司はすっかりその気。
沢山食べたいものがある中で何が1番食べたいか一生懸命考えている。

「義姉さんが来てるんだって?」
「ああ。司も一緒だ」
「幼稚園は早く終わったんだな」

上司に報告すると少し早い昼休憩を許可された。やはり社長夫人という言葉は効力がある。
気分よく廊下に出ると自分に会いに来たのだろう、専務が向かってきて話しかけてきた。

「らしい。そんで俺2人連れて飯いってくるわ。社食じゃかわいそうだ」
「とか言ってさっさと会社から出たいだけだろ」
「社長は昼過ぎには戻るんだろ」
「ああ。その予定だ。義姉さんの事は言っていない、言うと注意力散漫になるからなあの人は」
「分かってる。本人も申し訳なさそうにしてたし。飯食って戻ってきてなかったら家に送るわ」
「頼む。ただし、送り届けたらすぐに戻ってこい」
「はいはい」

専務の許可も得て晴れ晴れとした気持ちで会社から抜け出す事ができる。
まだ忙しなく働いている同僚たちを他所に背伸びなんかしながらエレベーターに乗り。
2階の百香里たちが居るカフェへ向かう。何を食べたいと言われても大抵網羅できる自信がある。

「社長の娘さんなんだ。可愛い。お名前は?」
「司です」
「小学生?」
「まだ…ようちえん」
「可愛い!ほんと可愛い!あの社長からこんな可愛い子が」
「お母さん似なんでしょ」

店の前まできた所で女子社員たちに囲まれている司発見。百香里は一緒に居ない。
司は人見知りする子ではないからお姉さんたちに囲まれてもニコニコと返事している。
そんな急いで割って入る事もないだろうとのんびり歩く渉。

「だけど2人目も女の子だと跡継ぎってどうなるのかな」
「そうねえ。でもこの子が後継者でしょ?お婿さん取るんじゃない?」
「でも奥さま若いしまだわかんないよ」

近くまで来てそんな会話が聞こえた。これは急を要する。

「もういいだろ。それくらいにしとけ。子どもの前でゴシップは下品だろ」
「あ、ど、どうも」
「司。行くぞ」

早足で近づき声をかけると司は急いで渉の隣に来て足にくっ付いてきた。
ちょっと怖いと思ったのかもしれない。すぐに女子社員たちは去っていく。
ああいう集団はどんな噂やゴシップを垂れ流すか分からない。
勝手に言い合う分には好きにしろと思うけれど。司には無用のものだ。

「…トイレ行きたい」
「え?あ。もしかしてお前それであんなとこに居たのか。ママはどうした」
「もう1人でトイレできるもん」
「そうかもしれねえけど。ここは家じゃねえんだ迷ったらママに怒られるぞ」
「ママ怒るかな」
「まだ迷ってねえ。ほら。さっさと出すもん出してこい」

スッキリした所で娘が戻ってこなくて心配してソワソワしている母親の元へ戻る。
ちゃんと1人で出来たというと百香里は少し安心したような顔をしていた。
司がハンバーグが食べたいというので少し遠出してハンバーグの美味い店へ。
この時間帯ならまだそんな行列にはなっていないだろう。

「あれ。渉?」
「何だお前もここで昼か」

店に到着。思ったよりも車が多くて驚いた。
入れるだろうかと百香里たちよりも一足先に店をと覗いてみると見覚えある後姿。
近づいて声をかけるとやはり梨香だ。渉の顔をみるなり嬉しそうに近づいてくる。

「うん。今日は外出てて。会社戻る前にと思ってさ。ラッキー!じゃあ2人で」
「悪いけど連れがいるから」
「連れって何よ。もしかして女!?」
「女は女だけど。ガキと人妻」
「はあ?」

何よそれは。梨香はまた不満そうな顔をするが後ろから百香里と司が来て納得する。
顔を合わせせっかくだからと4人で席につくことにする。美味しいと評判のお店。
司も百香里も初めて来る店。お腹がペコペコの司は人のテーブルばかり見ている。

「司。お行儀悪いでしょう。やめなさい」
「だって…おいしそう」
「それは分かってるから。ね。もう少し我慢しようね」
「はぁい」

足をぶらぶらさせて早く食べたいと不満げな顔をする司。
宥める百香里。

「可愛いもんね」
「そうでもねえ。あれをもっと我慢させたら暴れるからな司は」

それを眺めている梨香と渉。

「へえ。いい子そうにみえるけど結構ヤンチャなんだ」
「空腹になるとすげえ暴れる。どっからそんな力があるんだか」
「ふふ。いいじゃない。子どもっぽくて」
「そういうもんかな。機嫌悪くなるほど空腹だなんて思った事ねえな」
「渉はお手伝いさんとか常に世話してくれる人がいたわけでしょ」
「あんな婆どもに管理されてたまるかよ。欲しい時に欲しいだけ欲しいもんを自分で調達してた」
「なるほどね。その経験が今の性格に大いに貢献してるわけだ」
「さあな」

4人で食事を済ませ全員分の会計を渉が受け持ち。梨香は名残惜しそうにしながらも会社へ戻る。
司は満腹になって今度はうとうと。ママの膝に座って頭を撫でられたら一発で寝てしまう。
大人しくなった車内。会社に戻って総司がいればいいけれど。そうでないと意味もなく夫の仕事場に行き
渉に昼ごはんを奢ってもらっただけになってしまう。百香里は不安に思いながらも会社へと戻ってきた。

「あれ?ユカリちゃんちゃう?せやけど…いや…あれはユカリちゃーーーん」

ドキドキしながらまずは受付で確認してもらおうと向かっていると上から大きな声。
見上げると総司が此方に向かって手を振っている。その顔は笑顔。

「パパだ」
「そ、総司さんこんな所で」
「あー…よかったな。馬鹿がいるぞ」

こんな人の多い場所で大声で名前を叫ばれて恥かしい百香里。渉も他人のふり。
イマイチわかってない司だけが嬉しそうに手を振り替えしている。総司が降りてくる前に移動しよう。
ここで行き成り抱きしめられたりして余計目立つのはいやすぎる。

「ユカリちゃん!司も会いに来てくれたん!嬉しいわ!」
「パパ元気だー」
「当たり前やん。ママも司もおるんやで。何倍も元気出るわ!」

合流すると案の定司を抱き上げて嬉しそうに抱きしめる。
もし娘が居なかったらその強い抱擁は自分に向けられたのだろう。
誰もいなければ嬉しいけどこんな人だらけの場所でそれはやめていただきたい。
冷静になれば総司だってそんな事はしないだろうに。それくらい嬉しいのだろう。

「じゃ俺は行くわ」
「ありがとうございました」
「ありがとうごじゃいました」
「言えてねーぞ。じゃ、また夕方な」
「うん」

これでもういいだろうと渉はその場から去る。人が増えてきてさっさと逃げたいという気持ちもあった。
百香里たちは総司に手を引かれそのまま社長室へ。その辺でいいとも思ったけれど、
これだけ注目を浴びてしまったらもう移動するしかない。隔離された安全な場所へ。

「いけずやなあ。パパに会いに来てくれるんやったら連絡してくれたらよかったのに」
「だってー………あ!」
「何や」
「パパが悪いんだもん!ね!ママ!」

さっきまで嬉しそうにパパに抱っこされていた司だが何かを思い出したようで
強引に手を解きママの下へ逃げる。そして怖い顔をして総司を睨む。百香里は困った顔。
何をしたかさっぱり覚えがない総司は困惑している様子で。

「え?何で?俺なんか悪い事したかいな?ユカリちゃん」

百香里に返事を求めるが彼女はなんとも言えない顔。

「パパがママをウラギルからダメなんだよ!」
「う、うらぎる!?何やそれ。どーいう意味や?お父ちゃんんな恐ろしい事せえへんがな」
「司みたもん!パパがワカイオンナとまちを歩いているところを!あれはぜったいにウワキです!」
「何や口調が午後のメロドラマ風になってんで。そういうテレビ見てんのユカリちゃん」
「た、たまに」
「司。お父ちゃんはそんなもんせえへん。お母ちゃんがいちゃん好きや」
「でもでも!あるいてたもん!みたもん!」
「そら千陽ちゃんやろ。若いかいうたらビミョーなとこやけど」
「総司さん」

エレベーターが最上階でとまり長い廊下を歩く。けれど会話はなく冷戦状態。
司はパパを見ないようにママに抱っこされて顔を隠している。
総司は無理に此方を向かせるわけにもいかず困った顔をして。
でも何か察したのか急に立ち止まり百香里と司のほうを向いた。

「それ、何時の話しや?」
「昨日だそうです。真守さんと買い物に行った帰りに」
「ああ。そうか。それか」
「総司さん何か思い当たる節でも」
「ユカリちゃんまでそんな疑ってるん?酷いわ。泣くで」
「信じてますよ。私は」
「あやしいよママ。あやしい」
「司。ええか。昨日の子はウワキちゃう。その、なんや。お前にも何れ紹介しよう思てて」
「あ」

百香里はその若い女の正体が分かったらしい。思わず総司の顔を見上げた。
今ここで言ってしまうのか。まだ司は幼いのではないだろうか。
でもこのタイミングの方が後々楽かもしれない。どうしよう。考えが巡る。

「…パパのお仕事のひと?」
「そう…でも、ないんやけど。なんちゅうかな」
「……」
「今度紹介するで。ウワキやないから、な。そこだけは間違えたらあかんよ」
「…ママ」
「ママも知ってる人だから」

ニコっと笑って見せると司は落ち着いたのか力んでいた力が抜けて
百香里にそっと身を任せた。

「そうなの。じゃあ。いい。…パパごめんなさい」
「ええねん。なんちゅうか。これは、その。難しい問題やし」
「ママ。千陽ちゃんの所にいってもいい?」
「ダメ。忙しいんだから」
「構いませんよ」

行き成り背後から声がして3人ビクっと体が震えた。振り返ると千陽。何時の間に。

「うお。千陽ちゃんおったんかいな」
「はい。ここは秘書課の前ですし。…若くない主任秘書の顔なんて見たくないということでしょうか」
「聞こえてたん?あら怖いわあ」
「司ちゃん。秘書課にきてみる?お菓子やジュースもあるから」
「いく!」
「それでは。社長、…分かってらっしゃいますよね」
「わ、分かってるがな」

まだ仕事中。いくら奥様が来たといってもそう長い時間イチャイチャは出来ないという事は。
司は千陽と秘書課へ。百香里は総司に連れられて社長室へ向かう。お茶はいらないといった。
誰にも邪魔されずに2人だけで居たいと思ったから。

「キスでごまかしてもダメです。…私に内緒で会ってたんですね」
「堪忍」

部屋に入るなり百香里をソファに寝かせ組み敷いてキスする。
大人しくしていた百香里だが手をスカートにいれようとしたら止められる。

「気遣ってくれるのは分かりますけど。内緒の方が性質が悪いです」
「はい」
「でも司が見てたなんて。これもなにか縁なんでしょうか」
「せやね。司にもそろそろ話してもええ頃ちゅうことかもしれへん」
「傷つかないか心配です。だけど。それを乗り越えないと。家族ですから」
「百香里」

もう1度百香里にキスする。今度は彼女の手が総司の首にかかってギュッと抱きついてきた。
本番は出来そうにないからキスと百香里の体のラインを優しくなぞるくらいしか出来ないけれど。
それでも十分に気持ちを落ち着かせる事が出来た気がする。

「…続きは家でしましょうね」
「ユカリちゃん可愛いからちょっと勃起してもた」
「大丈夫です」
「え。シてくれるん?」
「これ以上遊んでると残業で帰るのが明日になりますよ社長」
「うわ。嫌やわぁ。その台詞」
「萎えましたね」
「もう。百香里ちゃんもいけずや」

悔しいので軽く広げた彼女の胸元に吸い付いて赤い後をつけてやった。

「内緒はよくないので白状しますね。浮気を疑ってないっていうのは嘘です」
「え」
「もしかしたらってちょっと思って。それでここに来ちゃった面もあるんです」
「う、うそやろ。信じてや。俺」
「ふふふ。泣きそうな顔の総司さんってなんでこんな可愛いのかな」
「えええええぇ」
「じゃあ、司と家で待ってますね。頑張ってください」
「俺を弄ぶらいうて悪い子や。拗ねるで」
「…夜好きなだけしていいですよ」
「頑張るわ。そんで、このことについて2人でよーーーーー話し合おう。な」
「調子がいいんだから」

でもそこも好き。



「司ちゃんが怪我して大変なのはわかった。けど、今日は絶対にこのホテルに泊まるからね」
「お前まだ」
「当たり前じゃないの。今までずーーーーっと我慢してきたのよ。デートも何回すっぽかされたか。
司ちゃんの事は両親に任せばいいの。私たちは私たち。絶対にコース変更はしないからね」

煙草を灰皿に捨てて足を組む。絶対にこのスイートから出る気はない。
夜景を見ながらディナーで広い風呂に入りいい雰囲気のままベッドに入る。
イメージは完璧。これで離れかけた心だって繋ぎとめられるはずだ。
渉を精神的にも肉体的にも満足させられる自信はある。

「あのな」

彼は呆れたような顔をするけれど。ここで負けたらまた何時ものように寂しい1人だ。
梨香はもとから気が強い女。そうそう引き下がるという事はしない。渉もよく知っている。
でも司が足を踏み外し階段で転んだと聞いたらどんな様子か知りたくて宿泊どころではない。
もし骨折していたらどうする。あの母親だと検査させずツバつけときゃ治るとか言い出しそうだし。

「身内も大事だろうけどもういいじゃない。私たちの幸せを優先しよう。あれはお兄さんの家族なんだから。
渉がどれだけ大事に構ったって越えられない壁があるのよ。渉は渉自身で家族を作らなきゃ。ね?」

あなたが家族を優しい目で見ているように私も一緒に見て欲しい。
梨香はこの気持ちが彼に届くようにと心から願う。
ワガママを言いながらもどれだけ真剣に真面目に渉を愛しているか知って欲しい。

「梨香。前にも言わなかったか?俺に下らない説教なんかするな。二度はねえぞって」
「渉」

でも彼の返事は冷たいものだった。声がいくらか低いトーン。怒っているサインだ。

「俺がどう思おうが何をしようが勝手だろうが。妙な正義感ふりかざして講釈垂れる奴が
腹の底から嫌いなんだよ。鬱陶しい糞野朗がやっと死んだと思ったのに。面倒ばっかりだ」
「そんなつもりはないの。ただ、今の渉は」
「そんな不満ならもう終わりにしたらいいだろ」
「嫌よ。絶対嫌!」
「大声だすな。頭が痛くなる」
「司ちゃんへの優しさを少しくらい私にも分けてよ」
「はあ?」
「いっつもあの子ばっかり優先するじゃない」
「幼稚園児に妬いてんのか」
「そうよ。悪い?でもそれくらい渉があの子を構いすぎるのよ」
「馬鹿らしい。泊まりたいなら好きにしろ」
「渉」

悪い事を言ったつもりはない。でもそれで彼の機嫌を損ねたのは事実。
言わなければよかったのだろうか。でもそれじゃ今まで通り我慢するだけだ。
梨香は耐える女ではない。今まで十分我慢してきたけど。もう限界に近かった。
間違った事は言ってない。そして渉と別れるつもりも毛頭ない。

「ちょっと電話してくる」

渉は携帯を持つと部屋を出て行った。梨香はそれをただ見守るしかできない。

「あーあ。何よこの嫌な感じ。私が悪者みたいじゃないの。私は正当な主張をしてるじゃない。
これなら浮気されるほうがまだマシかもしれない。ほんと、なんであんな男に惚れちゃったのかな」

どうせあいつの金だ。ルームサービスで最高級のワインを頼み飲みながら
戻ってくるか分からない男を待っている。何時もの自分が居た。
これは愚かな女か、それとも健気な女か。分からないくらい何本も飲んだ。


つづく


2012/08/03