迷走
「お昼ねもうやだ」
「でもね、今日は大人しくお部屋に居なさい」
「つまんない。ママのおてつだいするからここに居ていい?」
「分かった。じゃあ、そこに座ってて。この布団干したら一緒に絵本よもうね」
無事に退院したものの大事をとって幼稚園はお休み。
部屋で寝ていなさいといわれて朝からずっとベッドの中に居た司は退屈でリビングへ出てきた。
ママは忙しそうに家事をしてあまり構ってくれない。ひとりソファに座ってママが来るのを待つ。
幼稚園の仲間たちは今頃何をして遊んでいるのだろうか。自分も早く遊びたい。
注射は痛かったし貰った薬もあまり美味しくないけどもうお腹は痛くない。元気になった途端に走り回りたくて
遊びたくて喋りたくてウズウズしていると電話。ママはベランダでバタバタしている。
「はい。松前です」
『も、もしもし。つ、塚原ですが司ちゃん居ますか』
「司だよ。どうしたのトモ君」
ママの真似をして電話をとったら相手は聞き覚えある声。
緊張しているようで何時もとちがい声が上ずって震えている。
『おなか痛くなってびょういんいったってきいて。…だいじょうぶ?』
「うん。もうねぜんぜん平気だよ」
『あ、あのね。あの。お…おみまい…行きたいんだけど。いいかな』
「おみまい?」
『うん。もし、司ちゃんのお母さんがいいって言ったらちょっとだけならお母さんが連れてってくれるって』
「わかった。ママに聞いてみる!まっててね!」
お見舞いというのは会いに来てくれるということだ。電話を保留にして急いでママのもとへ。
「なに?どうしたの?お客さん?」
「ママ。トモ君がおみまいしたいって!」
「お見舞い?」
「うん。今ね、電話あってね。それでトモ君おみまい!ママがいいっていったら」
「分かったから落ち着いて。お見舞いに来てくれるなんて優しいね」
「いい?」
「司がそんな元気だとビックリしちゃうかもね」
ママの了承を得て嬉しそうに司は戻っていく。友達が来てくれてよほど嬉しいのだろう。
特別騒がしいのが好きという訳ではないけれど、司は沈黙と1人が嫌い。寂しがりや。
百香里は苦笑しつつ来客に備えて準備しなければと慌てて全員分の布団を干し終える。
「ねえねえ。おきがえしたほうがいい?おもちゃ持ってった方がいい?」
「遊ぶわけじゃないの。ちょっとお話しするだけ、司はそのままでいいから」
「おみまいおみまいー」
「ほら。そんなウロウロしないで大人しく座ってなさい。またお腹痛くなったらどうするの」
「やだ。もうやだ。いたいのやだ」
「そうよ。ママも司が辛いのは辛いし悲しい。だから、ちゃんと言ってね」
「うん」
百香里がソファに座ると司もその隣に座って絵本を渡す。読んで、と。
さっきまであんなにはしゃいでいた彼女だが読み始めると大人しくなった。
「遅いね。約束の時間1時間も過ぎてるけど」
「トモ君どうしたのかな」
「お家の場所は知ってるんでしょう?」
「うん。前にね教えたよ」
「お母さんも一緒のはずだから迷う事はないと思うんだけどな。連絡してみようかな」
「……おみまい…忘れちゃったのかなぁ」
綺麗に掃除してお茶の準備もしてずっと待っているのになかなか鳴らないチャイム。
足をぶらぶらさせて不安げな顔をする司。これ以上遅れてしまうともう夕方になってしまう。
百香里は夕飯の準備が始まるし、渉だって帰ってくる。そうなればお見舞いなんて出来ない。
せっかくお話が出来ると思ったのに。でもきっと何か事情があるはず。たぶん。きっと。
寂しそうな顔をする娘に百香里は電話をかけてみることにした。以前幼稚園であった遠足で
今後また何かあるかもとトモ君の母親の携帯の番号を聞いてあったから。
「あ」
「トモ君かも!」
やっと鳴るチャイム。司は走って玄関へ行ってしまう。
でもここは玄関がオートロックだからまだ行っても誰も居ないはずだ。
『あ、あの。遅れてしまってすみません…』
「今あけますね」
モニターを見るとトモ君の母親の顔が映っていた。ロックを解除して上がってきてもらう。
「トモ君!」
「司ちゃん」
玄関が開いてやっと待っていた友達が入ってきて嬉しそうな司。
そのまま中へ入ってもらいリビングへ通す。
「ごめんなさい。この辺グルグルまわっちゃって。その、慌ててしまって連絡も遅れて…」
「この辺同じような建物ばっかりで分かり難いですよね」
「なんかいも司ちゃんの家はここだって言ってるのにお母さん信じてくれなかったんだ」
「こ、こら」
「え?」
母親にはコーヒー、トモ君と司にはジュースを出す。相手からは菓子折りを貰った。
息子の何気ない言葉に酷く慌てた顔をする母親。百香里は意味が分からない。
そうしているうちに司は自分の部屋を見せると言ってトモ君と上へ上がってしまう。
すっかりお見舞いということを忘れてはしゃぐ声がしてきた。
「気を悪くしたらごめんなさい」
「え?なにがですか?」
「トモが言った事」
「え?ああ…」
ここが司の家だと信じてくれなかったと言っていたっけ。百香里にはまだピンとこない。
「あの。その、こんな凄いマンションに住んでるなんて思わなくて。てっきりトモが勘違いしてると思って」
「ああ。それで。分かります、そんなお金持ちに見えませんからね。私って」
「はっきり言うんですね」
「気にしないでください、不釣合いなのは自分でも思ってる事ですから。
だいたいセレブなんて柄じゃないし、むしろ私は貧乏ですと胸張っていえます」
「……」
何故か握りこぶしを作ってまで力説する百香里。ポカンとしている母親。
「あ。でも、司はちゃんとした子ですから。これからもよろしくお願します」
「は、はい。こちらこそ」
「お母さん!すごいよ司ちゃんの部屋お城あった!」
「お城?渉さんだな。もう。これ以上買わないでくださいって言ったのに」
全快祝いとかご褒美とかそんな言葉にかこつけて何でも買ってやる悪い叔父さん。
百香里の目をかいくぐりこっそりと買い与えるから困る。総司に相談しても意味がない。
呆れている百香里。その傍でまた呆然とする母親。大興奮のトモ君と嬉しそうな司。
夕飯も近いこともありそれから少しして2人は帰っていった。
「だってユズがだまってろっていうんだもん」
「でもちゃんとママに言わなきゃ駄目でしょう」
「ごめんなさい」
「ほんと、司には甘いんだから」
さっそく司の部屋に入り城を確認。想像したような巨大なものではなかったけれど。
いかにも高そうなお城がデンと部屋に置いてあった。やはり渉からの贈り物。
真守の事もあって時折寂しそうにする彼女に構ってあげたい気持ちは分かるが。
「ママおこらないで。…これ…かえすから」
「1度貰ったものは返さなくていい。それはもう司のものだからね」
「ママ」
「大事にすること」
「うん。ね。ママみて」
「なに?」
「このお城のお姫さま!ママにそっくり!きれいなの!」
「ありがとう。嬉しい。……けど…私こんな顔してるの?…」
ギラギラした金髪ウェーブヘアに派手なメイク。外国人顔。母親に気を使ったという感じではない。
本当にそう思っているようだ。お姫様と自分の共通点を見つけられないまま夕飯の準備にかかる。
来客もあって少し遅れてしまったが彼らの帰宅までには十分に間に合う。司も手伝ってくれた。
「家に来たんだ」
「はい。優しいですよね」
何時ものように一番先に帰ってきたのは渉。着替えを済ませリビングに来たところで
百香里が城の事を聞いたらあっさりと白状した。でもあまり反省はしていない様子。
彼なりの司への愛情表現なのだろうと理解はしているつもりではいるが。
あまりクドクド言っても仕方ないとその話はやめて話題はお見舞いへ。
「中々やるね。母親のポイントも稼いだか」
「え?ポイント?」
「何でもない。お酒くださーい」
何かブツブツ言っていたが気にせずツマミと酒を出した。司は何時も楽しみにしているアニメに夢中。
「ユズユズ」
「何だ。ツマミはやんねーぞ。今は消化にいいもん食えよ」
「はがきって何処でかえるのかな」
「はがき?誰かに手紙でも出すのか」
ソファから身を乗り出して声をかけてくる司にくるりを向きをかえて答える渉。
アニメは終わったようで今はもう別の番組が流れている。
「ソーセージの裏にあるばーこーどを6枚はっておくると限定の人形があたるんだって!」
「そんなもん顔のひろーい専務様に頼めばもらえるだろ」
「せんむさま」
「マモさんだよマモさん」
「かおがひろーいんだ」
「そうそう。広いよあの人。そうだな。アメリカ本土くらいな」
「あめりかほんど!?」
「意味わかってねーだろ」
司の大げさなリアクションに大笑いしながら酒を飲む。
彼女は言葉の意味は何も分かってないが人形が欲しくてウキウキしている。
もう辛そうにしていた事など過去で元気な何時もの司だ。ホッと一安心。
「何楽しそうに喋ってたんですか?」
「ひろーーーい顔の話しだよ」
「広い顔?」
「そう。でね。人形もらうの!」
「ええ?」
そして百香里の天然な反応にも大いに笑う渉。本当に飽きない。
「そ、そうか。えんちゃう?お見舞いらいうてええ子やんかー」
「心にも無い台詞って感じがひしひしと伝わってきますけど」
「んな事あらへんがなぁ。心から思ってるよーええ子やなー司はええお友達を持ったなー」
「友達を強調するあたりやっぱり総司さん」
夕飯の片づけをしていると何時ものように総司が近づいてきて後ろから抱きしめてくる。
百香里の首筋にキスして耳元でお風呂に誘ってくるのも何時ものこと。
食事中は別の話題でいっぱいだったのでここぞとばかりにお見舞いの事を話したら
明らかに動揺して不愉快そうな空気さえ漂わせ。本当に分かりやすい人だと思う。
「ええやんか。なあなあ。お風呂で体洗い合いしよや」
「行き成りですね」
「行き成りでもじっくりでもどっちでもええで?どっちも好き」
「いやらしい」
そしてスケベな本能に忠実。百香里は頬を少し赤らめぼやく。
「ユカリちゃんが可愛いから」
「はいはい。じゃあお風呂の準備お願しますね」
「…照れとる顔も好きやで」
追い討ちをかけるように耳元で甘ったるく囁いてくる意地悪な人。
百香里が苦情を言おうとしたら軽く頬にキスして去っていった。悔しくてムっとしつつもドキドキする心臓。
翻弄されるってこういう事なんだろう。さっさと片づけを終えて風呂場に向かう。中でもきっと好きにされる。
長居すると後のベッドが更に遅くなって大変になるのに。でも、それが嫌じゃないから自分でも困ってしまう。
「総司さん。私の顔って外国人ぽいですか?」
「え?」
「お姫様って所謂セレブじゃないですか。でも私セレブって顔じゃないですよね。
さすがに貧相とまでは言いませんけど、ま、平均的?平凡ですよね」
「え?外国人?何?平凡?何の話や?」
「でも見栄え的にはそっちのが映えるんだろうな」
総司の膝に座ってお湯に浸かりながらブツブツぼやく百香里。
社長の妻としての自分の位置というのは結婚当初から悩まされてきた。トモ君の母親には
笑って気にしないでと言ったがやっぱり考える必要があると思えてきた。不釣合いな平凡な私。
といっても行き成りあのお姫さまみたいな金髪の外国人顔にはなれないけど。
何があったか知らない総司は理解できず不思議そうな顔をする。
「なあなあ。俺にも分かるように話ししてや」
「総司さんは金髪女性ってどう思います?」
「き、金髪かいな。まあ自分が好きやったらそれもえんとちゃう?」
「うーん」
「ユカリちゃん染めたいん?」
「染めると余計にお金かかるからしません。維持するのも面倒だし」
「やよね」
実に百香里らしい発言。心配していたが一安心。金髪の百香里なんて想像出来ない。
「あーもー悩むの嫌い!やっぱり私は私でいいです。そうでしょ?総司さん!」
「そうでしょて言われても…。まあ、えんちゃうの?俺としてはもうちょいやらしい方が」
「さ。上がって寝ようっと」
「待ちぃ。さりげなく俺から逃げようとしたやろ。あかんよ。まだ寝かさへんで」
「そうですね。私もちょっと総司さんにお話が」
「え。なに」
「司の教育について。お話…と、いうより。文句があります」
「文句なんや…な、何か怖いオーラ出てんで」
「司の部屋に私が知らない間にお城が増えていた件で、すこし」
「ああ」
「やっぱり知ってたんですね。知ってて黙ってたなんて。…許せません」
「文句ちゅうかこりゃお説教モードやっ」
百香里の頭にメキメキと生える2本の角が見えた気がした。
せっかくの甘い空気が。総司は覚悟を決める。甘い夜はまた今度。
「マモ。マモ」
「何だまだ起きてたのか。明日から幼稚園に行くんだろう?もう寝ないと」
「ずーっとねたもん。ぜんぜん眠くないもん」
「じゃあ絵本を読もう」
ドアをノックする音がして開けてみると枕をもった司が立っていた。
確かにずっと寝ていれば眠気なんて無いかもしれない。
部屋に入れると彼女は枕を抱えたままベッドに座った。
「ねえマモ」
「何だい」
「うん…」
「その顔は欲しいものがあるんだな?言ってごらん」
「……」
全く喋らないしソワソワしているから最初どこか悪いのかと心配したけれど。
どうやらそうではないらしい。視線をめぐらせて。何か言いたげで。
でも何かを気にして言えないでいる。真守は少し考えピンときた。
「そうだな。じゃあ、僕のお手伝いをしてくれるか?その対価としてそれを買おう」
「たいかってなに」
「御礼みたいなものさ」
「お手伝いする」
「よし。で。欲しいものは?」
聞き出す事に成功した真守は必ず手に入れると約束した。
そのかわりに何をしてもらうかはまだ決めていない。
おそらく母親を気にしているのだろうと察したから出た言葉だから。
彼女が望めば与えたいし、その見返りに何かを求めたりもしない。
「千陽ちゃんとらぶらぶしてる?」
「そうだな。兄さんや義姉さんのようにはいかないけどね」
「ちゅーした?ちゅー」
「内緒だ」
「ないしょなの?マモは恥かしがり屋さんだ」
「ははは。そうかもしれないな」
真守は読んでいた難しそうな本を棚に片付け先にベッドに寝ていた司の隣に入る。
すぐに甘えるようにくっ付いてきて。さっそく絵本を読んでやろうとしたらそれよりも
自分と千陽との事が気になるらしい。
「はっ」
行き成り声をあげたかと思うと司はベッドから起き上がり。
真守の顔を覗きこみ眼鏡も外してしまった。
「な、なんだ?どうした司」
眼鏡を取られてぼんやりとした視界の中。司が何故こんな事をしたか理由を尋ねる。
「マモの顔…」
「それがどうかしたのか」
「お…おっきくない」
「は?」
そんなの当たり前じゃないか。真守は思った。
「あめりかほんど…じゃない」
「アメリカ本土?」
「ひっぱってもおっきくならないよね」
「こ、こら。司いひゃいよ…」
子どもというものは時に理解不能な行動をとるものだ。でも司はお利口でそんな事はしない。
そう思っていた真守だがやはり歳相応の子どもなのだろうか。ほっぺを引っ張られながら思った。
暫くして満足したのか眼鏡を返してくれて大人しく隣に戻る司。
「ユズが言ってた」
「そうか。よかったよ」
「なにが?」
「絵本を読もうな。目を閉じて」
「うん」
事情を説明してもらいやっと理解する。やはり司は無意味な事はしない。
すべてはあの無責任でだらしなくて口が酷く悪い末弟のせいだ。
あんなに眠くないと言ったのに絵本を読み終える頃には寝息が聞こえてきて。
真守も眼鏡をはずし電気を消して眠りに付いた。
「誰の顔がアメリカ本土だって?」
「顔の話じゃねえよ顔の広さの話しだって言ってるだろ。つうか私事で呼び出すのやめろ」
「嘘をつくな。日ごろからあれほど司に嘘を教えるなと言っているのに」
「嘘つき呼ばわりかよ。事実あんた顔広いだろ」
翌朝。家では逃げられるので会社で直に部下として渉を専務室に呼び出す。
これならどれだけ相手が嫌がっても来るしかない。最近この手で呼ぶ事が多い。
その所為か周囲からは「あいつ大丈夫か」と哀れみの視線を向けられるようで。
それを気にしている様子はないがもちろん良いとも思っていない。
「反省の色が見えないな。仕方ない、今日は秘書課の手伝いにまわってもらおうか」
「はああああ!?馬鹿じゃねえの!?何で俺が秘書課なんだよ!俺は」
「行け」
「このクソ専務」
「上司への暴言は立派な減給対象だ。来月の給料日を楽しみにしていろ」
「こ、こんな横暴が許されんのかよ!いいよ!社長に直談判してくるから!」
「やめておけ。社長は義姉さんにこってり絞られて人の話なんか聞ける精神状態ではない」
百香里からの電話1本ですぐ治るのだが今はまるで廃人。
そんなの社長としては全く褒められた状況ではないけれど。
「さ、最悪だ。最低な会社だ…っ」
「会社への暴言も加味させてもらおうか」
「この」
「早く秘書課へ行かないと再来月にもひびくぞ」
「くそーっ」
文句を言いながらも部屋を出て行く渉。
「渉さんどうなさったんですか」
入れ替わりに千陽が入ってきた。
「あいつが不真面目なのを注意しただけです。所で社長の様子は如何ですか」
「先ほど奥様からメールがあったようで。今は平常運行に戻りました」
「よかった」
「これじゃまだ専務のお仕事は減りそうにありませんね」
「そうでもないですよ。僕には千陽が居ますからさほど苦ではありません」
「せ、専務」
「とはいえ。もう少し彼らも歳相応に落ち着いてくれないと。君と何もできないから困る」
「な」
「さて。御堂さん、この書類を社長室へ持っていってくれますか。お願します」
つづく