離れ


「総司さんのえっち」
『しゃーないやん』

テレビ電話をしようと誘われて言われるままに操作したら出てきた画面。
そこから見える映像はホテルのお風呂場のようだった。広くて高級な作り。
まるで誰かの家みたいに錯覚してしまいそう。そして風呂に浸かる総司。

「見ませんからね」
『ユカリちゃんの顔みしてくれへんの?意地悪やなあ』
「どっちが意地悪ですか」

画面ごしに夫の裸を見るのが恥かしくて画面から逃げ変わりに司のヌイグルミを置いた百香里。
今回は珍しいことに総司が遠出の出張で3日も帰ってこない。ずっと寂しい夜を過ごす、はずだった。
でもこまめに彼から電話やメールがあったりしてそれほど距離を感じない。

『司はどや。元気にしてるか?』
「はい。さっきまで真守さんに遊んでもらってました」
『そか。俺も司と遊びたいなぁ』

百香里はベッドに寝転んで総司の声に耳を傾ける。既に夕飯も風呂も全て済ませた。
忙しさもあってか明るいうちは寂しくなかった。義弟たちもさりげなく気を使ってくれたし。
だけどやっぱり夜ひとり薄暗い寝室に居ると寂しくなって。
司は寝付いたまま。遊んでもらったからかまだ暫くは起きてくる気配は無い。

「帰ってきてから好きなだけ遊んであげてください」
『ユカリちゃんとも触れ合いたいしな』

風呂場だからか声が響くけれど、とても優しい言い方。そんな総司の声が好き。

「お仕事忙しいんですから、ちゃんと休んでくださいね」
『……』
「総司さん?どうかしました?」
『可愛い声やなーと思ってただけや』
「もう。…心配しちゃうじゃないですか」
『堪忍や』

いきなり黙ってしまうのはやめてほしい。何かあったのかとドキっとする。
百香里は寝返りをうって天井を見上げる。総司の声を聞きながらなら眠れるだろうか。
まだ1日目だと思うだけで寂しくて寝付けないかもしれないと思っていたから。

「総司さんと3日も離れるなんて初めてですね」
『そうやね』
「お父さんも出張で帰ってこない日がありました。仕事だから仕方ないんだけど、寂しくて。
中々寝付けなくて。お兄ちゃんやお母さんが寝ちゃっても私ひとり目が冴えちゃって」
『今も寝付けへん?』
「総司さんの声を聞きながらなら眠れそうです」

電気を完全に消してゆっくりと目を閉じ携帯からの音声に耳を傾ける。
一緒に総司と風呂に入っているかのような気分になるために。
子どもみたいな行為だと自分でも分かっているけれどやめる気は無い。

『俺の親父も1週間くらい帰ってこん日がざらにあったわ。ユカリちゃんとちごて
こっちは出張でも何でもええ、家に居らんだけでめっさ楽させてもろとったな』
「楽ですか。でも、家族が居ないって寂しくないですか?」
『寂しい…か、母親が死んでしもた時は寂しかったなあ』
「……」
『そんで、なんかが崩れてしもたんやろな。逃げの言い訳やけど』
「でも、お義父さんが亡くなった時は逃げなかったじゃないですか」

嫌っていたはずの父の遺言を守り誰もが名前を知っているような巨大な企業の社長に就任。
プレッシャーだってあるだろうにそれを逃げることなく今も続けている。
最初こそ周囲から不安の声や家を出ていた事で白い目で見られていたようだけど。
今はそれも影を潜めていて信頼を得つつある。
というのは自分の所為ではないかと心配する百香里が相談したら真守が教えてくれたこと。
嬉しい反面自覚を持って社長業をこなす彼が遠くへ行ってしまいそうで怖くもある。

『店でもだそか思てな。働いて金もろたらあとは真守か渉に任せるつもりやったんや。
それやのになんでこんなめんどい事何時までもしてるんやろアホらしいてかなわん』
「総司さん」
『金はあってもユカリちゃんや司とおられへんのやったら意味ないやんな』
「気にしてくれてるだけでいいですから。そんな風に言わないでください」

本気で怒っているというよりちょっと茶化した口調ではあるものの、
それでも会社を否定されてしまうと自分の家を否定しているようで。
百香里としては総司にそんな言葉を発して欲しくない。

『3日も傍におられへん。…そう思うだけで辛い』
「私もです。同じですから。また電話しましょう」
『今度はユカリちゃんが風呂入って』
「え」
『ほんでな。ちょっと可愛いポーズとか見たいなぁ』
「……」

恥かしそうにしながらもはっきり言った総司。百香里は閉口した。
さっきまでのシリアスな会話はなんだったのかと打ち砕かれた気分。

『べ、べつに疚しい事に使うわけやないよ?ただちょっとその…休憩にな』
「何の休憩ですか。そんなのしませんからね恥かしい」
『ええやん。俺しか見やへんのやから。なあなあめっちゃ見たい』
「嫌です。司の入浴シーンなら見せますけど」
『司で興奮したら俺めっさ変態さんやんか』

よほど見たいのか粘る総司。百香里は絶対に嫌ですと突っぱねる。
風呂場とはいえ、小さな画面に向かって裸でポーズなんてできっこない。
そんな事を1人でする自分を想像するだけで顔が真っ赤になってしまう。

「やっぱり興奮しようとしてるじゃないですか。えっち」
『あ。やりよったな。旦那をハメるとは酷いやんか』
「総司さんが疚しい事を考えているからでしょ」
『どうせ俺は疚しい男や』
「拗ねないでください。帰ったらいっぱい見ませますから」
『いやや我慢ならん』
「もう。…そんなに見たいんですか?」
『見たい』
「じゃ、じゃあ、…明日、…ちょっとだけ…ですよ?」
『よっしゃー!楽しみにしてるからな!絶対やで!』
「もう」

総司に押されると弱い。結局は聞いてしまう。
それから暫く喋って眠くなって来た百香里は電話を切って目を閉じる。
明日の事を考えている所為かすんなりと眠る事が出来た。


「ユカりん買い物するならつれってやるよ」
「ありがとうございます」
「ちょっと!今日はデートでしょ!」
「つれってやるくらいいいだろ。何時も行くスーパーでいいよな」
「はい」

日曜日だけど総司はまだ戻らない。寂しさを晴らそうと編み物をする百香里。
そこへ気を利かせてくれたのか渉が声をかける。面食らったのは梨香。
デートの約束を反故にされるのではないかと食って掛かる。
司が生まれてから今まで以上に軽く見られているような気がしてならないから。

「あのねえ」
「司が泣くだろ。ンな怖い顔すんな」
「…誰の所為よ」
「ほら司買い物に行くぞ。俺が前に買ってやった服着せてやる」
「ほんと甘いんだから」

楽しそうに司を抱っこする渉。自分の娘でもないのにデレデレとはこのこと。
ずっと一緒に住んでいるから家族みたいな錯覚を起こしているのかもしれない。
このままじゃ何時までも結婚できない。本気で彼をこの家から引き離す必要がありそうだ。
意外にも渉が子どもを好きだと分かったのは今後の為にも良かったけれど。あきれる梨香。

「真守さんちょっと買い物行ってきます。なにか買ってくるものはありますか?」
「特にはありません。司も連れて行くのなら病気を貰わないように完全防…」
「真守さん?」
「あの、彼女も一緒なんですか?」
「はい」
「大丈夫、でしょうか」
「え?大丈夫ですよ。私たちだけ下ろしてもらいますから。邪魔はしません」
「そう、ですか。ならいいですね。必要なら連絡してください迎えに行きます」
「はい」

司を外出用に着替えさせると忘れ物はないか確認し渉たちと外にでる。
助手席の梨香はあまり口を利かない。言うだけ無駄と思っているのかもしれない。
渉は気にしている様子は無く淡々と運転し後ろの百香里は司をあやす。

「今日は何作るとか決めてんの」
「まだ決めてません。ついてから決めようかなって思って」
「そっか。おっさんも居ねぇしさ、ユカりんの好きなのでいいよ」
「私のですか」
「考えるの面倒だろ。俺ら別に食えたら何でもいいからさ」

梨香が黙り百香里も気を使って沈黙が続いていたからか渉から話しかけてきた。
夕食のメニューは何時も総司たちの事を考えながら決めてきたけれど。
今日から暫くはその総司が居ない。彼の言葉にそれを実感した。

「考えるのは楽しいです。渉さんはほっといたらラーメンばっかり食べてますからね」
「そうだっけ」
「この前も司に悪影響だって真守さんと喧嘩してたじゃないですか」
「あーそうだった。いちいち煩いんだ。小姑すぎるよなあの人」
「食生活は大事ですよ」
「そういうもんかな。ま、今はバランスとれてるからいいじゃん」

お金はあるはずなのに休日遅く起きてきてインスタントラーメンで過ごそうとする渉。
百香里が昼食を作りますと言っても腹が減ったからとさっさと食べてパチンコへ行ってしまう。
不規則で栄養が偏りがち。真守は好きなようにさせたらいいと言っていたけれど。
お節介ではあるが、百香里としてはなんとか改善させたいところだ。

「渉の食事は私が作るから大丈夫」
「そうですね。梨香さん料理上手ですから」
「そうよ。好も分かってるしね」
「張り合うなよ」
「いいでしょべつに」

黙って居る事に我慢できなくなったらしい梨香が口を挟む。
渉は面倒そうな顔をした。
車はようやく百香里が利用するスーパーの駐車場へ。

「ありがとうございました」
「帰りまた電話してくれたら来るから」
「ありがとうございます、でも大丈夫です。真守さんが来てくれるみたいですから」
「ふーん」
「そういうことなら安心ね。さ、行きましょう渉」

百香里と司をおろす。真守の名前が出てきてなんとなく不機嫌そうな渉。
司はそんな渉をぼーっと見つめている。
なんで彼らも一緒に来ないのか不思議に思っているのかもしれない。
車が出ると彼女の視線も一緒に動いて去っていく渉を見つめていて。

「渉さんはデートがあるからね。さ、行きましょうか」

まるで理由を尋ねるように母親を見上げる。母は優しく微笑みスーパーへ。

「あいつ大丈夫かな」
「もう。渉ったら。さっきから百香里さんの事ばっかり気にして」
「ユカりんはあれで結構図太いからな、そんな心配してない」
「じゃあなに。司ちゃん?大丈夫よ母親と一緒なんだから」

やっと2人きりになったと思ったのに。運転しながら真面目な顔して姪の心配。
渉はこんな男じゃなかったはずなのに。梨香は頭痛がしてきて窓を少し開けた。

「あいつ好奇心が尋常じゃないから何でも触りたがる。もし何か妙なもんに触ったら…」
「だから。大丈夫だって。渉が子ども好きなのは分かったからさ、どうせなら私たちの子どもの事考えない?」
「なんでそんなもん考えなきゃいけないんだ。…ああくそ、ついてけば良かった」
「やめてよ。今日はデートなんだから。赤ん坊とその母親同伴なんて聞いた事ないわよ」

梨香は強く言った。本気で止めないとUターンしかねないから。
渉はまだ気にしている様子だったがさすがに引き返すようなことはしなかった。今日は家に呼んで
2人で夕飯を食べようと思っていたけれど、これなら彼の家に行った方がよさそうだ。

「司。駄目じゃないかお母さんを困らせて」
「すみません。でも、オムツもかえたしお腹が空いてる訳じゃないのに泣き止まなくて」
「何処か痒いとか?」

買い物をしている途中いきなり司がグズりはじめて。慌ててトイレへ向かいオムツとお乳の確認。
どちらもクリアしているはずなのに泣き止まなくてあやしても駄目で。こんな事は初めて。
慌てる百香里。母に連絡しようか義姉に連絡しようかそれとも総司に電話しようか散々迷ったけれど、
結局家に居た真守に電話をした。彼は直ぐにスーパーに来てくれて司を抱っこする。

「かと思ったんですけど。どうも違うみたいです」
「え?」
「…寂しかったみたいです。真守さんが来てくれて安心したみたい」

タイミングがよかっただけかもしれないが真守が来た途端に泣き止んで眠る娘。

「泣きつかれただけかもしれませんよ。そんな落ち込まないでください」
「…司、私だけじゃ嫌なんでしょうか。寂しいのかな」
「或いは、貴方が寂しがっているのを察したのかもしれない」
「え?」
「兄さんが居ないから」

真守の言葉に最初はポカンとしていた百香里だが理解したようで苦笑して返した。
赤ん坊だからと思っていたけれど、ちゃんと親を見ているのかもしれない。

「真守さんにすっかり甘えてる。きっと渉さんにも甘えてるんですよこの子」
「休日に遊んでやるくらいですが僕は悪い気はしてません。もっと甘えて欲しいくらいだ」

気を取り直し真守に司を抱っこしてもらって買い物の続き。今回は休日ですぐ来てくれたけれど、
こんな風にいつでも真守や渉が来てくれる訳ではない。駄目よと赤ん坊に注意したってしょうがないけれど。
百香里は少し落ち込んで気が重たい。母親が居るだけじゃ寂しいと思われているなんて。

「…私だって甘えたい」
「えっ!?」
「あ。いえ。あの。違いますっ…そ、総司さんに…」
「ああ、兄さんか。驚いた…」
「真守さんにも甘えてしまって。ほんと、感謝してます」

つい本音が漏れる百香里。居ないとその存在の大事さに気づかされる。
父が死んだ時もそうだ。頭では分かっていても心が寂しくて甘えたくて。
思い出してしまうたびに早く総司が帰ってこないかなと思ってしまう。口にはしないけれど。

「僕が代われたらよかったんですが、どうにもスケジュールが合わなくて」
「いいんです。お仕事ですから。あ。真守さん今日は鍋にしたいんですけどいいですか」
「ええ。構いませんよ」
「野菜たっぷりの野菜鍋」
「おいしそうですね」
「渉さんに栄養を補給しないと」
「え?」

真守が来てくれているから重たい荷物があっても大丈夫。あれもこれもと野菜をカゴに入れ
鍋の材料で一杯になった。何時もなら予算をみて買うものを厳選する百香里。
でも今回はそんなの気にせず買う。落ち込んでしまう気持ちを少しでもかえる為に。
帰りは荷物を真守に持ってもらい司を抱っこして彼の車まで向かった。

「ありがとうございます。荷物重かったですよね…すいません調子に乗って」
「司に比べたら軽いですよ」
「男の人って力があっていいですね。私ももっと力があればなあ。ビンの蓋も簡単に開けられるのに」
「あれは参りましたね」
「はい。でも、最後は総司さんが開けてくれました」

惚れ直した、と言ったら総司は照れて笑った。そこもまた可愛いと思う。
義弟たちは苦笑していたけれど。

「これからも何かあればお手伝いしますから。兄の事をお願いします」
「どうしたんですか急に」
「3日貴方と離れるだけですごく落ち込んでうろたえていたから。勢いで社長を辞められるかと思うくらい。
そうなると此方は非常に困るので。義姉さんになんとかしていただけたらと」
「そ、そんなに?」
「ええ。あれは酷いものでした。僕が言うのも何ですけど、…それくらい嫌だったんでしょうね」

真守がそこまでいうくらいだからよっぽど出張に抵抗したのだろう総司は。
出て行く時はそんなそぶり見せないで平然とカバンを持って行ったのに。
百香里の前だからかっこつけたのかもしれない。もうぶち壊しだが。
だんだん彼が可哀想に思えて今夜電話する時は優しくしてあげようと思う。

「…あれ」
「どうしました」
「い、いえ」

そういえば今夜風呂場で電話する約束だったっけ。嫌な事を思い出した。
冷や汗が出てくる百香里を他所に司は心地良さそうに眠っていた。



「やっぱり恥かしいのでこれくらいで許してください」
『えーーー…まだおっぱいチラっとみしてくれただけやんかー』
「何か嫌です。…生でいっぱい見てください」

風呂場にて。恥かしさに耐え切れず画面から逃げる百香里。
総司の不満そうに此方を見ている顔が映っている。

『生か。…意地悪言うて』
「総司さんも意地悪。さっきから変な事ばっかり」
『嫁さんの可愛いポーズみたいだけやん』
「か、可愛くないです。こんな…えっちな…格好」

と言いつつ再び画面に戻り胸を見せる。手で掴んで持ち上げて。

『恥らう顔がほんま可愛い』
「……」
『次は、わかってるやろ』

何時ものように懐っこく笑いながらSっけのある言葉。
百香里は察したくないけれど分かってしまう。彼の希望。

「ええ…で、でも、…そんな…駄目ですって。ソコは流石に恥かしすぎます」
『みしてくれなそっち行くで。我慢できへんもん』
「だ、だめですって。…意地悪。ほんとに意地悪。それにえっち!」
『そんだけ百香里に惚れてるんやろ?』

そんな台詞意地悪すぎる。百香里は怒った顔をするけれど。
風呂から出て徐に椅子に座った。携帯も位置をかえる。相手に見えやすい方向に。
これはなんてプレイ?百香里は顔を真っ赤にする。風呂が熱かったからじゃない。

「……」
『手で隠すのナシやろ?余計恥かしいんとちゃう?』
「だ…だって」
『百香里』
「もー!…総司さん帰ってきたらいっぱい怒りますからね!」
『なんぼでも怒って』
「…総司さん」
『ん?』
「こんな…の、したんですから。浮気は…絶対駄目ですからね」
『分かってるて。こんな可愛い嫁さん居るんやから。あ。…ちょっと濡れてんで』
「もーー!」


続く

2012/02/03