使いすぎ
結婚しても母親になっても自分は自分のままだと思っていたのに。
休日の遠出やお買い物がこんなにも楽しくて気分転換になるなんて思わなかった。
もちろん必要なものしか買わないし殆んどウィンドウショッピングで我慢して終わるけれど。
司を見てもらって総司と久しぶりに2人で歩いた。
ちょっとしたデート。でもいつかは手を繋いで親子3人で出来たらと期待もする。
「なあーユカり〜ん」
「駄目です」
時間がきて司を預けていた渉の元へ向かう百香里。梨香とデートがあるかもしれないのに
無理をいって申し訳なかったと思うけれど。彼は暇だからと引き受けてくれた。それに、
ショッピングモールを司を抱っこして歩いている彼はさほど退屈してないようにも見えた。
「俺が買うんだからいいだろ」
「駄目ですってば」
でもって彼が司と見ていたのは子ども用のファッションブランド店に置いてある玩具。
ウィンドウに飾られている可愛らしいドレスとお城。煌びやかで誰もがつい見てしまうくらい素敵。
「強情だなぁ。いいだろこんなに気に入ってんだ」
「絶対絶対駄目です。司にはまだ大きすぎます」
「何れ遊ぶって」
「駄目です」
でもってお値段は飛び上がるくらい高価。さすがブランド。手を出せそうな値段のものは無いとみた。
百香里のフルコーデを合わせても足りない。それをスパッと買おうとするあたりさすが松前家の御曹司。
だけどそれを許してしまったらつぎつぎと限りなく買って来てしまうに違いない。百香里は心を鬼にする。
「じゃあ何だったらいいんだよ。俺は姪に何も買えねぇのか?ンなケチな叔父さんになれと」
「そ、それは。まずこのお店から離れましょう」
百香里を無視してまで強引に買う気はないらしいが司を抱っこしてふて腐れる渉。
そんな彼に影響されたのか司もどことなくつまらなそうな顔をしていた。一先ずその場から去る。
目立つつもりは無かったのに周囲の人々の視線を盛大に集めていたから恥かしい。
「おっさんは?」
「総司さんでしたらフードコートで休憩してます」
「休憩って。マジでおっさんだな」
「私がテンションあげちゃってつれまわしちゃったから」
「ユカりんこそ疲れてねえの。俺はまだいいよ」
「ありがとうございます。じゃあ、夕飯のお買い物をしたいので総司さんと司を」
「おっさんのお守りはごめんだから。司は母親と行きたいみたいだし、俺も行っていい?」
「はい」
百香里は総司にメールを打ってモール内にあるスーパーへ向かう。
何時もなら多少無理しても付き合ってくれる旦那さま。でも今回はよっぽど疲れたのだろう、
気をつけてと心配されたくらいで終わった。家に帰ったら肩を揉んであげようと思う。
「今日は魚がいいな」
「魚ですか。いいですね」
「ユカりん。魚ってのはな1種類じゃなくてもっと種類が豊富あるものなんだぞ」
「鯵の煮物は得意です。お刺身も出来ますし。あ。南蛮とかも結構美味しいし」
「…お前の母親鯵好きすぎるだろ」
選ぶ間もなく速攻でカゴに入る鯵。諦めたのか渉はそれ以上何も言ってこなかった。
司を抱っこしてもらいカートを引いて歩いて歩く百香里。その姿は何処からみても若い夫婦。
楽しげに買いものを進める姿はほのぼのとしていて。
「渉!見つけたわよ!」
けれどその優しい空気はヒステリックな声に瞬間にしてかき消された。
「大きな声出すな司が驚くだろ」
「梨香さんもお買い物ですか?」
百香里は暢気に言うが渉はそれが偶然とは思えない。面倒だなという苦い顔をした。
どうやって調べたのか分からないが此方に向かってくる梨香。怒っているように見える。
何もした覚えがない百香里は不思議そうな顔をして、
渉も彼女よりも司が泣いてしまわないか心配なようでそちらばかり見ている。
「渉を返してもらおうと思って来たの」
「返す?」
「今日は大事な用事があるからデートできないって言ったわよね。休日に兄嫁の赤ん坊抱っこして
お買い物の何処が大事な用事なのよ。そういうのは普通旦那がやることでしょ。渉がすることじゃないでしょ」
「あの、これは私が無理に」
「そうよ百香里さんも渉を使いすぎ。いくら義弟でももうちょっと距離置いてくれないかしら。パシリじゃないの」
「ごめんなさい」
最近ではそんなにも百香里に対して棘を出さなくなった梨香。でも今回はよほど怒り心頭らしく、
加えて日ごろからの不満もあったのか次から次へと棘のある言葉が出てくる。
彼女の登場で一気に注目を浴びる百香里たち。
周囲からは不倫?とか修羅場かしら?とか妙なことを言う声が聞こえきた。
「ユカりん司が嫌そうな顔してる。飯か?オムツか?」
「わっ本当だ」
「トイレで見てきたら。ここは俺が居るから」
「すみません」
顔を見ると不満げで今にも泣き出しそう。渉の手から百香里に渡り司はトイレへと向かった。
気を利かせてくれたのかと思ったが本当に司から悪臭がしてきて焦る。
「それで?」
百香里が去り2人きりになった所で渉は梨香を見る。何処か冷めた目で。
それでも怯むことがないのは彼にしては長く関係が続いているからかもしれない。
「百香里さんが戻ってきたら後は任せて一緒に戻りましょう。そして夕方私とレストランへ行くの」
「レストラン?もしかしてあれか?親に挨拶なんてしねえよ。言ったろ」
「真面目に考えてくれるとも言ったじゃない」
「親に会うのが真面目に考えてる証拠だってのはお前の勝手な言い分だろ。俺は俺で考えてる」
「渉」
「だからって、俺を信じろとかついてこいとか言うつもりもねぇからさ。お前の好きにしたらいい」
「……」
「それで不満なら俺はお前には向かない男って事だ」
そういうと渉は視線を梨香からアルコールに移動させ適当にカゴに入れていく。
百香里が居たら買いすぎです!と絶対に止められているがここぞとばかりにたんまりと。
残された梨香は黙ったまま。彼はあっさりと言ってのけるが梨香からしたらとても重要な事だ。
真剣に自分たちのこれからを考えていてくれると聞いた時はとても嬉しかったのに。
「わかった。なら普通に食事しましょうよ予約しちゃったし。親は呼ばないから」
折れるのは何時も梨香。それだけ渉を愛している。悔しいけれど。彼を失いたくない。
「夕方迎えに来てくれよ、下で待ってるから」
「今からは?」
「おっさんが使い物にならないのに司抱えて買い物なんて出来ないだろ」
「ほんと百香里さんには優しいんだから。もうちょっと私にも優しくなってよ」
「優しいだろ」
「はいはい。それじゃ迎えに行くから。メールするね」
「ああ」
百香里だけでも不満なのに今度は司も登場して余計に苛立つ。でもこれ以上話しても無駄。
渉の好まない話を延々とした所でこっちが痛い目をみるだけだ。梨香はその場を去っていく。
その表情は疲れたような、残念そうな、呆れたような顔。
暫くして心地よさそうに眠っている司を抱っこして戻ってくる百香里。
その疲れた様子からしてかなり悪戦苦闘した様子が見てとれる。
「あれ。梨香さんは?」
「帰った。あ。俺夕飯要らないから」
「わかりました。…あの」
「司どうだった」
「え?はい。ご飯とトイレのダブルで」
「そっか。俺抱っこしてる」
「でも」
「いいから。ほら」
梨香のことを気にしている百香里だが渉はやや強引に司を抱っこする。
後は何も無かったように買い物をして。司の変わりに今度は荷物を持ってもらって。
楽しかった外出を終えた。
夕飯の準備をしている間に時間が来たようで渉は家を出て行く。
「総司さん」
「ん?なに?」
司を真守に預けるとソファに座ってテレビを見ていた総司の隣に座る。
真面目な話しだからとテレビを消すが彼は怒る事もなく百香里を見た。
「総司さんのお家に行ったら司を見てもらえる方って居るんでしょうか」
「え?…そら、まあ、居るけど。どした急に」
「もちろんちゃんと司を育てます。でも、ちょっと手が必要な時とかは手伝っていただけたら」
最近では夫が家事だけでなく育児にも積極的に関わってくれる家庭は増えているとテレビで見た。
総司もそう。基本的に子どもが好きで世話もなれているからか進んでしてくれる。それはとても助かるし
百香里は嬉しい。でも、もしかしたら前妻との事を思い多少甘く接してくれているのかもしれない。なんて
穿った見方をしてしまう時もあって。それで最初の方はつい夫より真守や渉に頼った面もあった。
「どういう事や?よう分からん。俺や真守らじゃ足りへんちゅうことか?」
「皆さんにちょっと甘えすぎてたかもしれないと思って」
それが気持ちが今でも引きずってついつい甘えすぎていたのかもしれない。
梨香の言うように渉の休日を削らせてまで頼むべきではなかったのかも。
反省する百香里。総司は最初混乱した様子だったが少しして理解したようで。
「ここに居るんは皆ええ年の男やで?無理やったら無理って言うわ」
「そう、ですけど」
「ユカリちゃんはドーンと俺に甘えてくれたらええんや。…それが無理でも、あいつらも司の事
めっさ可愛がってくれてるから。何でも言うてや。ユカリちゃんがいちゃん大変なんやから」
百香里を抱き寄せオデコにキスするとそう優しく言ってくれた。それで幾らか心が軽くなる気がする。
この気持ちを誰にも言えなくて、人からしたらほんの些細なものかもしれないが彼女からしたら問題。
夫を信じているのに、揺らぎないはずなのに。
それでも素直に総司の胸に飛び込めないでいる事を彼自身も分かっているのだと思う。
「…総司さんごめんなさい」
それを敢えて追求せず言葉にせず見守ってくれている。百香里もそれを察している。
だから余計に申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまって、ギュッと総司に抱きついて謝った。
彼はただ笑って優しく頭をなでるばかり。
それがとても暖かくて落ち着くけれど、そんな時やっぱり自分はまだまだ未熟なのだと痛感する。
「そんな謝る話とちゃうやろ?ユカリちゃん真面目やからな。もっと気ぃ楽にして」
「はい」
「でなあユカリちゃん。俺めっさ腹へってん。ご飯まだかぁ?」
「あ!」
「司もそろそろ腹へってくる頃やろ。こっちは俺に任せて司の所行ったり」
「お願いします」
止まっていた時間が急に動き出したような感覚で慌てて真守のもとへ向かい真守と交代。
その間に総司と真守で夕飯の配膳は終わって2人とも百香里を待ってくれていた。
3人で何時ものように食事をして途中司が泣き出すと百香里や総司が見に行き。
真守も時折様子を伺いに行ったりしてすっかり赤ん坊が中心になっている松前家。
「義姉さん。そんな雑に扱わないでください」
「え。そうですか?」
「もっと優しく。赤ん坊の肌はデリケートですから」
「…はい」
「こうして。素早くはかせ優しくふき取る」
「はい」
食後、オムツを替える百香里の様子を見ていた真守が我慢できなかったのか変わりにやる。
事前に勉強をしたのと練習したのと実践で鍛えられた腕は百香里よりもスムーズ。
やっていけば自ずと分かるだろうなんて軽く考えていた百香里はその素早さに見入る。
「すいません。出すぎたマネとは思いますが。つい」
「いえ。頼りになります!真守さんはもう何時お婿さんに行っても大丈夫ですね!」
「へ、返事に困ります…」
ニコニコと明るい笑顔で言われても困る。彼女に悪意が無いだけに余計に。
真守は居辛くなったのかリビングから去ってしまった。
「ほんまに。後はあいつの気持ち次第なんやけどな」
「あ。総司さん」
「司に風呂いれさしてくるわ。ユカリちゃんは休憩しとき」
「大丈夫です。総司さんこそ今日は歩き回って疲れてるでしょ?」
「そんな年寄り扱いせんといて。そら途中何回かバテたけどな」
「総司さんに甘えたいんです。まだ甘えたり無いから。…明日はお仕事だし」
「ユカリちゃんも一緒やろ。家事と子育てに休みはないんやしな」
そういうと総司は司を抱き上げて風呂場へ向かう。義弟たちに懐きながらも
やはり父親が分かるのか嬉しそうな顔をする娘。そんな司に愛しそうに微笑む総司。
彼女の為に購入したお風呂にお湯をはってゆっくりと風呂にいれる。
百香里はあまり得意ではないが総司ほか義弟たちは中々器用で上手かったりした。
「皆器用すぎる…っていうより、私が雑なだけかな」
心強くもあるけれど、それほど上達しない自分に自信が無くなりそう。1人リビングのソファに座って
らしくないくらいくらいウジウジと考え込んでいるといつの間にか眠ってしまったらしく意識が途切れ。
そのまま一度も起きることは無かった。総司を気遣いながら自分も思っていた以上に疲労していたらしい。
「ユカリちゃん起きて」
「……」
「ユカリちゃん」
「……」
「百香里。起きや。寂しすぎて死んだら祟るで」
「……ん…総司…さん?」
「あ。今のは嘘やで。死ぬわけないやんか」
心地よい眠りの中、耳元で総司の声がしてそれと共に意識も戻ってきて目を開ける。
カーテンから漏れる光は明るくてもうすっかり朝なのだと認識させる。
でも飛び起きないのは寝ぼけているからか、それとも総司が隣にいる安心からか。
まだ起きたくない百香里は寝返りをうって総司にギュッとくっ付いた。
彼がこうしてのんびりとベッドに居るということはまだ朝早いのだろう。珍しいけれど。
「総司さん…」
「甘えてくれるんは嬉しいけどな。起きて欲しいんや。司が飯くわせぇて泣いとってな」
「そうですか。じゃあ総司さんお願いします」
「おっしゃ任せときー…ってちゃうやん。ユカリちゃんのおっぱいあるやん」
「わかってますって。冗談です」
ゆっくりと起き上がり背伸びをすると司を寝かせているベッドに向かう。が、そこに司の姿はなかった。
不思議に思い振り返ると総司はパジャマではなくて既に着替えた後。ただ何時ものスーツでもない。
今日は月曜日だよね?と不思議に思いながら総司に近づく。
「司はリビングや」
「そっちですか?」
「朝に真守が粉ミルク作ってくれたんやけどな。もう腹減ったらしいわ」
「真守さんが。………え?え?え?」
「どないした?ちゃんと上手に作ってたで」
「そ、そうじゃなくて。朝…って?今朝じゃないんですか?」
「もう昼やで」
昼。冗談抜きに昼?百香里は慌てて時計を見る。午後1時を過ぎたあたり。ゾッとした。
どうやら朝どころか昼過ぎまで眠ってしまったらしい。真守も渉も既に出社した後。
でも何で総司が居るのだろう。強引にでも起こしてくれたらよかったのに。
「どうして起こしてくれないんですか!」
「めっさ可愛い顔で寝てたやん」
「そ、そんな理由で。朝食とか洗濯とか掃除とか」
「飯は適当に食べた。洗濯は俺がやっといたし、掃除は昼からでもできるやろ」
「そうですけど。総司さんお仕事」
また強引にサボったとなると真守や千陽の視線が痛くなる。
自分の所為でまたしても人に迷惑をかけたとあっては。
寝起きで頭が働かないのか何をすべきか分からずオロオロする百香里。
「飯食ったら行くわ。粘ったんやけど昼までしかあかんかった」
「どうしてそんな」
「夜中散々司に起こされて昼間もバタバタ忙しい。そら眠くもなるわ。やからちょっとくらいはな」
「総司さん」
「ユカリちゃんの事好きやからな。なんでもお見通しや」
「ありがとうございます」
「ええんや。つうことで。俺らと司の飯の支度してくれるか」
「はい」
総司の優しい言葉に百香里は落ち着いたようで微笑んでベッドから出た。
それからグズりだしていた司にお乳をあげて昼食の準備を始める。ぐっすり寝た所為か
溜まっていた疲れも消えて、旦那さまが自分の事を考えてくれるのはやはり嬉しい。
『社長。くれぐれも時間を忘れないようにお願いします』
「わかってるて。そんな小刻みに電話してこんでもええやないか真守」
百香里の後に続こうとしたら電話がかかってきてその場で受けた総司。
かけてきた真守は何時ものようにキツい口調ではないが甘くも無い。
『庇うのも限度がある。僕もそう強くは出られないんですから。それで義姉さんの具合はどうですか。
まだ辛いようなら病院へ連れて行った方がいいと思いますが』
「朝はつらそうやったが若いからな。もうだいぶええみたいや」
『そうですか。ならよかった。育児は何かとストレスを溜めると聞きますから』
「まあなあ。それでいっぺん失敗してるからな俺は。その辺のフォローは出来るつもりや」
自嘲めいた乾いた笑い。それに対して真守は何も返事をしなかった。
『では。予定の時間には車をとめておきますので必ず降りてきてください』
「わかった」
続く