寂しがりや

「迫ってくると緊張するわ」
「そうですね」

経験するのは2回目とかそんなものは関係なくソワソワする。総司は卓上カレンダーを睨みながらため息。
予定日は今月末。大きくなった百香里のお腹は何時出てきてもおかしくない状況。

「お前めっさ勉強しまくりやん」
「いつ何時何があっても対処できるようにしています。実践はまだですが」
「心強いわ。…けど、心配やなあ。ユカリちゃんちゃんと電話してくれるやろか」
「流石にそれはしてくれるはずです。最悪渉にかけてもらうようにしていますし」
「真守。俺はイザとなったら会議中でも出るからな。止められんからな」
「……分かっています」

妻が今まさに出産しようという時にこの人が黙って仕事をしているわけが無い。
その時は真守も諦めて思うようにさせてやろうと覚悟している。
少し前の自分だったらそんなの絶対に認めなかったのに。会社を1番にしたはずなのに。
自分なりに生まれてくる子どもの事を勉強した所為だろうか。

「あーもーソワソワしてかなわん」
「全くですね」
「そのくせユカリちゃんときたらマイペースやねん」

スーパーのチラシチェックは欠かさないし特売となると特攻しそうになるし。
慌ててとめて我慢してもらい、今では総司が戦場に向かっている。
だからだんだん慣れてきている。安売りというものに。

「義姉さんらしいな」
「まったくやね。そこも可愛いけど、無茶だけはしてほしない」
「一緒に学んだのでそれはないかと思います」

何かあったら通話できなくてもワンコールでもしてくれたらすぐに行くと伝えてある。
総司でも、真守でも、渉にでも誰にでもかければいい。だから3人とも携帯が気になって。
千陽はそんなトップ2人を怒りたいのだが、子どもとあれば仕方ないとそれも出来ず。
見守るしか出来ない。もちろん彼女に電話があってもすぐ報告する手はずだ。

「…いやだ私まで緊張してきたじゃない」
「どうしたんですか御堂主任」
「え?あ。あ。うん。社長室にお茶持ってって」
「はい」
「2つね」

松前家の一大イベント。また盛大にパーティが開かれるのだろうが。
今はその心配よりも無事に奥様が子を出産できるように祈るばかり。

「な何だっ出るのか!で、出たのかっ!?」
『え?何の話?』
「梨香か?」
『そうよ。今度の週末旅行行こうって言ってたでしょ?その事で』
「……」
『何?今お昼休憩でしょ?私も今昼で旅行会社来ててそれでパンフレットみてたの』
「好きにしろ」
『え。ちょっと待って私は相談』

一方的に電話を切って深いため息をする渉。てっきり百香里からの電話だと思った。
違うと分かった途端おもいきり焦った自分が恥かしい。ここはまだ自分の席。
同僚たちは皆昼に出ていない。良かった。

「どうした松前。彼女からの電話か?いいぞ今は昼だ」

と思ったら奥に上司が居た。最悪だ。

「…ちがいますよそんなんじゃ」
「お前があんな取り乱すなんて始めて見たぞ。面白いものが見れたな」
「からかわないでくださいよ」

はははと豪快に笑う上司に苦笑する渉。
やっとかったるい専務代理の呪縛から解き放たれたのだ。もっと楽にしたい。
一度は昼にしようと席を立った渉だがうっかり携帯を机に置いて行ってしまって。
連絡があったら不味いと慌てて戻ってきてすぐの着信だった。心臓が止まるかと思った。

「そういやもうすぐ社長の奥様が出産予定…だったか?噂で聞いたんだが」
「今月末です」
「そうか。じゃあ何か祝いをしないといけないな」
「いいっすよ。あの人そういうの貰うと逆に気を使うし」

結婚とか妊娠祝いのあまりの多さに目を回してお返しをどうするかで半泣きになっていた。
だからむしろ何もしないほうが彼女にとってはいい。

「そうはいかんだろう。わが社の社長夫人だからな」
「そんなもんすか。面倒っすね」
「はは、お前にはわからんだろうなあ。この中間管理職の悲哀ってもんが」
「俺みたいなのは一生ヒラっすから分からないですね」
「じゃあ上司に付き合って飯に行くか」
「はい。ご馳走になります」
「はは、そうくるか」

渉が苦手とする体育会系な上司だが別に嫌いではない。松前家抜きで普通に接して話をしてくれる人。
そういう人は今まで彼の周りには居なかったから。何を社長夫人に送るか相談されながら社員食堂ではなく
昔からある上司の行きつけの定食屋に入った。ここのアジフライ定食は絶品。
今度百香里を連れてこようと密かに思っている。彼女の事だから物凄く喜んでくれるにちがいない。

「何ですか」
「お前でもそんな嬉しそうな顔をするんだな。そんなにアジフライ美味かったか?」
「美味いですよ」
「そうか。なあ、松前。専務してみてどうだった?良かったか」
「殺されるところでしたよ。で、何でそんな事聞いてくるんです」
「上層部からさりげなく聞き出すように言われてな。興味がわいたならそのまま重役にと」
「俺かついでもなんもないのに。興味なんて全くないですね。アンなのは兄貴にやらせればいい」

ふて腐れる渉に少し困った笑いを見せる上司。
渉には言わないが上から何かと圧力をかけられているのかもしれない。
松前家三男である彼を持ち上げて自分たちも甘い汁を吸おうという奴は多い。

「そうだな。お前には向いてない専務も社長も」
「即答っすね」
「俺はお前の上司だぞ。入社からずっと見てる」
「はは、手厳しい」
「あくまでやる気の無いお前の話しだがな。それを出す気がないなら仕方ない」
「無いっすね。今の生活に不満ないし。何より三男って楽なんで」
「お前なあ…。社長も専務も大変だ」

そんな連中なんて傍に寄って来るだけでも吐き気がする。だから初めからその気はないと明言する。
自分にとって1番楽で有意義な選択をしているだけ。真守はそれを逃げというけれど。
言いたければ言えばいい。真面目なだけが人生ではない。バカを見るだけだ。食事を終え会社へ戻る途中
渉の携帯が再び震えた。上司はまた彼女かと笑い気を利かせたのか先に戻る。

「だから好きにしろって言ってんだろ」
『え?好きに?』
「あ。ユカりんか。どうした?何かあったか?」
『はい。今日はちょっと調子が優れないので夕飯は』
「暢気に飯の心配してる場合かよ。ど、どうなんだよ。生まれそうなのか?救急車呼ぶか!?」
『まだそういうんじゃないんですけど。ちょっとフラフラしちゃって』
「飯は心配しないでいい。あんたの母親は仕事してんのか」
『え?母ですか?…今日はどうかな。シフト入ってたかな?聞いてみないと分かりません』
「誰でもいいから呼べ。1人にはなるな。…おっさんとか呼びたくないから俺に電話したんだろ」
『…はい』

百香里がそんな電話をしようものなら会社を休んで速攻で帰宅してしまう総司。
真守もそれを許してしまうだろうから。そうなるとトップの居ない会社はどうなる。
だったら渉に連絡してそれとなく買い物をしてきてもらおう。百香里の考え。

「いいからそうしろ。1人にはなるな、じゃないと上の奴とかに言うから」
『わかりました』
「他になんかほしいもんある?」
『特には』
「無茶すんなよ」
『はい』

携帯を切ると軽いため息。無茶するなといっても彼女の場合怪しいのが困るところ。
でも嘘はつかないから誰かしら呼んで傍に居てもらうはずだ。
ここの所総司の昔の話で悩んだりしたからそれで疲れてしまったのかもしれない。



「ゆ、百香里…あんたこういう所に住んでるのね…へ、へえ」
「お母さん早くこっちこっち。エレベーター来たよ」

渉の言葉に従い母を呼んだ百香里。今まで何度か母をマンションに呼んだことがあったのだが
忙しいとか反対する兄の事もあって行き辛いというのもありいつの間にか有耶無耶になってしまっていた。
けれど今回は勝手が違う。渉から言ってくれたのもあるし自分も母が居てくれると安心する。

「待って。1人にされたら遭難するよ」
「大げさだなぁ」

母には素直に今の状態を言えた。すると母は仕事を休んで娘の居るマンションまで来てくれた。
そして広いエントランスで迷い。百香里の案内で玄関にぽつんと立って右左上と忙しなく視線を迷わせる。
松前家の客はなれているからそんな事はしないけれど、百香里の客は慣れているわけがないので
皆一様に同じ動きをする。まだ義姉と母しか来た事がないけれど。

「本当にこういう家ってあるんだね…ドラマだけの世界かと思ってた」

リビングのソファに座ったはいいがやはり視線が定まらずグルグルと周りを見てため息。
娘が国内でも有数の金持ちに嫁いだのは知っている。
でも実際どんな生活なのかまでは聞いていなかったから分からなかった。これは凄い。

「実家行ったらもっと凄いよ。お城みたいだよ。庭なんか運動会できそう」
「お城…」
「お母さんさえよかったらここでも実家でも一緒に住んで欲しいって総司さんが」
「気持ちはありがたいけどとても落ち着かないよ。ここもお城も」
「そっか」

百香里のスペースは少なくて兄も居たから1人きりの所なんてなかった。
年頃の女の子なのだから欲しかっただろうに。でも不満などは言わなかった。
母の手前そんな事はいえなかったのかもしれないが、この広い部屋は良かったと思う。
それにしても広い。広すぎる。トイレに行くのも気後れしそうなくらい。

「こんなに?」
「総司さんたちが買ってくれて」
「オムツは消耗品だからいいとして。玩具も服もこんなには要らないでしょう」
「だって。皆嬉しそうに買ってくれるから。つい」

百香里を休ませる為に寝室に入ったら子どもの為の物が多すぎて驚く。
少しずつ買い足していっていつの間にか山のようになっていた。止めるのも悪い気がして。
それだけ愛されているということで百香里もつい嬉しくて。

「与えすぎもよくないんだよ。大事なのは親が接する事」
「はい」
「あんたは分かってるだろうけどね。さ、寝なさい」
「お母さん」
「なに」
「手繋いで」
「貴方幾つ?今月中にはお母さんになるんでしょう?」
「大事なのは親が接すること」
「まったく。甘えたがりね百香里は」

ベッドに入り母の手に触れる。ハードな仕事を幾つもこなしてきた手はカサカサで痛い。
子ども2人を育ててきた手だ。百香里は昔からこの手が好きで誇りに思っている。
久しぶりに母に甘えて気が緩んでしまったのかいつの間にかぐっすりと眠りについてしまった。


「ユカりんの母親でしょ?」
「え。ええ」

5時を過ぎてリビングに誰か入ってきた音がする。もう総司が帰ってきたのかと
そっと百香里から手を離しリビングへ向かうと買い物をしてきた渉。
初対面だから何処かソワソワしてしまう母。向こうはさほど緊張していないらしい。

「はじめまして。俺、そちらさんの息子に殴られたここの三男」
「あ…ああ。あの。その節は息子がとんだ失礼をしまして」
「悪いのはあのおじさんだから。いいです」
「おじさん?」
「飯食っていきますか。っても適当に買ってきたもんだけど」
「宜しければ私が準備しましょうか。百香里はまだ眠っているので」
「そりゃどうも。助かります」

遠慮などせずあっさりと放棄してビールだけとってソファに座る渉。
母親はキョトンとしながらも百香里のかわりに夕飯の準備にとりかかった。
自分の家とは比べ物にならないほどに綺麗で広いシステムキッチン。
こんな機能があるなんて。あんなスペース欲しかった。と感動すら覚えた。

「あ、あほ!お義母さんに何させとんじゃお前!」
「夕飯準備してくれるって言うから」
「言うからとちゃうやろっ」

その後総司が帰ってきて台所に義母が居てそれはもう驚いた顔をした。
事情説明を渉からされてさらに驚いた顔。

「そんな大層な事はできませんけど」
「そ、そんなんええんです。お義母さんは座っといてください俺が」
「いいんですよ。それとも百香里の方がよかったかしら」
「そ、そうや。ユカリちゃん寝てるってどないした?どこそ悪いんか…?」
「ちょっと疲れて寝ているだけですよ。そんな心配することはありませんから」
「せやけど」
「大丈夫ですから。さ、着替えてきてくださいな」

起きてこない百香里を心配するけれど義母に言われひとまず着替えてくることに。
来るなんて知らなかった。しかも夕飯の準備まで。もしかして洗濯物も?

「真守。悪いんやが帰る途中でなんぞ土産買うて来てくれ。菓子でええわ」
『土産?何処か行くんですか』
「ちゃう。お義母さんが来とってな。飯の準備までしてくれてて。このまま帰すんは申し訳ないやろ」
『義姉さんになにかあったんですか』
「ちょっと疲れただけやって言うてるけど。どないやろ。まだ起きてこんし…大事ではないやろがな」
『わかりました。買って行きます』
「頼むわ」

まだ少し納得できない面もあるが着替えを済ませ百香里が眠っている寝室へ。
特に変わりなく眠る彼女を見て安心し、そっとベッドに座る総司。

「お母さん」
「ユカリちゃん。俺や。帰ってきたで」

そっと頬に触れたら心地良さそうに母を呼ぶ。

「あ……総司さん」

触れる手の暖かさとざらざら感がないので母でないと気づく。

「そうや」
「お母さんはもう帰った?」
「まだおるよ。夕飯の準備してくれてる」

そういうと嬉しそうに微笑む。まだまだ母親に甘えたいのだろうか。20歳という歳を考えると
それもあるのだろうと思うけれど。何時もはそんな事を言わない彼女にしては珍しい。

「お母さんの料理美味しいですよ」
「そうか。楽しみや」
「私も、お母さんになるんですね」
「そうやで」

もしかして心細いのだろうか。寂しい?

「嬉しい。けど。ちょっと心配」
「俺も居るから」
「総司さん」
「せやから。たんと食べてぐっすり寝やなな」
「あと、キスしてください」

百香里をそっと抱き上げて唇にキスする。抱きしめた彼女は少し体が熱かった。
風邪の時ほどに熱くはないけれど、微熱がある。やはり調子が良くないのだろうか。
当事者ではない総司にはちゃんとした判断できないけれど。

「ユカリちゃんは嘘言わへんもんな」
「…はい」

調子が悪くなったらすぐにいう事。その約束を反故にはしないだろう。
確かめてからまた彼女の唇を奪う。ちょっと癖になっているかも。

「っと。あかんかった。お義母さんおったんや」
「あ。渉さんと真守さんはもう?」
「渉はおるよ。で真守も時期にくるわ」

夢中になっているところでやっと義母がいることを思い出しベッドから百香里をたたせる。
渉は兄のこともあってあまり百香里の家族にいい感情を持ってないかもしれないと少し心配していたけれど。
リビングに行ってみると普通に会話している2人が居た。珍しいことに話しかけているのは渉から。
彼なりに初めてで居辛いであろう義母に気を聞かせたということなのか。

「すんません」
「いえいえ。百香里は昔から寝起きが悪いから大変だったでしょう」
「お母さんっ」
「そうなんや。いっつも起こしてもろてる方やから気づかんかったわ」
「昔なんて起こそうとしたお兄ちゃんをよく蹴り飛ばしてましたから」
「だ、だからお母さんそういう事言わないで」

初めて顔を合わせたにも関わらず終始和やかに話しは進んで。
本当の家族みたいな気持ちになって夕食を終える。
真守がまだ来ていなかったが義母を待たせるわけにはいかなくて。

「すみません遅れました」

それでも途中で真守が帰ってきて土産を母に渡す。

「そんな。いいのに」
「またいつでも来てください。僕も色々とお話を聞きたいので」
「ナンパしてるみてーだなあんた」
「バカな事を言うんじゃない。僕が聞きたいのは子どもの」
「分かってるって。マジになんなよ余計可笑しい」

渉に茶化されて怒ったりと何時もの松前家を見て母は終始笑っていた。
見送りには来なくていいといわれて玄関まで向かう百香里。
家までは総司が車で送り届ける。

「総司さんも忙しいんだから、私でよければいつでも呼びなさい」
「はい」
「俺はそんな」
「いいんです。百香里を甘やかさないでください。お仕事大変でしょうからね」
「…はは」

まさか何度も逃げようとして怒られているなんて言えない。

「それじゃね。体調管理はしっかりするのよ」
「はい。お母さんこそ気をつけてね」
「じゃあ、また」

総司と共に部屋を出て行く母。少し寂しい。

「昼間、お前の恋人から抗議の電話があった」
「はあ?」
「何時まで専務代理をさせるのかと。お陰で旅行の段取りがまったくつかないと」
「梨香の奴なに勘違いしてんだ」

とぼとぼと廊下を歩いていたらリビングから2人の声。

「旅行するんですか?」
「金曜休みだろ。だからちょっとな」
「ちゃんと連絡をしろ。あんなに捲くし立てられると頭が痛くなる」
「へいへい」
「お土産は温泉饅頭がいいです」
「温泉に行くのかよ俺は」
「じゃあ、ペナントかちょうちん」
「古いよセンスが。いいや。適当に買って来てやる」
「はい。期待してます」
「週末は静に過ごせそうだな…」
「何か言った?」
「いいや」

何時も通りな義弟たちが可笑しくてつい笑ってしまう百香里。
血は通って無くてもここにもちゃんと自分の家族がある。そう思えて。
不思議そうに此方を見る2人だが百香里はまた笑ってごまかした。


続く

2010/12/13