木偶


「あの。司見ませんでした?」
「僕の所には来ていませんが」
「そうですか。さっきまでリビングに居たんですけど何処にも居なくて」
「何か心当たりは?外へは出ていないんですよね」
「はい。靴はありました。私に何も言わないで出て行く子じゃないし」
「探しましょう」
「いえ、真守さんはお忙しいでしょうから」
「司に何かあったらどうするんです、僕も探します」

一緒に朝食を食べたまではよかったがそれから忽然と消えた司。
百香里は部屋を探し回ったが見つけられずに真守の元へ。
今日の見合い用に何時もより上等なスーツで準備万端という様子の彼。
申し訳ないけれど本人は心配しているようでさっさと部屋を出て探し始める。
渉は梨香とデートで居ないからたぶん彼の部屋にも居ないだろう。

「真守ん所にもおらんかったか」
「はい。…どうしよう。やっぱり外へ行っちゃったんでしょうか」

リビングでは百香里ほどではないが心配そうにしている総司。

「居なくなる前後何か変わった事はありましたか」
「そうですね。えっと。何かありました?総司さん。私には普通に話してましたけど」
「せやなあ。今日の事聞かれたくらいやけど」
「今日の事ですか。つまり、僕の見合い…ですか」
「どうやって行くんかとか。何時からとか?そんな些細な事で変わった事は特に」
「……」
「……」

何か思う事があったのか視線を合わせる真守と百香里。いまいち分かってない様子の総司。
そんな彼を置いて2人は部屋を出て行く。その前にチェックしたらやはりアレがなくなっていた。
エレベーターでエントランスまで下りて。駐車場に向かって。

「司!」
「ママっ」

真守の車の後部座席に隠れていた司を外へ出した。

「どうしてこんな事したの!心配かけて!」
「だ、だって。だって」
「お見合いが嫌だから真守さんの邪魔したかったの?」
「そ、そんなんじゃ…ないもん…」
「はっきり言いなさい」
「…ママ…」
「ここでは人目につきます、落ち着いて話をしましょう。おいで司」

母親の厳しい口調に泣きだした司にたまらずかけよる真守。
そのまま抱き上げて司の頭をなでた。

「でもこの子は」
「ジャマしたかったんじゃないもん。マモと一緒に行きたかっただけだもん!」
「一緒にって。何をするかちゃんとお話ししたでしょう?司が行っても」
「どんな人か見たかったんだもん。イジワルな人やだ…怖い人もやだ」
「そんな人じゃないし、司の奥さんじゃないんだから」
「でもでも!マモ取られるんだもん!どんな人かみたいもん!」

泣き叫びながら痛いくらいギュッと真守に抱きつく司。すがり付いているに近いかもしれない。
あまり言葉にはしなかったけれど、やはり子どもながらに真守の見合いが気になっていたようで。
百香里は知らないが結婚がどういうものか梨香に色々と吹き込まれている司。
家を離れてしまうかもしれない、もう自分と遊んでくれないかもしれないと思うとなおさら寂しい。
でも邪魔をしてはいけないのは分かっている。だからこそ、どういう人か自分も確かめたかった。
最後の方は言葉にならない泣き声だったけれど言いたい事は十分通じた。

「分かったから、ね。司。そんなぎゅってしたら真守さんの服が」
「仕方の無い子だな。でも、お前がそんなに気にしてくれてるなら…一緒に行こうか」
「真守さん。でも、お邪魔になりますよ。変に思われるかも」
「子どもが好きな人が僕の希望ですから。司への態度も見させてもらいます。丁度いい」
「けど」
「やだやだやだやだ!」
「無理に引き離すと服を破られそうですしね」

絶対に離れるもんかと意地でも真守に抱きついているつもりらしい。
こんな強情に粘る司は初めてかもしれない。オモチャだってお菓子だって
母親に駄目と言われて文句をいう事はあったがここまで粘った事はない。

「わかりました。でも、司だけじゃ心もとないので私も行きます」
「はい。お願します」
「やだーーー!」
「もういいから。一緒に行こう司」
「…うん。いく」
「そうと決まったらお着替えしましょうね」

クシャクシャになった真守の服もかえなければ。3人でエレベーターをあがり
家に戻るとポカンとしている総司。事情を話すと苦笑していた。


「そんな硬くなる事あらへんて」
「総司さんが柔らかすぎるんですよ」

見合いの会場はきっと静で高そうな店だろうと百香里は思っていた。だが案内された場所は
彼女が想像したよりもずっと厳かで高級な場所。開かれた戸から見える庭が広い。綺麗。
自分なんか明らかに場違いだ。こんな所に司と2人なんて心もとない。
なので総司も一緒にきてもらった。
慣れているのかまったく動じる事無く案内された部屋にて寛いでいる。

「俺もこういう物音ひとつ立てられへんような所はあんまり好きやないけど。
呼ばへん限り人は来んし。こうして2人きりで仲良くするには丁度ええねん」

座布団に座ってお茶を飲んでいる不安げな百香里に近づく総司。
そのまま抱き寄せて頬を摺り寄せる。

「今日は真守さんの大事な見合いのお供です」

だが百香里からの返事は冷たいもの。

「分かってるて。そんな怖い顔せんといて」
「司があんな事をするくらい心配してるんです。私もちゃんとあの子と一緒に見てあげないと」
「大事な家族やからね」
「はい」
「せやけどなぁ」
「え?」

グラっと体が揺れたと思ったら畳張りの床に倒れ天井には総司の顔。
驚いて固まっていると彼の顔がすぐ傍まで近づいてくる。

「今は俺だけ見てたらええんやで」
「で、でも」
「百香里」

真っ直ぐに見つめられ。唇も軽く合わさりながら。
そんな熱い事を囁かれたら拒否なんて出来ない。

「……総司さん。……あ。ちょ、ちょっと!駄目!不味いですって!いや…っ」

悲鳴をあげることも出来ないまま旦那さまに百香里が良いようにされている頃。
少し離れた別室では真守に絶対についていくんだと離れない司と緊張している様子の見られない主役。
司も最初こそ大人しくしていたが我慢できずに机に置いてあったお菓子を勝手に食べ始める。

「ほら。お茶飲んで。そんなに熱くないから」
「うん…」
「どうした?そんな渋いお茶じゃないぞ?」
「ママ怒ってた。マモも怒ってる?ジャマしたって…怒ってる?」

真守にもらったお茶を飲みつつ不安げに彼の顔を見つめる。
勢いでここまで来たはいいがやはり内心は不安なのだろう。
そんな幼い姪の気持ちを察してか優しく微笑みその頭を撫でる真守。

「いいや。怒ってないよ。僕1人だと心細いから司が居てくれて良かった」
「だって。…怖いんだもん」
「司を苛めるような人とは絶対結婚しないから」
「それもあるけど。司が全然知らない人とケッコンちゃったら…全然知らないマモになっちゃいそうで」
「僕はずっと僕のままさ。そんな器用じゃないからね。そこもちゃんと分かってくれる人だといいんだけど」

不器用でツマらなくて楽しませるなんて芸当も出来そうにない。そんな人間。
ただ名の知れた巨大な会社の次男坊だからそれなりに女が寄って来たり縁談の話は来るけれど。
それは自分の本当の姿を見ていないからだということを本人が1番理解し苦痛としている所だ。

「トイレ行きたい」
「場所分かるか?」
「うん」

司は立ち上がり部屋を出て行く。真守は1人になって深いため息をした。
見合いはどうなるのだろう。できれば穏便に過ぎ去って欲しいと思うが。
時間まであと30分。そろそろ相手の女性とその仲人が来る頃だろう。

「専務に緊急事態と聞いてきたけど。司ちゃん、嘘ついたでしょう」
「だってそう言わないと千陽ちゃん来ないんだもん」

トイレと嘘をついてやってきた庭。そこに立っているのはスーツ姿の千陽。
困惑した様子の顔で司を見ている。頃合を見て彼女に電話した。

「あのね。秘書だからって専務のプライベートに踏み込むのはよくないのよ」
「ぜったいぜったいマモは無理してるの。本当はミアイなんかしたくないの!」
「……そう専務が言ったの?」
「言わない…けど、ぜったいそうなの!」
「だとしても。私にはどうしようもないことだから」
「でも」
「社長も奥様も私を持ち上げるけど。当の専務本人が何も仰ってくれないんだもの。
私を秘書以上にどうとも思ってないって事でしょう?これ以上期待させないで」

司に視線を合わせ寂しそうに微笑む千陽。周囲に押されて自分もその気になって
もしかしたら何時か専務から告白なんてと甘い妄想をしていた自分はそうとうな馬鹿だ。
だからもうこれ以上期待しないためにも。これ以上傷口を広げないためにも。
いっそこの見合いが上手く行って彼が既婚者になってしまえばいいとさえ思っている。

「マモは…マモは…ネガチブなドウテイで言わないとわかんないデクノボーなんだもん!」
「司ちゃんそれ」
「ユズが言ってた」
「だと思った」

こんな台詞を司に教えるのは彼しか居ないだろう。相変わらず最低だ。

「だから。マモも千陽ちゃん好きだけど…何かあって、言わないとわかんないんだよ」
「ありがとう。でも、その、私も勢いで済ませられる歳じゃないのよ。砕けたら戻らないのよ。分かって」
「……」

司は落ち込んだ様子だったが頷いて部屋に戻って行った。

「遅かったな。迷ったのか?」
「でっかいうんこしてた」
「そ、そうか。…よかったな出て」
「……」
「どうした。見合いをする僕より緊張してるみたいだな」
「マモ」
「ん」
「…ううん。頑張ってね」

暫くして準備が整ったと呼びに来て緊張する中会場へ向かう。
すでに着席中の相手とその両親。
此方は総司が一緒に座ってくれる予定なのだが。

「おお。すんません」

兄は少し遅れて席につく。
仲人の挨拶から始まりお互いの自己紹介などを淡々とこなす。
相手は若く美しい社長令嬢。学歴なども松前家に入るには申し分ない。
程なくして2人だけにしようと皆が席を立つ。

「あ、あの。真守さんはご趣味は」
「仕事ばかりでこれといって。暇な時は専ら読書か料理ですね」
「料理なさるんですね。私も料理教室に通っているので得意です」
「そうですか。いいですね」
「あの。庭に出ませんか。綺麗でしたよ」
「はい」

やはり相手に押されて彼女にばかり話させている。申し訳ないと思うけれど。
仕事抜きで個人的な話をするような女性は限られる。パターンが少ない。
彼女は退屈なんだろうな、帰りたいんじゃないだろうか。真守はマイナスに考える。
何時もそうだ。兄や弟に比べ秀でた所のない自分に価値を見いだせなくて自信がなくて、
がむしゃらに父の真似ばかりしてきた。それでいいと思っていた。オリジナルなんて無くていい。

「綺麗な花」
「本当に。手入れがいいですね」
「真守さんは将来どういう家庭を築きたいですか?私は子どもを沢山産んで育てて。
笑い声が絶えない暖かい家庭にしたいと思ってるんです。夢見すぎって言われますけど」
「それを僕に求めるのは厳しいな。当然なんでしょうけど」
「え?どういう意味ですか?」
「あ。いえ。努力します」
「私…いい家庭を築けそうです。真守さんとなら」

華やかな見た目だがとても穏やかな女性。口調もおっとりしていて絵に描いたような箱入り娘。
この人となら結婚できるだろうか。司の事も見ていて可愛い子ですねと笑っていたし。
真守は脳内で天秤にかける。足し算引き算をしていき徐々に結婚してもいい、に傾いていく。

「僕も同じ気持ちです。僕でよかったら結婚を前提に」
「いたっ」
「え?」
「…御堂さん?」

5分ほどの脳内会議で出した結論を口にしようとした所で後ろから声。
振り返ると膝をついて倒れている千陽が居た。その後ろには司。
もしかして彼女を突き飛ばしたのか?何故そんな事を。
それよりもどうして秘書がここにいるのか。真守には理解が出来ない。

「今しかないよ!くだけても司がまた拾ってボンドでくっ付けるから!」
「司?何を言ってるんだ?くっ付ける?何か壊したのか?」
「ちょ、ちょっと司ちゃん強引過ぎでしょう。足挫いた…あたたた」
「大丈夫ですか御堂さん。足を痛めたんですか?」

倒れた千陽を抱き起こす。どうやら倒れた時に捻ったらしい。
見合い相手も呆然とする中一先ず彼女を部屋に運ぶ事に。

「…すみません専務」
「いいんですよ。兄さんですか?貴方をこんな場所へ呼んだのは」
「いえ。自分の意思で」
「え?じゃあ、何か会社でトラブルでも?」
「…専務が見合いをなさると聞いたので」

彼女を座らせて足を見る。少し捻っただけで休めば治るだろう。
司は気を利かせたつもりなのか見合い相手と話をして足止め中。

「僕もそろそろ家庭を持たないと不味いだろうし、彼女と結婚すれば会社としてもプラスになる。だから」
「ご自分のお気持ちは?好きとか。嫌いとか。あるはずですよね。結婚は一生その人の傍に居る事ですよ」
「でも僕は」
「仕事が忙しいからなんて理由になりません。相手は物じゃありませんから。血が通ってますから」
「昔から何を欲しがっても満足に手に入れられなかった。例えいい所まで行っても取られたり譲ったり。
いくら努力しても凡人は凡人。最初から違う兄や才能のある弟に嫉妬して追いつこうとするなんて無駄。
さっさと諦めたほうが悩まないし苦しまないし早く気持ちを処理できる。そう思って生きてきたんです」

お前は優秀だと褒めてはくれたけれど、父の意識は長男や末っ子ばかり。
そんな父に本当の意味で認められるという事も今となっては永遠にかなわない夢となった。
何もかも崩れた後で知った家族というもの。暖かく、お節介で、新しい命の誕生にも関わった。

「……」
「いい歳をして情けない言い訳ばかりしてますね。笑ってください。でも、僕だって家庭が欲しい。
兄さんほどでなくても。相手に理解は求めません、ただ傍に居てくれるだけで…それでいい」

追いかける事をやめたのに。でも、兄のような家庭を少しは夢見ている自分がいる。
双方の愛情が無いと成り立たないと分かっていながら。期待してしまう自分。

「私が専務を、いえ、真守さんを幸せにしてみせます」
「え?」

なんて馬鹿な男だと呆れているといきなり千陽が手を掴んできた。

「家ではボロいスウェットで昼間から酒とか普通に飲みます。ゲップとか余裕でします。
実家は金持ちでもなんでもなくて農家でド田舎で。知能も品位も正直かなり低いです。
けど。私は誰より貴方を本気で愛してます。だから。私の愛情で暖かい家庭なんて作ってみたりして
みたりしてみたいな感じでどうですかみたいな感じがあってそれでもってこうなんていうかその」
「落ち着いてください。最後の方が日本語としておかしい事になっていますよ」
「とにかく!真守さんは自分を低く見ないで!貴方は最高なんです!私にとっては世界一の人なんです!」
「ははは。そこまで褒められると逆にうそ臭いですね。面白い口説き文句ですが」
「こ……こんな時まで真面目に返事をしないでください恥かしさで死にますよほんと」

ただでさえ頭の中で明日出す辞表の事を考えていると言うのに。
他の会社で雇ってもらえるかとか。あるいは海外旅行もいいとか。

「取引先でもないのに僕の価値をそこまで高く見てくれるのは嬉しいですね」
「専務は低く見すぎです」
「ありがとう。貴方は本当にいい人だ」
「……」

笑う真守。

「申し訳ありません。今貴方の求婚は受けられない」
「いいんです。分かってましたから、私はただ…自信を持ってもらいたかっただけですから」

専務と秘書じゃ立場が違いすぎる。何より今は見合い中。分かってたのに、
見事に当たって砕けた。千陽は笑ってみせるけれど内心泣きそう。すでに涙目。
明日辞表と失恋とダブルでこれはない。どうしたらいいのだろう。どう話したらいい。
いい歳をしてパニックにならないように落ち着かせるのが必死だなんて。

「頃合を見て此方から求婚させて頂きますのでそのつもりで居てください」
「は、はぃ…分かりまし……え。え。え。え?!今なんて」
「僕にも男としてのプライドがありますからね」
「……」
「顔が真っ赤だ。それは了承と受け取ってもいいでしょうか」
「……は、はい。…いいです」

どうしよう心臓が口から飛び出てしまいそう。緊張しすぎて。

「けど、僕でいいんですか?貴方ほど有能な人が僕なんて」
「そんな事言わないでください。専務は世界一ですから!」
「なら、よかった」

何となく専務が近いとは思っていたけれど。気づいたら胸の中。
口から全部飛び出そうな心臓を必死に堪える。

「…専務」
「知りませんよ後で後悔しても。面倒ですからね、色々と」
「だ、大丈夫…でっす…」

専務と秘書だから暫くは周囲には内緒にしなければならないだろう。
面倒と言われてすぐにその事を思った千陽。気持ちが届いたのは嬉しいけれど。
前途多難だ。そんな彼女を見て笑っている真守の吐息が耳に当たりこそばゆい。

「僕自身の事も含めて」
「え」
「大丈夫かな、…千陽なら」
「っ」

耳元で囁いてるから?専務の声ってこんな艶っぽかったっけ。
そして軽い頬のキスがこんなに体を熱くさせるものなの?
喜びと同時に混乱してきた千陽であった。

続く

2012/06/21