悩む


「健康には気ぃ使ってるつもりやけど。そろそろ自発的に鍛えなあかんのやろか」
「そうですねえ。人間も動物も皆平等に確実に衰えは始まるものです。個人差はありますが、
40過ぎちゃうとそれが顕著になるかもしれないですねぇ。社長はまだ心も体も若いと思いますよ?」
「俺もまだ大丈夫やと思ってたんやけど。あかんねん。ユカリちゃんが元気娘過ぎるっちゅうか
それは別にかまへんのや。明るいし。可愛いし。…あかんのは、俺…やんやろな、たぶん」

はあ、と深いため息をして出されたコーヒーを飲む総司。会社内にあるカウンセラー室。
会社のトップが入り浸るような場所ではないけれど。真守や千陽に愚痴る話でもない気がして。
前からちょくちょく顔を出しては愚痴っていたが最近来る事が増えた気がする。
カウンセラーの青年は愛想よく笑って些細な事でも何でも話を聞いてくれた。

「もしかしてアッチの方も自信なくなったとかですか?ああ、勃たないとか」
「流石にそこまでいかへん」
「十分にシテないんですか。奥さまと」
「したいんやけど。タイミングがあわんくてな」

カンセラーの言葉に普段の自分を思い返す。
総司は仕事から帰ってきて疲れていても百香里と触れ合っていたいと思う。
激しくなくてもいい、途中司に起こされてもいい、とにかく彼女とくっ付いていたい。
もちろん家事に加え育児も追加されてしまった百香里を気遣って無理強いはナシ。

「タイミング。確かに社長はお忙しい身の上ですからね」
「…まあな」
「それとも、奥さまの気持ちの問題ということですか?」
「そう…なんかな」

こちらが気遣い万全を期しても彼女が別の事に気を取られると出来ない。
邪魔する事も出来ず大人しく眠る事が多い。そこに不満がある訳ではない。
話すのに夢中ではしゃぐ彼女は可愛いと思う。

「出産を終えた女性の中には夫を男ではなく父親と捉える人も居るそうですよ」
「父親?」
「ほら。今までは名前で呼んだりアナタと呼んでいたのがいつの間にかオトウサンになってるみたいな」
「ああぁ」

分かるような分からないような。総司の返事に微笑するカウンセラー。

「もちろんすべての女性ではないし円満に出産後も頻繁にセックスに耽る夫婦もいる」
「べつにヤりたいだけとちゃうけどな」
「でも社長は奥様が欲しいわけでしょう。他の女性でなく、奥様でないと満足しないから」
「…またストレートに言いよったな」

昼間に男2人会社の密室でする会話ではないような。総司は苦い顔。
相手は特に気にする様子も無く大きな窓から見えるビル郡を見ている。
けれどこの男の言うように百香里の中でそんな変化があったとしたら。

「奥様はまだまだお若いから大丈夫だとは思いますがね。ただ聞いていると男女の事にあまり
積極的ではないようだから社長がその気になるように仕向けるのもいいかもしれない」
「そんなんできるかな。あんま無茶はさしたないんやが」
「そこは社長の腕の見せ所でしょう。ただ露骨なものは引かれますからね、さりげなく」
「せやけど最近やたら休んでばっかりやったからな。男として頼りないと思われてるかも」

彼女は最近遠出の買い物が好きだ。良い気晴らしになるのだろう。
もちろん自分も付き合うのだがどうしても休憩を挟みたくなってしまう。
彼女は元気に見て周っているのに。不甲斐ない。
もしかしてそういう面を見せてしまっているから余計に百香里が乗らないのか。
それでもってこのままオトウサン化していくのだろうか。

「そうだ。社長で手に余るならいっそ」
「ユカリちゃんに手ぇ出す男がおったら全力で潰す」
「社長顔が怖いですよ?トップなんですからほら笑顔笑顔」
「すまんな。何もおもろないから笑えへんのや」

カウンセラーに釘を刺すようにギロっと睨みつけその話を強引に切る。

「社長は奥様とどういう夫婦関係で居たいんですか?」
「そら仲良くしとりたいに決まってるやん」
「今でも十二分に仲がいいのに何処か満たされない」
「……」

今の生活は幸せなのに彼の言葉に返事が出来ず視線をコーヒーに向ける。
飲んでしまって底が見えるカップ。

「社長が奥様との夜の生活と自分自身の衰えを気になさっているのは事実でしょう。
それらを解決しないと心にも体にもよろしくありませんね」
「そうやな。よし。ジムにでも通うか」
「鍛えるのもいいですけど、まず奥様とのコミュニケーションを計ってみては?」
「コミュニケーション?…この前納豆についてめっさ話ししてたけど」
「納豆?」
「俺が納豆好きや言うたらそらもう驚いて。なんのこっちゃて話しになってやな」
「もういいです。とにかく、奥様との時間を大事にしてください」
「ユカリちゃんとの時間かぁ」

今でも結構時間を取れていると自分では思っているけれど。
やはり彼女からしたらもっと一緒に居たいと思っているのかもしれない。
口にはしないものの、この前実家に行った時も寂しそうな顔をしていた。
かといってこれ以上増やすのは難しい。きっとそれは彼女も分かっている。

「お忙しい社長ですから難しいとは思います。少しずつ地道な行動で」
「はぁ…地道な努力ちゅうんはあんまり好きやないなぁ」

いっきに彼女の気持ちを自分に向かせたい。いや、向いているのだが。
ただ彼女とヤりたいだけではない。それははっきりと否定する。
カウンセラーが言うように自分はどんな夫婦関係で居たいのだろう。
仲良しなのはあたりまえで。体の触れあいも大事で。それで。

「ここでしたか社長」
「千陽ちゃん」

悩んでいる所へ秘書登場。怒っている様子は無いが明らかに口調が不機嫌。

「いらっしゃい御堂さん。お茶がいいですか?それともコーヒー?」
「結構です。社長さえ返していただければすぐに失礼させていただきますので」
「だいぶストレスが溜まっているようですね?カウンセリングをうけてみませんか。
話をするだけでも少しは心が落ち着くかもしれませんよ」
「お気遣いありがとうございます。さ、社長、戻りますよ」
「はいぃ」

秘書に連れられて総司は部屋を後にする。まだ何も解決しないけれど。
まだ百香里と司の待つ家に帰るには早い。そして仕事は山のようにある。
社長という責任のある役職についてしまった事を何度後悔したのだろう。
お説教を受けるたび、百香里が恋しくなるたび、もう数え切れない。


「ほんと可愛い顔。両親のどっちにも似てるわ」
「似てるってよく言われるんです」

その頃の百香里は義姉に誘われてオシャレな喫茶店でお茶をしていた。
もちろんその傍らには司。ちゃんと抱っこさせるのは初めて。
親バカかもしれないがやはりわが子が可愛いと褒められると嬉しい。

「にしても。えらく気合の入ったベビーカーじゃない?」
「はい。あの。…何があるか分からないとかで気遣ってくれまして」
「それじゃぶつかるの前提じゃない。お金持ちだとそういう感覚なのかしら」
「……」
「あ。いや。別に嫌味じゃないのよ?」
「分かってます」

笑って返事するけれど内心ドキっとした。このベビーカーでもまだ大人しいほう。
家に帰ると司の為に用意されたもので溢れている。どれも上質なものばかり。
自重してくださいと何度か言って押さえているけれどゼロにすることは出来ない。

「あの人も司は可愛いって思ってくれてるから。それが足がかりになればいいんだけど」
「お兄ちゃんには説得より行動しかないと思うんです。総司さんと司と仲良くしていれば。
そうしたら認めてくれると思うんです。だから、今は…その日が来るまで我慢します」
「百香里ちゃん」

結婚してからずっと兄を説得してきた百香里だが自分の言葉よりも行動の方が効果があると気づく。
それだけ信頼がないということで、それだけ時間がかかる。お茶を飲み軽いため息。

「そうだ。あの。お義姉さん」
「なに?」
「最近総司さん元気がないみたいで。聞いても何でもないっていうばっかりで」
「そう」
「私に相談してくれないのは私にはそんな話ししても無駄だと思われてるんでしょうか」

社長夫人なんて言われても自分は経験不足でそんな賢くないという自覚はある。
だから総司も仕事で疲れた時とかそれ以外の悩みでも打ち明けてくれないのかも。

「それは貴方を心配させたくないだけ。信じてあげなさないな。旦那さまを」
「そうですよね。でも、結婚して1年もすると自分に足りないものとか見えてきちゃって。もし皆さんが私や
司の事を気にかけてくれなかったら今頃この子の事でいっぱいになってパニックだった。放棄したかもしれない」
「貴方には私やお義母さんが居るじゃない。それに現実は貴方と司を大事にしてくれる。
いい家に嫁いだじゃない。羨ましいわ。私何て仕事忙しいとかであんまり構ってくれなかったもの」
「…お義姉さん」

不安は付きまとう。けれどその度に彼らは優しく接してくれる。信じていればいいと思わせてくれる。
百香里はやっと微笑み手をつけていなかったケーキを食べ始めた。
享子はホッとした顔つきでコーヒーを飲む。司はいつの間にか眠ってしまったようだった。

「ん?なんですって?」
「え、…えっちな…下着とかつけたほうがいいでしょうか」
「男はそういうの好きかもね」
「じゃあ着てみようかな…総司さん喜んでくれるかな…」

そんな下着を持っているのだろうか。頬を少し赤らめながら百香里はモジモジする。
まさか義妹から性生活について相談されるとは思わなかった。享子は驚いたけれど、
先輩としてアドバイスをしてやることにする。あとはただの好奇心。

「なに?松前さんアッチの方はもう…駄目、とか?」
「そうじゃないんです。むしろ、あの、…凄いです」
「そうなんだ…」

凄い、と聞いてちょっとえっちな想像をしてしまった享子は頬が赤い。
それに気づかないくらい百香里も顔を赤くして恥かしそうにしているけれど。

「だけど私が他の事に目を向けてしまうから。いつの間にか寝ちゃって。総司さん我慢してくれてて…」
「まあ、相手もいい大人なんだから怒ったりはしないでしょう。で、他のことって?」
「さっきも言った様に私自分に足りないものに次々気づいていくんです。だからそれを補いたくて。
いきなり立派な奥さんになれるなんて思ってないけど、何もしないよりはいいでしょう?」

巨大グループの頂点である松前家の嫁。それも長男ときた。そのプレッシャーは凄まじい。
享子は最初大して真面目に見ていなかったが百香里の真面目な顔を見て義妹は本気なのだと察する。
結婚したての、あの20歳になったばかりの天真爛漫なあの子とは違う顔だ。少し大人になった。

「ひとりで焦ってもいい事なんてないわよ。それか、その気持ちを松前さんに相談してみれば?」
「だ、だめです。総司さんは社長さんだから凄く忙しいんです。今でも無理に時間を作ってもらってて」
「そんな無理ばっかりたら百香里ちゃん疲れちゃうわ。貴方は元気で真っ直ぐな子じゃない」
「…義姉さん」
「だから。今夜はえっちな下着を着て旦那さまに可愛がってもらいなさいな」
「……はい」
「ああもう可愛い。その調子で次は男の子ね」
「そ、そんな」

顔を真っ赤にする百香里。笑う享子。やはり松前家に嫁ぐのは苦労もあるらしい。
そこを夫に言えばほら見たことかとさらに心を頑なにするだろうから言わないでおこう。
またいつでも話をしましょうと百香里に言ってその日のお茶会は終わった。
司は大人しく眠っている。本当に可愛らしい赤ん坊。百香里曰く、
皆から過剰なほどに愛情を注がれるとても幸せな子どもとのこと。そこは報告しようと思う。


「ただいま」

夕方になってリビングに1番に入ってくるのは何時も通り渉。先に声だけかけて部屋に戻り
部屋着に着替えると寝かされている司の下へやってきてその顔を眺める。それがいつの間にか
日課のようになっていて。司も渉の事が分かるのか嬉しそうに手を伸ばす。

「お帰りなさい」
「これ土産」
「お菓子ですか?」
「そ。今日は外に出ててそのまま帰ってきたからさ。美味いんだって」
「ありがとうございます」

百香里も酒の準備をしてキッチンから顔を出すと紙袋を渡された。オシャレな袋。
渉が買って来てくれる土産はどれも有名な美味しいお店のもの。期待は膨らむ。

「司。今日は一緒に英語の勉強だ」
「英語ですか?」
「そ。小さいうちに英語にならしときゃ後で覚えやすいだろ」
「英才教育ですね!さすが渉さん!」
「おいおい。そんなんじゃねえよ。英語できりゃ海外行っても苦労しねえ」
「海外ですか?」

海外に行く予定なんてないはず。パスポートだって持っていない。
キョトンとする百香里を他所に渉は司を抱き上げる。

「うちの別荘海外にも幾つかあるからさ。つれってやるんだ。そういう経験は大事だろ」
「……」
「3年くらい経ったらいけるかな。俺もそんくらいで行ったし。あんま覚えてないけど」
「……」
「ユカりんも行くよな。パスポート取っとけよ。あ。司のも」
「……」
「大丈夫か?」

日本人なのに海外に別荘って意味がわかりません。百香里は後に義姉にそう愚痴ったという。
気を取り直し司を渉に任せ夕飯の準備を続ける。英語の勉強と言うのは夕方やっている
子ども向け番組の英会話を一緒にみることだったらしい。膝に座らせ楽しそうに見ていた。

「ユカリちゃんただいま」
「お帰りなさい」

そんなうちに総司も帰宅し賑やかになるリビング。真守が遅いのは何時もの事。
それでも司が生まれてからは比較的早くなったように思う。暫くして家族揃っての夕飯。
ただし司は眠ってしまったようなので後から。話題はほとんどが司がらみ。
前以上に会話が続いている気がして百香里は楽しい。

「ユカリちゃん?司は?」
「真守さんに預けました」
「そ、そうか」

夕食の片づけを終え休憩中だった総司は百香里に手を引かれ風呂場に来た。
お風呂のお誘いなら大歓迎だがなんだか何時もと様子が違う気がする。
会話もないし笑顔もない。百香里はどうも緊張しているようだ。
どうしたのかと不思議に思いながらも百香里のしたいようにさせる総司。

「総司さん」
「不満はあるやろがあんまり厳しい事は言わんといてな。…ユカリちゃんから言われると、辛い」
「……」
「あ。あかん。あかんよ?俺は…いやや。ユカリちゃんと居れたらそれでっ別にヤりたいだけと違うし!」
「赤いの…着てみましたっ」
「は?」

何が赤いの?総司は気が抜けたような声を出して百香里に問う。
すると彼女は恥かしそうに顔を真っ赤にしながらも服を脱いだ。
そこにあったのは彼女の白い肌と真っ赤な下着。

「総司さんに買ってもらったやつだから嫌いじゃないですよねっ」
「うん。めっさ好き。大好き…」

以前総司が勢いで買ったえっちなセクシーランジェリー。
スケスケの素材で胸は見えているし下半身も紐だけなのでほぼ見えている。
着てないようなものなのに裸よりも気持ちを煽るのは何故だろう。

「総司さんに…可愛がってもらおうと…思って」
「は、反則やわ。そんな…不意打ちとかあかんて」
「私が総司さん脱がせますね。いいですか」
「うん。…いい。脱がして…」

総司は鼻血を出しそうなくらい自分が興奮しているのが分かった。
いい歳をして目は若い百香里の体から離れない。
近づいて服を脱がせる間も胸やお尻、唇にばかり行って。

「あっ…まだ脱いでないですよ」
「あかん。もう…ええわ」
「総司さん」

丁寧に脱がそうとするから焦らされているようになって、もう我慢ならず押し倒す。
脱衣所は広く綺麗。総司は敢えて下着を脱がさぬまま百香里に覆いかぶさった。
中に手を入れ荒くキスして。夢中になって。お互いの甘い声が部屋に頭に響いていく。

「こんななってるけど、ちゃうんや。純粋な気持ちや…分かってくれるか」
「はい」
「毎晩これで待っててくれたら嬉しい」
「お腹冷やしそうなので嫌です」
「そう。そうやよね。うん。言うと思ってた」

苦笑しながらもやはり愛しい妻にキスをした。


続く

2012/01/25