気になるあいつ


「皆さんお忙しいでしょ?私が見てますからどうぞ会社に戻」
「あいつ何ベタベタ触ってんだよさっき砂場で遊んだ手だろーが」
「確かに清潔感は大事だな」
「ですから」
「心配すんな社長は居る」
「そうです。社長は居ます」
「真守さんまで…」

睨むに近いくらいの勢いで百香里の後ろに座っているスーツの男2人組み。
すぐに帰るからといいながらかれこれ10分ほど園児の遊ぶ姿を見つめている。
幼稚園から出てきてすぐ帰るのではなく無邪気に砂場で遊ぶ司とトモ君。
彼が持って来たおもちゃに司は夢中になっていて此方を振り返る様子は無い。
百香里は先ほどからハラハラしてしかたない。
彼らが飛び込んでいかないか。今のこの勢いでは絶対に泣かせてしまう。

「すみません。あの、2人は司の叔父ですから。変な人とかじゃないですから」
「司ちゃんは可愛がられてるんですね」
「…可愛がりすぎるのもどうかと思うんですけど」

トモ君の母親も一緒で最初はその異様な光景に恐れをなしていたけれど
慌てて百香里が説明して時間が経つと少しは落ち着いてくれたようで。
百香里よりも5つ年上のママさんで上にもう1人小学生の子どもがいるという。

「子どもはやっぱり可愛いもの。でも手がかかる時は怒っちゃうけど」
「私もよく怒ります。でもすぐにパパや叔父さんたちに逃げちゃって」
「うちもそうよ。夫とその両親と暮らしてるから。孫が可愛くてしょうがないみたい。私が悪者」
「皆して怒りすぎとか司はもう反省してるとか。絶対分かってないんですあの人たち」
「そういうものよ。子どもが女の子ならなお更」

大丈夫よと言ってくれるけれど百香里はまた渋い顔。

「いいんです。私は私でちゃんと司を躾けるんです」
「そんな気を張らなくてもいいのに。司ちゃん私にもちゃんと挨拶してくれるし明るいいい子ですよ?」
「上っ面だけです。ヤンチャでいう事聞かないしすぐ甘えるし。もっとビシバシしないと」
「松前さんって意外に教育ママなんだ」
「はい。あの子には色んなものを背負わせちゃうから。今から特訓しておくんです」
「背負う?」
「あ。いえ。家が厳しいんです。躾に」

司がもし松前家を背負う事になったとしたら。その責任と重圧は百香里なんかでは到底分からない。
だから今みたいに何でもしてもらえて皆から甘やかされたまま育ってしまうと後々不便そうで。
出来るだけの準備はしてやりたい。それで嫌われても仕方ないと百香里は思っている。

「そろそろ時間か。渉、お前はどうする」
「戻りたくないけど上司が面倒そうだから帰る」
「義姉さんも居るんだ大丈夫だろう」
「顔もしっかり覚えたしな」
「それに清潔感の欠如と司に不用意に近づきすぎる事も問題だな。適度な距離感を持ってもらわないと」
「後でユカりんに言っとこう」
「そうしよう」

時計を見て渋々立ち上がる真守と渉。出来れば最後まで様子を伺っていたいが
そういう訳にもいかず百香里に声をかけて去って行った。

「やっと帰った…」

胸をなでおろす百香里。苦笑するトモ君のママ。
何も知らない司とトモ君はまだ楽しそうに遊んでいた。

「ど、ど、ど、どやった!どんな坊主やった!」
「兄さん落ち着いてください」

真守は会社に戻るとまずは社長室へ。
たぶんこんな感じだろうなという想像通りの興奮した様子の兄に苦笑もでない。
重厚なつくりの椅子に座り此方を見つめる姿は娘の様子を知りたいただの父親。

「司に相応しい坊主やったか!?ええかげんなハナタレ小僧やないやろな!」
「少し様子を伺っただけなので司に相応しいか否かは判断しかねますが。
少々清潔感に欠けるのと必要以上に司にくっ付いて来るところは要注意ですね」
「何やと!あぁやっぱり俺も見に行くべきやったなぁ」
「仕方ありません。兄さんまで会社を出る事はできませんから」
「今度その坊主家に呼んだらええんや。そしたらよう分かる」
「それはいいですね。此方としてももう少し様子を伺いたいので」
「ユカリちゃんに言うとこ」

そんな企みが画策されているなんて百香里は知る由もなく。
司を連れて夕飯の買い物をしてマンションに戻ってきていた。お手伝いをお願いすると
すんなり了承し片付けなんかをしてくれる司。基本いい子なのだが時たまわがままを言って
それを拒否されると泣き喚き暴れて拗ねたりして親を困らせる。

「ママお手伝いおわった。テレビみていい?」
「いいけど渉さんが来たらちゃんとお帰りなさいって言うのよ」
「いっつも言ってるもん」
「この前テレビに夢中で黙ってたでしょう。ちゃんと挨拶しないと駄目」
「はぁい」

司はソファにすわり大好きなアニメを観始めた。百香里は夕飯の準備。
このアニメに嵌ってからは積極的に手伝いをしてくれなくなった。ちょっと寂しい。
暫くはアニメの音だけが響いていたリビング。でも5時を回りしばらくして玄関の開く音。

「お帰りなさい渉さん」
「お帰りユズ!」
「ただいま」

渉の顔を見て言いつけどおりにちゃんと挨拶する司。
でもすぐにテレビに戻ったがそれでもちょっと嬉しそうな渉。
ポケットから小さな可愛らしいラッピングの袋を取り出し司に渡す。

「おかし?」
「ケーキは山ほどあったからな。今度はお菓子にしといた」
「やった!ママ」
「ご飯の後にね。ほら、お礼は?」
「ありがとうユズ!」

嬉しそうにする司にまんざらでもない表情をみせ色違いの袋を作業中の百香里の傍に置く。

「これユカりんの」
「私にまで?ありがとうございます」
「まあ。今日はちょっとあんたにも迷惑かけたしさ」
「自覚はあるんですね」
「あー酒のみて。ビール出しといて」
「はい」

それだけ言うと着替える為に部屋に戻っていく。司はまだテレビを見ているけれど
その手には先ほどもらったお菓子の入った袋をちゃんと持っている。
渉が戻りのんびりと晩酌をするくらいにはテレビを消して彼の隣に座る。
話がしたいというよりは彼が食べているつまみが目当てでよくもらって食べる。

「ママ明日えんそくのおやつ買いに行きたい」
「そうね。じゃあ明日幼稚園の帰りに買おうか」
「うん。ねね。ユズもえんそくでおやつ買ってもらった?」
「俺か?俺は遠足なんて今まで一度も行ってねえからわかんねぇな」
「どうして?きっと楽しいよ?パパもママも一緒だもん」
「…パパは忙しくて、ママはもう居なかった。1人で行っても面白くもなんともねえ」

だから遠足なんて行った事ない。いく気もなかった。ただ鬱陶しいだけ。
自分が行かない手前か渉が行かなくても父親は何も言わなかった。
兄たちも弟にそう構うことなんて無かったから渉は自分の部屋にずっといた。
とにかく退屈で窮屈で馬鹿みたいな子ども時代しか思い出せない。

「ほら。司。お夕飯運ぶの手伝ってちょうだい」
「うん」

空気を読んだのか百香里は司を台所へ呼んで手伝いをさせた。その後総司、
もう少し遅れて真守が帰ってきて家族で団欒。その時も遠足の話題は出たが
先ほどの事もあり渉にはあまりふらないように百香里は敢えて話を逸らしたりして。

「俺は別に気にしてねえから。そんな腫れ物みたいにされるほうが嫌だしさ」
「そういう訳じゃ」

夕飯の片づけをしている所へそれとなく渉がきて声をかけてきた。
百香里としては気を使ったつもりだったのだが、それが彼には嫌だったらしい。

「司にはちゃんと付き合ってやってくれよ。俺は寂しいなんて思った事なかった。けどさ。
やっぱ…それはちょっと違うと思うから。あいつには必要なんだ。両親ってのがさ」
「安心せえ。俺は司の父ちゃんでありお前の兄ちゃんであり父親がわりやからな」
「総司さん何時の間に」

2人の後ろに司のオモチャを持った総司。ニコニコと笑って渉に言う。

「笑えねぇ冗談言うなよ気持ち悪い」

対する弟は不機嫌な顔。

「照れんでもええがな」
「照れてないしそもそも親代わりなんて求めてない。あんたはあんただろ。…兄貴だ」
「お。何や久しぶりに兄貴言うてくれたな」
「うるせえ糞中年野朗」

吐き捨てるように言ってその場から去っていった。

「照れよって。なあユカリちゃん片付け終わったら風呂いこ。司も一緒がええって」
「はい」
「遠足楽しみやね。司はその話ばっかりや」
「お弁当頑張って豪華にします。それで、その。今晩、…総司さんとゆっくりお話がしたいな」
「そんな楽しいお誘い断るわけないやんか」
「片付けたらすぐお風呂の準備を」
「俺がするわ」

片づけを終わらせた頃には風呂に入る準備は出来ていて。司を呼び3人でお風呂。
話題はトモ君の事や遠足の事。司は嬉しそうに話してくれて。
総司は時折渋い顔をしつつも娘が楽しそうにしているのはやはり嬉しいらしい。

「そんな落ち込まないでください」
「何でやねん。何で宇宙飛行士やねん…普通にアイドルとかでええやんか…」
「トモ君が宇宙好きみたいでそれで色々教えてくれるみたいです」
「なんちゅう事を」
「いいじゃないですか夢が大きくて」
「司が宇宙行ってしもたら寂しいわ」
「まだずっと先の話しです」
「せやけどさ」

寝室のベッドに座って落ち込む総司。百香里は眠る準備を整える。
夫が落ち込んでいるのは風呂で娘が語った将来の夢。
いきなり宇宙飛行士なんて言い出したから百香里も少し驚いたけれど。
自分よりも総司の方が取り乱していたからまだ落ち着く事が出来た。

「さ。総司さん。電気消しますよ」
「うん」

百香里は立ち上がり部屋の電気を消すと彼の待つベッドの中へ。
すぐさま抱きしめられてキスする。

「総司さんにはずっと私が居ます。私だけじゃ寂しいですか?」
「ユカリちゃんと出会ってから寂しいとか思った事ない」
「じゃあこれからも司がトモ君と2人で遊んでもいいですね?」
「そらアカン。それとはまた別もんやろ」
「そうでしょうか」

組み敷かれオデコにキスされながらの会話。
娘の事になるとえっちよりも気がいくらしい。特に男の子との距離について。
幼稚園児にそんな感情なんてないと思う百香里だが総司はいたって真面目。
義弟たちも同じようにピリピリしてしまうからその手の会話には気を使う。

「せやで。俺の妨害を乗り越えて見せる男が現れるまでは」
「総司さん優しいからきっと真面目にお願いすれば大丈夫ですよね」
「いーや。お父ちゃんはそう簡単には許さへんで」
「いいです。私が許します。私も総司さんのご両親から承諾得てないから。せめて司には」
「俺ももらってへんよ。ユカリちゃんのお父さん代わりの義兄さんから」
「認めてくれてるはずなんです。きっかけさえあればお兄ちゃんだって」
「ええんや。…ユカリちゃんのおっぱい可愛い」
「どういう流れですか」
「えっちする流れやろ」

百香里の唇に吸い付くと手は彼女の体を弄る。優しくゆっくりジワジワと。

「あ…ぁん」
「百香里」

総司に包まれるように百香里はギュッと身を寄せて甘える。
それは熱いくらいの体温。でも嫌ではなくて。自分自身も熱くなっていくのがわかる。
今はまだ次の子は控えようと避妊具をつけているけれど。もう1人くらい子どもが居てもいい。
兄夫婦みたいな賑やかな家庭。今度は男の子もいいと百香里は思う。

「…総司さん焦らさないで」
「可愛いトコはじっくり見てから」
「もう。すけべ」
「分かってる癖に」
「総司さ」
「ママ!ママ!ママーーー!」

司の叫び声とドンドンと乱暴にドアがノックされる音がして慌ててパジャマを着る2人。
確か今日は真守の部屋で寝ると言っていたはずなのに。何かあったのか。
ドアを開けると勢い良く百香里に抱きついてきた司は酷く慌てている。

「どうしたの司」
「マモのお手伝いしようと思ってころんでカップ壊れてそれでそでれ」
「落ち着いて。転んだの?怪我は?」
「ないけど。けど。ゆかにこぼした…コップわった」
「分かった。ママ掃除してくるから。司は真守さんにごめんなさいしなさい」
「はい」
「パパも行くでそんな顔せんと。誰も怒ってへん」
「でも…マモ困った顔してた」
「とにかく。先にパパと一緒に行きなさい」
「はい」

何時も遅くまで部屋で仕事する真守の手伝いがしたかったのだろうと察しはつく。
百香里は司に怪我が無いか確認してからすぐに真守の部屋へ行く前に雑巾など準備。
総司は落ち込んでいる司を抱っこして先に向かった。

「確かにちょっと困ったけど怒ってなんかないから」
「…ごめんなさい」
「いいんだ。司の気持ちは嬉しかったよ」

部屋では片付け中の真守。司が転んで彼も慌てたのだろう地面に散らばる書類。
いくつかはコーヒーが染みて使い物にならなくなっている。

「泣かへんでええから。ほら、真守も怒ってへんやろ?」

間をおく事で少し冷静になりその惨状を見て司は改めて悪いと思ったのか泣き出した。
頭を撫でて宥める総司だがそれでもまだ泣き止まない。仕方なく部屋から出た。
変わりに百香里が入り真守のかわりに部屋の掃除をする。

「お仕事の邪魔をしてしまって本当に申し訳ありません」
「この資料もデータでちゃんと残ってますからご心配なく。世話が好きな所は義姉さんに似たんでしょうね」
「そうかもしれませんね」
「ただ…」
「何かありました?私で出来る事なら何でも」
「応募しようと貯めていたシールが濡れてしまって」

そういう真守の手には今CMで流れている缶コーヒーの応募用紙。缶コーヒーを買って
付いているシールを集めれば抽選で商品がもらえるという物。それを手に苦笑いの真守。
濡れて使えない用紙にはシールがぎっしりで恐らくもう送れるくらいの点数はあった模様。

「あ」
「でもいいんです。また集めなおせばいい」
「それなら私も飲みます。コーヒーじゃなくてもシリーズなら大丈夫ですし」
「…司ものむ」
「司。居たのか」

ドアの隙間からこっそり此方を伺っている司の顔。
聞かれていたようで驚いた真守だがすぐにこっちへおいでと笑顔で手招き。
すると最初は戸惑っていたようだが百香里にも呼ばれ恐る恐る中へ。

「司ものむから」
「ありがとう。3人で協力しあえばすぐだな」
「うん」
「どうする?今日はもうママと寝る?」
「……マモ」

様子を伺うように真守を見上げる司。

「今日は白雪姫だったな」
「うん」

頭を撫でてもらってちょっと嬉しそう。それで娘の気持ちを察する百香里。

「じゃあ司。もう大人しく寝るのよ?」
「うん」

お願しますと真守に頭を下げて去っていった。


「司は?」
「真守さんと寝るみたいです」
「そうか」

リビングへ1人向かうとソファに座っている総司。
百香里がきたのを見て立ち上がり近づいてくる。

「驚きましたけど、大事にならなくてよかった。私に似てそそっかしいから」
「優しい子なんやね。ほな戻ろか」
「はい。戻ったら続き。ですよ、ね?」
「せやね」

夫婦は顔を見合わせて少し微笑み階段をあがっていった。

「マモ」
「ん。何だ」
「コップごめんね」
「もういいからおやすみ」
「…かわりのコップ買うから」
「わかった」
「……やすみ」
「おやすみ」


続く

2012/05/05