計算


朝、百香里が目を覚ますと珍しく総司の方が先に起きていて傍に居なかった。
まだ時間は早く日曜日。トイレにでも行ったのかと身を起こしたら使われていない隣の部屋から
何やらドタドタと重たいものを運ぶような音がしてきた。工事でもしているかのよう。
そんな事をするなんて聞いてないから不思議に思いパジャマのままそっと様子を見に行く。

「総司さん?何してるんですか」

廊下に出た所で何やら箱を持って出てきた総司と出くわす。

「子ども部屋を作るんや」
「え?まだ早いですよ?」

嬉しそうに言う総司の返事についポカンとしてしまう百香里。
使ってない部屋はあるから改装すれば子ども部屋は簡単に確保できる。けれど。
生まれて暫くは目が離せないから夫婦の寝室に寝かせる。だからまだ要らないはず。

「分かってるんやけど。何かしてへんとソワソワしてしゃーない」
「それで。でも男の子か女の子かでまた違いますよ?」
「やから片付けだけ先にな。女の子やったらめっさ可愛い感じにしたいしなあ」
「…でも、男の子の方がいいですよ、ね」
「そんなん気にせんでええ。子どもは無条件に可愛いもんや。どっちでも代わりない」

旦那さまの優しい言葉に百香里も微笑んで返す。とはいえ、言葉にはしないけれど周囲は男子を望んでいる。
松前家の正当なる後継者として。百香里はそれを肌で感じている。もうすぐ生まれてくるわが子。
愛しいに変わりはないけれど。出来たら皆が希望する方がいい。お腹をなでながらそんな勝手な事を考えて。

「おはようございます」
「おはようございます」

部屋は総司にまかせ着替えて朝食を食べるべくリビングへ向かう百香里。
朝食は各自勝手に食べたらしい。そんな早くに起きたなら自分も起こしてくれたらよかったのに。
と言ったら百香里の寝顔があまりにも可愛すぎてといわれそれ以上の追求はできなかった。

「コーヒーいれましょうか」
「大丈夫です。それより義姉さん何か食べますか」
「私は適当にしますから。準備出来なくてすみません」

何時もよりちょっと早い起床の真守はソファに座って読書中。
渉は金曜日から梨香と旅行に出ていて居らず今夜戻る予定。
だから静かな時間を過ごせて実に穏やか。

「兄さんが妙に張り切ってしまって。あの音で起こされたんです」
「そんな早くから?」
「渉が居たら怒って殴りかかりそうな時間からしてましたよ」
「張り切ってますね。よし。私も張り切って産みます!」
「え。そ、そう…ですね」

返答に困る真守を他所に百香里は簡単な朝食を作り食べ始めた。
まだ上からはドタドタとものを動かす音がしている。子どもの為の部屋。
もうすぐ家族が増えるという実感。嬉しいような緊張するような。

「渉さん今帰ってる所でしょうかね」
「でしょう。今日戻る予定だそうですから」
「温泉か。いいですよね」

梨香は渉と相談して決めたかったらしいが彼はお前に任せると何も言わず、
彼女は半ばヤケで決めたそんな旅行。そんな話は百香里は知るわけも無く。
温泉といえば懸賞で何度と無くアタックしても当たらないレアアイテム。
自分でとなると中々二の足を踏むところへ気軽に行く2人がちょっとだけ羨ましい。
総司と2人で何処か遠くへ行くなんて今となっては難しいから。

「出産を終えられて落ち着いたら家が所有する旅館かホテルに行くといいですよ。温泉もある」
「家の?ってことは家族割りとかそういうので安くなるんですか?」

安くなるなら勇気を出して総司に相談したら1泊くらいできるかも。
ついでに母もそれが有効なら旅行をプレゼントすることも出来るかもしれない。
懸賞に頼らずに自分のお金で。真守の言葉に百香里は希望を抱く。

「安くというより、お金はいりませんよ」
「え」

が、良い意味でそれは砕かれた。

「家がやってますから。今度カタログを持ってきましょう」
「そ、そんな事できちゃうんですか?皆さんも利用するんですか?」
「僕はそんな暇がないので。兄さんは分からないけど、渉は嫌がりますね」
「そうなんですか?」

渉なら利用しそうだと勝手なイメージを持っていたのに。

「あいつは普段偉そうな癖に坊ちゃま扱いされるの嫌がるんですよ」
「真守さんも?」
「得意という訳ではないですが、僕はもう慣れました」

うまくいけば長男を出し抜いて上を狙えるかもしれない。そんな期待が三男より大きい次男。
自分の意思とは関係なく微妙なポジションで苦労してきた。今でもそれは変わってないけれど。
そんな連中のあしらい方は昔よりはうまくなったと思う。

「でも皆さん育ちがいいんだなって感じが出てますよ」
「そうですか?」
「はい。なんとなくですけど分かります。色んな家族がありますよね」
「でも僕は義姉さんのように誇りをもてない…」
「たった1人の兄さんじゃないですか」
「何でそこで俺が真っ先に出るん。めっさ悲しいわ」
「あ。総司さん」

片づけを終えて下りて来ていた総司。百香里の発言に傷ついた様子。
でも彼女の隣に座ってフォークを持ってないほうの手を握り締め、
美味しそうにサラダを食べている頬をなでる。

「確かに俺は不真面目な所もあるけどな?これでも会社の為に頑張ってるやんか」
「どの口が仰るのか。僕と御堂さんの前で説明をしていただきたい」
「……ユ、ユカリちゃんチューしよ」
「逃げちゃ駄目ですよ総司さん。はいあーん」

総司の口にトマトを入れて自分も食事再開。
真守は社長に何か言いたそうな顔をしたが百香里を思ってか黙ってくれた。


「ええか。ママ困らせんとスポっとでといで。すぐ抱っこしたるから」
「総司さん最近ずっとこの子に話しかけてますね」
「父ちゃんの声聞かせたったほうが子どもも喜ぶやろ」

片づけを終えてソファで休んでいたら総司が隣に来て。パンパンと膝を叩いて
ここに座ってと言われたので大人しく座る。すぐに抱きしめられた。

「の割りに盛大に蹴ってくるんですけど」
「なんやヤンチャな子やなあ」
「…渉さんだと大人しいのにな」
「あいつも話しかけとるん?」
「はい。最初は凄い照れてたんですけど。5回くらいお願いしたら。真守さんにもお願いしてました。
これからはお2人にいっぱい迷惑かけるから。…理解してもらえるかなって思って」

全てを理解するわけではないけど、新しい命という物を身近に感じてもらえるだろうかと。
そんな淡い期待を持ってたまに触れてもらったり声をかけてもらったりしている。
真守はマニュアルを見ながら。渉は少々照れているというより嫌そうな顔をしながら。

「父ちゃん誰かわからんくなったりして」
「分かりますよ。こんなはっきり返事するんですもん」
「蹴っとるけどな」
「あ。いまパンチしました」
「俺、好かれてへんのちゃう…?」
「そんな事ありませんって。早くパパに会いたいだけだよね」

総司にお腹を撫でてもらい幸せな気持ちに浸る。遠くへ行かなくても2人で居られたらいい。
そしてこれからは3人になって、こうして家族というものが出来て続いていく。
自分は大事なものが1つ欠けてしまって寂しい思いもしたけれど。今すごく満ち足りている。

「俺も会いたいわ」
「総司さん。私、…いいですから。いつでも会いに行って下さいね」
「ん?ああ、…うん。分かった」
「そうだ。お昼の買い物ついでにちょっと散歩したいんですけどいいですか?」
「大丈夫か?無理したらあかんよ」
「はい。ずっと座ってるのも疲れちゃうし、せっかく総司さん一緒に居るんですから」
「そうか。よっしゃ行こ」

総司に少し強めに頬にキスされてくすぐったくしながらも立ち上がる。
真守に留守を任せデートだけどそんなオシャレな格好もせず部屋を出た。
奥様ならもっと気取った格好をすべきなのかもしれない。マタニティでも。
でもやっぱり窮屈な格好は好きではない。

「あ。飾ってる花かわりましたね」
「ほんまやね。綺麗なもんや」

エレベーターが上がってくるのを待っている僅かな間。何気ない会話をしていたら
何時も廊下に飾ってある綺麗な花に目が行く。詳しくはないけれど、たぶんどれも高価なものだ。
その辺で咲いているのを見た事がないから。季節によって種類が違うから手が込んでいる。

「ゴミも落ちてないし管理大変でしょうね。部屋の掃除だけでも大変なのに」
「はは。専門の業者でも雇てるんやろ」
「そうか。私お掃除は得意だからそういう所でバイトしたら」
「ユカリちゃん」
「冗談です」
「目がマジやったでー?」

笑いながら言う総司。百香里も悪戯っぽく笑って返す。
そんな所でエレベーターのドアが開いて乗り込んだ。

「そうだ。前にお母さん来た時ここで遭難するとか言ってて。大げさだなって思ったんですけど、
思い出したら初めて私ここ来た時そんな風に思ったなって。忘れてました」

1階の広く明るいエントランスに出たらふと思い出した。あまりにも巨大なマンションに驚き
終始キョロキョロする母親の姿はあの時の自分と同じだった。19の自分。
とはいえ、それはほんの数ヶ月の話しなのに。これが慣れると言うものなのだろうか。

「俺もガキの頃はあの家で何回も遭難したわ」
「確かにあのお家は複雑そうですよね。かくれんぼしたら面白そう」
「かくれんぼ。懐かしいな。親父に叱られた時とか拗ねてこっそり隠れるんや。
他のもんはだーれも見つけられんかったけど母親には見つかるんやよね」
「へえ。総司さん見つけるの上手なんですね」
「ちゅうか俺いっつも隠れる所一緒やったから」
「あ。それで」

行き先は百香里が何時も自転車で何時も行くスーパー。だからさほど遠くは無い。
総司は車で行こうかと提案したがたまには歩いて気分転換したいと百香里に言われ手を繋いで歩き出す。
予定日が近づき周囲からあまり外に出るな動くなと制限されてきていた。気持ちはありがたいけれど
今まで活発に動いてきた百香里を制限しすぎるのはかえってストレスを溜めることに。

「今度案内するわ。ユカリちゃんだけに教える秘密の部屋やで」
「はい」
「あぁっ。しもた」
「え?どうかしました?」
「財布忘れてしもた。持ってくるからここに居るんやで。絶対動いたらあかんからな」
「大丈夫ですよ私持って来てますから」

そう言って自信満々にカバンから財布を出す。年季の入った百香里の財布。

「おお。さすがユカリちゃんや」
「ポイントカードだってばっち……あ。あ!」
「どないした?」
「カード…忘れ…た」
「なんや。それやったら別に」
「昨日整理したからだ…バカバカバカ」
「あははは。夫婦そろってやってもーた。ほなここに居ってな」
「はい」

よく利用するスーパーだしポイントカードナシで買い物なんて悔しいから絶対に嫌。
百香里のそんな意図を汲んで総司は急ぎ足で戻る。その間奥さんはなんで普段はしない
ポイントカードの整理なんてしたんだろうという反省会を大変渋い顔でしていた。

「あら。貴方」
「こ、こんにちは」
「1人でお買い物?」
「いえ。すぐに主人が」
「そう。仲がいいのね」

考え過ぎで人が近づいて居る事に気づかなかった。その声に覚えがあり怯えながらも振り返ると
百香里でも分かるくらい知名度のあるブランドの服で全身固めた女性。歳は梨香くらいに見える。
あまり人様を詮索するのは好きではないけれど、よほど聞いて欲しいのか初対面でいきなり彼女は
自分について延々と語ったから人となりは知っている。社長令嬢であのマンションに彼が住んでいるらしい。

「そうですね」

その癖人の事はあまり興味がないようで百香里の事は名前を知るくらいという。
強引さがあまり得意ではないのと話し出したら止まらない自慢が困るから苦手な人。
そう仲がいいわけでもよく会うわけでもないけれど。すれ違う事があるから。

「だけど貴方もうまくやったわね」
「え?」
「彼、射止めるの難しかったでしょう?私が声かけても無視してくるくらいだもの。
適当に遊んでるみたいだったけどほんとは女に興味ないのかと思ったわ。
ふふ、今回は彼も運が悪かったってことかしら?」
「え」

総司に声をかけたのかこの人。彼氏が居ると聞いていたのに。
パーティとか、或いは付き合いとかで飲みに行った先で?どこで?
百香里の驚いた表情を見て口元を緩ませる女性。

「計算もって大事ってことか」
「計算…?」

そして視線は百香里の大きなお腹。

「貴方意外にしたたかなのね。私も真似しなきゃいけないかしら。ふふっそれじゃ」

さよなら、と手を振って去っていく女性。百香里は理解が追いつかずポカンとしている。

「ユカリちゃん?」

その入れ違いに総司が戻ってきた。

「総司さんっやっぱり私の知らない所で女の人と…」
「えええ!?な、なんやいきなり!俺なんもしてへんよ?」
「お子さんと会うのはいいですけど。女の人と会うのは禁止してますからね」
「な、なんや女の人て。…ユカリちゃんどないした?」

理解できないのは総司も同じ。いきなり浮気を疑われアタフタ。
自分が居なかった少しの時間で彼女に激的な何かが起こったのは確か。
それもあまり良い事ではない。百香里の手を握ろうにも嫌がる始末。

「……」
「なあユカリちゃん。何があったんや。言うてや」
「……」
「ツンツンせんといて。俺ユカリちゃんに嫌われることなんか絶対せえへんから」
「……」
「なあ、ユカリちゃん。…百香里」

先々歩く百香里の手を掴んで引き寄せる。少々強引でもいい。
怒られたままで居たくない。それも意味の分からない怒りで。
百香里は暫く黙って抱かれていた。が。モゾモゾと動きだして。

「今回は無視してくれたから許してあげますけど、今後いっさい女の人からのお誘いは禁止です!」

総司の目を見て真っ直ぐに言った。

「そんなんされた覚えないけど、誓うわ。ユカリちゃんだけや」
「…じゃあいいです」
「なあ。何があってん。話ししてや。絶対なんか誤解してるし」
「……」
「お願いや。…ユカリちゃん」

実は総司のお願いに弱い百香里。ねえねえと言われて先ほどの出来事を話した。

「あ。そら美沙やろ。浅井美沙」
「ほ、ほら!ほら!やっぱり!」
「あの子はあれや。俺やのうて渉が好きなんや」
「え?」

総司の言葉にいっきに体の力が抜けていく。彼女が言いたかったのは渉?

「小中高渉のクラスメイトやってな。ずーっと渉にアタックして見事に砕けてたな。
家にも来たことあったからな。覚えてるわ。中々インパクトある子やったわぁ」
「そ、そうなんですか。ごめんなさい」
「ええよ。勘違いしたんは向こうや。…それに計算とかしたたかとか。言うてくれるやないか」
「総司さん?」

百香里はその言葉の意味をよくわかっていないらしい。
それよりも総司に女の影があって動揺している。
誤解されるのは嫌だが気にされるよりはよかったのかもしれない。

「そんなんでしか物事みれへんのは悲しいな」
「勝手に怒っちゃって…あの、許してくれます?」
「ユカリちゃんからのチューの刑や」
「…ここで?」
「そうや」
「はい」

キスしてもらうために屈んだ総司にそっとキスする。外だし車も通るしでかなり恥かしかったけれど
百香里は嫌がりはしなかった。後は気分をかえてまた手を繋いで買い物とつかの間の散歩を終わらせる。
デートというには短い時間ではあったが家に戻っても2人の時間があるからいい。



「美沙?美沙って……ああ。あいつ」
「温泉饅頭が3種類も!」
「ああ。売れてるらしいから適当に」

夜になって戻ってきた渉の手には土産の入った大きな紙袋。今まで土産なんて一度も買ってこなかった渉。
確かにいい歳の男しか居ない家には不必要かもしれないが
今は百香里が子どものようにテンションをあげて喜ぶので出張の時でも買ってくるようになった。

「なんかあの人の話しかみ合わないなって思ってたんですよね」
「ていうか今まで気づいてないあんたもよっぽどだろ」
「話をする間も与えてくれないんですよ」

話しながらさっそく土産の1つをあけて饅頭を食べ始める百香里。
既にお茶は準備してあるという周到さ。よほど食べたかったのだろう。
どうですか?と勧められるが今はいいと断わる。

「あいつ昔からウゼーんだよな。ユカりんも無視でいいよ無視で」
「ずっとアタックしてたってことは純粋な人なんですね」
「俺っていうより金持ちの家に寄ってきただけだろ。そういうの多いからさ。
こっちも適当に遊んでやったりするけど。今はそういう訳にもいかないしな」
「そうですよ。梨香さんが居るんでふはら…」
「両頬に饅頭詰め込んであんたリスか」

鼻で息をしながらがっつり口に饅頭。
可愛い顔をしているのにたまにこんなバカをする。それが義姉。
突っ込みを入れてもすぐには返事ができないようで。咀嚼してお茶を飲み。

「子どもの分もと思いまして」

照れながらそう返事した。

「子どもみたいな言い訳すんなよ。取らねえから普通に食え」
「あ。そうだ。総司さん子ども部屋作るって今も作業してるんです」
「はあ?部屋作るにはまだ早いだろ?まだ出てきてもねぇのに」
「ソワソワしちゃうそうです」
「バカじゃね」
「そういうな」
「あんた居たのか」
「真守さんこの饅頭美味しいです!」
「饅頭でそんだけテンションあげられるなんてある意味幸せだよな」
「渉」

困った顔をする真守だがそんな所も家らしいと笑う渉に百香里も釣られて笑い。
あまり食べ過ぎては体に悪いとお菓子をしまいこんだ。
おまけにペナントも貰って部屋に飾ってきますと部屋に戻っていく百香里。

「冗談で買ってきたんだけどな。けど、ほんと想像通りのリアクションするよな。面白い」
「言い方が悪いぞお前は。義姉さんに喜んで欲しかったんだろう?」
「ご所望の品をちゃんと買って来てやったんだから文句言うなよ」
「安産祈願の守りも買ってきたのか。義姉さんには気を利かせるんだなお前は」
「梨香が煩いから買っただけ」
「兄さんは何時までするつもりなんだろうな」
「あーうっせえな。あんた文句言ってきて」


続く

2010/12/17