嘘
「そんな事あったんか」
「あった」
「…そんでユカリちゃん元気なかったんか」
渉の言葉に体の力が抜けるような気持ちで頬杖を付く総司。
社長室には専務代理と社長のみで他の者には遠慮してもらった。
来客用の質の良いソファにどっしりと座り煙草をふかす渉。
「だから言ったろ。ちゃんとしろって」
「ちゃんと言うたつもりやったんやが。あかんかったんやな」
「元嫁はともかく、あのガキは納得できねぇんだろ。あんたの子に変わりはないんだし」
「……」
総司は難しい顔をしている。以前前妻と娘にちゃんと話をしたはずだった。
これからずっと百香里と生きていくと決めたから元の鞘に戻る可能性はないと。
全く会わないとは言わないけれど今までのようには接する事は出来ないと。
娘にしてみればそんなの冷たいとか理不尽だと思ったろう。父は総司だ。
「別に俺は責める気とかねえし。好きにしたらいい。ただあの人は、なんつぅか。
すげえそういうの気にしてるからさ」
百香里の気持ちを思うと複雑。きっと彼女はそんな事を望まないのだろう。
でもふと寂しそうにする彼女の表情を見ると心を鬼にしてでも距離を置きたいと思う。
完全には切れなくても、でも彼女が心穏やかでいられるくらいの間に。
エゴでも我がままでも冷血でもなんでもいい、百香里が悲しい思いをするのは辛い。
「ユカリちゃん泣いとるかなぁ」
「結構ショックだったみたいだしな」
「やろなぁ」
「自分の娘に絶縁なんてできねぇんだろ。だからずっと甘やかしてきたんだろ」
「わかってる。俺の考えが甘かったんや」
「無理に縁とかきったりしたら自分の所為だって余計落ち込むんじゃね」
「…あの子なら、そうなるか」
距離を置いてくれたら心は穏やかだけど、でも仲良くはして欲しい。争いはしてほしくない。
くっつきすぎてはいやだけど離れても欲しくない。だって血の繋がった親子だから。
そんな複雑な位置に百香里を置いてしまったのは自分だ。総司はまたため息。
「ほんとは子どもに優先順位なんてつけちゃいけねぇんだろうけどさ」
「渉」
「大人の事情なんて子どもには何も関係ねぇことだし。偏ったりしたら不十分だって捻くれるかもしれないし」
「……」
「だけど、真ん中の人とか童貞の癖にすげえやる気だしちゃって馬鹿みたいだけど。俺も、居るし。
ユカりんの子ならきっといい子だろうし。あんたが駄目でも、なんとかするしいいさ。子どもに関して言えば。
でもさ、さすがにユカりんまで面倒みきれねぇし。そこはあんたにしか出来ない事だし」
「お前、俺の事気にしてくれとるんか?」
「あんたの事なんか気にしてねぇよボケ。あの人は、…笑ってないと駄目なんだ」
松前家に灯りを灯す笑顔。子どもみたいに無邪気で無知で、でもしっかりしててお節介。
それがここの所見えないところで落ち込んでいたり無理して笑っていたり、こっそりため息。
本人はバレないようにコソコソとしているつもりだろうが。夫に知られるのも時間の問題だったろう。
「心配してくれてありがとさん。お前等が居ってくれてほんま助かるわ」
「あんたの為じゃねえからな。俺も、真ん中の人も」
「わかってる。お前等ほんまユカリちゃん好きやなあ。そういうのシスコン言うんやで」
「じゃああんたはロリコンだな」
「ロリコンてお前。犯罪者みたいに言いよって」
「19のユカりんとヤったんだろ。犯罪じゃねえか。通報してやろうかおっさん」
「愛があるから問題ないわい。それに、今は嫁さんやしな」
「気持ち悪い」
「お前なぁ」
「話は以上だ社長。そっからどうするかはあんたの判断に任せる。じゃあな」
「分かった。…お前にも無理させるやろが、堪忍したってな」
「手当て貰うから」
煙草を灰皿に捨てて部屋を出る渉。彼なりに家の事や1人悩む百香里の事を思ってくれている。
以前の彼ならそんな風に思う事無く面倒には関わるまいと無視をしたはず。変わったなと思いながら
総司は卓上にある百香里の写真を見る。そこにあるのは優しい笑顔の彼女。
『はい。松前です』
「俺や。総司や」
『お疲れ様です。今日はまた早いですね。大丈夫ですか?』
「俺は社長やで。それより、昼出られるか」
『え?…今日の、ですか?』
どうするか悩みつつも電話に手を伸ばし家にかける。
何度目かのコールで何時もの百香里の声がした。
言いたい事は沢山ある。でもそれを抑え話を続ける。
「そうや」
『何かありました?』
「何かないと呼んだらあかんのか」
『そ、そういうわけじゃ。…怒ってます?』
「昼、12時になったら駐車場んとこ居りや。迎えに行くから」
『…総司さん』
「怒ってへんよ。ユカリちゃんが意地悪するから。拗ねてるだけや」
『え?』
「わかったな。12時やで。遅れたら…もっと拗ねるから」
困惑する百香里を他所に電話を切り椅子に深くもたれる。
質のいい柔らかな椅子はそのまま眠ってしまいそうになった事が多々あったけれど、
今はとても眠気なんて起こりそうに無い。内線が鳴って秘書が仕事の話を進めてくる。
それをこなしながら何度か時計を見て早く12時になればいいのにと思った。
「…総司さんどうしたのかな。何か何時もと違うような」
電話を切って椅子に座る。
何時もならすごいテンション高くして百香里の調子を聞いてくれるのに。
怒っていないというけど、声は何時も以上に低いし元気がなかった。
朝はそんな事なくて普通に出て行ったのに。どうしてだろう。
「義姉さん?どうしました?顔色が」
「どうしたらいいですか。私、総司さんを不機嫌にさせてしまったみたいで」
「え?義姉さんが?そんなことあるわけ」
「でも、だって、…総司さん……あ。…もしかして」
渉から電話の話を聞いてなんて意地悪な奴だと怒ってるのかも。
昼に会って私を怒るつもりなんだろうか。何でもっと早く教えなかったのか。
百香里は俯いて今にも泣いてしまいそうな顔をする。どうしよう、と。
「僕が確かめます」
「いいんです。私が悪いんです。私が教えなかったからそれで怒ってるんですっ」
「教えなかった?」
「昨日、…総司さんの娘さんから電話があったんです。でも、…私それを言えなくて」
「彼女から電話が…?」
「渉さんから伝えてもらったんです。勇気の無い私の変わりに。でも、やっぱり怒りますよね」
薄っすらと聞く話では娘との仲は良好で彼も可愛がっているようだったから。
自分の子なのだから当然だけど。なんて奴だと呆れられたかもしれない。
嫌われたかもしれない。こんなことになるならちゃんと言えばよかった。
「兄さんはちゃんと言ってくれたんじゃないのか」
「…私馬鹿だから」
「義姉さんは何も悪くない。兄さんが貴方を責めるようなことがあったら僕が相手になる」
「真守さん」
「けど、また何かあったら兄さんには言い辛くても僕か渉に言ってください。対処しますから」
「すいません。ほんと、ごめんなさい」
真守も呆れたのではないかと不安になったが彼はただ微笑んでくれた。
不安げに見上げる百香里を落ち着かせてくれるかのように。
「謝る事はない。誰も責める権利はないんだ。貴方はただ、兄を好きでいてくれるだけでいい」
「でも総司さん嫌いになったり」
「しません。断言できます。兄は貴方しか眼に入らない」
「そ、そうでしょうか」
「はい。だから、泣かないでください。そうだ渉が買ってきたお菓子を食べましょう。お茶をいれます」
恥かしくて顔を赤らめる百香里。真守は冷蔵庫へ向かいお菓子を取り出すとお茶の準備。
それらをテキパキとこなせるようになるほど彼は密かに練習を重ねた。松前家の次男だけど。
専務様だけど、家事に育児に積極的に関わろうとしてくれる姿勢はとても嬉しい。
「真守さんは結婚しないんですか」
「いきなりストレートな質問をしますね」
「だって。絶対理想的な旦那さまになると思うんです」
お菓子を食べながら百香里はそちらが気になったようで聞いてみる。真守は苦笑。
「理想的…どうだろうな。理想なんて考えたことも無い。ただ、役にたちたいと思うだけで」
「それがいいんじゃないですか。感心を持ってくれるなんてそれだけでも助かります」
「家と仕事にしか感心がなかったからな。ほんとうに時間を無駄にしていた」
懸賞とか、家事とか、育児の事とか。自分が今まで見てこなかった世界。
人からしたら普通の事だったとしても真守は触れてみて新鮮だと感じる。
しなくてもいいこと、必要のない事、そう言われても。案外楽しいものだ。
「それも十分リッパな事だと思いますよ」
「傍に居て欲しいと思う人が現れたら考えますよ」
「それもいいですね。運命ってあると思うから」
「ええ。僕もそれを信じてみようかと思っています」
普通なら共通点もなくかすりもしないような2人が出会い結婚して幸せに生きているのを間近に見ているから。
「私、ちゃんと総司さんに話をして。全て曝け出して、それで謝ろうと思います」
「ですからそれは」
「黙っておけばいいなんて思ったのは私の我侭な所ですから。ちゃんと叱ってもらったほうがいいんです」
「義姉さん」
「それで喧嘩してもいいです。夫婦なんだしそれくらいあってもいいですよね。あ。暴力は困りますけど」
「そんな事はさせませんから。…兄さんが呼んだのもきっと貴方と話がしたかったからでしょう」
「はい!だから覚悟決めます!どんと来いです!……撃沈したら饅頭もう1つ食べてもいいですか」
「幾らでも」
外野がどれだけ言っても彼女には届かないらしい。これはもう兄に話をしてもらうしかない。
明らかなやせ我慢をする義姉を前に真守はまた苦笑してお茶を飲む。
お茶を終えても12時までソワソワしっぱなしの百香里。着て行く服でも悩んで化粧でも悩んで。
ドキドキしながらリビングで進まない編み物をして向かえたお昼。真守の分は先に作ってある。
「では行って来ます」
「はい」
「お昼暖めてください」
「はい」
「あと洗濯物も」
「義姉さん、12時過ぎますよ」
「はい。じゃあ、行きます」
兄が百香里を傷つけるような事をするわけがない。けど、彼女はそれを覚悟で行く。
真守は見送って電話をしようかと携帯を握るがきっと意味があるのだろうとやめる。
かわりに秘書に電話して社長が少し遅れても構わないでほしいとお願いしておいた。
「総司さん、あの、私」
「昼何がええ」
緊張しながらも総司の車に乗り込み助手席に座る。
こういうのは先手必勝とばかりにすぐ謝ろうと声をかけた。
が、それよりも先に総司に遮られる。
「えっと。あの。…なんでも」
「和食とか洋食とかあるやろ」
「…じゃあ、…和食」
「それやったらええ店あるわ」
「はい」
やっぱり何処かそっけない総司。怒っているに違いないと思うけれど。
出鼻を挫かれてどうしたらいいか分からなくて沈黙ばかりが続く。
前なら赤信号で止まると太ももとか触ってきたのに。なにもない。真剣な顔、
というか少々苛立っているように見える総司の横顔は初めてみる。
「座敷でええな」
「はい」
淡々と場所を決めて車を進ませる。到着したのは百香里は知らない店だ。仕事で使うのか、
或いはプライベート?色々な憶測がうまれるが総司についていく。仲居さんに声をかけて席へと案内される。
階段をあがり廊下を歩き襖で仕切られた部屋へ。人の気配はするものの声があまり聞こえてこないのは
防音されているからか皆さんそんな食べながらべらべら喋らないハイソな方々なのか。
「何でもええよ頼み」
「じゃあ、このランチ」
「俺も一緒ので」
メニューを見て即断で安いランチ。どれもお昼に食べるには高すぎるものばかり。
それだけ美味しいのだと思うけど。百香里はつい遠慮する。総司は相変わらず言葉が少なくて
何となく視線も合わせてくれなくて。百香里としては何時怒るのかとソワソワする。
「…総司さん」
「楽にしたらええ」
貴方がそんな調子じゃ全然楽にならないんですが。
会話が大して弾まないまま総司は上着を脱いでその場に置く。
百香里はおなかを抱えるようにしてテーブルを挟んで前に座る。
「お、…怒るなら怒ってください!じゃないと…じゃないと…私辛いですっ」
「え?」
「分かってます!私は馬鹿なんです!子どもなんです!でも…でも…総司さんが好きなんです!」
「ユカリちゃん」
「誰にも取られたくないくらい好きなんです!」
だから許してなんてわがままだけど、次へのチャンスは頂きたい。
これで終わりだ何て言わないで。百香里は叫ぶ。
「俺かてユカリちゃん取られたら生きていけへん」
「え?」
「そんな思ってくれて嬉しいわ」
「総司さん?」
怒ってないの?ポカンとする百香里。その傍に近づいて抱き寄せる。
「嫌われたなくて、できるだけマイナスになる事は避けてた。家の事も子どもの事もギリギリに言うた。
ほんませっこい男や。こんな俺なんかユカリちゃんがずっと好きで居ってくれるわけないとか自信なくて。
家金持ちや言うたって靡く子と違うし、…あかん所あげたらきりないし」
「そんなこと」
「ずっと自分偽ってた俺がユカリちゃん責める訳ないやんか。謝るのは俺や」
「……」
「自分が信じな信じてもらえんのにな。…アホやろ。ほんま」
総司は軽くオデコにキスする。抱きしめられて彼の匂いがして。
百香里は凄く安心する。ギュッと抱きつく。愛しい人。
「まだ新婚さんですから。色々と学ぶことはあります」
「そやな」
「そういえば。総司さんの若い頃って今みたいな感じじゃないって聞きました」
「え?そ、そうやったかな。生まれた時からこんなんやったで」
「嘘つくんですか。私の事、信じてませんか?」
「信じてる。けど、こればっかは堪忍。昔の俺は嫌いやねん」
「……」
「そ、そんな期待の眼差しでみんといて」
「……」
「あん。もう。ユカリちゃんの」
「の?」
「か、可愛いすぎやっ」
見つめられて恥かしいのか百香里をギュッと抱きしめて頬やオデコ、唇に沢山キスする。
顔を赤らめる総司が可愛くて百香里もついはしゃぐ。そこに仲居さんが冷静に料理をもってきて、
百香里も顔を赤らめた。何事も無かったように旦那様から離れ食事にありつく。
淡々と料理の説明を聞きながら、とても美味しいけどかなり恥かしい昼食となった。
「時間大丈夫ですか」
「ええねん」
「社長だから?」
「そうや」
食後は総司にオネダリされて膝枕。個室は和室で居心地がいい。
百香里もこのまま眠りたい衝動にかられるが我慢。寝たら彼に何をされるかわからない。
流石に今の百香里にそんなハードな事はないと思うけど。
「総司さん、娘さんに会ってくださいね。私、総司さんに話したら少し楽になれました」
「無理に自分を納得させんでええ。電話無視したって俺はかまへん。本当に大事な時は携帯にかけてくる」
「そう、ですか」
「嫁はユカリちゃんや。そんで待望の子どもがここに居る。俺とユカリちゃんの子や」
「はい」
総司は振り返り百香里のおなかをなでる。
「……この幸せを失いたくないんだ。ずっと、ずっと」
「え?」
「はい終わりー」
「ずるい!もう1回!」
「ええやん。今の俺が1番男前やろ?」
「そうですけど」
「それやったらええやん。なあ。ユカリちゃん。おっぱい揉んでええ?」
「ここで?」
「ついでに…俺のも…揉んでくれたら」
「かえってからにしましょうね。ほら総司さんそろそろ千陽さんから電話がくるころですよ」
「…現実にもどさんといて。ユカリちゃんとおりたい」
「駄目です」
冷静に総司を引き離し立ち上がる百香里。怒ってないというのは分かったし、
彼に話して少しスッキリした。まだ笑顔で迎えるというのは無理だけど。少し前進。
総司も渋々起き上がって上着を取り百香里を抱き寄せる。
「帰ったらおっぱいな」
「はい」
「これからもずっと俺の嫁さんやで」
「はい」
「…あかん。可愛い。可愛いすぎる」
顔を赤らめたまま百香里にキス。した所に片付けにきた仲居さんと鉢合わせ。
逃げるようにその場から去った。この店は素敵だけどもう二度と入れない。
会計をすませ車に乗り込む。本人は一緒に家に帰りたいようだけど、
それは駄目ですと強く言って百香里だけ先に下ろしてもらった。
「社長。奥様に鼻の下伸ばすのは勝手ですが」
「可愛いもんはしゃーない」
社長室に戻ると怒りマークが額に見える秘書のお出迎え。
百香里の膝枕が心地よすぎてちょっと長居しすぎたろうか。
だがとくに大事に思っていない総司は席につき書類を眺める。
「専務代理に何もかも押し付けるのは辞めてください。専務ほどの忍耐が渉さんにあるとお思いですか」
「え?どういう意味?」
「さっき、こんなクソ会社辞めてやる!とか叫んで部屋を出て行かれました」
「そうなん。パチンコにでも行ったんやろか。まあ、適当に生き抜きしたら戻ってくるで」
「そんな事でいいんですか会社はそんなものではないでしょう!」
「それより千陽ちゃん真守とはどないなってんの?」
「セクハラで訴えます」
「え。あいつセクハラしたんか!?」
「いえ。専務はそのような穢れた脳はお持ちではないです」
「あれなんやろめっちゃ視線が怖い」
続く