水入らず?


「絶対に雑に扱うなよ」
「はい」
「やばいと思ったらすぐに電話しろ」
「はい」
「今日はまだちょっと腹が緩いんだ…やっぱもっぺん医者に診せるべきじゃ」
「渉。母親は義姉さんなんだぞ。そんな煩く言うな」
「一応だよ。一応!」

出発当日の朝。司を余所行きの服に着替えさせ荷物を総司に任せて先にリビングへ降り立ったら
その辺をウロウロして明らかに苛々している様子の渉とそれに呆れている真守が居た。
渉は司を1泊させることに不安を持っているらしい。なにせ外泊なんて初めての事だから。

「気をつけて行きます。途中報告や写真を送りますから」
「絶対だぞ」
「僕たちの事は気にしないで楽しんできてください」
「ありがとうございます」

何とか説得をして先に玄関へ向かう。渉はまだ少し不安そうだったけれど。
一緒に来たいと言えば了承するつもりでいたが最後までいう事はなかった。
司をあやしながら総司がおりてくるのを待つ。

「よっしゃ行こか」
「はい。荷物持ちましょうか」
「ええよ。ユカリちゃんは司頼むで」
「はい」

両手に荷物を持って登場の総司。殆ど司のもの。軽いから大丈夫だと言ってマンションを出る。
荷物を後ろに置いて車に乗り込むと司はチャイルドシートへ。百香里はその隣。
今の所大人しくしている。真守に買ってもらったお気に入りのぬいぐるみを抱いて。

「ええ天気でよかったなぁ」
「私はそれよりも総司さんがお休み取れたことに驚いてますけどね」
「そうか?俺かてやるときはやる男やで」

旅行の直前まで忙しそうにしていて帰ってくるのも真守並みに夜遅かった総司。
もしかしたら休みを取る為に何時も以上に必死になってくれたのかもしれないけれど。
彼に負担にならないように百香里は何も言わず何時も通り接していた。

「そうですね。ふふ」
「なんやあんま信頼されてへんみたいやなあ」
「そんな事ないですよ?総司さんは私や司を優先してくれるいいお父さんです」

拗ねた顔をする総司だったがニコニコと笑いかけるとそれもすぐやめて笑い返す。
何があろうともこうして家族で旅行に来ているのだから。喜ばなければ勿体無い。

「旅館までちょい時間あるで司気にかけたってな」
「はい。総司さんもあんまり無理しないで休み休みでいいですからね」
「はよついて旅館でユカリちゃんに膝枕してもらうんや」
「膝枕だけでいいんですか?」
「えっちな枕してもらお」
「いいですよ」
「ほ、ほんま?…期待してええんやろか…」

ブツブツと何やら言いながら目的地へと車を走らせる総司。
1泊である事と司も居るので外に出て観光よりも旅館内の散策で終える予定。
それでも日常を忘れる事が出来るなら。妻と子といられるなら十分だと思う。

「司寝ちゃいました」
「ほな音小さしよか。ユカリちゃんも寝てええよ」
「寝顔見るでしょ。恥かしいし危ないから駄目」
「見たらあかんの?司とユカリちゃんの可愛い寝顔」
「駄目です。すごい間抜けな顔してるから」
「寂しいなあ。ほな静かにして寝るの待とか」
「総司さんのいじわる」

笑う総司にちょっとだけ怒るそぶりを見せる百香里。でもすぐに気を取り直し別の話題をふる。その後は
渉にメールで司の様子を報告したりと眠る事なく旅館へと到着。街の雑踏から離れた静かな旅館。
何処かのお屋敷のような立派な門構えに百香里は見覚えがあった。
もちろん客として以前来た事がある訳ではなくて、テレビに出たり懸賞商品に出る所だったから。
名前くらいは知っている程度。豪華すぎる所へは行きたくないとそれとなく総司に伝えたつもりだったのに。
こんないい所に泊まっていいのだろうか。お金足りるだろうか。心配はいらないと分かっていてもハラハラ。
司を抱っこしたまま何処かぎこちない様子で中へ入る百香里。手続きは総司がする。

「そんな怖い顔せんと。膝枕楽しみにしてるんやけどなぁ」

ここには何度も来ているらしく総司は案内の仲居を断わって鍵を受け取ると自分で目的地へと歩き出した。
旅館の従業員たちは社長とその家族が来る事は皆知っているようで過剰なくらいサービスをしてくれる。
それは悪い事ではないけれど、何時もより鮮明な社長夫人という扱いに何時になく緊張している百香里。
彼女なりに夫人らしくあろうと険しい顔になって総司の後ろを歩く。そんな妻が居た堪れなくて。

「すいません」
「責めてるんとちゃうよ。えっちの時とか攻めて欲しいタイプやん?」
「知りません」

まだ部屋についてないのにと恥かしそうに顔を赤らめプイと視線を逸らす百香里。
抱っこされていた司は何があったのかと確かめるように母親の頬をペチペチと叩く。

「ママは冷たいなあ司。そこも可愛いけど」
「可愛くないです」
「可愛いて。なあ司。ママは可愛いなあ」

そんな叩いたらあかんよと娘の小さな手をそっと戻す。

「凄い喜んでるんですよ?分かり難いでしょうけど。これでも」
「わかってるて。ユカリちゃんの事はだいたいわかる」
「だいたいですか。…部屋はどんな感じなんでしょうね」
「部屋に露店風呂あんで。もちろん温泉の」
「すごいですね。楽しみ」

部屋に露天があるなんて。もしかしたら1番豪華な部屋とかスイートとかつくような部屋とか
そんなのに行くのかと覚悟を決めた百香里だったが説明を聞くとそうでもないらしく。
旦那さまはそこも気を使ってくれたのだろうか。申し訳ないけれど、ちょっと安心。

「俺としてはユカリちゃんと仲よぉーく入浴なんてしたいななんて思ったり」
「駄目ですよ。司を1人には出来ません。渉さんにもすっごい怒られちゃうんですから」
「そ、そうか…見てくれる人おらへんもんな」
「旅館のお風呂行って来てください。パンフレット見たら結構広いし露天もありますよ。司は私がみてますから」
「男の裸みてもしゃーないやん」
「じゃあ司のお風呂お願いしますね」
「ユカリちゃんは極端すぎや。可愛いけども」

見たいのは野朗でもなく赤ん坊でもなく愛妻の裸。彼女には直接言わないと駄目だ。
でも言った所で顔を真っ赤にして怒るだけだろうが。このもどかしささえ愛しい。何でも愛しい。
総司は部屋に到着し司を抱っこしながらあれこれ部屋を探索する百香里を嬉しそうに眺めていた。

「総司さん!試食のお饅頭が沢山あります!」
「ほんまやね。好きなん食べ」
「最中もいいけどこっちの煎餅もいいな。…けど無難に温泉饅頭も捨て難い」
「この調子やと膝枕は絶望的やなあ司」

ひとしきり探索し終わったら今度は机の上に置かれたお菓子たち。お茶を淹れる準備をしながら
まずはどれを食べようか迷っている様子の百香里は歳相応の女の子。
総司は司を抱っこしながらそんなはしゃぐ彼女に苦笑いが出た。若く、一直線、そしてタダに弱い。

「やっぱりお饅頭は美味しいですね!」
「今その口にちゅーしたら甘いやろなあ」

結局無難に温泉饅頭を食べ始めた百香里。実に幸せそうな顔。
ここに来て始めてみせる至福の顔が試食のお饅頭なのが彼女らしい。
総司はお茶をのみながらぼんやりと彼女を見ていたが不意に言葉が出る。

「総司さんもどうぞ。甘いものは疲れにいいですよ」
「…ほな貰おかな」
「お饅頭はこっちです」

司に注意しながら身を起こし百香里に近づいていったら饅頭の入った皿を突き出された。

「お饅頭よりユカリちゃんとちゅーしたい」
「今ですか」
「今や」
「譲れませんか」
「譲れへん」
「ほんとに?」
「ほんまに」

うーん。と唸る百香里。その手には食べかけの饅頭。
もしかして饅頭と総司を天秤にかけているのか。一時して。

「はひほうほ」

百香里はどうしてか口に饅頭を加えたまま総司に顔を向けた。

「え。なに?何なんその饅頭…俺に突っ込んで欲しいんか?突っ込むならちゃうもんの方がええんやけど」
「ほはほは」
「えっと。…く、食いしん坊か!」
「……」

自分でも酷すぎると思う突っ込みを恥かしさを堪え百香里に言ってみるが反応はない。
口に饅頭を咥えているせいか怖いくらい静か。

「あ、あんな?関西弁みたいなん喋ってるからって別に芸人みたく突っ込めるわけとちゃうんよ?
俺はただのふつーの40代会社員ちゅやつで。夢壊したらほんま申し訳ないけどな。これが現実や」
「あ……あの、すいません。そういうのじゃなかったんですけど」
「え」

饅頭を外した百香里は冷静に言った。

「総司さんずっと運転してて疲れてるみたいだから饅頭も食べて欲しいし、キスもしたいから。
その、食べてもらいつつキスする…みたいな。そういうの想像してたんですけど」
「え。あ。そ。そうなんっ」
「馬鹿みたいだなって思ったりもしたんですけど、カップルっぽくて面白いかなって…調子乗って」
「あ、あ、あれやろ?男女がポッキー食い合うみたいな奴やろ?分かる分かる!」
「声凄い裏返ってますけど」
「そ、そんな事ないで?全然ないで。…せやけど饅頭はあんまり色気ないなぁ」

百香里らしい選びではあるけれど。顔を赤らめる総司は視線を逸らし司をあやす。
なんであんな妙な事をしてしまったのか。巻き戻せるなら戻したい。

「甘いですか?」
「甘い」
「ほんと?今お茶飲んじゃったんですけど」
「柔らこうて甘い」

明らかに動転している夫を見て可愛いと思いながらそっと彼の隣に座り。
その頬を手で撫でて唇にキスする。行き成りでちょっと驚いた様子の総司。
でもすぐに百香里の唇に吸い付いてもっと欲しそうに強請るようにキスする。

「それ以上は後でしましょうね」
「ほんまかいな。ユカリちゃん気ぃ抜いたらすぐ寝とる」
「じゃあ今から寝ちゃおう」
「あ。あかん。あかん。…意地悪するんはえっちの時だけやろ」
「総司さんのほうがずーっと意地悪ですけどね」
「そうやろか」
「そうです。ね。司」

ニコニコと娘に話しかける百香里。ここにきてやっと彼女もおちついてくれたらしい。
お菓子を食べた後は部屋でのんびりと寛ぐ。でも渉たちへの報告も忘れずに。
ぐっすりと眠ってしまった司の写真を撮ってメールした。

「ここには何回か来たんや」

撮り終えると起こさないように起き上がり隣の部屋で寝転んでいた総司の元へ。
起き上がると隣に座った百香里を抱き寄せる。

「家族で旅行とかですか」
「忙しい家やったで旅行ちゅうもんは殆ど行かへんかった。行っても父親が気に入った所しかあかんから。
ここはどうも気に召さんかったらしい。買い取ったはええがいっぺんも泊りにはこなんだな」
「そうなんですか。こんな立派なのに」

やはりお金持ちになるとこれいくらいじゃ満足できないのだろうか。
そう思うと自分なんて門前払いだったのだろうな。
百香里はそんな事を考えながら総司の胸にギュッと抱きつく。

「そやね。何かと好みが激しい人やったから。気に入った所へは家族で何回か行ったな」
「私が覚えてるのは遊園地ですね。泊りがけなんて初めてだったから」
「遊園地か。司が遊べるくらいになったら行こか」
「流石に遊園地は持ってません…よね?」
「せやなあ。今は持ってへんけど司が自由に楽しめる遊園地とかあってもええなあ」
「駄目ですからね」

厳しい口調で釘を刺す百香里。財力と行動力と司への愛情は人一倍。
そんな3兄弟の前で司に関して迂闊な事を言うと大変なことになると学んでいる。

「わかってるて。けど、たまに出かけるんも悪ないやろ?」
「そうですね。やっぱり家族水入らずだと違いますね」
「ほな、3人で住むか」
「途中から4人になるとかですか」

弟たちが居ないほうが彼女を呼びやすいという話なら。百香里は小さな声で言う。
けれどこの距離なら十分聞こえているだろう。ズルいとは分かっているけれど。

「もう堪忍してや。それとも2人目の話しか?」
「2人目は暫くいいです。司で一杯一杯ですから」
「せやなあ。えっち我慢すんのめっさ大変やったし」
「いいながら弄らないでください」
「ユカリちゃんの裸想像するだけでもう…あかん我慢ならん」

真面目な話をしていたはずなのにいつの間にか床に寝かされて胸をもまれる。
手際のよさは何時も疑問に思っているのだが。口にするよりも先に何時も脱がされ
快楽に飲み込まれて有耶無耶になってしまう。今回もそのパターンか。


「はい。はい。大丈夫です飲ませました。はい…え?いえ、あのそれはまだで…はい、すいません」
「なーユカリちゃんーまだかーこの状態でマテするんは厳しいてー」
「今のは総司さんです。はい。後で怒っておきます」
「え、怒られるん?」

あまり色気はないけれど可愛らしい下着姿で電話中の彼女を後ろから抱きしめてせかす総司。
さりげなく我慢の限界な場所を彼女のお尻に押し付けてみるが電話の方が大事らしい。
百香里への軽い愛撫を終えてこれから本格的なものへ移動しようとした矢先だった。
司の様子を写真で送ったのにまだ何か聞きたい事があったようで電話がかかってきた。相手は渉。

「はい。あ。それは大丈夫ですこっちでも出来ますんで。はい。はい。わかりました」
「…ユカリちゃん」

総司は続きがしたいけれど百香里はマイペースに電話をしていて。
毎度こんな調子ではあるがかまってもらえないのでだんだん拗ねてくる。

「はい。終わりました!」
「よっしゃ!これで続」
「…司泣いてますね」
「そ、そんなお約束…」

そそくさと隣の部屋へ移動する百香里。

「大丈夫です。夜しっかり膝枕しますからね」
「それやったらええか」
「あ!みてください総司さん!司の鼻提灯!」
「漫画みたいに膨らんだなぁ」
「渉さんたちに送れば喜びますね」
「よっしゃ。撮ったるわ」

百香里と甘い時間を過ごしたいけれど司も一緒に居るからそれは難しいだろう。
彼女がもう少し育つまでのお預け。残念ではあるけれど、それも悪くない。
はしゃぐ妻は可愛いし鼻提灯をつけて眠る娘もまた愛らしく。

「総司さん何撮ってるんですか」
「ユカリちゃんのおっぱい…を、吸う司」
「それは送らないでくださいね」

お腹が空いて泣いていたらしい司を抱き上げてお乳を飲ませる。
ちょうど下着姿だったからすぐにあげる事ができた。
そこを暇そうにしていた旦那さまがきて携帯でパシャりと1枚。

「俺の携帯に送るくらいや。あ。疚しい事に使うんとちゃうで?愛する娘の写真をやね」
「おっぱいじゃ無くていいじゃないですか」
「なに言うてんの。おっぱい吸ってる顔もめっさ可愛いやんか。ほんでユカリちゃんのおっぱいも。
やからもう1枚撮らしてくれへん?今度はそのさきっちょの可愛いピンクなトコも…」
「明らかに疚しいので駄目です。飲み終わったら3人で散歩行きましょう。総司さんに案内してもらいますからね」
「ええよ」

無理に撮ろうとはせず携帯を片付ける総司。両親のそんな会話などお構いなしに
司はただ静に飲み続けている。場所が変わっても何時も通りでなによりだ。

「デートなんかで使ってたなら詳しいですよね」
「にっこり笑ってそんな毒を吐くようになったんか。怖いわあ」
「嫌ですか?」
「ユカリちゃんに嫌なとこなん」
「もっとえっちになって欲しい、とか言うのはなしですからね」
「い、言うようになったやないの」
「いえいえ」

司が飲み終えるとささっと服を着て散歩に出かける準備。総司もそれに続く。
甘い空気に持ち込むのがだんだん難しくなっている気がする。司抜きにしても。
建物内にある広い庭へ出て他の客と会釈なんかしながら散策。
司は色んなものに興味を示し手を伸ばそうとして百香里に止められる。

「紅葉の季節に来てもええよここは」
「そうですね」
「……」
「どうかしました?そんなに動揺しちゃって」

常に笑みを見せる百香里。何時もそんな穏やかな子ではあるけれど。
今回ばかりはその裏に何か怖いものを感じてしまう総司。何も疚しい事はしていない。
妻へのヤラシイ事には存分に疚しさがあるけれど。でも、何故か凄くオドオドする男心。

「ど、動揺なんかしてへんよ。ユカリちゃん楽しいかなー思て」
「楽しいです。司も。私も。楽しいですよ総司さん」
「そうか。それやったらええんや。旅行もたまにはええなあ。あははは」
「紅葉の季節にまた連れてきてください」
「そうやね」
「それでナシにしてあげます」
「よかった…やない!何か誤解してるて!俺は別に」
「いいんですよ。昔の話しですもんね、ほんとに。ぜんぜん。まったく」
「ぜんぜんまったくええない顔やけど」

寧ろ未来永劫忘れませんからねという顔に見える。

「総司さん?」
「すんませんでしたごめんなさい」
「はい。よくできました」
「…こ、こわい。この子怒ったらめっさ怖い…」
「嫌?」
「なわけないやん!…この展開前もあったな」

何かあらぬ疑いをかけられているようだがそれはまた夜にでも挽回しよう。
そう思いなおし百香里を抱き寄せる。今愛しいのは彼女だけだから。

「鼻提灯の写真可愛いって返事きました」
「あいつら1日携帯弄ってるの疑問に思わんのやろか」
「いいじゃないですか。はい。司もう1枚ね」
「…ママの裸は何時拝めるんやろか。はぁ。膝枕ぁ」
「総司さん」
「はい!」

続く

2012/03/13