不満


「総司さんお風呂入りましょう」
「入る!はい…る…はずやったんやけど今日はなんや方角が悪いわ」
「それは昨日聞きました。その前は死んだおばあちゃんが駄目だって言ってるって。
その前は前世のたたりで入れないとか言って。その前は蕁麻疹がでたとか。まだ続けます?」
「そんな怖い顔せんといて。その前は一緒に入ったやん?」
「全然話ししてくれないしあんまり目も合わせてくれなかったですけど」

ソファで寛いでいる総司の元へ行きそれとなく風呂に誘ってみる。
妻の誘いに最初は物凄くいい反応をしたのに何故か断わられた。寝る時といい風呂といい、
2人が密接に触れ合うことを避けているようで。彼なりに気遣ってくれていると分かっていても
百香里としてはちょっと不機嫌。隣に座ってふくれっ面をして抗議すると困った顔の総司。

「怒った?堪忍して」
「もういいです。1人で入ります」
「あ、あの、…僕も入りたいです」
「……」
「ユカリちゃん」
「入りましょう」

百香里にそっぽを向かれてはどうにもならない。準備をして風呂場へ。
弟たちは自分たちの部屋に居て出てくる気配は無い。
さっそく服を脱いで浴室へ。まずは体を洗おうと椅子に座る百香里。

「体冷やさんようにな」
「総司さん」
「な、なに?」
「そんな見られると」
「恥かしい?」
「気づかれするので普通にしててください」

後ろでじっと見ているだけの総司はちょっと怖い。何時もならちょっかいを出してきて
一緒に体を洗ったりして触れ合うのに。ここの所こんな距離感。
結局百香里は1人で頭と体を洗って湯船に浸かる。あまりいい気分はしない。

「ユカリちゃん」
「もしかして私実家に帰ってた方がいいんでしょうか」
「そ、そんなんあかん。傍に居って」

体が冷えてはいけないからと何時もみたいに膝には乗せてくれない。
広いから2人横に並んで座っても十分な余裕があるけれど。微妙な距離感が出来ていて
あまり会話も弾まない。せめて手を握ってくれても良いのに。それもなく。

「総司さん気を使いすぎです。…初めてじゃないんですから、そんなオドオドしなくても」
「……」
「確かに私は初産だし。総司さんから見たら子どもで頼りなく見えるかもしれないけど。
だからってそんなあからさまに距離を置かれたら私どうしたらいいんですか。…寂しいです」

過保護でも傍に居てくれるならいいけどそうじゃない。むしろ離れてしまった。
落ち着いているとはいえ百香里だって出産に不安はある。母や義姉と話すのもいいけど
そんな時はやはり夫と話をしたい。何時もみたいに接してくれたら落ち着けるのに。
ここの所あまり笑ってない。怒っているか不満に思っているか寂しいと思っているか。

「堪忍…言うても、許してもらえんかな。子ども扱い出来る立場やないよ、俺が1番子どもやから」
「……」
「あかんねん。ユカリちゃんの傍に居ると、我慢できへん。めっちゃえっちしたい」
「え?」
「ユカリちゃんが可愛いのがあかんのや」
「あの、私の体を気遣ってくれてたんじゃ」
「き、気遣ってるよ?せやけどムラムラして…あ、あかん。…そんな可愛い目で見んといて」

お隣の様子を伺うとちょっと苦しそうな顔をして視線を逸らす総司。
ずっと妊娠した自分を気遣って距離を置いているものとばかり思っていた。
基本はそうなのだろうが。まさか自分の性欲を止める意味でもあったとは。

「あの、先生に聞いたら妊娠中でもセックスしていいって」
「そうなん?……いや、あかん。あかん」
「どうしてですか?」
「ユカリちゃんをあーしてこーしてそーして…もう…エラい事になってるから」

彼の想像の中で百香里はよほどアクティブな動きをしているらしい。
恥かしそうに視線を逸らす総司につい笑ってしまう百香里。
そういう事なら話はまた少し変わってくる。

「総司さんのえっち」
「そ、…そうなんさ。せやから、あんまり近づいたらあかんなと思て」
「だからって他の女性の所には行かないでくださいね?」

医者に確認を取ったとはいえ流石にハードな行為は出来ないし体調によっては
彼の気持ちに応えられない日があるかもしれない。それが生まれるまで続く。
我慢し続けるのは大変そうだけど、だからって違う女性で満たされるなんて嫌。
百香里はこっそりと手を伸ばし総司の下半身へ。

「そんな事あるわけ…あっ…ユカリちゃん…そんな所握らんといて…」
「こうして時々触れないと忘れちゃいそうで。あ、痛いですか?」
「えっ…いや…もっと…ギュッとして」
「こう?」
「あ…うん。…そう」

ちゃんと向かい合い百香里は両手でソレを丁寧に愛撫する。
えっちは何時も彼に任せきりであまり得意ではないけれど。
自分の行為で満更でもない様子の夫を見て少し嬉しい。

「ごめんなさい、これくらいしか出来なくて」
「そ、そんな。ええよ。ちょ…ちょっと…舐めてくれたら…」
「はい」

百香里と距離を取っておきながらイザとなるとやはり我慢できない。
いやらしい事をお願いしている自分を恥じながらも立ち上がり風呂のヘリに座る総司。
先ほどまでの手の愛撫でそこそこ硬さを持ち始めたソレを百香里がそっと口に含む。

「…あかんな…ぁ」

冷静になったら負けだ。でも彼女を引き離す力も無い。上手な愛撫ではないけれど
一生懸命口で奉仕してくれる様を見ているだけで幸せになり、百香里への愛しさとか
かき立てられる欲情とか快楽など沸き立って困る。

「…すいません」
「ユカリちゃんはええんや。俺に付き合ってくれて」
「夫婦ですから。……そうでしょう?」

まだ少し気にしている様子の夫に百香里は微笑み手をコソコソと動かす。

「あっ…えらいトコ触って…何処で習ったん…あかんて」
「さあ何処でしょう」
「…意地悪な目や」
「こんな事もしちゃいます」
「あ…っ…ほ、ほんまに何処でそんな妙技をっ」

少々のぼせながらも風呂場から出る2人には先ほどまでのギスギスした空気はなく
百香里は何時もの笑顔を取り戻し総司と手を繋いでいた。
寝室に入ると眠る準備をしてベッドに座る。その手には何かの雑誌。

「最初は簡単なので…」
「なになに?」

総司はもう隣の簡易ベッドではなく百香里の傍で眠ることにしたらしい。
何を読んでいるのか気になるようで後ろから抱きしめつつ顔を覗かせた。
本は借りるか人から貰う派な百香里が雑誌を買うのは珍しいからなお更気になる。
やはり新人ママが読むような育児雑誌だろうか。

「編み物です」
「ああぁ。赤ちゃんの靴下とかやろ?あれは可愛いなあ」
「はい。……前の奥さんも…作ってました?」
「え?…っと、手芸とか好きな奥さんはたいがい作るんと違う?」
「そう、ですね。可愛いですもんね靴下とか」

やはりその手の雑誌だったらしくいくつかの写真と共に
大人用ではなく赤ん坊サイズの小さな靴下や帽子の編み方が書かれていた。
百香里は視線を複雑な表情をする総司から雑誌に戻し苦笑いする。
妊娠してからというもの何故か意識してしまう彼の前妻さん。

「ほんま。小さい手に足や」
「総司さんは手も足も大きい」
「そらええ大人やもん。ユカリちゃんはおっぱい大きい」
「はい。最近ちょっと張ってきました。これからも張ってくると思います」
「揉んだらなあかんね」
「……」
「あ。べつにエロい意味だけやないで?」
「分かってます」

ただ彼女にも同じようにしたのかなとか過ぎっただけで。

「ユカリちゃん?怒った?」
「よし。明日から頑張ろう」
「毛糸とか買いに行くん?それやったら俺も一緒に」
「お義姉さんと買い物に行く約束してますから」
「そうかぁ」
「急なんですけどここに来てもらって一緒に編み物をしたいんです…いいですか?」
「もちろん。俺も居れたらええんやけど」
「社長さんが昼間から家に居るなんてお義姉さんに怪しまれますからやめてくださいね」
「はーい」

本当は義姉と編み物をするというより相談に乗ってもらおうと思っていた。
今はもう話をして解決してしまったけれど、何かと距離をおく夫の事で。
なんて裏の事情を総司に言えるわけもなく。電気を消して抱きしめてもらい目を瞑る。
やはりこの温もりの中でないと安心して眠れない。離れていた時ずっと不安だった。

「…総司さん」
「ん」
「もう離れたらいや」
「俺も同じことおもてた。…堪忍な」
「…今度だけですからね」

闇の中軽いキスをして後は静に眠りについた。
体の芯が悶々としても。


「朝から聴くもんじゃねーだろ」
「いいじゃないか。不快な音じゃない」
「ただでさえ眠いのにこんなダルい音楽なんか聴いてられるか」

翌朝。何時ものように気だるそうに大あくびをしてリビングに入ってきた渉。
嫌な予感はしていたがドアを開けたら予想的中。視線の先にCDラジカセ。
そしてそこからは眠くて眠くて仕方のないあの胎教音楽が。
眠りにいざなうような音楽をBGMに平然と新聞を読んでいる真守。
百香里は居ないようでつい本音を貰う渉だが。

「駄目でした?ごめんなさいすぐ片付けます」

すぐ後ろに百香里が居たようで慌ててラジカセを止めに向かう。

「あ。…いや、悪いとは言ってないだろ。そんな走るなよ危ないな」
「でも」
「気にしないでください義姉さん」
「そうそう。それより飯ちょうだい。飯」

渉が音楽の事で苛立っているように見えたのだが本人は否定する。百香里は気にしながらも
準備した朝食をテーブルに並べその間に渉は自分でコーヒーを淹れた。何時もよりかなり濃い目の。
すぐに総司も起きてきて4人での朝食。夫婦の関係が戻った所為か久しぶりに笑い声のある朝だった。

「……はぁ」
「大丈夫ですか?」
「すいませんちょっとつわりが」
「休んでいてください後は僕が」

皆が出勤の準備をする中、片づけをしていると気分が悪くなってその場にしゃがみこむ。
それを見つけて百香里を支え椅子まで案内してくれたのは真守。もう会社に行く準備をして
キッチリとスーツを着ていたが関係なく皿を洗い他の片付けもしてくれた。

「ありがとうございます」
「大丈夫ですか?兄さんに知らせて病院に」
「これはいつもの事ですから。総司さんにも言わないでください。絶対会社休むって言い出すので」
「ですが」
「今日は義姉と会う約束をしてるんです、何かあれば義姉にお願いしますから」
「そうですか。でも無理はしないでください」
「はい」

心配そうにしながらも誰よりも先にマンションを出て行く真守。
今日も忙しそうだ。それは他の2人も同じだろうけど。

「ええか。何かあったらすぐに電話やで?」
「はい」
「あんまり顔色ええないけど、何処も悪ない?嘘ついたらあかんよ?」
「大丈夫です」

続いて来たのは総司。不調なのを見透かされたようでちょっとドキっとしたが
認めたら絶対に会社に行かないのでここは笑顔で通し、
少し歪んでいるネクタイを直す。でも未だに気にしている様子の夫。

「ほんまか?」
「おっさん」
「おっさんちゃうわ。お兄ちゃんやて言うてるやろ」
「いいからさっさと出てけよでけえ図体がつっかえてんだよおっさん」

そこへ最後に準備を終えて玄関に来た渉。総司が居座る所為で
何時までも靴をはけず苛々している様子。
百香里はここぞとばかりに総司を会社へ行かせる体勢をとる。

「今日も頑張ってくださいね」
「ほな行っ…待たんかい渉!今またおっさん言うたやろ!お兄ちゃんや!お兄ちゃんと言え!」
「誰が言うかクソジジイ」
「まだまだ爺ちゃうわ!待て!待たんかい!」

あんなに行くのを嫌がっていたのに先に行ってしまった渉を追いかけ
すんなり出て行く総司。あまりの速さにぽかんとしていると
廊下から聞こえてきた何時もの兄弟のやりとり。つい笑ってしまう百香里。
忘れずにカギをしてリビングに戻る。義姉との約束はまだもう少し先。
したいことはあるが今は胎教CDを聴いて気持ちを落ち着かせる事にした。



「料理の基礎。…専務、料理をなさるんですか?」
「そう思ってはいるものの知識は詰め込めても実際出来るかどうか」
「専務は器用でいらっしゃるから。それに今は男性でも料理教室に通う時代ですし」
「料理教室か」

昼休み所用で立ち寄った専務室。そこに見慣れぬ真新しい本が1冊。
今まで趣味の本などいっさい置いていなかったのに。
そんな彼が料理に目覚めるきっかけが知りたい千陽ではあるが
あまり立ち入った事を聞いてはいけない気もして聞けずにモヤモヤ。

「ええ、私もたまに行きます」
「……」

腕がアレだから教室に通っているのか。それとも通っていても腕がアレなのか。
つい真面目に考えてしまった真守だがすぐに振り切った。
千陽は不思議そうな顔をして此方の様子を伺っている。

「あの」
「何でもありません、書類は後で確認させてもらいます」
「はい。よろしくお願いします」

彼女が去った後、真面目に料理教室を考える。今の間だけにしても家政婦さんを雇うのは
義姉が嫌がるだろう。自分たちに遠慮して表向きは受け入れてくれたとしても。世話をするのが
好きな人だしそんな彼女が居たからこそ相性も仲も悪い兄弟でもうまくやってこれた。

「真守ええか」
「はい。どうぞ」

考え込んでいるところへ珍しく総司が来る。

「飯は?」
「食べました」
「そうか。…あんな、お前に相談したいことあるんやけど」
「なんですか改まって」
「ユカリちゃんが妊娠したこと何でか漏れてて、色んなとこから女か男かて煩いんや」
「それでどちら側につくか決まりますしね」

表向きは出産を祝う笑顔でもその内側では違う。会社内でも外でも注目されている跡目。
男なら次期社長ということで今のまま総司側につくだろうし。女なら様子を見て風向きが悪ければ
真守か或いは渉につくかもしれない。昔のように調子のいい甘言を言って。甘い汁を吸おうとする。
どちらにしろそんな者に動かされる気はまったくないが。

「俺らはええんやけど、ユカリちゃんはそんなん知らん」
「そうですね」

松前家の実家に行った時それに少し触れてショックを受けていたようだし。
これ以上彼女を巻き込みたくは無い。総司だけでなく真守も同じ気持ち。
たぶん渉も話したら同意してくれるだろう。

「これからも知らんでおってほしい。どうしたらええやろか」
「義姉さんを会社に近づけさせないようにするしかないでしょう」
「はあ。もっとユカリちゃんと部屋でデートしたかった…」
「何を言ってるんですか。しっかりしてください」
「わかってる。…せやけど、ユカリちゃん今何してるやろか。電話してくれへんかな」



続く


2010/09/16