受難


朝何時ものように出勤して席についたら隣の席の奴にからかい口調で「ここじゃないですよ代理」と言われた。
どうやら夢ではなかったらしい。夢であってほしかった。渉は未だに納得できない。したくもない。
上司に頑張って来いといわれ引きつった顔のまま部署を出る。皆なんとなく笑っているように見えた。

「…絶対笑ってる。馬鹿にしてる。なんでこんな目に」

すべてはあの意味不明な兄貴のせい。恨み言を言ってやりたいが彼はもうここには居ない。
簡単な引継ぎとマニュアルだけ渡して家に居る。専務という仕事はそんな簡単に出来るものなのだろうか。
流石に大きな事があった場合は連絡をしてくれと言われているけれど。
基本は渉の判断および社長の指示に従えとのことだった。そんな責任を背負いたくはないのに。

「おはようございます専務代理」
「おはようございます専務代理」
「…あのさ、俺」
「席は此方です代理」

秘書課に顔を出すと女性陣が勢ぞろいで出迎えて深く礼。
何時もこんな風にされているのかと思いつつ席に案内される。
何時もは次兄が座る専務の席。座っているのが変な感じ。

「ではさっそく本日の予定を」
「煙草いい?」
「喫煙はご遠慮ください」
「…あそう」

地獄の7日間が始まろうとしている。渉は諦めた。もうどうにでもなれ。

「では義姉さん僕は出かけます。昼には戻りますから」
「はい。お気をつけて」

その頃の松前家。ゆっくりしたらいいのに真守は何時もとなんら変わらぬ時間に起きて準備して。
ただ違うのは何時もはスーツだが今は私服であるということ。なんだか変な感じ。

「何か買ってくるものがあるのなら言ってください」
「大丈夫ですから。後で買い物に行きますし」
「さっき赤ペンで印をつけていたやつですね。わかりました」
「え。で、でも真守さん」
「僕だって買い物くらいは出来ますよ。それじゃ」

遠慮する百香里だが気にせず印のついたチラシを持って出て行く真守。
何処か悪い訳でもないのに何で7日間も休んだのかとか深い理由は聞いてない。
働きづめの彼には気分転換は必要だと思うから百香里は笑顔で見送った。

「…掃除しようかな」

大きく背伸びをして、お腹を撫でて何時ものように家事を始める。
もう少ししたら何時ものように夫からの電話がかかってくる。それを楽しみに。

「ちゃんとしとるか代理」
「あんたに言われたかねえよ社長さん」
「なんやかんや言うても滞りなくしとるのがお前らしいな」

煙草がすえなくて苛々している所に総司がやってきた。今1番みたくないウザい顔。
ニヤニヤしながら傍にある来客用のソファに座って此方を見ている。腹が立つ。

「こんな割りにあわねぇ仕事ずっとできる神経はねえよ」
「ありがとな。真守に付き合ってくれて」
「強引にさせられてるだけだ。好きでやってねぇよ」
「あいつなりに役にたとうと一生懸命なんや。それが自分の仕事やって思ってるから」

大勢に支えられる頂点ではなく、支える次点でいいと思っている。
そこに居場所を見出している。そんな事しなくてもいいと周りが思っても。
妙な所で頑固で。真面目で。それがまた真守らしい。

「…馬鹿だよ。そんな事しなくたって物事はなるようになってくんだ」
「俺が逃げへんかったらあいつもあんな風にならんかったんかもな」
「さあね。他人の事まで考えたくねぇよ」
「兄ちゃんやないか」
「煩い」

渉はそんな兄を傍で見てきてずっと馬鹿だと思っていた。家に縛られるもっともツマラナイ人生。
今現在も哀れな奴と蔑んでいる部分もある。けど、どうしてだろう理不尽への怒りとかでなく、
笑い混じりの呆れたような口調になっている。総司もそんな渉を見て多くは語らずにただ苦笑した。

「ええよ。好きにし。ここは兄ちゃんがおるでな」
「兄貴面とか気持ち悪いことすんな」
「忘れてた。ユカリちゃんに電話せな。…今なにしてるんかなぁ」
「自分の部屋でしろよ。こっちはクソ忙しいんだ」

総司が出て行って渉は1人ぼーっと天井を眺める。自分の役割なんて考えた事なかった。
次兄は不器用なりに会社を家族を支える事を仕事のように考えている。
そんなのどうでもいい、好きにしたらいい、関係の無いこと。そう割り切ってしまえるのに。
何でこんなにも考えてしまうのだろう。こんな席に座っているからだろうか。

「代理」
「ん?ああ。なんだ」
「こちらの書類に目を通していただきますか」
「へいへい」

仕事に追われながらもタイミングを見て煙草を吸いに抜け出しながらなんとか業務をこなしていく。
その影ではそろそろ渉を重役にするのかとか一気に昇進する前触れとか囁かれているけれど。
そんなものは今に始まったわけではないから聞こえないふりをして過ごす。一般社員であっても
これからもその中でいたいと思っていても渉が松前家の三男であることにかわりはない。


「おかえりなさい」

何時もよりちょっと遅くに帰ってきた渉。その顔は疲労困憊。口数も少ない。
梨香からメールで食事でもと誘われたがとてもそんな気分にはならなかった。
家に帰りリビングに入ると美味しそうな匂いと何時ものように迎えてくれる百香里。

「辞めたいんだ仕事」
「ええ!?」

挨拶も適当にいきなりやめたいなんていうから百香里は酷く驚いた顔をした。

「もう嫌。つか、嫌」
「そんなに大変なんですか?」
「大変なんだ。辞めていいだろ」

事情もよく分からなくていきなりそんな重大な決断を委ねられても困る。
いつもの茶化すような顔ではなくて、珍しく真面目な顔で言うから余計に。
百香里は言葉にはせずともその困惑を素直に顔に出した。

「あ…あの…あの、渉さんは…その」
「というのは冗談」

どう言えばいいのか分からなくてオロオロする百香里の頭を軽く撫でて席につく。
その表情は笑っているようだった。ポカンとする彼女に酒をくれと言って。
慌てて冷蔵庫からお酒とつまみをだす。

「おかえり。早かったな」
「悪いか専務さんよ」
「いや。1回くらいは会社から連絡があるかと思ったが中々優秀だな代理は」
「嫌味か」

そこへ部屋から出てきた真守。一瞬険悪な空気になるものの百香里を気にしてか声にはしない。

「代理?」
「渉に仕事を手伝ってもらっているんです」
「無理やりな」

だから何時もより帰りが遅くて重たいどんよりとした顔で帰ってきたのか。
そういえば社長1日目の総司もあんな感じで真顔で辞めたいと言って泣いていたっけ。
思い出して納得する百香里だが義弟相手にどう声をかけたらよいのかわからない。
ここは何も言わないのが得策と夕飯の準備をすすめる。

「大変なんですね」
「大変だよ。だから役職なんて就かないほうがいいんだ」
「そうなんですか」
「そうなの。んな話ししたってつまらないからさ。適当に流して」

会社というものに所属した事が無い自分には分からない世界。
もし居たとしてもきっと分からない世界の話だろう。何も言えない。
やはり社長や専務なんて遠い存在なんだなと改めて思った。

「たっだいま!帰ったでユカリちゃん!」
「お帰りなさい」

そこへ勢いよく帰ってくる総司。

「あぁ。可愛い。元気やった?何も悪ない?」
「はい。大丈夫です」

彼が帰ってきてくれて良かった。百香里はかけよってギュッと抱きつく。
総司もまた嬉しそうに抱き返し暑苦しいよと渉に怒られる。皆席についた所で夕飯。
ここでは仕事の話は殆どしない。
今日は何をしたのかの報告やちょっとした喧嘩に取り留めの無い会話ばかりですぎていく団欒。

「いいよ。たまには自分でするから」

食事を終えて片づけをする百香里。何時もなら食べたら食べたきりの渉なのに今日はどうしてか
自分で片付けるといいだして驚いた。真守や総司ならよく手伝ってくれるけれど。
彼が積極的に手伝いをしてくれるなんて珍しい。

「器用なんですね」
「俺が金持ちの三男だからそんなもんも出来ないだろって?」
「そんなつもりじゃ」
「ってあんた来たばっかの頃はよく突っかかってたな俺」
「そうでした?」
「皆が皆そう思ってるわけじゃないんだ。でも、多い」

過度の期待。そして善意とやらの押し売り。その裏にある疚しい感情や打算。いい加減うんざりする。
見え透いているから余計に。それは次男も長男も一緒なのだろうが。
昔はいっそ家の名の届かないところへ行ってやろうかとも思ったけれど。そんな僻地へ行くのは嫌だし
大掛かりな移動も面倒だし結局楽がしたくてやめた。そんないい加減な人間。それが自分。

「この子も何れはそんな世界に入ってしまうんでしょうね」
「……」
「私はご存知の通り学もないし家も全然裕福じゃないし。本来なら総司さんには不釣合い。
それでこの子に嫌な思いをさせるかもしれない。けど…母親としてできる限り守ってあげたいです」

この子が男ならとか女ならとか後継者とか松前家の当主とか。
そんなの考えていたら頭が痛くなった。今では考えることを総司に止められている。
今はただ無事に出産を終えることを目標にしたらいいと言ってくれた。

「あんただけじゃないから、そう気張るなよ」
「皆さん居てくれるから心強いです」
「……」
「渉さん?」
「風呂行くわ」

いつの間にか片づけを全部終えて風呂へ去る渉。手際のよさに驚きながら百香里は総司の元へ。
彼は先ほどからリビングにて深刻そうな顔をして真守と話をしていた。
もし仕事なら邪魔しないようにしないと。コソコソと近づいていったら気づかれて膝の上に座らされる。

「ユカリちゃん疲れたやろ。休み」
「でもお話し」
「ああ。ええねん。仕事の事やないよ」

オデコにキスされてギュッと抱きしめられ嬉しそうな百香里。
そんな夫婦に気を使って席を立つ真守。

「じゃあ、もういいですか?私が占領しちゃっても」
「かまへんよ。いつでもして」
「それじゃまずは帽子から」
「え?」
「作ったんです。けど、まだちょっと難しくて。かぶってみてください」
「…そういう事」

色っぽいものを想像した総司。苦笑いしながらも百香里らしいのでそれもまた愛しい。
彼女がコツコツと作った帽子を見せてもらいながら子どもにはどんな色がいいかとか
色々と話をしているうちに時間は過ぎていって。お風呂に入り布団にはいる。
そこでもまだその話をして。夢中で話をして、総司が気が付いたら百香里は夢の中。
無邪気な寝顔にムラっとしつつ頬にキスをして総司も目を閉じた。


「真守さん?」

翌日も渋々出社していった総司と渉。2人とも物凄いテンションの低さで。
仲良く秘書に引っ張られていった。何時もの光景。残された百香里は朝食の片づけをして
掃除をしようと廊下を歩いていたら使われていない客室から物音がしてきた。何だろうと開けてみると
床で何やら作業中の真守。声をかけられて今まで見たことないくらい慌てている。

「あっ」
「お仕事…ですか?」
「そ、そういう訳では」

ないと言うけど明らかに怪しい。視線を床に向けるとピンと閃く百香里。

「…えっと。あの、…だ、大丈夫です千陽さんには言いませんから」
「え?」
「渉さんにも総司さんにも言いませんからっ」
「え?え?…あの、義姉さん?」
「大丈夫です!そういうのが好きな男の人も普通にいるし渉さんだってたまに女子高生ものとか借りて」
「…ま、まってください!これはそういうのではなくて」

床に置いてある女の子が持っていそうな人形。そしてタオル。何か入っているカバン。
自室では出来ないそういう事を今ここでしようとしているに違いない。まだ朝だけど。
でも、総司だって朝イチで凄い元気に迫ってくるし。百香里は顔を真っ赤にさせモジモジ。
真守だって立派な成人男性だからそういうのもあるだろう。理解はあるほう。

「あ、朝からだと…困りま…あ、いえ、私は何も見てません!聞いてません!だから存分にっ」
「落ち着いてください。そんな性癖はありませんから。これはその、講座に行くのに必要なもので。
忘れ物はないかチェックしていただけなんです。だから、勘違いしないでください」
「え?講座…講座。……そ、そういう講座が」
「そんな変態講座じゃないですから。義姉さんお願いします僕を信じてください」

顔を赤らめ勘違い暴走をする百香里に困ったような呆れたような顔をする真守。
心配させたくなくて言うつもりはなかったけれど、妙な性癖男と思われるよりはいい。
仕方なくちゃんと中身を見せる。初めてのお父さん講座の本と人形とタオル。

「え…じゃあこのお休みはこの子の為に?」
「ついで、です。どうせ長期休暇を取るならこれからの為に学んだほうが有意義ですし」
「どうして言ってくれないんですか。そんな大事な事」
「あくまで兄さんがすればいいことですから。僕が勝手に知識を付けたいと思っ」
「行きましょう」
「え?」
「実は私もそういうの出たかったんです。でも、総司さんは社長さんだから忙しいし。
私の為にお休みとってくださいなんて言えなくて。1人で行くのは駄目っていうだろうし。
でも真守さんが一緒に出てくれるなら心強いです!」
「義姉さん」

自分の為に仕事を休むなんて申し訳ないと落ち込まれるかと思ったのだが、
彼女も乗り気で一緒に講座に出るという。むしろ嬉しそうな顔をしてくれた。
ほとんどの参加者が夫婦で出るらしいから参加は丁度いいのかもしれない。

「総司さんお疲れ様です」
『どないしたん?どっか悪いんか?』

行く前に総司に報告。電話したら不安そうな声が帰ってきた。
百香里からかけることなんてないから何処か悪くなったのかと思ったらしい。

「そうじゃないです。真守さんの参加するお父さん講座…私も出てもいいですか?」
『なんやバレたんか。真守のこと悪く思わんでな?ユカリちゃんを思って』
「悪くなんて思ってません。感謝してます」
『そうか。それやったらええんや。参加したらええよ』
「ありがとうございます。総司さんお仕事頑張ってくださいね」
『頑張るから帰ったらちゅーやで』
「はい。何処にでもしますから」
『そ、そんな恥かしいこと言わんといて…顔真っ赤になるわ』
「ごめんなさい。でも、総司さん可愛い」
『ユカリちゃんにはかなわんな。無理せんと楽しんで来たらええから』
「はい」

電話を終えるとさっそく出かける準備。開始までまだ少し時間がある。
人前に出るのだからとそれなりに身なりを整えて真守の元へ。
彼は先ほど置いてあった専用のカバンを持って玄関で待ってくれていた。

「兄さんはなんて」
「楽しんで来たらええからって」
「そうですか」

真守の車に乗り込み講座が開かれるという建物へ向かう。
さりげなく隣を見ると明らかに緊張している真守の横顔。
似たような講座が幾つかあってその中から信頼できそうなのを選んだらしい。
彼が選ぶ講座だからきっとしっかりしているのだろうと百香里は安心している。

「緊張してます?」
「多少は。もし僕が何か粗相をしたら叱ってください」
「そ、そんな怖い所じゃないと思います」

初めてお父さんお母さんになる人への講座。ほのぼのとしたモノを想像する百香里に対し
まるで人生が決まってしまうかのような緊張感の真守にちょっと不安を覚えたけれど。
車は講座がある建物の駐車場に入り真守の案内で中へ入る。

「なるほど。普段から気をつけないといけないことが多いな」
「難しいですね。あのこれって何って読むんですか?…馬鹿ですいません」
「義姉さんは授業とか苦手な方ですか」
「え?」
「さっきから眠ってしまいそうな顔をしているから」
「ね、寝てません。寝てませんよ?」
「寝そうな顔、です」
「……スイマセン苦手です」

実技に移る前に講座の説明とかお母さんになる心構えとか知識の長い講義。
本日はそれで終わりだというのだから気合を入れて損をした気分になる。
百香里は長い長いお経のような講義は苦手。
母親になるのだから知識は必要なのに、皆真面目に聞いているのに。眠い。

「僕が聞いているから寝てください」
「大丈夫です。責任もって受けます。…ちゃんと母親になるんだから」
「そうですか?じゃあ、頑張ってメモをしましょう。うとうとしている間にだいぶ進んでしまいましたから」
「…真守さん信じてます」
「頑張りましょう、お母さん」

途中から意識が飛んだり戻ったりを繰り返しながらメモをとって講義を終える。
皆なんであんな真面目に受けられるのだろうか。百香里は不真面目ではないけれど
新米の母親として真面目にやりたいと思っているけれど、
先生のまるで眠りの呪文のような講義には勝てなかった。次からは頑張ろう。

「すいません何か真守さんに恥をかかせたみたいで」
「そんな風に取らないでください。そもそも僕が勝手にしていることなんだから」

帰りの車内。半分寝てしまってろくにメモが取れなかったことを恥じる百香里。
真守は笑っていいですよと言ってくれたけれど。周りもあきれたろうなと思う。

「そんな事ないです。私に機会をくれて感謝してるんです。少しでも知識を得られたら。
そしたら…嫌な自分を見ないですむかもしれないし」
「嫌な自分?」
「…やっぱり、私は2番目なんだなって思っちゃうから」
「義姉さん」
「総司さんの全部1番になりたい。けど、…無理、だから」

愛されている実感はあるのに。それでも求めるのは自分の我がままだ。
そこも理解しているつもりなのに。でも、押さえ切れないのはどうして。
本人を前にするとイイコになってしまって言えない真っ黒な百香里の本音。

「兄さんが家を出る前を知ってますか」
「いえ。私が出会った時の総司さんしか」
「今とは想像もつかないくらい大人しくて1人称は僕。喋り方も標準語。厳しい父親に
会社の後継者として教育されていた頃の兄は自分の意思もなくとても弱く見えたな」
「総司さんが」
「今度アルバムも見たらいいですよ。まるきり別人だから。実家に山ほどある」
「……」
「言えば見せてくれるでしょう。貴方にならきっとすべて曝け出せるはずだ」

誰にも見せない本当の自分を。それくらい大事にしているから、愛しているから。
真守の言葉に百香里は微笑みそうですねと返事した。


「なに?見つめられると困るわぁ…あ。うそ困らん嬉しい。けど、なんで?」

夕方。気分よく家に帰ってくると何時ものように出迎えてくれる愛しい百香里。
ギュッと抱きしめてオデコにキスしたまでは良かったが彼女は何も言わず。ただ顔を見つめてくる。
その顔にマイナスな感情は読み取れないが明らかに何時もと違う。何時もなら笑顔なのに。

「総司さん」
「なに?」
「好きです」

そう言って百香里はやっと笑ってくれた。花が咲いたような満面の。

「そ、そんな不意打ちせんといて。もう…ほんま…心臓に悪いわ」
「総司さんは?」
「好きやで」

恥かしいけれどちゃんと百香里を抱きしめて幸せをかみ締める。

「お帰りなさい総司さん。お疲れさまです」
「うん。ええの。ユカリちゃんが迎えてくれるだけでそんなん吹っ飛ぶわ」
「じゃあとっととぶっ飛んで消えてくれよ」
「渉」
「渉さん。お帰りなさい」

総司が邪魔で後ろに立ったまま待たされた渉の機嫌がよい訳もなく。
おまけに社長がさっさと帰ってしまうから仕事は何時までも片付かず。
このまま会社で寝泊りするかと本気で思った。
何時も帰りが遅い専務の意味が何となくわかった気がした。とにかくむかつく。

「なんであんた俺より先帰ってんの?おかしいだろ?」
「だ、だって。ユカリちゃんが心配で」

殺気だって睨みつける渉に総司もヤバイと思ったのか一歩二歩下がる。

「明日俺より先に帰ったら殺す」
「ゆ、渉…穏便に行こうやないか。な?そんな怖い顔」
「は?」
「頑張るから堪忍っ」

そして不甲斐なくも百香里の後ろに隠れた。

「お腹すくと機嫌悪くなっちゃいますよね。でも大丈夫今日はからあげです!」
「から揚げでテンション上がるとかガキかよ」
「え。あがりませんか?」

彼女は本気でテンションがあがるらしい。計算とか何もなく純粋そうな瞳で渉を見上げる百香里。
苛々していた渉もその視線には勝てなかったようで。深いため息。

「……、出来たてなら上がる。若干」
「ですよね。待っててください今あげますから!総司さんも食べますよね」
「うん」
「じゃあ仲良くしましょうね。たくさんありますから」
「アホらしくて怒る気も失せるわ」
「渉、俺の1個やるからそれで手を打とうやないか」
「あんたはマジで消えろ」


続く

2010/11/16