その日、専務は朝から眉間にしわを寄せいつも以上に険しい顔で席についていた。
あまりの形相に秘書や社員たち一同近寄ることすら出来ず静かな専務室。業績は今の所よく、
会社に関して言えば問題ないとても順調。ということは彼にとって頭の痛い話と言えばあの兄。
とうとう社長にキレてしまったのではないかとまで言い出す始末。

「え。な。なに?何や?俺まだなんもしてへんで?」
「じゃあ存在が駄目なんですよきっと」
「千陽ちゃん!?」

原因があの社長ならと千陽を先頭に社員が数名社長室に押しかけ総司の前へ。
のんびり百香里の写真を眺めていたのに行き成り怖い顔した部下に押しかけられビビる総司。
千陽にいたっては遠慮などなく思いっきり蔑んだような冷めた視線をビシバシと送ってきた。

「わかりました。では、専務に謝ってください」
「え?」
「土下座で結構です」
「え?…え?」

何のはなし?総司はポカンとしている。

「えじゃないです。専務があんなにも悩んで苦しんでいるのは誰の所為です!そう貴方でしょう!」
「なんでやねん!真守がどないしたんかしらんがなんでそんな話しになっとんねん!つうか社長を何やと」
「日ごろから専務に迷惑をかけていないと言えますか。いえますか?どうなんですか!1ミリもかけてないと!
いえるのか!さあ言ってみろ!言ってみろ!言えるもんなら言ってみろ!」
「御堂さん落ち着いてくださいっ」
「目が血走ってますからっ」
「これでも相手社長ですからっ」

ヒートアップしてきた千陽。他の社員に取り押さえられながらもまだ収まってはいない。
目の前に居るのが会社の主である事を忘れている秘書。普段から総司よりも専務を信じ慕っている。
総司も特にそれを叱るわけでもなくただ意味が分からない様子で荒ぶる秘書を眺めていた。

「ほんま真守の事になると容赦ないなあこの子は。せやけど、俺は知らんよ。
そら真守に迷惑ばっかかけてたけど。今回はかけてへん」
「嘘ついても仕方ないですよ。今のうちに白状してくれないと奥様にチクりますよ」
「ユカリちゃんに誓う。俺はなんもしてへん」

にらみ合う両者。たしかにこの人は普段はいい加減だが百香里には嘘を付かない。
そこだけは千陽も理解している。正直社長としてどうかと思うところだけど。

「わかりました。では、専務が業務に支障をきたすほど悩む事とはなんでしょうか」
「そんなん本人に聞いたらええやん。というか何でまっさきに俺やのほんま悲しい」
「では社長が聞いてください。お兄さまなんですから」
「ええっ。…せやかて、ほら、なあ?言いたくない事もあるやん?自分かてあるやろ?」
「聞いてください。今すぐ。ほら」

内線電話の受話器を掴み総司に突きつける。ほんとうに真守が絡むと人格が変わる女性。
しかし真守がそこまで心配されるほどに悩んでいるのなら、会社に支障が出るのなら。
それを管理するのも社長の仕事か。何時もと立場が逆で妙な気分だが。総司はボタンを押す。

『はい。なんでしょうか』
「お前なんか悩んでんの?やったら遠慮なく兄さんに言」
『結構です』

ガチャンと冷たく電話を切られた。なんとなく千陽のほうから舌打ちが聞こえたような。

「…ほらな。真守は大丈夫やあいつは出来る子や。もうええやろ。皆も仕事し」

何も悪くないのに蔑んだ目で見られて総司は泣けてきた。
机にある百香里の写真を眺めて殻に篭る。秘書たちは部屋を出て行った。
もうここに用はないと言わんばかりに。ほんとうに自由な会社だ。自業自得だが。

『はい。松前です』
「ユカリちゃん」
『どうしたんですか?駄目じゃないですかまた怒られちゃいますよ』
「ちゃうねん。俺。くじけそうなんや。イジメをうけたんや。俺。泣きそうなんやぁ」
『もう泣いてるような。お仕事大変なんですね。今夜は総司さんの好きなものにしましょう。何がいいですか?』
「ユカリちゃん」
『私はあとで。ね?』
「うん。…俺な、鍋がええ」
『はい』
「ふーってして。ふーって」
『しましょうね。だから、頑張ってください』
「がんばる」


総司が心の癒しを求め電話している中、秘書課では会議が行われていた。
新社長が覚束ない時もしっかりしてくれなくても今まで無事にやってこれたのはひとえに
専務のサポートがあったから。それが彼女たちの総意。その専務に何かあったなんて。

「社長でなかったら…まさか渉さん?」
「たしかにたまに口論しているの見ていますけど」
「でも、渉さんはまだ重役ではなくてあくまで社員ですよね」
「わからないわ。専務の事だもの将来的に渉さんを自分の後継者に…」
「ある。あるわ。弟ですものね」
「それを断わられたとか?あの人何度か昇進の話しきているのを断わってるって聞いた事が」

兄でなかったら弟か。何かと問題のある兄弟。ありえなくはない。
そうと決まれば渉に話をしに行こうということになり。
大勢で押しかけるのは不味いだろうと選ばれた千陽だけが向かうことに。

「あんたの仕事場ってそんな暇なん?」
「仕事サボって煙草吸ってる人には言われたくないわね。暇ならこんな手間かけないでしょう。
いいから、正直に言ってください」
「何もねぇって言ってんだろ何回も言わすなめんどくさい」

持ち場に居ない時はたいていここ。千陽は知っている。
移動してみると案の定喫煙コーナーに陣取る男1人。

「松前家の事に首を突っ込む気はないの。ただ仕事に支障が出ないようにするのも秘書の務め」
「本人に聞けよ」
「私より渉さんから聞いてくれたほうが専務も言いやすいでしょう」
「嫌だね。俺あいつ嫌いだから。興味もねぇから」
「好きも嫌いもないでしょうに。お兄さまなんだから」

千陽も隣に座り煙草を吸う。渉に対しても比較的フランクに接する。
相手もそれを抗議したりはしない。興味も無いと思われる。

「いい歳して弟に心配される兄貴なんてどうなの?向こうだってプライドくらいあんだろ」
「…確かに」
「本気で馬鹿みたいに真っ直ぐに心配してくれる人なら、あいつも素直に話すかもな」
「え。だ、誰ですか?専務にそんな人が?」
「あとは自分で考えな秘書さん。俺は関わる気ねぇから。兄貴にも、会社にも」
「渉さん」

煙草を片付けると席をたつ渉。追いかけることは出来なかった。
粘った所で教えてくれる雰囲気ではないし、確かに彼の言うように下手に気遣いをして
真守に不愉快な思いをさせるのも気が引ける。結局松前家の協力は得られなかった。
深いため息をして千陽も秘書課へと戻る。自分は無力だ。つくづく思う。

「御堂さん何処へ行ってたんですか」
「あ、せ、専務!すいません!ちょっと、あの」
「貴方はここの主任であり社長秘書だ。勝手に行動されては他の者が困るでしょう」
「申し訳ございませんっ」
「以後気をつけてください。僕も貴方が居ないと困ります」
「はいっ」

その後、専務は何時もの調子に戻った。その間に何があったのかは分からない。
もしかしたら社長か渉が声をかけてくれたのかもしれないけれど。
そんな事は何も言ってくれなかった。それが松前家流なのかもしれない。


「嫌だ。絶対嫌だ。肉だ。肉。牛。しゃぶしゃぶにしろ」
「鍋だって言ってるのに何でそうなる。義姉さんだって鍋の準備をしているんだぞ」
「いいだろ。鍋にぶち込めば。或いは鍋追加して買えば。なあ?そうだろ」
「まあなあ」
「そんな事をしていたら鍋だらけになるでしょう。いいから、鍋の具を選びましょう。バランスよく」

夕方のスーパーに不釣合いなスーツの男3名。カゴをカートに置いて物色中。
鍋にするとなったはいいが百香里が買い物に行くなんて心配すぎるので彼女は自宅待機。
買い物は自分がする。総司は何がいいか弟たちに確認を取ったら自分も来るといいだして。

「なんだよここやっすい肉ばっかだなぁ。これなんてさらに4割引だって」
「渉。あまりここでそんな発言はするな、その、婦人方の視線を集めてる」
「だってそうじゃん。ここのは何か不味そうだし別んとこで買おうぜ」
「…お前な」

渉には恐らく悪意はないのだと思う。純粋に思ったままの事を言っている。
それが一般家庭の人々に思い切り顰蹙を買っているとも知らないで。
奥様がたの冷めた空気の中肉コーナーを逃げるように去り野菜売り場へ。

「どないした?」
「いえ、別に」
「野菜そんな要らないだろ。適当に買って行こうぜ」
「待てお前それはピーマンだ」
「入ってなかったっけ?」
「僕の記憶の限りでは入っていない」
「あそ。俺野菜食わないから知らなかった」
「兄さん、もう1度渉を教育しなおしてくれないか。僕ではもうどうしようも」
「野菜はちゃんとくわなあかんよ?栄養たっぷりやで野菜」
「もういいです」

真守は気が遠くなりながらも買い物を終えてそれぞれの車に乗り込んで家に向かう。
途中肉を買い酒も買い足して結局抱えるような荷物を持ってエレベーターを上がる。
男3人だからできること。百香里には絶対にさせられない。
これだけ色んな材料を買ってきた鍋。きっと百香里も喜んでくれるに違いない。

「…えっと。あの」
「鍋足りねぇな。おいおっさん鍋追加」
「おっさんちゃうわ」

そのままの勢いに任せて料理も担当することになった男たち。百香里を座らせて待たせて
やっと出来上がった鍋。どんなものが出来るのだろうかと最初はワクワクしていた彼女だったが
目の前に設置された蓋がちゃんとしまらないくらい具で膨れ上がった謎の鍋に呆然。

「すいません義姉さん。あの、…ちゃんと、…バランスを、考えたはずなんですが」

その異様さに気づいたのは頭を抱える真守。

「あの…これ…闇鍋っていうやつ、でしょうか」
「ユカりん味噌好きだろ。だから味噌味の鍋だ」

食べれたらいいので特に何も思ってない渉。沢山食べたらいいと嬉しそうな総司。
この状況下で何が言えようか。高級食材が詰め込まれた鍋。百香里は正直勿体無いなと思ったが黙る。
結局鍋3つ持ってきての豪華というよりは残念な夕飯の出来上がり。

「そうだ。昼間何かあったんですか?総司さんが傷つくような事が」
「ああ。そうや。お前どないしたん?何か千陽ちゃんとか心配してたけど」
「昼間兄さんが意味の分からない電話をかけてきた件ですか?」
「何やお前が大変やって」
「僕は特に大変ではないですが」

目の前の鍋をどう片付けるかについてはかなり大変な思いをしそうだけど。
心配されるような問題は起こっていない。起こっていたらまずここに居ない。

「もし何かあるんやったら言いや。休暇とってくれてかまんし」
「分かりました。でも、大丈夫です」
「過保護なんだよ秘書課の連中」
「そうやな。つうか、俺より真守ってなんか寂しいな」

一応社長なのに。トップなのに。思い切り蔑ろにされている気がするというより事実されている。
自分の行いの所為というのもあるけれど、それにしたってもうすこし敬って欲しい。社長なのに。
思い出していじける総司。その手をそっと掴む百香里。

「総司さんには私が居ます。…駄目ですか」
「ありがとさん。何より心強いわ」

手を取り合い微笑みあう夫婦は微笑ましいというより暑苦しい。

「はいはい茶番茶番」
「そう言うな。仲がいいことはいい事だ」
「そんなの他人からしたら見苦しいだけだ」
「他人じゃない。お前は弟だ」
「揚げ足とんな」

いろんな文句をいいつつも結局はそのまま生活しているのが結局の所答え。
不満げな弟を他所に真守は苦笑しながらマイペースに食事をした。
目の前では百香里がフーフーしながら総司に食べさせている。やはり暑苦しかった。

「片付けまでしてもらって」
「いいんです。これくらい。それよりすみません残して」
「いえ」

男3人でも食べきることはできず残った分はタッパーに入れた。
片づけをしてくれていた真守は申し訳無さそうにチラッとそれをみる。
渉はお腹が破裂しそうだといってソファに寝ている。総司は風呂の準備。
百香里が今までしてきたことを男たちは率先してやってくれる。
それは嬉しいけれど申し訳ない。

「明日の弁当にでもしますから」
「真守さん」
「はい」
「私みたいなのが言うのは生意気だと分かってます。でも、やっぱり性分なんですごめんなさい。
お仕事とかよく分からないけど。でも、無理はしないでくださいね。総司さんにふっちゃえばいいんです」
「義姉さん」
「真守さんが何もないって言ったんだからそうなんですけど。何かあったら、その時は。です」

本当に生意気ですよねと言って微笑む百香里。総司の言葉を聞いて気にしてくれていたらしい。

「はい」
「この子の為に真守さんがとても気を使ってくれてるの分かってますから。それが負担になっていたら」
「僕はただ自分に出来る事をしたいだけなんです。貴方に元気な子を産んでもらいたい」
「今日の鍋でだいぶ栄養つけたので。大丈夫です」
「なんかさ。俺とこの人の扱い違うよね。俺にはそんな優しくないよね。何なのこの差」

義姉と弟の微笑ましい会話を遮る不満げな声。

「渉さん起きてたんですか」
「起きてたら駄目なの?俺だってさ。俺だって」
「ありがとうございます。皆さんに支えられてこの子は幸せ者です」
「ユカリちゃん。風呂はいろ〜」
「はい。ではいってきます」

総司の暢気な声がして百香里は軽く頭を下げてその場からさる。

「飲みすぎだ」
「俺もなんか悩みかかえりゃいいのか」
「義姉さんに迷惑をかける前に僕が相談にのる」
「童貞に相談なんかするか」
「そうかそうか。なら、お前のボーナス半分にするから」
「パワハラか!」
「お前はセクハラだ」

暫しいがみ合いをしていたが虚しくなり各自解散。
そもそも何でこんなに険悪になっていたのかもいつの間にか分からなかった。
いつもそうだ。何でこんなにも仲が悪いのか。ベタベタしたのは嫌いだけど。
深い理由なんて無い。ただなんとなく、そういう家だった。彼女が来るまでは。

「総司さん…あの、…何なら…あの…お尻」
「えっ…あ。あかん!あかん!そんなとこ!」

顔を真っ赤にさせて俯く百香里は罪なほど可愛い。愛しい。ムラっとする。
体を洗ってあげようと座っている百香里の後ろにまわっていた総司。
愛する妻の裸体を見て手が出ないわけがない。さっそく胸を揉むが出産を控え張った胸に我に返る。
大きいお腹で無理はさせられない。労わらなければ。でもかわいい。無理はさせたくない。でも。

「汚いですよね。ごめんなさい。…じゃあ、口で」
「き、汚いとかそんなこと思ってへんよ!ユカリちゃんは皆かわいいもん!」
「でも総司さん…凄いことに」

視線は夫の股間。ここの所百香里の調子を考え控えていた。その所為かかなり活発。

「…ほんま堪忍して。ええ大人やのにここは何かもうほんま元気ありあまってて」
「ごめんなさい」
「あやまらんといて。そんだけユカリちゃんが好きなんや」
「総司さん。…あの。さっきよりまた凄い感じに反り返って」
「ない!ないってば!見ないで!いや!僕を見ないでっ」
「とにかく、あの、口で…」

恥かしそうにしながらも体は正直。百香里に手と口で愛撫を受ける。
彼女に無理をさせないように座ってもらい様子を伺いながら。
ほんとうはもっとアンナコトやコンナコトをやってもらいたいしやりたい。
大事にしてやらなければいけないのにいやらしい妄想ばかりする自己嫌悪。

「…男ってなんでこんなエロ助なんやろ…嫌やわ」
「いいですよ。私に出来る事ならしますから」
「その手やめて。あかんの。そこコチョコチョしたらあかんの」
「ツンツンしましょう」
「…あん。こら」

いたずらっ子のような目で此方を見ながら手は卑猥なところを弄る。
そのギャップ。何でそんな可愛いんだ。総司は恍惚の表情。

「総司さんの所為ですからね」
「え?」
「総司さんがえっちだから。私もえっちになるんです」
「そ、そうか?」

もっとえっちになってくれてもいいくらいだけど。

「そうです。…総司さんの所為」

舌を出しそれに優しく包むと総司の目を見つめながら卑猥に上下させる。
その視覚的な効果は抜群。いやらしくて色っぽい。

「あかんユカリちゃんその顔はあかんわ。アウトやわ。もう。が、我慢」
「しないでいいですから。…総司さん」

夫婦の風呂が長いのは何時もの事。だから何時も先に入って済ませる。
今回も遅い。だがそれを気にするものは居らず部屋に戻り静かなもの。
だが、今回は少し勝手が違った。渉の部屋に何故か居る真守。

「で。なに」
「僕は少しの間有給を取ろうと思う」
「へえ」
「その間お前に僕の代理を務めて欲しいんだ」
「あそう。死ね」
「7日くらいの予定ではいるんだ」
「馬鹿か。アホなのか。それとも死ぬのか?否。死ね」

いきなりの申し出に流石にテンパっているのかよくわからない罵詈雑言を述べる渉。
だが真守は怒ることはせず冷静だ。

「もちろん手当てはつける。ちゃんとする。責任も僕がもつ」
「そんなリスクおうよりもっと別の奴いるだろ」
「お前に頼みたい。お前の能力を買っているんだ。上司から能力についての報告は受けている」
「はあ!?なもん何時の間にしたんだよ!勝手な事!」
「僕は仕事しか知らない人間だ。それをつまらないとかクズとでも何とでも呼べばいい。でも、
今は知識が欲しいと本気で思っている。本来なら僕がすることじゃないんだ。けど、兄さんは社長だ」
「いや、あのさ。肝心なとこねえから。あんた何すんの?海外行くとかじゃねえの?」
「僕はこのお父さんの初めて講座を受ける」
「あんた馬鹿だろ。ホンモノの馬鹿だろ。頭診て貰えよ。ほんと。仕事しすぎなんだよ」

真顔で何を言ってるの。渉は寒気すらした。
いくらなんでもそんな事をするのはやりすぎだ。父親はあの男。
ついでに言えば経験者だから出なくてもある程度分かるだろう。
もしかして秘書が心配していたのはこれのことだろうか。多分そうだ。

「兄さんが来れない時誰が義姉さんを補助するんだ」
「んなもん呼べばすぐ来るだろ」
「海外に居た場合は?直ぐには戻れない遠くに居た場合は?或いはどうしても外せない会議の場合は?
僕は義姉さんも大事だが会社も同じくらい大事だ。そんな重大な局面ではきっと兄さんを止めるだろう…」

重要な会議がこの先詰まっている。どれも社長でないといけないもの。
それを打ち切って行かせるなんて。
感情ではそんな自分を嫌悪しながらもやはり完全に否定はできない。
そういう所があの冷たい父親に似ているのかもしれないけれど、嬉しくない。

「だから自分で知識つけようって?あんたも社長についで忙しいだろ。つかあんたのが忙しいよな実質」
「兄さんが1番だ。でも2番も保険として必要だ。しかしお前には任せられない。なら僕しか」
「俺を馬鹿にしてんのか頼りにしてんのかどっちなんだよ。…もう好きにしろよ」

妙な方向へ正義感と真面目さを発揮した真守にもう何も言うまい。
渉は頭痛がしてきたが堪える。馬鹿なのは長兄だけだと思っていたが次兄も存分に馬鹿だった。
たしか最近まではこんな人じゃなかったはずなのに。思い過ごしだったらしい。

「そうか。ありがとう」
「いや別に俺代理になんてなんねーしっ」
「お前の上司には話をしてあるし兄さんには明日にも話す。了承してくれるはずだ。あの人はお前には甘い」
「いやいやいやいや!甘いとかそんな問題じゃねえよナンでいきなり俺がそんな…おかしいだろ!?」

どんな飛び級だよ。いくらなんでも皆変だと思うだろう。真守の気持ちが全く分からないわけではない。
仕事を優先させ家族を省みないなんて思いを彼女にまでさせたくはない。補助できる者も必要だ。
と、分かるけれどあまりにも自分がフリになる。代理なんて務まるわけがない。何より嫌だ。

「建前上は研修にしてあるから」
「なんの研修だよ1人で何を研修すんだよ!」
「皆将来的にはお前が重役につくと思っているから大丈夫だ」
「ざ…ざけんなよ…ほんと、テメエ…なにを…勝手な」
「義姉さんには言うなよ。気を使わせたくない」

この日ばかりは本気で兄貴を絞め殺してやろうと思った。後に渉は恋人にそう言ったという。
翌日、さっそく総司に話をして快諾され正式に真守の勉強と渉の研修が行われることに。
準備を進める真守に対して納得なんて出来ない渉。

「おい!あんたもおかしいと思うだろ!ほんらいあんたの仕事だろ!あんたの嫁だろ!あんたの子だろ!」
「理解あったほうがええやん。俺がめっさ忙しい時とか。ユカリちゃんも安心できるやろ」
「はあ!?つうか7日も専務休むとかありえねぇだろ!」
「やから。代理がおるやん。頼むわ代理」
「本当に本当に心の底から願うわ。お前等まとめて死ね」

社長に抗議するがむしろ歓迎の姿勢。

「真守さんが7日もお休みを取るなんて初めてですよね。でも、休養も大事ですよ」
「そうかな」
「そうですよ。働きすぎだなって思ってたんです。真守さんはリフレッシュが必要です」
「ユカりんさ俺になんか恨みとかあんの」
「え?な、ないですけど。どうして?」
「いやいいんだ。ごめん。…ちょっと現実逃避してくるわ」
「え?え?」


続く

2010/11/16