お怒り
真守は足を挫いた千陽を車で送って行くということで別行動。
百香里たちは先に家に戻ってきた。
「大丈夫やって。もうママ怒ってへんから」
「……」
家に帰って落ち着いてもまだ母親が怖いらしく一緒に居てと父親にすがり付いてきた司。
足踏みばかりしていた真守と千陽をくっ付けるためとはいえ彼女を突き飛ばしたのはやりすぎだと怒られた。
もしそれで怪我をしたらどうするつもりかと。2人には気にしないでいいからと笑顔で言われたけれど。
でもママはまだ何時もみたいに優しく笑ってくれない。きっとまだ怒ってるからだ。だから司は塞ぎこむ。
「ママが言いたい事は分かってるもんな?」
「……うん」
抱っこされて頭を撫でられて頷く司。彼女なりに反省している模様。
「せやったらもうええ。それに、司のお陰で真守と千陽ちゃんもええ感じになったんやし」
「自分がされてイヤな事を人にしちゃいけないっていっつもママ言ってたのに。でもね。でも」
「分かってる。ママとお話ししておいで。怒ってきたら父ちゃんが間入ったるで。な」
「……うん」
おろされて先に台所に居るママの下へ駆け出していった。
「なに。ママをそんなジロジロ見て。お菓子でも欲しくなった?」
「…ママ。……ごめんなさい」
「もう怒ってないから。そんな顔しないの」
「じゃあ。じゃあ。…抱っこして」
「いらっしゃい」
影から母を見つめていた司。恐る恐る甘えてみると何時もの笑顔で呼んでくれた。
司はやっとここで笑顔になってママの元へ。抱っこしてもらいギュッと抱きついた。
優しくていい香りで柔らかいママの抱っこ。
「2人とも仲良しやね」
「そうですよ。ね。司」
「うん」
そこへ頃合を見計らい入ってくる総司。上手く行ったようでホッとしている。
彼はそのままソファに座って背伸び。自分は特に何もしてないけれど疲れた。
「今日は色々あったけど上手く行ってよかったわ」
「先方の方には申し訳なかったですね」
「あんなお利口そうな可愛いお嬢ちゃんや。もっとええ貰い手はぎょうさんおるわ」
真守を気に入ってとても残念そうな顔をしていたけれど。
彼女はまだまだ若い。
「ねえママ。司もおみあいしたいな」
「司のお目当てはお菓子でしょう」
「凄くおいしかったよ。えびせんべい!」
「もう。総司さんも何か言って…総司さん?」
「パパ?」
此方を向いたまま固まっている総司。
何かあったのだろうかと司はママにおろしてもらい駆け寄る。
そして慎重にツンツンと軽く腕を突いてみる司。
「…あ、あかん。固まってしもたわ」
「どうしたの?」
「司が見合いら言うから。あかんよ。司はパパとママの傍におるんやで」
その司を抱き上げて膝に座らせるとギュッと抱きしめる総司。
まだ幼稚園児なのに見合いも何もないだろうに。苦笑する百香里。
司はパパの気持ちが今ひとつ分からないようでポカンとしながらも大人しく抱っこされる。
「総司さんはやっぱり私だけじゃご不満みたいですね」
「そ、そういう訳やない。けど。ほら。やっぱり司は可愛いやん?」
「……」
「あかん。めっさ怒ってる顔や」
「ママ怒っちゃった?司があいだにはいってあげるから一緒にあやまろう」
「優しいなあ司。ほんま可愛いわ」
その後、えっちなこと抜きで百香里に怒られた総司だが司が頭を撫でてくれたので
そこまで落ち込む事はなく。百香里ももう怒る気も起きなくなったようで夕飯の準備にかかる。
子どもは面倒な事も多いけれど、その笑顔はやはり可愛くて。
何より落ち込んだ時やふとした時の言動で気づかされ救われる事もある。助けられる存在。
「へえ。そんでそのまま付き合うって?すげえ流れ」
「よかったよね!」
「そうだな。よかったんだろうな。俺にはどうでもいいけど」
その日の夜。帰ってきた渉と一緒に風呂に入りながら嬉しそうに事の顛末を伝える司。
真守と千陽がくっ付いたのは特に驚かない。けれどまさかあの木偶の棒が女を口説くなんて
そっちのほうが驚いたけれど。司の後押しがあったのだと聞いて納得した。
「何で?マモが幸せだとユズも嬉しいよ」
「何でお前が決めんだよ。俺は別に幸せじゃねえし」
「……」
「少しくらいは、まあ、祝福してやる」
司に見つめられて渋々言うと彼女は嬉しそうにでしょ?と笑った。
お節介な所も幸せを押し付けてくる所もあの母親にそっくりだ。
別の人にそれをされたらムカツクのに何故か不愉快でないのも同じ。
「でねえ。司もオミアイしたいってパパに言ったらママとケンカしちゃったの」
「何となく流れは分かるな。気にしなくていいぞ。どうせ朝には何もなかったようなツラしてんだ」
「パパとママはオミアイじゃないんだって」
「へえ。そう」
「ユズと梨香ちゃんは?なに?ナンパ?」
「何処でそんな言葉。…あー。どうだったかな。忘れた」
「あ。ユズテレテレさんだー!」
「はあ?何だよテレテレって。照れてねえよ」
「テレテレ〜テレテレ〜」
「いいから10数えて出るぞ。おい、頬をつつくな」
ツンと司の頭を軽く突いて不機嫌そうにそっぽを向く渉。だが司は笑っていた。
風呂からあがって髪を乾かしてやっているとリビングに入ってくる真守。
「帰ってたのか」
「帰ったら悪い?」
「そうとは言ってないだろう。むしろ明日からまた仕事だ、速く戻る事は悪くない」
「もっと浮かれてんのかと思ったぜ」
「浮かれる?」
「秘書と付き合うんだろ結婚を前提にしてさ」
ニヤっと笑いながらからかう口調で真守に言う。
「ああ。そうだ。何れプロポーズするつもりだ」
「あっさり言うな」
だが思ったほどうろたえず寧ろ何時も通りのクールな返事。
まるで仕事の会話みたいだ。結婚するという大きな話なのに。
「こういう事はあまり引き伸ばすのも相手にも悪いだろう」
「あんたらしいね。事務的」
「僕がここを出れば次はお前だな」
「そういう事今言うか」
「ああ、そうか。司、すまない」
「大丈夫だよ寂しくないもん。…ちょっとしか」
お嫁さんになる人が自分のよく知っている人でそこは安心はするけれど
でもこの家から2人が居なくなってしまう事は確かで。寂しさは変わらない。
司は髪を乾かしてもらいながら寂しそうに俯いてしまう。
「そんな顔すんなって。今日明日居なくなる訳じゃねえんだからさ」
その頭をワシワシと渉の大きな手が撫でる。
「司、そんな遠くへは行かないよ。すぐ会える所に居るから」
真守は跪き俯いた司の頬を優しくなでた。
「…うん。…じゃあ、…寂しくない。ね!」
彼女なりに一生懸命な笑みを心配する叔父さんたちに向ける。
それに対し2人はただ苦笑するしか出来なかった。
「ユカリちゃんまだ怒ってるん?」
「はい」
「そんなはっきり言うて」
その頃。夫婦の寝室では冷戦が勃発中。
ベッドの上には枕を抱きしめつつ準備オッケーな総司が正座していて。
何時まで立っても化粧台から立ち上がってくれない百香里を見つめている。
彼女は不機嫌。普段はそうそう怒る事はない子なのに怒る時は長い。怖い。
座ったまま此方を振り返ろうともしない。鏡に映る彼女の表情はどこか寂しそう。
「怒ってるんですからね」
「せやから話し合おうや。こっちおいで」
「総司さんの話し合いは言葉じゃないから今は駄目です」
「俺かて分かってるて。いつかは司を手放さなあかん日が来るんや…結婚かは分からんけど」
「司にはそんな執着するけど私は別にいいと」
「そ、そこまで言うてへんで?ユカリちゃんは傍に居ってくれな」
「…もういいです。今日は司の部屋で寝ます」
「そんな。ユカリちゃん。もう言わへんから。な。そんな寂しい事せんといて」
立ち上がる百香里。このまま部屋を出て行かれると困る。
総司も慌てて立ち上がり追いかけようとする。
「嘘ついたら承知しませんからね」
それを止めたのは百香里。ドアへ行くふりをしてベッドに入ってきた。
そのまま総司に抱きついて彼に顔を近づける。真面目な顔で。
「わかった」
これには総司もキスなんて出来る空気ではなく素直に従う。
「ずっと一緒ですからね」
「はい」
「ということなので。今度トモ君のお家に遊びに行ってもいいですよね司」
「はい…ん?なんでそんな話しになんの?トモ君てあれやろ。司を狙ろとる坊主…」
「はいって言いましたよね。よし決まったーこのお話は終わり!」
総司から「はい」を貰うなりニコニコと笑い出してさっきまでの空気は何処へやら。
キョトンとしている夫を尻目に仕事を終えたという達成感すら見える嫁。
「ユカリちゃん。もしかして俺をハメたん?え。なに。それ。酷い…酷いで今のは!」
「何の事ですか。私は総司さんと話し合いをしただけですから。言ったじゃないですか」
「この子はー!お、俺はまだ許してへんで!そもそも俺に挨拶もなしに司を誘うらい」
次々と湧き出る文句。その唇をキスで塞いで総司を押し倒す百香里。
「さ。総司さんえっちしましょ」
「せ、せこいで…こんな時ばっかり…」
「今夜は特別に総司さんが好きなコトしましょ」
「…ほんま?」
「はい」
「ほな。お言葉に甘えて。ユカリちゃんに攻められたいなぁ」
「分かりました。じゃあ。…攻めちゃいます」
照れ気味に言う総司に百香里は微笑んで耳元で囁く。
何時もこういう流れで彼に翻弄されているから彼女も覚えた。
そしてそれをそのまま返してやることにする。見事に顔が赤い彼。
相手は既に下着姿だから自分がパジャマを脱いで下着姿になる。
「な、なあ。家を行き来するくらい仲ええの?その、どこまでの関係に」
「今何をしてるんですか総司さんは」
「ユカリちゃんとえっち」
「じゃあそんなの言わなくていいですよね」
「せやけど。あ。うん。ええ。…そのまま撫でて」
「これくらい?」
「もっと」
「強く?」
「…うん。強く」
「総司さん可愛い。じゃあこの辺も舐めちゃいます」
「あ…ユカリちゃん激しい」
納得が行かない所もやや強引に押し込んで夜は更ける。
翌日の事を考えなかった訳ではないけれど、
百香里は無性に総司に甘えたかった。独占したいと思うほど。
「お、おはようございます。専務」
「おはようございます」
翌朝。緊張しながらも千陽は出社してきた専務に挨拶をする。
会社ではあくまで専務と秘書のままでいようと自分から切り出した。
まだ手を繋ぐ事すらしてないまっさらな付き合いたての2人だけど。
やはり公私は分けるべきだと思うのだが、想像したよりも動揺する。
「今日は少し遅かったですね。また社長が?」
「ええ。どうも夜更かしをしたようで、中々起きてこなくて引っ張って来ましたよ」
「そうですか」
長い廊下を歩きながらの会話。つい沈黙しがちになるが不自然すぎて慌てて話題づくり。
途中何人かとすれ違って何時ものように挨拶をするが変な顔をしてないか不安。
そんな千陽の気持ちを分かっているのか居ないのか専務は普段どおりに接している。
「真っ青な顔をして。どこか具合でも悪いんですか?」
「いえ。大丈夫です。全然。はい」
「体調が悪いのなら無理に来なくていいですから。何かあってからでは遅い。
貴方は主任ですから業務にも差し支えます。秘書課が止まるわけにはいかない」
「はい」
エレベーターに乗った。他に人は居ない。2人だけ。これがまた緊張する。
そして専務の厳しい口調にもハラハラする。付き合ってそうそう怒らせてしまったらどうしようかとか。
そんな事ばかり考えてしまう。ここは会社なのに。これから仕事をするというのに全然分かれてない。
「司のお陰で看病も出来るしおかゆくらいは作れますよ。僕でも」
「…専務」
「辛かったら何時でも言ってください、何とでもしますから」
「はい。あの、ちょっと緊張しただけで。大丈夫です」
「緊張?」
「だ、だって。緊張しませんか専務は」
過去に男が居なかった訳ではない。そんなウブな女でもない。歳でもない。
だけど絶対無理だろうと思っていた人と結婚を前提とした付き合いを始めたばかりで
その人が同じ職場で上司でこんなにも傍に居るなんて。普通緊張するだろう。
千陽は早くエレベーターのドアが開かないかとソワソワする。
「へえ。貴方でも緊張なんてするんですね」
「ど、どういう意味ですか」
「気を使わなくていいですよ。僕は何時もの通りにさせてもらいますから。
というよりもオンオフの境目がないようなものですからね」
「…はあ」
それは何となく分かる気がする。
「それともあったほうがいいですか?」
「え?」
「貴方が望むなら考えますよ」
「い、いえ。いいです。今のままで」
優しく言ってくれているはずなのに何か怖い。
ここでそれを許したら危ない気がした。本能というものだろうか。
苦笑いしている所で目的の階へ到着し廊下に出る。けれどまだ少し歩く。
何時もは誇らしいこの綺麗で巨大なビル、でも今日は疎ましいと思った。
「今日は会議が幾つかありますが社長にはどれも参加するように働きかけてください。
拒否は許されません、どのような方法でも結構ですから」
「はい」
「それとこの前頼んでいた件。まだ報告書が届いてないようですが?」
「申し訳ありません、すぐに」
「昼は何がいいか考えておいてください」
「はい。至急…え」
「出来るだけ人目につかない所がいいと思います。僕の希望はそれくらいなので。
他の細かな希望などは全て千陽の好みでいいですから。お願します。
10時30分には報告をしてください、それで時間を調節しますから。以上です」
「……はい」
流れるように言うとタイミング宜しくバタンとドアが閉まってしまう。
唖然とする千陽だが慌てて秘書課へ戻る。仕事は山のようにあるから。
失敗なんかしたらそれこそ彼に嫌われてしまうだろう。それにお昼も行けない。
「どうしたんですか御堂さん」
「何が?」
「顔がニヤニヤしてますけど」
「そ、そう?普通だけど」
「何かいい事あったんでしょう?」
「無いわよ。これから社長を会議に引きずり出さないといけないんだから。
ほら、無駄話しなんてしてないで君たちも手伝って。力づくでも連れて行くわよ」
「はい」
ポキポキと指を折りながら社長室へ向かう主任は何時にも増して強そうだった。
とは彼女に従う部下たちは口が裂けても言えない。けれど。
「な、なんや。今日はめっさ怖いオーラ出してんなあ。自分らもそう思わん?」
と社長に言われて思わず頷きそうになった。
「おはようございます。それでは本日の予定を」
「なあなあ。それより真守」
「お黙りになって。今からご予定を述べさせて頂きますね」
「は、はい。…めっさ怖い」
でも上手く行ってそうなのでよかった。
続く