助け合う


「ま、まあまあ…お父さん。そんな怖い顔なさらないで」
「いいから早く探せ。お前もいけよ」
「今探してますから。それに、もし何かあったとしてもすぐ係りの者が気づくはずですし…」

なんでもちょっと目を離した隙に居なくなったらしい。苛々しっぱなしの男は端的に説明した。
居なくなったのが妊婦だから余計に苛立っているのかもしれない。それにしても高圧的な喋り方。
とあるデパートの迷子係りは苦笑いを浮かべながらなんとかお客の機嫌を取り持とうとする。

「は?じゃ、気づかなかったらお前ん所潰すからな」
「そ、そんな。お客様落ち着いてください」

お前は小学生か。係員は心の中で毒づいたが口にはしない。相手はお客様だ。
身なりはそれなりにいい。上客の部類にいれてやってもいいかもしれない。
ただしあまり関わりたくない相手には違いない。所謂イヤやな客。

「あの人も何考えてんだよ5分も大人しく出来ねぇとかガキじゃあるまいし…あぁもう」
「放送もかけていますし此方でお座りになってお待ちに」
「10分だ。10分以内にユカりん連れてこなかったらお前」
「渉さん」

ピリピリと緊張感に支配される待合室に恐る恐る入ってきたお腹の大きな女性。
一瞬高校生かと思ったくらい幼さを残す可愛らしい人だった。申し訳なさそうな顔。
係りは心底ホッとした。これでもうここで怒鳴られることはないだろう。

「あ!あんた!…ほんと、何やってんだよ!何処いってたんだよ!」
「ごめんなさい」
「あの、奥さんも戻ってきたことだし。そんな怒らないであげてください。お腹のお子様にも…ね?」

案の定声を荒げる男。再会したのだからそこで終わっていただきたい。
ここで夫婦喧嘩なんかされたらたまったもんじゃない。早々に切り上げていただこう。

「ごめんなさい」
「何でいきなり居なくなったんだ。俺は言っただろここに座ってろって」
「そ、その。…タイムセールがあって。つい。あの、どんなのかなぁって思って」
「はあああ!?」

男はさらに声を荒げた。これはまたさっきみたいに怒鳴り散らすに違いない。係りの男は覚悟を決めた。
女性は視線をさげたまま申し訳なさそうな顔。お腹の大きな彼女を先ほどの剣幕で怒る事はないと思うのだが。
下手に間に入って巻き込まれるのも嫌なので傍観にてっする。すいませんと呟きながら。

「タイムセールって聞いちゃうと体が勝手に動いてしまうんです。反省してますっ」
「こんな時まで貧乏根性だすなよ。何かあったのかと思うだろ」
「渉さんは心配しすぎです。真守さんも。…総司さんもですけど」
「もう買い物連れてってやんない」

百香里の返事が気に入らなかったのか不機嫌そうに言うと渉はプイとそっぽ向く。

「そ、そんな。真守さんも総司さんも1人で出かけるのは駄目って言うんです。もう渉さんしか」
「俺のいう事聞けないんだろ。じゃ、駄目」
「お願いします。ここのお店しか売ってないんです。欲しい毛糸。それにたまには遠出したいです」
「……、次は絶対動くなよ。絶対だ。あんたに何かあったらこのデパート潰すからな」
「そ、それは困ります。…あ、あの、今のは嘘ですからね?」
「は、はあ…」

必死に首を横に振る百香里に、そりゃそうだろうと係員は思ったがとりあえず笑って頷く。
子どもみたいな怒りをぶつける渉に係員も苦笑しかでない。
幼げに見える奥さんに子どもみたいな旦那。これはこれでつりあっているのかも。

「渉。義姉さんは見つかったか」
「ああ。今」

なんてほのぼのと思っていたら入ってきたスーツの男。
この3人の関係がよくわからない。

「え。真守さん!?」

百香里は驚いた顔をして真守を見る。まさか彼も来るなんて。ほんの数分眺めるつもりだったバーゲン。
それがまさかこんな大事になるなんて。放送で何度も呼ばれるし係員の人には必死に探されるし。
家に居たはずの真守は居るし。渉は怖い顔して怒鳴るし。明らかに自分が悪いのだけど。

「心配しました義姉さん。無事で何よりです」
「タイムセールだって」
「あぁ」

それだけで理解する真守。やれやれ、と安堵しつつ困った顔。スーツという格好からして
休日だというのに会社に居たのだろう。それで連絡を貰い飛んできた。
彼らしいけれど、でも、そこまでさせてしまって百香里としては申し訳ない気持ちでいっぱい。

「あの。ご、ごめんなさい」

そして彼にも怒られるのだろう。百香里は恐縮する。

「その様子からして渉から注意を受けたようですね。なら僕はいう事はない。
同じことを2度も聞くのは嫌でしょうし体にも悪い。車へ戻りましょう、さ、義姉さん」
「あ、あの。実はもうちょっとしたら1階の食」
「お帰りはあちらですよ、義姉さん」
「はい」

守られて、というよりは連行されるかのように強制的に部屋を出て行く百香里。
それに続くように渉も出て行く。やっと妙に高圧的な煩いのから解放されるのだ。
係員は今日ほど移動したいと思った事はなかった。

「義姉と弟がどうもご迷惑をおかけしました」
「い、いえ。良かったですねお姉さんが見つかって」

さきほどの乱暴な男と違い此方は紳士的で穏やかな印象。
妊婦の女性よりだいぶ年上に見えるが意外に老けているのだろうか。
男性は軽く会釈をして部屋を出て行く。ほんとうに嵐のような時間だった。


「渉、お前なにをしたんだ?係りの人が青ざめてたぞ?」
「別に。何もしてない」

真守が車に戻ると運転席は渉。ここまではタクシーで来たから帰りは一緒。
百香里は後ろで申し訳なさそうに黙っている。
助手席に乗り込むと黙ったままは彼女も居辛いだろうと弟に声をかけてみた。
じっさい係りの男は冷や汗だらけで確実に何か言って脅したのだと分かる。

「あまり乱暴な事はするな」
「松前家の評判が落ちるってか」
「今更そんなものを気にするのか?」
「はははっそうだな」

2人の頭に浮かぶのは同じ人物。今頃出張先でくしゃみでもしているだろうか。
ふと、いつもなら何かと話しかけて来る人が黙りっぱなしだと気づく。

「義姉さん、何か甘いものでも食べて行きますか」
「いえ、…あの、…いいです」
「どっか悪いとか?じゃなきゃ遠慮してんの?」
「悪くはないです。あの、…ただいま反省中です」

甘いものは好き、というか大好きに分類される彼女が遠慮するなんて。
チラっと後ろの様子を伺うと珍しくシュンとしている百香里。
渉と真守に迷惑をかけたことをだいぶ落ち込んでいるらしい。

「反省中って。あれじゃん。サルでも出来」
「渉やめないか」
「冗談だろ。…疲れた時には甘いものだろ、きっと腹の子もそう思うはずだ」
「でも」
「渉、何処か休めそうな店があれば入ってくれ」
「ああ」

まだ気にしてモゾモゾする義姉を他所に甘味処と看板のある茶屋を発見。
たまには和もいいだろうと車をとめて店に入る。

「…わらびもちでいいです」
「だから。もうそんな気にすんなって。俺も忘れてやるからさ、あのデパートも潰さないからさ」
「お前なにを言ったんだ」
「ほ、ほんとうにわらびもちでいいです」

百香里は2人の義弟の優しさにほろりとしつつ、席についてメニューを見て絶句。
どうやらここは自分なんかが気楽に入っていいようなお店ではなかったらしい。
どれも軽く脳内予算をオーバーするお値段がする。1番安いわらびもち600円。

「じゃあ、僕たちが頼むので義姉さん食べてください」
「そうしとくか。なあ、あんたどういうの好きだっけ?」

気遣いは嬉しいけどそれはそれで心苦しい。でも結局好みを言ってしまう。
並ぶ美味しそうな甘味に百香里はご満悦。

「あっ」

食べていると突然声を出してビクっと震える。

「な、なんだよもう出てくんのか!?」
「まだ予定日ではないはず」
「…蹴られました」
「え?」
「この子よく蹴るんです」
「マジ?」
「はい。総司さんも元気な子やなーって言ってます」

嬉しそうにおなかをなでる百香里。元気なのはいいこと。
男の子か女の子かは生まれてきた時でいいと判断した。
もしも男だったら将来は…とか深く考えてしまうくらいならと。

「よかった。兄さんと違って僕たちはただ見ているしかできないから、何かあったらと思うと」
「小さいけど…いのち、だしな」
「傍に居てくれるだけで、1人じゃないんだなって思うだけで勇気が出ます」
「あんたらしい」

古臭いドラマの観すぎだと笑う渉。釣られて真守も、そして百香里も笑った。

「お仕事の途中でしたよね。すいません」
「そうじゃないんですよ」

渉がトイレにたっている間。百香里はそれとなく真守にも謝る。
休日の甘味処にがっちりとスーツ姿はちょっと浮いている。

「え」
「実は渉から連絡を貰うまで部屋で寛いでいて。その、パジャマで。慌てていて
つい何時もの調子でスーツを着込んできてしまったんです。恥かしい話ですが」
「……ふふっ」

そんな心配させることをしたのは自分の所為なのに、想像すると面白い。
そして実に真守らしい理由。百香里はつい笑う。彼もちょっと笑った。

「渉には言わないでください、義姉さんならいざしらずあいつに笑われるのは嫌なので」
「あ。すいません。はい。笑いません。いっさい笑いません」
「そうですか。でも口角が上がっていますよ」
「そう見えるだけです」

口元を隠す百香里だが今度は目じりが下がっている。真守は苦笑した。

「なんだよ2人楽しそうに。なんの話し?」
「なんでもない、世間話だ」
「そうなの?なあ。そうなのか?」
「そうなんです」
「嘘くせぇ」

明らかに何か楽しい会話の後。教えてもらえなくて不愉快そうな顔をする渉。
拗ねてしまったのかもういいよと残っていたお菓子を全部食べてしまう。
百香里が最後に食べようと残していた牡丹餅まで。それで真守と喧嘩して。
義姉の仲裁で納まる。土産に牡丹餅を買うという彼女の案で。


「…総司さん早く帰ってこないかな」

我が家に戻るなり渉は部屋に入ってしまって、百香里はリビングのソファに座る。
ちょっと頑張りすぎたろうか。疲れた様子の彼女を見て真守が洗濯物を取り入れる。
義弟たちは優しくしてくれるけれどやはり総司が傍に居ないと寂しい。
休日なのに仕事なんて。仕方ないと分かっているのにやはり恋しくなってしまう。

「今ごろ急いで帰りの車を走らせているでしょう」
「連絡あったんですね!」
「御堂さんからさきほど」

真守の言葉に明るい笑顔を作る。もうすぐ帰ってくる。

「じゃあお夕飯」
「その件ですが、兄さんに連絡しておいたので兄さんが何か買って来てくれます。
交換条件だったはずですよね。今日出かける代わりに夕飯は此方に任せると。ですから休んでください」
「はい。…でも、真守さん。…スーツで家事って…ふふ」
「あ。…先に着替えてきます」
「ふふ」
「あーーー。なんだよ。またか。またのけもんなんだー」

部屋に戻ったのは部屋着に着替えるためだったらしい。不服そうな顔をして椅子に座る渉。
真守は洗濯物の入ったカゴをいったんその場に置いてそそくさと自室へ戻る。

「総司さんもうすぐ帰ってくるって今」
「あんなおっさん帰ってきてもウザイだけ」
「そうですか?」
「そう」

酒の準備をしようと立ち上がるまでもなく渉は自分で冷蔵庫を開けてビールを持ってくる。
まだ不満そうに拗ねている。かといって百香里を責めるわけではないけれど。静まる部屋。
話題を出してみるがあまり興味のない話題だったらしい。冷めた返事。

「総司さん、本当は赤ちゃんの事とか知ってるはずなのに知らないフリしてくれるんです。
きっと私が嫉妬深いから。教えてもらうたびにそんな風にしてたんだって思っちゃうから」
「…そうなんだ」
「どうしたら素直に受け入れられるんだろう」

今の妻は自分。子どもも順調。なのに不愉快。おなかを撫でながら百香里はため息をする。

「そんなもん自分で選んだからだろ。何で今更そんな思うんだ?理解出来ない」
「渉さん」
「だから。俺の傍には分かりやすい女の方が楽でいい」

それってもしかして。思いながらも百香里は深く追求するのはやめた。
暫くして真守が部屋着に着替えて戻ってきて。
続いて何やら騒ぎながら総司も帰ってきた。両手に荷物を持って。

「ユカリちゃん。…今日は堪忍」
「…そうですよ。私を置いて行くなんて」
「もう何処へも行かんからな」
「今日はいいですけど、明日もちゃんと仕事へは行って下さいね」
「つめたーーーー!ユカリちゃんのドエスー!」

すぐに荷物を机に置いて百香里を抱きしめオデコや頬にキス。
この温もり、この匂い。やはり夫の傍が良い。安心すると心から思う。
これがあれば不安な気持ちも吹き飛んでしまうのだから。

「…総司さん」

ギュウっと抱きついたまま離れない百香里。
いつもなら彼女のほうから準備が出来ないから離れてというのに。

「どしたん珍しい。甘えたいんか?」
「うん」
「そうか。ほんま可愛いなぁユカリちゃんは」
「…総司さん」
「可愛い可愛い」

甘えてくる奥さんの頭を撫でて嬉しそうにギュッとしている総司。

「あ。また蹴った。お腹すいたのかも」
「ユカリちゃんも減ったやろ。食べよ」
「はい」

見つめあい、軽くキスしてリビングへ戻ると既に食事中の渉と真守。
どうせすぐに戻ってこないんだろと行動を読みきったお言葉に苦笑しつつ。
お茶を用意して皆で食べた。

「今日はユカリちゃん連れってもろて悪かったな。で。まあ、ユカリちゃんにはよう言うとくから。
お前もそんなピリピリすんな。真守もせっかくの休みやったのに悪かったな」
「いえ。僕は大丈夫ですから」
「さっさと行けよ。うざったい」
「ユカリちゃん口にはせんけど寂しがりややし無茶言うか、ヤンチャするからな。そこも可愛いんやけど。
心配になるんや。お前等も忙しいやろが、たまにでええからあの子を見たってくれんか。頼むわ」

自分が率先して何もかもしてしまったら百香里は嬉しそうな顔をしながら何処か寂しげ。
前妻とのやりとりを連想させてしまうのだろう。その視線に気付かない総司ではない。
分かっている。だから助けたい強い気持ちと知らないフリをしたい気持ちとがせめぎあう。

「100万くれたらやる」
「僕たちに出来る事をしますから」
「そうか。堪忍な」
「…あんたが頼りにならなきゃ意味ねぇけどな」
「そう、やな。もちろん。あたりまえやんか。俺は旦那やもんな」
「はいはい。バツイチ子持ちの暑苦しい40男」
「渉言いすぎだ。いくら本当の事でも」
「お前等ぁ」

笑っているけど言われたほうはショックが大きい。事実だとしても。
頼むぞと念を押して百香里が待つ部屋へ向かう。
今日は朝からずっと会えなくて寂しかった。電話もかかってこなかった。
気を使ってくれたのだと思うけれどちょっとくらい声が聞きたかった。

「総司さん?」
「…俺かて、めっちゃ心配しとるんやで」

化粧台に座って髪をといている百香里を後ろから抱きしめる。

「そういうの過保護っていうんですよ」
「いやか?」
「…お店潰されちゃうと困るので。ほどほどにお願いします」
「ほどほどな。わかった」
「それと」
「ん?」
「これからも私が分からない事があったら教えてくださいね」
「……わかった」


続く


2010/11/13