旅行前のできごと


「旅行?いいじゃない。お土産は饅頭でいいから。なんなら司見ててあげようか?」
「司も一緒に行くから大丈夫」

買い物ついでに司を連れて母の元を訪れた百香里。今度家族で旅行へ行くのだと報告する。
旅行なんて聞けば誰もが喜ぶ話題だと思うのに娘はあまり浮かない顔。茶請けに出したふかし芋を
気に入ったのか延々と食べ続けている。抱っこされながら司はそんな母をじっと見つめていた。

「そう。どうしたの百香里そんな顔して。何が気に入らないの?」
「気に入らない訳じゃないけど。なんだか気が乗らなくて。海とか川とか山ならいいのにな」
「あんたねえ」

松前家の人間が行くような所といったらきっと一味違う高級なところに決まっている。
普通ならそう体験できないであろうチャンスなのに。それよりも自然がいいという。
そんな理由でふて腐れる娘に呆れる母。

「お母さんも行こうよ」
「何言ってるの。あんたたち家族で行きなさい。百香里、私の事はいいから
もっと気楽に贅沢なさいな。そんな調子で司にまで我慢させるつもりなの?」
「そういうわけじゃ。今だって十分皆さんに甘やかされてるんだから」
「だとしてもあんたがそんな顔じゃ司も気にしちゃうでしょうが」
「……」

母の言葉に黙る百香里。まだちゃんと納得していないという顔だ。
妙な所で頑固なのは自分の教育のせいだろうか。少し反省する母。
司は抱っこしている母の頬をペシペシと叩いて笑っている。

「悩む事ないじゃないの。素直に甘えなさい。そんな気をつかわないで。ね」
「お母さんはわかってない。私が止めなきゃあの人たちどんどん買っちゃうんだよ。
この前なんか司がちょっと興味を持ったからっておっきな木馬買おうとするし。まだ乗れないのに。
あんなの自分で作れそうなのに30万もするし。沢山別荘あるのに司の為にまた買おうとか言い出すし…」
「さ、さすが松前さんね」

贅沢のレベルが違う。他にも悩んでいるのだろう。本気で苦悩する百香里を心配する母。
彼らに悪意はないし司の為に買い与えてくれることは全く悪い事ではないのだが。
百香里からしたら心臓に悪いし物を与えるのは適度にでいい。それで十分子どもは育つ。

「でもね。全く興味持ってくれないよりはいいかなって思ったりする。最近は」
「そうよ。それでいいじゃない」
「総司さんは前の奥さんとの子どもさんの事凄く気にかけてて。この前引き取りたいって言われた」
「あんたそれを受けたの?前妻の子と暮らすの?」
「意地悪な継母になるのは嫌だから断わった。でも、最終的な判断は総司さんに任せる」

でもたぶん、彼が引き取る事を選んだら自分は身を引くのだろうなと思う。司と共に。
彼を愛しているけれど、意地悪な選択肢だというのは十分承知だけど。

「確かその子は母親との復縁を迫ってるんでしょ。松前さんも苦しい立場なんだろうね。
だけどあんたがそれを気にする事ないんだからね。司も居るんだ。負けてやる事なんかない」
「お母さん」
「百香里を不幸にする為に嫁がせたわけじゃないんだから。そんな気に病む事はないからね」
「ありがとう」
「あんたが言わなくても松前さんが子ども引き取ったなんて聞いたらお兄ちゃんが黙っちゃいないよ」
「うん」

嫁いで感じる家族というもの。もともと助け合って生きてきたから絆は深いものだったけれど。
ここの所気持ちが落ち込みがちだった百香里だったが母に愚痴ったらだいぶ楽になった。
この際だから同居しないかと持ちかけたらやはり遠慮されてしまった。時計を見るとそろそろ帰る時間。
司を抱っこしてアパートを出る。母は総司も連れてまたいつでもおいでと言ってくれた。


「社長。宜しいんですか?その、こんな…普通の店で」
「会議長引いた所為で昼飯食いそびれたんや。もう何食っても一緒や。ほれ、自分も頼めや」
「は、はあ」

ホテルの会議室を借り切っての大掛かりな会議を終えて会社に戻る前に入ったファミレス。
先ほどまで真剣にビジネスについて討論を交わした社長が入るにはあまりにもな場所。
ついて来ていた秘書の男はこれでよかったのかと動揺するが本人はメニューを見てさっさと決める。
主任である千陽は別の仕事で行く事が出来ずかわりに彼が派遣された。

「なあ、彼女とかおるん?」
「え。ええ。はい。いちおう」
「結婚とか考えとんの?」
「…は、はい」

何かと気さくに話しかけてくるがこの社長の秘書に慣れていない彼は戸惑うばかり。
下手な事を言って不興を買えば自分の首なんてあっという間に飛んでいく。
千陽は主任とあって慣れているのか普通に会話していて凄いと思う。

「そうか。結婚は愛と信頼やで。…ちゅうてもいっぺん失敗してるんやけどな」
「そうなんですか」
「せやねん。まあ、俺も若かったっちゅうこっちゃなぁ。今でも若いけど」
「そ、そうですね」
「大事にしたれや。そんで、ちゃんと信じたり」
「はい」

社長がバツイチというのは実は社内の噂で知っていた。けれど知らないフリをする。
そんな話をして彼は何かを思い出したようにボーっと窓から見える人の流れを見つめていた。
結婚というものについて何か思う事があるのだろうか。子どもも生まれ幸せなはずだけど。
聞きたいような好奇心とここで下手な事をしたくない保身とがせめぎあって結局黙る事にした。

「電話か。会社からやったら俺は飯くうてから帰るって言うといて」
「はい」

料理を待っていると机の上の携帯がブルブルと震えて。
呼び出しが嫌らしく電話を煙たがる社長を前に秘書は立ち上がり席を外した。
それとすれ違いで料理が運ばれてきた。空腹にはたまらないこのいい匂い。

「美味そや」

今頃何をしているかと百香里の事を考えていた総司だが今は料理の事で頭がいっぱい。

「忙しそう…ね」

さあ食べようと箸を持ったらウェイトレスが声をかけてきた。さっき注文を聞きにきた若い子ではない。
もっとおばさん。そしてこの声は聞いた事がある。総司がよくしっている人物。

「何やお前、こんな所で」
「見てのとおり。バイト」

居たのは前妻。気づいた途端に気まずくなる。こうして会うのは久しぶりだ。
そういえばこの辺に前妻と唯は住んでいたっけか。総司は思い出す。
以前はもっと遠くに住んでいたけれど、少しパパに近づいたのだと唯から聞いた。

「バイト?教育費と生活費入れてるやろ。それで足りてへんのか」
「貴方も新しい家庭があるし、何時までも生活費まで貰うわけには行かないでしょう」
「無理せんでええ。唯は俺の娘でもあるんやからそれくらい」
「私と暮らしてるの。唯は。だからあの子の事は私に任せて欲しい」
「唯は十分な生活が出来てるんやろな?不自由な思いらさせてないな?」
「心配しないで。社長の娘ほどじゃないにしろ、人並みの生活は出来てるから」

前妻は真面目な顔で言った。そこには強い意思を感じる。
夫婦として暮らしていた昔のあいつとは違う顔だ。

「それやったらええんや。お前もあんま無茶せんと、あかんときはあかんて言いや。
その歳でファミレスってキツいんとちゃうか?もっと楽なんなかったんか?」
「失礼ね。貴方より2つも年下なんだから。…今の奥さんは20も年下ですけど、ね」
「唯が何れ分かってくれるとええんやけどな」

唯は気になるけれど、出来る限り助けてあげたいけれど。
今ある百香里との生活を捨てる事は出来ない。司も居る。

「私たちの子どもだからちょっと時間がかかるかもしれないわね。お互い頑固だもの」
「はは。せやな」
「迷惑をかけてごめんなさい。貴方に負担ばかりかけて、離婚しても駄目な女ね私は」
「気にせんでええ。なんぞ困った事あったら遠慮せんと言いや。仕事かてなんぼでもなるから」
「ありがとう。やっぱり優しい人ね。であった頃と変わってない」
「そんな優しないよ。俺は。あ…あかん。料理が冷めてしもた」
「ごゆっくりどうぞ」

今でも優しさを忘れそうになる事がある。嫉妬や焦りで。いい歳をして馬鹿なくらい。
苦笑する総司。軽く笑う前妻。年月を経て少しは距離を置いた会話が出来るようになったと思う。
離婚する直前やそれからしばらくはお互いを傷つけるような事ばかり言った。
特に裏切られてその上娘まで取られた総司はキツい言葉を浴びせる事もあった。
そんな出来事も今や昔。もう少し時間が過ぎれば笑って話せることになるのだろうか。
食べていたら秘書が戻ってきて何やら延々説明するが適当に流してしまった。

「なあ、自分名前なんやったっけ」
「丸田です」

食事を終えて店を出る2人。総司はちらっと前妻の様子を伺いつつ声をかける事はなかった。
秘書が車を回し社長の前につけドアを開けたが彼は何故か入ろうとはせず。
最初に名乗ったのにもう忘れられている事にショックを覚えつつもう1度名乗る。

「よっしゃマルちゃん。君、先帰ってや」
「え?」
「ちょっと食いすぎて腹重たいねん。適当に歩いていくわ」
「あ、歩くってどれだけ距離があると」
「せやから。適当に歩いてタクシー拾っていくわ」
「何を仰ってるんですか。さっきも申し上げたように早急に会社に戻り会議の」
「マルちゃん。お前は男や」
「え?え?そう、ですけど?」
「そして、俺の部下やろ」
「は、はい」
「社長は、偉いやろ」
「……え、偉いですけど。でも…」
「任せたでマルちゃん。自分は会社の星や」

オドオドする丸田を他所に颯爽と去っていく社長。これは不味いのではないだろうか。
いや、明らかに不味い。主任には怒鳴られるし専務にだって怒られるに違いない。
慌てて社長を追いかけようとするが既に人ごみの中に消えていなかった。
逃げ足の速さに呆然とする丸田。
後ろからは早くどけとクラクションが鳴り響き彼は慌ててその場から去った。


「総司さん?どうしたんですかいきなり」
『今何してるんかなおもて』
「今ですか。司を連れて家に帰っている途中です」
『買い物か?』
「はい。途中母の所へ寄ってきたので少し遅くなりましたけど」
『そうか。わかった。気ぃつけてな』
「はい。総司さんもお仕事頑張ってくださいね」
『頑張るにはユカリちゃんの愛が必要やわ』
「ふふ。愛ですか?じゃあ、帰ったらいっぱい…」
『いっぱい何してくれるん?』
「意地悪する人には何もしません」

ベビーカーを引きながら携帯で話をする百香里の前に居たのはスーツ姿の総司。
いきなり現れたにしてはピンポイントなような。もしかして百香里がここを通ると
わかっていて待っていたのだろうか。仕事中だろうに、千陽や真守の顔が浮かんだ。
携帯をしまって総司の元へ。彼は笑顔で司の頬をなでた。父の登場に嬉しそうな司。

「近所で会議あってな。その帰りやねん」
「戻らなくていいんですか?」
「忙して昼もとってへんから今休憩中。ユカリちゃん何時まで経ってもこんからちょっと心配やったわ」
「やっぱりここに来るって分かってたんですね」
「奥さんの行動はしっかり頭入ってんで」
「なるほど」
「このまま一緒に帰りたいけど。お楽しみは帰ってからにするわ」
「総司さん」
「なんや」
「旅行、楽しみにしてますから。私も司も」
「俺もや。よっしゃ。家族水入らずの為にがんばる」
「はい」

百香里の頬に軽くキスをして総司は去っていく。ほんの僅かな間だけの再会。
また夕方になれば帰ってくるけれど、その間がちょっと惜しく感じて。
司もすぐに父親が居なくなってしまって心なしか寂しそうな顔をしていた。

「いい加減にしてください社長」
「そうですよ。丸田君、泣きながら戻ってきたんですからね」
「わ、わかってるて。そんな怖い顔せんといてや」
「この調子では連休もどうなるか」
「ま、まてや真守。それはあかんよ。ユカリちゃんも司も楽しみにしてるんやから」
「だったらちゃんと職務を果たしてください」
「御願いします」
「は、はい…」


総司の事や旅行の事を考えながら家に帰り夕飯の準備を始める百香里。
最初は難色を示していた彼女だが今は純粋に楽しみたいと思っていた。
司はまだ分からないだろうが、思い出として後で語ってあげてあげられる。
形はどうあれ家族として過ごす大事な時間。

「何かニヤニヤしてる」
「あっ渉さん。お帰りなさい」
「なんかいい事あったの」
「旅行の事を考えてました」
「ああ。……あれ」

どんな所だろうとか料理は美味しいだろうとか。色んな想像を働かせていたら
いつの間にか帰ってきていたらしい渉に声をかけられビクっと震えた。
彼は訝しい顔をしながらも何時ものように司を抱っこしてあやす。

「どうしたんですか?渉さん」
「いや。司が泣かないかなと思ってさ」
「あぁ泣くかもしれませんね。すっかり渉さんや真守さんに甘えちゃってるから」

実は彼らが仕事に行く時や渉だと梨香とデートで居なくなる時は寂しいらしく司は泣く。
でもそんな事を言ったら仕事に行かなくなるかもしれないし、
デートに行かなくなるかもしれないので内緒にしている。

「え。まじ?…じゃなくて。ほら、色々とさ。あるかもしれないだろ」
「そうですね。まだ赤ん坊だから迷惑をかけるかもしれないですね」
「俺も行こうかな」
「はい。司も喜びます」
「……いや。でも。やっぱやめとく。邪魔すんの悪いし。俺だってそれくらい空気読むし」
「そんな気にしないでいいですよ?」
「いいんだ。…そんかわりさ、司にMOMOの服着せてやって。んで、写真な」
「はい」

未練があるような渉だが結局最後までついてくるとは言わなかった。彼なりに兄夫婦に
気を使ってくれたのだろう。珍しい、といえば怒るだろうか。旅行について話をしていると
同時にただいまの声を聞く。それは何時もより遅い総司と何時もより早い真守だった。
2人とも百香里に挨拶をすませるとすぐに司の下へいき嬉しそうに挨拶。

「ユカリちゃんがその気になってくれて嬉しいわ」

夕飯を終えて片づけをする百香里の傍に駆け寄る総司。旅行を切り出したものの
当初はあまり乗り気でない彼女を心配していたけれど。何があったのかは分からないが
今では積極的に話しに関わってくれるし嬉しそうにしてくれてよかった。

「はい。母に愚痴ったら気分がよくなりました」
「なんやそうなんかー…え。なに?何を愚痴ってたん?お義母さんに言うほどの愚痴て?」
「あ。しまった」

まさかの愚痴暴露。

「しまったやないやろ。何やの?愚痴やったら俺が聞くから。何やの?なあなあ」
「……」
「ユカリちゃん」
「最近総司さんが」
「うん」
「ユカリちゃんに責められたいとか変な事言うって」
「そ、そんな事言うたらお義母さんに誤解されるやんか。愛情あっての行為やん。俺はユカリちゃんの愛情を」
「わかってます。けど。責めてって言い過ぎ。……恥かしいから嫌なんです」
「恥かしがりやさんやねえ」
「総司さんがえっちなだけです」
「今夜も責めて」
「嫌です。そんなのしたって最後は結局責められちゃって終わるの目に見えてますから」


続く

2012/02/24