何時もの
「忙しいでしょうに此方の都合を聞いていただきまして」
「そんなん気にせんといてください」
「そうですか。ところで、百香里は元気でしょうか」
「そらもう。元気にしてます」
出産の予定日が差し迫る中、突然会社にやってきた百香里の実兄。まともに会うのはこれで二度目。
会社に乗り込んできた時は受付嬢と半ば喧嘩腰に話をしているときに渉が出くわし彼を百香里の夫と間違え
今でも渉に恨まれているくらいの喧嘩になった。だが今回は大人しい。
静に受付嬢に声をかけ、秘書課に通され、社長室に呼ばれ。こうして総司と向かい合っている。
義兄を前に挨拶してニコっと笑っても彼に笑顔はない。厳しい表情はかわらず。
「そうですか。母から百香里が大変そうだと聞いて心配していたのですが」
「何もかんも初めてですから」
総司にとっては年下の義兄なのだが未だに彼に認めてもらえていないのが現状。
話をしようとしてもさりげなく避けられるし話をした所で結局は怒られて彼は去ってしまう。
百香里を心配させたくないし義理でも兄弟になるのだから此方も仲良くしたいのに。
「貴方はそうではない。だからそんな余裕があるんでしょうね」
「こっちが二度目でも彼女には関係ない、何があるかわからんのですから心配なんは変わりないです」
此方の思いは届いていると思いたいけれど。この平行線具合は娘である唯と似ている。
百香里との夫婦生活を続けていくのに頭を悩ませる相手だけれど、決して悪い人間ではない。
ただ妹を心配しているだけ。それだけ夫である自分が信頼を得ていないという事になるが。
1度失敗しているだけに説得するのも容易ではなく、痛いところ。
「ならば落ち着くまで百香里を実家に帰してはいかがですか」
「本人が望むならそうすべきやと思います」
「自分からはそれを促さないと?」
「彼女の傍におったりたいんで」
「傍に?そんな事が出来るんですか?貴方はこんな大きな会社の社長でしょう。
いや、ここだけではない。グループで持っている会社も入れればどれ程になるか」
総司の返事に明らかに不愉快そうに此方を見る百香里の兄に苦笑する総司。
子どもも生まれるのだからそろそろ和解しようとか歩み寄ろうとかそんな理由ではないことに落胆しつつ、
どこかでそんな気がしていたからやっぱりそうなるよなで片付けてしまう。過度な期待は禁物だ。
「ずっと傍におられんからお義兄さんはそれが心配なんですね」
「貴方にお義兄さんと呼ばれたくはないですね」
「相変わらず素直な人やなあ」
そんなスッパリ言われると不愉快さも感じない。さすが百香里の兄さん、
なんて感嘆している場合ではない。
「百香里も周りの友達のように学校へ行ったり自由に生きたかっただろうに。子どもは素直に祝福します。
そして子どもには父親は必要だ……、ただ暫く百香里は家で預かります。その方がいい」
「彼女と相談して決めさしてもらいます」
「それでは意味が無い。百香里は貴方に遠慮して戻りたがらないでしょうから」
「俺から言えと?」
「当然でしょう。初めての出産子育てで1人辛い思いをする百香里の事を思えば。
貴方は既に1度妻を持ち娘さんの父親でもあるんですから大変さは分かりますよね」
「……、分かりました。言うてみます」
「お願いします。百香里は苦労を苦労と思わない所があるから。気づいてないんだ」
自分がこれからどれだけ苦労するのか。そうさせたのは家の所為。彼女に強いてきた苦労の所為。
双方そのことは分かっているからか深く説明しなくても理解できた。総司は百香里の性質と過去を思い返し、
義兄のいう事も間違いではないと反論が出来ない。確かに彼女は1人になってしまうのだから。
「だいぶ一方的に言われたみたいですね」
「義兄さんはユカリちゃんが心配なだけや」
社長に呼ばれコーヒーを持って来た千陽。既に客は居なくなっていた。
彼がどういう人物がもちろん知っている。松前家と仲が悪いという事も。
自分の席に戻り椅子に深く腰掛け酷く疲れた顔をする社長は初めて見た。
「社長は奥様を大事になさってます。憧れるくらいいい夫婦です」
「ありがとさん」
「専務…お呼びしましょうか」
「ええよ。これは俺の問題やし。真守は真守で忙しいしな」
「申し訳ありません、差し出がましいことを」
「ええんやって。気にせんと仕事してや」
「…はい」
顔は笑っていても声に元気が無い。よほど義兄に何か酷いことを言われたのだろう。
社長の事だから業務に差し支えるようなことはないと思うけれど、見ていて痛々しい。
千陽は部屋を出て暫く悩んだがやはり専務に言うべきだろうと廊下を進み専務室の前まできて。
何時ものようにノックしようとしてふと手が止まる。やはり言うべきではないのだろうか。
「愛の告白タイムってか?」
「…渉さん」
「俺ちょっと中の人に用事あるんだけどさ。先に入っていいか?長くなるんだろ?」
悩んでいたら後ろから声がして。振り返ると気だるそうに此方を見ている渉。
「この際貴方でいいわ」
「え。俺?」
「ちょっといいかしら渉さん」
「セフレなら考えてもいいけどそれ以上となると」
「違う!…いいからこっち来て」
渉を連れてやってきた喫煙ルーム。こんな時間に煙草をすう社員は限られる。
彼は座るなり当然のようにさっさと吸う準備をするのだから呆れてしまう。
千陽は気を取り直し先ほどの話をした。彼は大人しく最後まで聞いた。
「どういう話しをしたかはわかんないんだ」
「ええ。でも、いい話ではないでしょう。社長かなり辛そうでしたから」
「ストレートに別れろとか?」
「でも子どもが生まれるという時にそんな事を言うかしら?いくらなんでも」
「あいつなら言いかねない」
何が気に入らないのか知らないが未だに百香里が嫁いだ事をよしとしない認めない男だから。
「確かに百香里さんはまだまだ若いし自分より年上の弟なんて複雑でしょうけど…」
「俺別に年下の姉さん居てもいいけど」
「渉さんみたいに適当だったらもっと楽だったでしょうにね」
「そうそう。クソ真面目に考えるから駄目なんだって。いいじゃん相手おっさんでも。
金持ちと結婚できたら何でも楽出来るし例え別れたって慰謝料がっぽりだしさあ」
「そうね。そんな人連れてくるような社長だったらどうでも良かったのに」
最初はあんなに不安だったのに。今も何だかんだと文句を言うけれど。
総司はやはり社長の器なのだと思う。だからこそ彼には沈んで欲しくない。
外野が悩んだ所で結局の所本人たちの問題で気を揉むだけなのに。
だんだん馬鹿らしくなってきた千陽はポケットから煙草を出し吸い始めた。
「あの2人ならなんとかすんだろ」
「じゃないと困るものね」
「そうそう。…はあ、専務さんとこ行くの超だりーな」
「小言が怖い?意外に小心者なのね」
「そうだよ。俺は小さい男。だからさ、代わりに」
「行ってらっしゃいませ」
「はいはい」
どうしようか迷っていたけれど自分だけで溜めず人に話をして少し落ち着いた。
一服し終え喫煙ルームを出る2人。千陽は秘書課へ戻り渉は渋々専務室へ。
彼が真守に先ほどの話をしたかは分からないけれど。夫妻の問題として見守る事にした。
何も出来ないしあの2人なら大丈夫でしょう。なんて楽観的な自分が居たのも事実。
「ユカリちゃんただいま」
「お帰りなさい」
何時もなら定時速攻で帰ろうとして秘書に怒られる。でも今日は百香里にどう切り出そうか考えていて
帰るのが何時もよりだいぶ遅くになってしまった。玄関を開けるとすぐにお腹の大きな百香里が出迎える。
そんな彼女を軽く抱きしめてオデコにキスしつつ一緒にリビングへ。夕飯の美味しそうな匂い。
「…1人か?」
何時も酒を飲んでいる渉の姿が無い。真守は仕事でもう少し遅れる。
「渉さん今日は梨香さんと夕食を食べるそうです」
「そうか」
何時もと様子の違う総司に不思議そうな顔をする百香里。
何でもないと返事して寝室に戻り部屋着に着替える。
ここでもどうしようか考えてしまって。悩んで。困って。
「総司さん?」
「うわ」
「総司さん何処か悪いんですか?」
何時までも戻ってこない総司を心配して百香里が入ってきた。
それすら気づいていなくて声をかけられ慌てて仰け反る総司。
「どこも悪ないから。下でおって」
「はい…分かりました」
今ここで言う勇気もなく。総司は平静を装い百香里の待つリビングへ戻る。
真守はまだ遅れるからと珍しく夫婦2人での夕飯。久しぶりですねと笑う百香里だが
総司は笑顔を見せつつも心からは笑えなくて。味もよくわからないままに食後の片づけを買ってでて
黙々と皿を洗った。無意識に彼女を避けているのかもしれない。切り出したくない。言いたくない。
もし言って帰ってしまったら自分こそ1人になってしまう。それはとても寂しい。
「……」
「総司さん」
「風呂はいろか」
「は、はい」
どのタイミングで言うべきかどういうニュアンスで言うべきか。
総司は珍しく眉間にしわを寄せて悩んでいたが百香里に声をかけられ立ち上がる。
行き成り立ち上がった総司に少し驚いた様子だったがすぐに準備してきますと言って。
百香里が去ったのを見計らい自分は先に風呂場へ向かう。心の準備をしなければ。
「……熱いな」
「ちょっと微熱ですけど大丈夫です」
「そうか。辛かったら言うんやで」
「はい」
脱衣所に入ってきた百香里を抱き寄せるとちょっと熱い。
彼女の頬にキスしていったん離れ服を脱ぐ。
最初は恥かしがっていたが今は普通に裸体を見せてくれる。
「なあ、ユカリちゃん。俺な」
「構いませんよ」
「え」
体を洗い湯船に浸かりながらそれとなく百香里に声をかけたら全部言うまでもなくあっけない返事。
もしかして彼女も義兄と同じように考えていたのだろうか。以前も実家に戻ってしまった事があった。
今回も同じように帰ろうと思っていたのだろうか。そんなそぶりも相談もなかったけれど。
やはり母親の傍が彼女も安心できる?何時も傍に居てやれない自分よりも。
「わ…分かった。俺は百香里の事、…信じてるし愛してるからっ」
「で、でも。でも。…あんまり暴れたら…駄目ですよ?子どもがビックリしちゃうから」
「暴れたりせんよ。そら寂しいけど…自信ないけど」
産後何ヶ月も戻ってこないなんてなったら。禁断症状が出そうだ。
百香里を抱きしめる力を強くする。
「困ります。そんな激しくされちゃったら、その、…ね?回数多くてもいいですから」
「そんな何回もいくんか?」
「イきますよ…」
「そんな何べんも行かんといて」
「無理言わないでください。いっぱい攻めてくるくせに」
「ユカリちゃんがええなら。俺は責めへん。…寂しいけど」
抱きしめる総司の手を握ってお互いの顔は見れないのに恥かしそうにする百香里。
帰ってきてからずっと様子がおかしかった旦那さま。もしかしてえっちしたい気分なのでは?
今はそんな気にはなれないけれど彼が我慢できずに他所にいかれては困る。
そう思った彼女は覚悟を決めた。のだがやはり何時ものようには出来ないわけで。
「そ、そんな言い方されると。…イクのそんなに駄目なんですか?何時も何回でもイケって言うのに」
出来れば穏やかなえっちがいい。そう伝えたいのだが恥かしくて上手く伝わらない。
何処か辛そうにする総司の言い方が百香里には我慢できないのかな?と思えて。
応えないけれど応えられないもどかしさ。
「そらユカリちゃんの家やし。行ってくれてかまへんけど…あくまでその日に帰ってくるんが原則で」
でもなんか言ってる事が変。百香里は思わず振り返る。
「え?」
「ん?」
「家がどうかしたんですか」
「家の話ししてたやろ?」
「してませんよ」
ようやくお互いの会話が実はかみ合ってなかったことに気づく2人。
向かい合い答え合せするかのように言い合う。
「してたやん」
「してません。えっちの話しですよね」
「え!?そんなんしてへんけど?」
「だって。我慢…出来ないんじゃ」
「こんな大事な時期に発情してどないするん。そやなくて、俺は、その、ユカリちゃんが家に帰ったらどうかと」
「まさか私を家に帰してその間に誰かとえっち」
「せえへんて。もう。えっちから離れや」
混乱する百香里を落ち着かせて、自分も落ち着いて深呼吸。
どうやら話が通じていたとお互いに勘違いして勝手に喋っていたらしい。
総司は軽いため息をしてちゃんといちから百香里に自分の思うことを話した。
「総司さんが戻れというなら」
「俺は、…俺は、…ユカリちゃんが寂しい思いするくらいなら戻ったほうがええんちゃうかと思う」
「寂しい」
「ここ1人やん。家政婦さんとか雇う予定ないし。俺らも忙しいなったら夜遅いからな」
「1人で居る事で寂しいなんて思った事ないですよ」
「そら寂しいっちゅう感情を無理やり殺してるだけやないんか」
居ない父。忙しい母。補佐する兄。その中で百香里が1人になる事は多かったはず。
そんな生活の中で彼女はきっと寂しいという本来あった感情を押し殺したのではないか。
隠してるだけで本当は寂しいはず。総司は百香里の頬に触れ真っ直ぐに尋ねる。
「そうかもしれないですね。でも、私の所に帰ってきてくれる家族が居るから。寂しくないです」
「ユカリちゃん」
「それに母と居てもすごい忙しない人だから。あんまり落ち着かないんですよね。
ずっと外で働いてきたから静にしてるのが苦手みたいで。兄の所に居ても気を使うし」
「…そう、か」
「生まれたらちょっとくらいは家に帰りますけど。でも、私はここに居たいです」
「わかった」
そう言ってくれるんじゃないかと期待していたのもあるが百香里の言葉は凄くうれしい。
思いっきりバンザイしたいくらい。義兄は納得しないかもしれないけれど、でも嬉しい。
つい口元が緩んでしまいニコニコしていると百香里は顔を近づけてきた。
「お兄ちゃんでしょう。総司さんにそんな事言わせたのは」
「まあ、あれや。めっさ心配してるんやで」
「総司さんは怒っていいですから。ほんと、ごめんなさい」
「ええんや。間違ったことは言ってへん。筋は通ってる。それに義兄さんのおかげで色々気づいたしな」
「え?」
「なんやかんや言うてユカリちゃん手放したくなかっただけや。それで視野が狭なってた。そんだけ」
「総司さん」
1人にさせてしまう彼女の寂しさとか大変さを頭では理解しながらも
これからもきっと離す事はできない。少しくらいなら我慢できても。ずっとは難しい。
そこまで彼女に惚れてしまっている自分に今更ながら気づいて苦笑する。
「めっさかっこ悪いけど、心の狭い男やった。今もちょっとそうやけどそこは堪忍してや」
「しょうがないですね。堪忍してあげます」
「ありがと」
「やっぱり総司さんは笑った顔の方がずっと素敵。好きです。かっこいい」
「ほんま?俺もユカリちゃんの笑った顔が1番好き…、いや。それよりイク時の顔のが好きかなあ」
「何ですかいきなり」
「ユカリちゃんえっちの時そんな何べんもイってたんやねえ。ほんまは何回くらいイクん?」
「知りません。もう。あがります」
意地悪を言われて先に上がる百香里。続いて総司も。
許してという割りに笑いながら百香里の体を拭いてパジャマに着替えさせる。
上がってみるといつの間にか帰ってきていた真守が食事中で慌ててお茶を出した。
3人で話をしていたら渉が帰ってくる。そして総司と百香里の睦まじい様子を見て安堵した。
「何だよ…こっちくんじゃねえよ」
「お前最近あのお姉ちゃんとようデートしてるやん。もしかして近々結婚するんか?」
「はあ?何いってんだ?つかそんなのどでもいいだろ」
「気にせんとしたかったら何時でもせえよ」
「いきなり気持ち悪ぃな…親面すんなよいまさら」
渉から土産のお菓子をもらい嬉しそうにお茶の準備をする百香里。
かわってソファに座ってテレビを観ている渉の隣にいきなり座る総司。
徐々に近づいてくるので寄るなと睨むが人の話しなど聞いてないのが長男。
「おう。式ん時は俺が親代わりや。どんと泣け。受け止めたるからな」
「バカなんじゃねえの?クソ寒いわ!」
でかい図体をしているくせに凄い笑顔で、飛び込んでおいでといわんばかりに両手を広げる総司に
寒気がしてつい大きな声を出してしまう。今は風呂に行っている真守が居たら静かにしろと怒る所だ。
「ほらほら。喧嘩はだめですよーって蹴ってます蹴ってます」
「いや、パッと見わかんねーよ…」
かわりに百香里が止める。お腹を見せられると渉も黙るしかない。
「で。式は何時なんですか?私着物とかのほうが」
「違うって。ほらクリーム顔ついてんぞ」
「ユカリちゃん俺もひとくちー」
「はいどうぞ」
暢気にシュークリームをほうばる百香里に苛立ちも何処かへ去ってしまう。
悩んで居たという総司もひと口貰って幸せそうだし。心配した自分がバカみたいだ。
明日元気な社長をみて秘書も同じことを思うだろう。らしいと言えばらしいが。
「あんたらに付き合ってやるほど暇じゃねーし寝るわ。じゃ」
「お休みなさい」
「お休み」
「腹出して寝たらあかんよ」
「うっさいボケ」
渉が部屋へ戻りまた静かになったリビング。
「渉さん…もしかして心配してくれてたんですかね」
「え?」
「入ってきたときすごい安心した顔してたから」
「そうか?」
「気のせいかな。すいません」
総司との事を彼が知っているわけがないのに。でも、なんとなくそんな気がしただけ。
百香里は片づけをして総司の隣に座る。
「俺らも部屋いこか」
「はい」
「回数おおてもええんやろ。激しくなかったら」
「え?」
「えっち」
「も、もう。それは置いといてください!」
「はははは」
「総司さん意地悪なんだから」
「落ち着いたらしよな。ユカリちゃん好きやけど、それくらいの辛抱はあるで」
「はい」
「でな。でな。結局何回イって」
「おやすみなさい」
続く