そして
−その後−


「ただいま戻りましたー」
「おかえり」

悩みに悩んだ末、ギリギリの進路変更ではあったが無事短大生となり新しい生活にも慣れてきた秋。
庭ではまた金木犀の花が咲き始め徐々にあの懐かしい香りが屋敷に漂い始めていた。
そんな休日のお昼前。大きめの買い物袋を2つ提げてスーパーから屋敷へ戻ってきた亜美。
玄関に入ると迎えに来てくれたのか雅臣の姿。

「望どうでした?泣きませんでした?」
「うん。いい子だったよ」
「荷物持ってください。ミルクとか買ってきたから重くて」
「ご苦労さま」

荷物を持ってもらい一緒に中へ。買ってきたものを冷蔵庫などに閉まって。
開いている部屋の1つに入る。そこにはベビーベッドがあって。赤ん坊が寝ていた。
すやすやと気持ち良さそうに。見つめているとつい笑顔になってしまう。
ほっぺたを触りたい衝動に駆られるが寝たばかりだからと押さえる。小さな手足。

「すっかり育児が身についたんじゃないですか?」
「君の仕事だと思うんだけどね」
「全部じゃないでしょ。いいじゃないですか、おじさん暇そうだし」

それがあまりにも可愛くて、ずっとこうして見つめていたくて齧り付いていたら
後ろから優しく抱きしめられる。オムツと粉ミルクの香りがする抱擁。ちょっと笑える。
邪魔をしないようにゆっくりと部屋を出た。

「大学を掛け持ちしているからそうでもないよ」
「まさか講師で来るとは思いませんでした。そんなに私信頼ありません?」
「無いね」
「ぶっ飛ばすぞ」
「ほらほら。そんな怖い顔してたら子どもが泣いてしまうよ」
「雅臣さんは40歳のおっさんだからどれだけ泣かしてもいいんです」
「……まだ39だよ」

ムスっとする叔父さんに笑いながらも昼食を作る為に台所へ向かう。
保育士になる為に勉強しながらバイトもして家政婦の仕事もこなしている。
ハードだけどやりがいを感じているからそう苦でもない。
毎月ちゃんと叔父さんから借りたお金を父親と力を合わせて返している。
短大生になってやっと働くことを許されて自分も返済に協力できて嬉しい。

「来年は正志中学生ですよ。少しは落ち着いてくれたらいいんですけど」
「大丈夫だよ。亜矢ちゃんがいるから」
「それが駄目なんです。すっかり亜矢にビビっちゃって。頭上がらなくて」
「女性が強い家だからね」
「彼女とか出来たらきっと尻に敷かれるんでしょうねえ」
「それでバランスが取れるならいいと思うけど」

きっとこの先も母や姉や妹に頭が上がらないのだろう。安易に想像がつく。
それでも何故か女子にモテるんだと亜美は不思議がっていた。
亜矢も姉のようになりたいと今でもせっせと母の手伝いをして家の事を頑張っている。
アメリカに帰った慧や恒たちともいまだに文通しているらしく届くのを楽しみにしているらしい。

「そうだ。あのぅ大野先生」
「駄目だよ」
「だって他の教科と提出日ダブったんだもん…」
「それは君だけの事例じゃないね。悪いけど、頑張ってねとしか言えないな」
「ちょっとくらい多めに見てくれたっていいじゃないですか」
「諦めて期日までに提出するように。ちゃんと評価はするから」
「はぁい」

亜美の事が気になって彼の大学から離れているのに短大に講師として来たくせに。
甘い顔は一切せず学内でも殆どベタベタしてこない。ただの講師と受講生。
たぶん自分から話をしなければ誰も2人の関係に気づかないだろう。
面倒だからそれでいいと思っているけれど思ったより融通が利かなくてちょっと残念。

「ん?望が泣いてる」
「え?うそ。聞こえませんでしたけど」
「私は彼女を見てくるよ。お腹がすいたのかもしれないから」
「わかりました」

ピタ、と足が止まって振り返る雅臣。亜美には何も聞こえなかったけれど。
彼は踵を返し部屋へ戻って行った。すっかり板についている。
亜美は台所へ行くと自分たちの昼食を準備しながらも望のミルク作りに入る。
こちらも手馴れたものであっという間に両方とも完成。腕前は相変わらずだけど。
叔父さんに内緒で影ながら母に料理を教わったりして努力はしている。


「やっぱりお腹が空いていたみたいだね」
「凄いですね」
「何となくトイレの時と空腹の時は泣き方が違う気がしてたんだ」
「へえ」
「他にも色々と泣き声に違いがあるんだ。大まかに分けると」
「面倒なんで結構です」

1時間はそれについて喋り続けそうな叔父さんをクールに却下すると
今度は笑顔になって望にミルクを飲ませる。美味しそうに飲む姿にほのぼのする。
自分から母乳が出ればいいのにな、と思いながら。ふと胸元に感じる視線。

「……」
「散々試したでしょ。出ないって」
「いや。今ならきっと」
「真面目な顔して言うな。拳骨喰らわせますよ」

食事を終えるとまたコクリコクリと眠そうにしている望を寝かせて部屋を出た。
向かったのは庭。この季節は時間があるとこうして2人で眺めている気がする。
新調した綺麗なベンチに座るとそっと雅臣に身を寄せる。

「また今年も一緒に見る事が出来たね。……ねえ、亜美」
「何ですか」

亜美の肩を持ち何時に無く真面目な顔をして彼女を見つめ。

「ここで、私と、…一生共に…金木犀を見ないか」
「マジな顔して何を言うかと思えば。見ますよ別に」
「……」
「何なんですか?すっとぼけた顔して」
「……うん。いや、…そう、だね」
「変なの。まあ、変なのは昔からだけど」
「君は辛らつで口がとても悪くて頭で考える前にすぐに暴力に訴える」
「ええ。こうして今も」

叔父さんのほっぺたをギュッと引っ張る。怖いくらいのニッコリ笑顔で。
相手はそれを怒ったりどうする訳も無く。痛いよ、とただ感想を述べるだけ。
今も、そしてこれからも代わらぬであろう主と家政婦のパワーバランス。
頬をヒリヒリさせながらも亜美に顔を近づけると彼女は静かに目を閉じる。

「望が泣いてるね」
「ほんとだ。今度は聞こえました。これは…トイレかな?」
「違う。これは、寂しいんだ。抱っこして欲しいんだよ」
「じゃあ、私が考えていることも分かります?」
「分かったら苦労しないよ。まあ、その苦労が楽し」

亜美は不機嫌そうにもう、と呟いて雅臣の頭を強引に引き寄せキスする。
屋敷内からかすかに聞こえる望の泣く声にさっと身を離して先に部屋に戻った。
いきなりの事でポカンとしていた雅臣だったが慌ててそれに続く。

「ごめんね望。よしよし」
「君もだいぶさまになってきたんじゃない?」
「そりゃ子どもを相手にするお仕事目指してますから」
「そうだね」

廊下に響くほどの泣き声も亜美に抱っこされてあやされてやっと静かになる。
叔父さんの言うとおり寂しかったらしい。小さな手でギュッと亜美にくっ付いた。
ごめんね、と頬を擦り合わせば自然と亜美本来の優しい笑顔が出る。

「……いつかは、…私たちも」
「ん?なに?」
「うっさいおっさん」
「赤ん坊の前でそういう言い方は良くないんじゃないかな。友人とはいえ
人様の大事な赤ん坊が君みたいになったら大変だと思わないかい?」
「望。ちょーっと待っててねぇ。お姉さん悪いコに教育的指導、してくるからねぇ」
「亜美顔が般若みたいだ」
「ははは……ぶっ飛ばす」

のはほんの数分で。あっという間に何時もの亜美に戻り。
廊下に出るなり豪快にパンチが顔に飛んできた。

「いたたた。これが教育的な指導?」
「オジサマにはこれが1番です」
「たまには優しく指導してほしいなぁ。今夜あたり」
「提出せまってるレポあるんで無理ですね」
「亜美」
「まあ。パソコン使うからおじさんの部屋行くけど?そのまま、寝るかも」
「じゃあ待ってるよ。レポートの指導してあげるから」
「どういう指導なんだか」

呆れながらも少し笑っていて拒否する様子は無い。これからもこんな感じなんだろう。
何て亜美は思いながら空気の入れ替えに開けた窓から吹く風に髪を押さえた。
ほんのりと金木犀の香り。少し風が寒くなった気がする。
甘えるように雅臣に擦り寄ったら肩を抱かれた。



「ごめんね。何かと望まかせちゃって」
「いえ。というか、これは」
「土産」
「はあ…」

夕方。取材の為長期出張に出ていた先輩が戻ってきた。どれだけ甘えてくれても
やはり母親が1番らしい。嬉しそうな望。可愛い赤ん坊の変わりに渡されたのは
手のひらサイズの干からびた茶色い球根のようなもの。
できれば饅頭とか煎餅とかがよかったのだが贅沢は言えない。

「煮込んで食べると精力増進でエロエロの悶々とするらしい」
「え、えろえろのもんもんって何ですか」
「叔父さまに試してごらん。……凄いから」
「あの、これって」
「オットセイの」
「ぎゃああ!」

先輩は笑いながら、顔を赤くする亜美にまたベビーシッターをお願いするよと言って
望と共に帰って行った。バイト代は別にもらっているけれど何てものを土産にするんだ。
前々からそういう人だけど。こんなのどうしたらいいのか。

「何だいそれは」
「へ、変態!」
「私はただ」
「ま、雅臣さん」
「ん?なに?」
「や……やっぱりだめだー!わーーー!」
「何が駄目なんだい?ねえ、亜美。それは何?どうして逃げるの?」

好奇心でちょっと使ってみたい、なんて恥かしくて言えない。
かといって捨てることも出来ず。結局大事にラップに包まれて
冷蔵庫の奥底に保存された。

「望も無事ママの所へ戻ったし。レポ終わったらどっか遠く連れてってください」
「いいよ」
「あ。遊園地以外で」
「じゃあ水族館かな。動物園でもいいしね」
「……何で選択肢がラブホしかないんですか」
「考えすぎだよ亜美」
「嘘付け。このエロおっさん…」


おわり


あとがき

本編40話+おまけ+番外編 を読んでくださいましてありがとうございました。無事完結!
ラストは緩やかに終わろうと思ったのに何時に無くバイオレンス。金木犀らしい、かな。
こんな2人ですが私の中では1,2を争うバカップルだったりして。
短大の生活も楽しそうですが長くなりそうなので本編ではこの辺でおしまい。

2009/09/27
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