気遣い
「大したことなくてよかった」
「本当に。よかった」
「ごめんなさい。真守さん忙しかったですよね」
「仕方の無い事です。兄さんに飛び出されるよりはずっといい」
病室のベッドに眠る司。百香里はその頭をなでて落ち込んだ顔をする。
お迎えに行った時点で少し元気がなかった。気づいていたのに。
司が何も言わないから気のせいかと思って買い物をして家に戻ってきた。けれど。
やはり調子が悪かったようで。行き成り倒れこんだから心臓が止まるかと思った。
「…ずっと我慢してたんです。たぶん、私に心配させたくなくて。それで」
「義姉さん」
思い出して涙ぐむ百香里。かけつけた真守はどうしようか迷い。
そっとハンカチを彼女に渡した。
「だけど…もっとちゃんと…私がしっかりしてればこんな事には」
「自分を責めても解決はしません。次同じ事をしないようにしましょう」
「…はい」
「何か飲み物を買ってきましょう。貴方も休んだほうがいい」
そして落ち着かせるためにも今は１人にしてあげよう。真守は席を立つ。
百香里が慌てて電話した頃、ちょうど会議中で社長も専務もその場に居た。総司の携帯はマナーモード。
そして電話は会社にも掛かってきて秘書から話を通される。だが社長よりも先に専務に通す決まり。
「専務」
「どうですか社長は」
よって社長には全てを話した訳ではない。真守が代わりに抜けてきた。
「会議が滞りなく終了しましたので社長にも事情をお話しました。予想通りのお怒りでしたが
渉さんの説得もあって今は何とか落ち着いていただけました。もうすぐ此方にこられるそうです」
「会社からだと３０分も無いな」
「それが何か？」
「今は、静にしておきたいんですよ」
司も、そして百香里も。何時も笑顔な彼女なのに、病室で泣いている姿なんて。
「申し訳ありません。止められず」
「娘が救急車で運ばれたなんて聞いてじっとしている父親なんていませんよ」
「専務」
「例外はあるでしょうけどね。…さて。一緒に兄さんを引き止めるのを手伝ってもらえますか」
「え？」
「もう来た。スピード違反してないだろうなあの人」
振り返ると此方に向かって早足で来る総司。顔は真剣だ。
「司は何処や！ど、どうなんや。い、い、命に別状はないんやろ！？」
「落ち着いてください。命に別状はありません。急性虫垂炎です。
点滴で今は落ち着いています、手術も今の所必要ないという判断だそうです」
「そ、それで。何処や。何処におんねん！」
キョロキョロと何かを探している様子の総司。今までこんなにも彼が焦っている姿を千陽は見た事が無い。
誰かが仕事でやらかしてもノホホンとして怒る事は殆どなかったのに。怒って欲しいと逆にこちらが怒ったのに。
やはり自分の娘となるとこの人もちゃんと父親なのだ。当たり前なのにそれが不思議に感じた。
「病院で大きな声は出さないでください、今薬で眠っているところです。
今兄さんが行けばせっかく休んでいる司が起きてしまいます。少し冷静に」
「なれるわけないやろ！！」
「なってください！」
今にも爆発しそうな総司をそれよりも強い声で押し付ける真守も始めて見た。
キョトンとする千陽、面食らった顔をする総司。
「……とにかく、お２人は待合室でお話をしていてください。私が様子を見てきます」
「そうしましょう。行きましょう兄さん」
「ちょ。お。おい。…しゃぁないな。頼むわ」
引っ張られる形で総司は待合室へ。千陽は事前に真守に聞いていた病室へ。
軽くノックをして中に入る。ここには百香里が居るはずだ。
「百香里さん」
目に入ったのは眠る司と丸くなった百香里の背中。その肩は小刻みに揺れていた。
泣いているのだとすぐに分かる。彼女が持っているのは真守のハンカチ。それもすぐ分かる。
何で総司を病室に入れたくなかったのか分かった。もちろん司を寝かせたいというのもあるのだろう。
「…あ。…あの。…すいみません」
「社長がいらしています」
「……どうしよう」
泣いて目が真っ赤で腫れぼったい。こんな顔見せられない。
百香里は千陽を前に無理に笑おうとするがそれすら痛々しい。
「今日はお泊りになるんでしょう？着替えなどをお持ちしますね。他に何か必要なものは？」
「…ウサギのヌイグルミを。司の１番気に入っているヌイグルミなんです。よく一緒に寝てるんです」
「わかりました」
「私がしっかりしないと駄目ですよね。ほんと、びっくりしちゃって」
「仕方ないですよ。こんなの予想できないんですから。責めないでくださいね」
「……はい」
千陽の中で百香里はちょっとオトボケが入っていて何があっても何時も笑っている印象だった。
それがこんなにも落ち込んで泣いてしまうなんて。自分自身の事じゃないからだろうか。
もっとなにか言ってあげたいしてあげたいと思ったが言葉が出てこなくて。千陽は病室を出た。
命に別状はなく安心していいはずなのに。居た堪れない、そんな空気。
「ユカリちゃん自分の事責めてへんやろか」
「あの人の性格は貴方の方がご存知では」
「嘘でも否定してくれてもえんとちゃう」
「嘘をついてもどうせすぐに分かることです」
「可愛げないなあ」
待合室。先ほどよりは落ち着いたのか声のトーンが戻ってきた総司。
「ええ。僕は理屈ばかりで愛想も可愛げもなにもない方の弟ですから」
「お前が来てくれてよかったわ。すぐ教えてくれなんだんはちょっと癪やけどな」
「仕方ないでしょう。ビジネスは時に冷酷なものだ」
「冷たいんは性に合わんのやけど、大人ちゅうんは大変やなあ」
「今更ですね」
「今更やな」
はは、と何が面白いわけでもないのに男２人笑う。そこへ千陽がきて。
落ち着いてきているようだと話すと総司は病室へ向かった。
「これから私は着替えなどを取りにご自宅へ伺いますので」
「なら僕も行きましょう。場所も分かる」
「お願します。司ちゃんのウサギって分かりますか」
「ええ。今１番お気に入りです」
１人病室に入った総司。司が寝ていると聞かされていたのでそっと入った。
傍に百香里が座っていて娘を見つめている。その目は真っ赤。
「総司さん」
「何ですぐ気づいてやらんかったんや」
「……、…すみません。司はちゃんとサイン出してたんです。でも、気づかなくて」
「救急車で運ばれたって聞いた時は心臓止まるかと思ったわ」
「私がもっと早く気づいていれば。ちゃんと見てあげてれば」
「せやね。自分が今までそんなんなった事ないからって司にも当てはめたらあかん。
小さいうちは何が起こるか分からんのやから。ちゃんと管理してもらわな困るわ」
「……はい」
総司は司に近づくと優しくそっと頭を撫でる。百香里は俯いてまた泣きそうな顔。
「とか言うたらユカリちゃんの気は晴れるんか？」
「総司さん」
「えっちな攻めは好きやけど。それ以外の責めは嫌いやねん」
「……」
「そもそも誰も悪ないやんな」
俯いた百香里の頬に手を当てて上を向かせるとそっとおでこにキスする。
「総司さん」
「めっさ心配やったやろ。１人で心細かったやろ。…傍におらんと、堪忍な」
「そんな事」
「百香里は自分に出来る事ちゃんとしてる。精一杯やった」
「……っ…」
安心したのかそれでまた目じりに涙がたまる百香里。
「司もユカリちゃんもええ子やという所でや。腹へらへん？」
「…すこし」
「何か買うてくるわ」
「私が行きます」
「めっさ疲れたっちゅう顔してんで。俺が行くわ」
唇にキスすると席を立つ総司。それを静に見送る百香里。
あんなにも落ち込んでいた気持ちが彼の言葉でだいぶ軽くなった気がする。
我ながら単純だと思う。司の傍に近づいて「ごめんね」ともう１度呟いた。
「司どうだ。大丈夫なのか」
「おお。心配いらんて。今寝てるわ」
「そうか。よかった。すげえ心配した」
「そや。お前司みとってくれるか。俺ちょとユカリちゃん連れて飯食ってくるわ」
「いいよ。ユカりんの事だからすげえ落ち込んでるだろ。何か美味いもんでも食わせてさご機嫌とっとけよ」
「せやね。そうするわ」
売店へ向かう途中で出くわした渉に任せ総司は百香里を連れて部屋を出て行った。
まだ目を覚ましてもないのに外へ出る事を気まずそうにする彼女の手を引っ張って。
渉は百香里の目が真っ赤なのにすぐ気づいたが何も言わず見送る。
「いいんでしょうか」
「ええよ」
「でも」
「腹減ったらなんもできへんて。そんな顔せんと何でも頼んで」
「…はい」
病院傍のファミレス。時間帯もあってか騒がしい。
席についても落ち着かずソワソワしている百香里にメニューを見せて促す。
強引でも何でもいい。何か食べて欲しい。
「ユカリちゃん」
「はい」
「くっ付いてくれるんはほんま嬉しいんやけど」
隣に座ったかと思ったらぎゅうっと総司の腕に絡んで肩に顔を埋める。
甘えてくるというよりは腕を折ろうとしているかのような圧迫感。
意味もなくそんな事をするとは思っていないが。ちょっと怖かったりする。
「迷惑でした？だ…だってこんな顔だし」
「そんな気にせんでもええて」
「スーツ皺になりますね。すいません」
「抱きしめるんやったら腕だけやなくて全部して」
「…後で」
「待ってるわ」
理由に納得して苦笑する総司。百香里もやっと少しだけ笑ってくれた。
メニューを決めて注文をして待つ。今混んでいるから時間がかかるだろうか。
その間百香里はまだ総司の隣で彼の肩に寄り添っている。
「父が倒れてそれを最初に発見したのは私なんです。そして病院へ搬送された。
最初は意味が分からなかったけど、理解したら物凄く怖くて。震えて。泣いて。
あの子がぐったりして倒れてたの見た瞬間思い出しちゃって。パニックになって」
「誰でも冷静にはできへん」
「あの子を失ったらどうしようって本気で考えちゃいました」
「無事でほんま良かった」
「はい。よかった。本当に」
そっと手を握ると大きな暖かい手が握り返してくれた。また安心する。
「気分はどうだ。腹痛くねえか」
「……ユズ」
ゆっくりとまぶたが開いて司は掠れた声で自分を見つめている人の名を呼ぶ。
何が起こったのか。ここは何処なのか。よく分からないけれど。
「心配させやがって」
渉にぎゅうぎゅうと抱きしめられた。ちょっと痛い。そして香水に混じり煙草臭い。
「ママは？」
「ちょっと外出てる。けどすぐ戻るから」
「…ママ。おこってた？お腹…」
「倒れるまで我慢するのは良くないってのは分かってんだろ。なんで黙ってた」
「たまに痛くなったけどすぐ直ったし。今度もがまんできるとおもって」
「ばか」
「それに。ママ、つかれてるみたいだったから」
「そういやまた親んとこ行ってんだったか」
「……怒られるかな」
「戻ってきたら心配かけてスイマセンて一言いっとけ。それで終わりだ」
「…うん」
頭を撫でられてまた少しうとうとしてきた司。どうやら母親に気を使った面もあるようで。
怒ることもなく、ただ落ち着いている彼女の様子を見てホッとするばかりだ。
そこへ荷物を持って入ってくる真守と千陽。
「司、起きたのか」
「マモ」
「よかった。ほら、司ちゃんの好きなヌイグルミよ」
「ありがとう」
ウサギを受け取って嬉しそうな司。そんな彼女を見てホッとする面々。
千陽に司を任せ部屋を出る渉は真守に百香里たちの事を説明し、
ついでに司の気持ちを話して先に家に戻る。
これから百香里たちも来る事だしそんな大勢居なくてもいいだろうと。
「渉さんは」
「帰った。安心したんだろうな」
「そうですか」
「司はまた寝たみたいですね」
「はい。ヌイグルミ抱いたまま」
「何時もそうですよ。大事そうに抱きしめて寝ている」
真守が部屋に戻ると千陽とまたぐっすりと眠っている司。その手にはヌイグルミ。
数あるオモチャの中で特に気に入っている代物で何が良かったのか分からないけれど。
言葉なくただ２人で眠る司を見つめていたら食事から戻ってきた夫婦。
「司は私が見ていますから」
「何言うてんの俺もおるで」
「お気持ちは察しますが明日の事を考えてお言葉に甘えるべきでしょう」
「せやけど」
「総司さんをよろしくお願します」
「な、なにそれー俺はユカリちゃんを気遣いつつ」
「何をするおつもりですか社長ここは病室ですよ？」
「千陽ちゃんそんな睨まんといてぇ怖いわぁ」
渋る総司を引っ張って百香里を残し皆帰っていく。
静かになった所で百香里は自分の眠る準備をして。
「…ママ」
「起きた？」
司の様子を見ていたら薄っすらと目があいた。
「……」
「お腹痛くない？気分はどう？」
「…うん。だいじょうぶ」
「もう我慢しないでね。ママにお話してね」
「…はい」
「今日は病院でママとお泊りするから。何かあったら言ってね」
「ここびょういんなの！ママ！」
「なに？」
「び、びょういんにはオバケが出るってマナちゃん言ってた」
「ここにはそんなの無いから大丈夫よ」
「ママもたべられちゃうかも。パパ呼ぼう」
「そんな心配しなくても大丈夫だから。寝なさい」
「ほんと？」
「本当。何かあってもママが帰ってもらいます」
「じゃ、じゃあ。…じゃあ。いい」
不安そうな顔をしてヌイグルミをギュッと抱きしめる司。
百香里はそれを見てちょっと笑い、話をしている間に消灯時間がきて眠る。
病院は嫌いだけど怖いとは思った事がなかったから。
暗くなって余計怖くなった司に一緒に寝て欲しいといわれて同じベッドに眠る。
怖いからだろうがギュッと抱きついてくるのがたまらなく可愛いかった。
「早起きですね総司さん」
「司が心配やし。なによりユカリちゃんの顔みんとやる気おきへんし」
翌朝。まだ寝ている司を起こさないようにベッドから起きて着替えて。
手持ち無沙汰で持ち物の整理でもしようとした所でスーツ姿の総司。
来てくれた喜びよりもこんなに早い時間起きている事に驚いた。
「朝食はとりました？洗濯物は」
「飯は適当に食った。洗濯もやった」
「よかった」
「あとはユカリちゃんのキスだけや」
「そんな。真顔で何を言ってるんですか」
「本気やで」
「…私まだ歯を磨いてないし」
「気にせえへん。さ。キスしよ」
やや強引に抱き寄せられ顔が近づく。
「ママぁ…トイレ行きたい…あ。パパだ」
「うん。トイレ行こうね」
「ちょ。ちょっとくらいええやん」
「我慢は駄目なんです」
「ママー」
「はいはい」
が、百香里はするりと総司から逃れて司の下へ。２人はトイレへ行ってしまう。
ガッカリする総司だが戻ってきた２人から頬にキスをもらったので機嫌は治る。
昼には退院して家に帰る予定でその際にまた電話しますからと約束して夫を送り出す。
「ママ。ユズがね、元気になったらまた遊園地つれてってくれるって！」
「そう。よかったね」
「ママも行こう」
「ママが行っちゃったらパパ寂しいって泣いちゃうから」
「そっか。じゃあみんなで行こう」
「そうね」
つづく