新スタート 2
「…百香里」
耳元で低く優しく囁かれる自分の名前。嬉しくてさらにギュッと旦那さまに抱きつく。
少し前までなら彼についていくのに必死でそれ所じゃなかった。少しは自分にも余裕が出来たのだろうか。
けど、刺激されるたびに頭の中はいっぱいいっぱいでやっぱり他の事なんて考えるスペースは無い。
「あ…んっ」
汗だくになりながらもうそろそろ限界が近い百香里。
それは相手も同じようで打ち付ける総司の速さが変わった。
このまま一緒にイケたらいいな。
「…アカンかぁ」
もう駄目とグッと力んだ百香里。でも今まで自分の中に入っていた熱く硬いものが抜ける。
まだイってない。総司もきっとイってない。でも体は離れ百香里は立ち上がる。
「ごめんね。お腹空いたね」
全裸そのままという訳にはいかないのでパンツをはいて軽く上に羽織ってからの授乳。
寝室に追加された可愛らしいベッドには先ほどまでスヤスヤと眠っていた娘。
だが空腹になったらしく大声で泣き出した。彼女を抱き上げてベッドに座り乳を出す。
「ごっつい飲みよるな」
「よっぽどお腹すいたんでしょうね。…ごめんなさい、総司さん」
「謝らんでええよ。こうして3人で居るのも嫌いやない」
百香里を後ろから抱きしめて美味しそうに飲む司を眺める総司。
申し訳なさそうにする妻の頬にキスして微笑む。
「あら。司…オムツも替えないと」
「ははは、元気なこっちゃ」
「明日もありますし総司さんは先に寝ててください」
「何言うとんの。まだ俺もユカリちゃんもイってへんやん。そんなままで寝れますかっちゅう話しやで」
「でも、私今からオムツ替えるのでその…匂いが」
「ええからええから。はよ替えたり」
ベッドに寝転ぶ総司を尻目に司のオムツを替えてベッドに戻しあやしながら再び寝かせる。
でもまた時間が来ると起きて泣き出すだろう。比較的夜泣きは少ない子ではあるけれど。
もう少し大人しく寝ていてねと一息ついてベッドに戻る百香里。
「総司さん」
再び裸になりベッドに座って旦那さまの様子を伺う。もう十分遅い時間。
眠いのなら無理せずに寝てもらいたいけれど。
「何も考えんとココに座る」
「……」
「恥かしい事ないやん。ほら、自分から入っておいで」
「…は、はい」
言われるままに寝ている総司の上に乗る。と同時に百香里の中に彼自身がゆっくりと侵入。
イけなかったからか時間が空いてしまっても十分熱く硬い。
「んで。手を握って」
「はい」
「ほな続きしよか」
「んっ」
2回目はなんとかイけたのだがそのまま眠ってしまったらしく酷い状態で目が覚めた。
授乳にオムツ替えにえっちは危険。薄暗い中での行為だったから気付いてなかったらしい。
百香里はそれに気づくなり一目散にシャワーを浴びた。
「おはようございます義姉さん」
「おはようございます」
「おはよう司」
朝食の準備をしていると何時ものように1番早く起きてくる真守。
彼の日課は新聞を取って来て百香里に挨拶をしてコーヒーの準備をして、
生まれたばかりの姪っ子に挨拶をする事。
「真守さんにお願いがあるんですが」
「なんでしょうか」
「帰りにここでオムツを」
「義姉さん。僕は反対です」
「だ、駄目ですか」
「駄目です」
百香里が手にしているチラシを一瞥してすぐに視線を逸らす。
彼が今までにこんなにも百香里に対し否定的な態度を取る事は無かった。
「でも、何時もより150円も安いんですよ?そんなチャンスをみすみす逃すのは」
「安ければいいというものでもないはずです。僕はこの会社のオムツでないと駄目だと思います」
「でも高いですよ…消耗品だし…そんな気にしなくても」
「大丈夫です。安く仕入れるルートを確保しますから。そこから独自に買います」
「い、いいですって。そんな怖いルート」
「怖くはありません。商売をしていればよくある事です。僕に任せてください」
「…は、はあ」
ビジネスってよく分からない。百香里はそれ以上言っても彼に勝てる気がしなくて黙る。
そんな事はないのだがなんとなく真守の眼鏡がキラリと光った気がした。
司の事を考えてくれているのは嬉しいのだが。
「なに朝からいがみ合ってんの?」
「あ。おはようございます渉さん」
「おはよ。つーか、小姑だよなこの人。ユカりんの好きにさせりゃいいだろうに」
おくれてリビングに入ってくる渉。2人の様子を見て何となくの雰囲気で察したらしい。
というか、この手の話は司が来てから毎日のように繰り広げられているから分かりやすい。
渉は大きな欠伸をひとつして椅子に座ると朝食はまだかと百香里にねだった。
「子どもによいものを与えたいと思うのは悪い事ではないだろう」
「はいはい。今日も大変ですね小姑専務」
2人分の朝食を出し百香里は総司が起きてくるのを司と待つことにする。
抱っこしてあやしてやると嬉しそうに笑う娘。夜中にいきなり起こされたり常に意識して
彼女を連れていかないと何処へもいけなくなったりしてもやはり愛しい。暫くして起きてきた総司。
まだ眠そうだが席について百香里と朝食を取る。その間は真守と渉に司を任せた。
「お前上手いな」
「そうか」
「あやした事、あるのか」
「ねえよ」
真守から簡単な説明を受け渉が抱っこしてみる。もとから興味があったのか嫌がることなくすんなりと。
司は泣き出すこともなくぼーっと渉の顔を眺めている。この人誰だろう?とか思っているのだろうか。
「可愛いな」
「…可愛い」
渉が手を伸ばしたら小さな手がギュッと握る。意外に握力があって驚いた。
夫婦のどちらにも似ている気がするけれど、可愛いと素直に思う。
真守も何時になく穏やかな顔。これから仕事だというのに。
「見てもらってありがとうございます。もう大丈夫ですから」
時間が止まってしまったかのような空気の中。朝食を終えた百香里が来て司を抱っこしてベッドに戻す。
残念な気持ちも残しつつ何気なく時計を見るとあまり時間がない。急いで準備をする2人。
挨拶も適当に部屋を出た。どさくさに紛れてサボろうとしている社長を捕まえることを忘れずに。
「はよ土曜日こんかなぁ」
「あと3日の辛抱ですよ」
「そうか。3日か。長いなあ。ユカリちゃんとも司ともふれあいができへん」
席につくなり大きなため息をつく社長。そして机上に飾っている妻と子の写真を眺める。
毎日のようにこんな調子なので千陽もそれにたいしての突込みを辞めた。言うだけ無駄。
「それは仕方のない事でしょう。どの世界に行っても父親は同じです」
「千陽ちゃん見たことあるん?全世界の父親っちゅーもんを」
「お喧嘩を売っていらっしゃるなら今すぐにでもお買い上げさせていただきますわ」
「え。えっとぉ。今日の予定はなんやろかねー…」
総司は千陽の凍てつくような寒い笑顔に顔を真っ青にしつつ、後で百香里に電話することにした。
昔は隙を見てかけていたが予めかける時間さえ決めておけばどうどうとしても良いと協定を結んでいて、
百香里もその時間を楽しみにしてくれていてコールするとすぐに出てくれる。会社で唯一楽しみな時間。
「専務ももっと厳しく言ってください。…せっかく社長として大人しくなってくださったのにあれでは」
「分かってはいるんですが、司を楯にされると」
「専務」
「はい。努力、します」
いいつつ専務の机の上にはオムツのメーカーから取り寄せた資料。
この調子では暫く専務も社長と変わらないかもしれない。いざとなったら奥様に直談判も考えている。
そこまではしたくないけど。どうしたものかと千陽は深く肩を落とした。
「なんだよいきなり」
「情報収集」
「情報?…俺から何聞き出そうって?」
昼休み。受付から連絡が入り自分に会いたいと少女が来ているという。
ちょうど昼に出る予定だったから1階へ降りていきその子と会った。
その子は渉を叔父だと言っていたらしいが、それは嘘ではない。
「そっちの情報。生まれたんでしょ?妹?弟?」
「なんだよ。認めねぇんじゃなかったのか」
言われるままに高そうな店に連れて行かれ昼食を奢ることになった渉。
まだ学校があるはずだが、それを彼女に問いかけるほどの興味はなかった。
「嫌だったけど、でも、その子は母親が違っても私と血が繋がってる」
「……」
「結局は私や母さんからは逃げられないって事でしょ?」
「気色悪いガキだな。そこまでしてあんなおっさんにしがみ付くのか」
「あんなおっさんでも私には唯一の父親だから」
「父親ね」
茶化しながらも何処か真剣な彼女の言葉。でも、渉はそれが馬鹿らしいと思った。
父親なんてそんな重要なものだろうか。あんな頼りない奴。居なくてもいいだろう。
「母さん再婚するかもしれない。それを阻止できるのは」
「くっだらねぇ」
「自分の為じゃなくて、私の為に…娘が片親じゃ可哀想とか思ってそれで再婚とかされたら嫌でしょ」
「俺もお前くらいの歳には片親だった。それでもこうして生きてる」
「叔父さんみたいな生き方したいわけじゃないから」
「じゃあどんな生き方がしたいんだ。再婚しちまった父親に恨み言を言って暮らすのか?
再婚相手に電話かけて嫌味を言うのか。生まれた子どもを見てきょうだいだと思うのか?」
「……」
「そんな人生楽しいか。お前のしてることはただの時間の無駄だ」
渉の言葉にただただ沈黙をする唯。泣きそうな顔をしながらも涙は出さない。
その間に頼んでいた料理が来て黙々と食べ始める。
「叔父さん。子ども…、司だっけ?女の子なんでしょ。やっぱ可愛い?」
「まぁな」
「そっか。お父さん大喜びだね。私の時もずっと遊んでくれたらしいから」
「そうか」
「私…お父さんと行けばよかったのかな。こんな恋しくなるなら」
「行ったら行ったでどうせ母親が恋しくなってたろ」
「そうだね」
唯にはどちらが欠けても駄目。両手を掴んでくれる両親が必要。
少しだけ笑う姪になんとなく彼女の寂しさのようなものが分かったきがした。
だからといって協力する気はないけれど。ちょっと言い過ぎたろうか。
「…お前それ食うのか」
「叔父さんも食べる?」
「いらねぇよ」
なんて思っていたら巨大なパフェを注文し食べ始めた。
あんな辛そうにしていたのに今はもう幸せそうな顔。
女ってのはよくわからない生き物だ。
「ごちそうさまでした」
「ああ」
「司に会いたいんだけど、お父さんに言えばいいかな」
「そうだな」
「じゃあ、また会いに行くからよろしく」
店を出て唯と別れ1人会社へ戻る。この事は社長に報告すべきだろうか。
でも、彼女は近いうちに父親に連絡を取るだろう。司に会う為に。
あの様子からして悪意は感じられなかった。純粋に妹に会いたいのかもしれない。
部署に戻る前にと喫煙ルームに入り煙草をふかす。
「…親に頼ってもしょうがねぇだろうに」
自分にはそんなのどうでもいい事なのについ言葉がこぼれた。
「どうしたんですか渉さん」
「なんだよ居たのか」
「煙草の1本でも吸ってないとやってらんないから」
「大変だな秘書ってのは」
そこへタイミングよく入ってきたのは千陽。聞かれたようで少し動揺するも取り繕い。
隣に座った彼女に火を貸す。
「貴方が気遣ってくれるなんて、明日は槍でも降るかしら」
「俺だってそれくらいの社交辞令言う」
「そうね」
ふふっと笑う千陽。
「子ども1人増えたくらいで何も変わらないと思ってたけどさ。案外変わるもんだな」
「専務のこと?」
「みんな。俺も含めて。…もう変わることなんてねぇかと思ってたのに」
「変わる事が悪いこととも言い切れないわ。あ。もしかして、司ちゃんを見て自分も結婚願望が芽生えたとか?」
「冗談じゃねえよ子どもなんて面倒だろ。1日中夜中でもビービー泣くしすぐ漏らすし。
母乳がいいとか駄々こねやがって。俺がどんだけ苦労してミルク作ってやったと思ってんだあいつは」
「……」
「だいたいユカりんは大雑把なんだよ。安売りの服とか平気で買うし。サイズ合わなくても
大きいほうがいいとか馬鹿の考えだろ。ちゃんとサイズを測っていけよ。日々赤ん坊は育つんだよ。
俺が買ってきたもんにはすぐに文句言うくせに自分は安いいい加減なもの買ってくるしあーもー」
「確かにこれは変わったわね」
ブツブツと文句を言っているがどれも司がらみ。悪いほうではないと思うから
この変化は良かったのだと思う。ただ怒られている百香里は大変だろうが。
休み時間も終わり各自部屋に戻る。渉は思い出してか不機嫌そうだった。
「でな。実家に土日で宿泊しようと思うんやけどどやろ」
『はい。いいですよ。私たちだけですか?』
「声かけてみて行く言うたら一緒に行くくらいでええやろ」
『わかりました』
「司なにしてる?」
『さっきお乳を飲んで今はぐっすり寝てます』
「そうか。ユカリちゃん、何か辛いことあったらすぐに言うんやで」
『はい。あ。今とっても辛い事がありました』
「え。な、何があったん?」
『…今日は魚が安い日でした。でも、私はいけないので…』
「俺が買ってくるから。気にせんとな。な?行ったらあかんで?」
『はい…』
買い物は近場の安全な店でタイムセールなど参加せず安全にベビーカーを引いて行う。
よって自転車に乗ってちょっと遠くのスーパーに安いものを求めていくという行為が出来なくなった。
それが生きがいでもあった百香里には辛いことではあるが司の事を思いがまんしている状態。
電話を切って総司は深いため息。このままでは彼女もストレスが溜まるだろう。なんとかしたいが。
「あかん。ユカリちゃんをタイムバーゲンに解き放ったら絶対帰ってこん」
物凄いリアルな映像が頭に浮かぶ。
生き生きとした彼女は好きだけど、戻ってこないとなると話は別。
「社長?どうなさったんですか?頭抱えて。薬をお持ちしましょうか」
「真守か。あぁ、ええんや。せやけど、何とかせんならんなぁ」
「え?」
「今度の土日で家に帰るんやがお前もどうや。司に家を見したろおもてな」
「いいですね。僕は仕事がありますから遠慮させていただきます」
「そうか。俺が言うのも変やけど、あんま根詰めんなや」
「はい」
昼からの仕事を終えると兄弟はそれぞれ動き出す。渉はまっすぐに家に帰り。
総司は百香里の為に車を走らせ真守は今日も帰りが遅い。
「宜しいんですか。社長をあんなすんなりと帰らせてしまって」
「義姉さんの代わりに買い物を頼まれているそうなので。僕で代用できる仕事ですから」
「無理をなさらないでくださいね」
「兄さんにも言われました。僕はよほどか弱く見えるようですね」
「い、いえ。そんなつもりは」
「以前はしなければならないから無理をしていたけど、今は楽しくて無理をしてるんです。
僕の言葉では分かり難いでしょうけど、まあ、そんなところなので。大丈夫です」
「は、はあ」
「すみません、コーヒーお願いします」
「はい」
続く