新しい年



1月3日の早朝。何度も店のガラスや手鏡でチェックをして
足早に目的地へと向かう。父親は何もそんな急ぐことは無いと言ったけど。
はやる気持ちを抑えられなくて。まだ早いからか行き交う人は見えず、
新聞配達をする単車やなんでもないトラックが1台通り過ぎただけ。
妙な緊張を感じながら、高鳴る鼓動を抑えながら。
吐く息は白く、だけど体は驚くほど暖かい。この姿を見たら何て言うだろう?
喜んでくれるだろうか、早く見て欲しい。

坂を上り終えるとやっと目の前に見えたお屋敷。

「あけましておめでとうございます」
「あ、ど、どうも。おめでとうございます……」
「綺麗な晴れ着ねえ、これから大野さんと初詣?」
「……ええ、まあ。その、えぇ」

その前にまさかのクソババア出現。

こんな時間帯に外に居るなんて。お向かいのお屋敷から出てきた所らしい、
微笑んではいるが心の中では何を考えているのやら。
また妙な噂でも流されたらたまったもんじゃない。いちいち説明をしてやるのもごめんだ。
綺麗に門松なんか立てて、家の人には何の罪も無いが何かムカつく。
適当に返事をして脱出する。門松もしめ縄も何もしてない何時もと変わらぬ屋敷。
洋館だからあっても違和感あるかもしれないけれど。

ピンポーン

合鍵を使って開けてからチャイムを鳴らす。
いちいち上まで上がるのは時間が勿体無い。
玄関で待っている間に見える範囲で様子を覗いてみる。
見た感じ綺麗。埃っぽくは無い。暫く待っていると階段を下りてくる音がして、
屋敷の主である雅臣がパジャマ姿のままで顔を見せる。

「……」
「明けましておめでとうございます」
「どうも。おめでとうございます」
「寝ぼけてるんですか?」
「いや、もう起きたよ。晴れ着綺麗だね。それに髪も切ったんだ」
「はい。さっぱりと。似合います?」
「とても」

母の晴れ着を借りて亜矢に手伝ってもらって化粧も少しして。
肩まで伸びていた髪を短めのボブにして。これで反応が無かったら
家に帰ってやろうと思っていた。でも、思いのほか気に入ってもらえたようで。
亜美をじっと見つめたまま中々動かない。年末年始は家に帰っていたから
久しぶりに顔を見た、という事もあるけれど。

「ほら。行きますよ」
「え?」
「私がおじさんを喜ばす為だけにこんな格好してると思ってるんですか」
「違うの?」
「帰るぞおっさん」
「ま、まって。帰らないで。……初詣?」
「5分あげますから。顔を洗って髪を整えて私の彼に相応しい
格好をして戻ってきてください」
「5分ってまた」
「現在49秒けいかー5分経ったら慧たちと行くんでー」
「えぇ。わかった、できる限り努力する」

雅臣が居なくなったのを確認してからカバンから手鏡を取って
乱れがないかチェックする。褒めてもらえて内心とても嬉しかった。
思わず微笑を作る。本人の前では出来ないけれど。
歩いていける距離に小さな神社があり、普段はそんなに人は居ないのだが
この日ばかりは人だらけ。早い時間に行って静かな間にお参りをして
クジを引いて帰る。それが亜美の立てた計画。

「どうかな」
「おっさんの服装にはあんまり興味ないので。さ。行きますよ」
「……」
「かっこいいですから。ね。拗ねないでください。手繋いであげますから」
「うん」

待っていると見事5分以内に雅臣が顔を洗い髪を整えそれなりに
お洒落な格好に着替えて登場。
しかもそれとなく亜美がプレゼントした香水をしてくれている。
正直名前もよく知らないで買った物だけど、彼が持っている香水はこれ1つだから
間違いない。かくいう亜美も彼から貰ったペンダントをつけている。
拗ねる叔父さんの手を引いていざ初詣へ。玄関を開けると寒い風が吹き、

「あら、大野さん。明けましておめでとうございます」
「ど、どうも」

狙っていたかのように凄くいいタイミングでクソババアがまだ庭掃除中だった。
こちらを見てまたあのニコニコ顔。
これはまた新年早々素敵な噂を流されるに違いない。
自然に雅臣の手を離し距離を置いて歩き出す。

「絶対狙ってた」
「え?何を?」
「まあ、別に叔父さんと初詣くらい変じゃないし。
一緒に住んでるのだって何とでも言えるし」
「亜美?」
「そもそもおじさんが独り身の癖にあんな意味もなくでかい屋敷に
住んでるのがいけないのであって」
「亜美、私の声が聞こえている?ねえ、せっかくこんな綺麗な格好をしているんだし。
そんな怖い顔をしないで、ね?あ。そうだ、露店でわたがし買ってあげるから。
それともりんご飴がいい?何でもいいよ」
「両方」
「うん。そうしよう」
「……あと。それ、亜矢と正志にもください」
「そうしよう」

不愉快そうに文句を言いながら歩く亜美だったが雅臣の言うとおり
何時までもこんな顔をしてはいけない。せっかくの晴れ着も化粧も意味が無くなる。
気持ちを落ち着けて、再び彼の手を握る。暖かい。

「慧と恒も行かないかって誘ったんですけど、
そういうのは趣味じゃないとか言われて駄目でした」
「私には何も言ってくれなかったのに」
「おじさんを驚かせようと思って。あの間抜けな顔面白かった」
「あれは見蕩れていたんだよ」
「馬子にも衣装、ですか?」
「普段の亜美も可愛らしいよ」
「褒めても何も出ませんからね」

というものの、満更でもない様子で視線を他所に向ける。雅臣は笑っていた。
暫く雑談しながら歩くとポツポツと神社へ向かう人の姿が見え始め、
専用の駐車場は既にいっぱい。ちょっとゆっくり歩きすぎたろうかと足早に境内へと向かう。途中露店が幾つかあっていい匂いがしたり、
亜美よりも豪華な晴れ着を着た女子高生やら美人なお姉さんやらが居て
ちょっと落ち込んだりして。さっさと帰ろうとまた歩く速度を速めて中へと進んでいく。

「亜美、何をお願いするの」
「そりゃ借金返済と家族皆幸せとお母さんが健康になるのとお父さんの出世と」
「お賽銭1000円くらい要りそうだね」
「金持ち流の素敵な皮肉をおっしゃってるなら蹴り飛ばしますけど?」
「ごめん」
「その1000円で何か食べましょ?お腹空きました」
「そうしよう」

無事お参りを済ませるとお待ちかねの露店めぐり。甘い匂い香ばしい匂い。
朝ごはんを食べていない2人にはどれも魅力的。

「あ。その前にクジ!」
「クジ?」
「はい。おみくじしましょ」
「私はあまりそういうものは好きじゃ」
「趣味の合わない人とはつきあえませーん」
「また新年早々辛らつな事を言う。……わかった、買おう」
「こっちこっち!」
「……ああ、もうあんな所に。そんなにクジが楽しいのかな」

こちらに向かって笑顔で手を振る亜美。そんな嬉しそうな表情をされたらやるしかない。
お金を払い、クジを引く。雅臣にとってはこれが生まれて二度目のおみくじになる。

「どうしよう」
「なに?悪かったの?」
「恋愛運、同時に何人もの男性に好意を持たれ困るほどの強運を授かる。ですって!」
「……、まあ、おみくじだからね」
「どうしよう。困っちゃうなあ」
「どうせお正月用に皆大げさに書いてあるだけだよ。ほら、金運は悪い」
「みぐるしい……。で?そういうおじさんはどういう結果ですか?」
「私はその」
「大吉じゃないですか。良かったですね!恋愛運は……
付け入られて騙されないように注意すべし?」
「木に結んでくるよ」
「いいじゃないですか。金運も健康運もバッチリなんですから。
それともなんですか、私がその付け入ってる悪い奴だと?」
「いや。そんな事は。ほら、おみくじもしたし露店へ行こう!」
「……」

また不愉快そうな顔をする亜美だが、
自分の結果に何気に喜んでいるらしくおみくじをカバンに入れた。
露店ではわたがしとりんご飴を亜矢と正志の分も買って、
ついでに双子にも土産を買い。自分たちの分のわたがしを食べながら帰る。
帰り道は着替えをする為に亜美の家によっていく。
雅臣には疲れるだろうし先に帰ってと言ったら用事があるので丁度いいとついてきた。


「甘いね、初めて食べたよ」
「……ん…もう、せっかくリップ塗ってるのに」
「着替えてしまう前に、ね」
「本当は脱がしたかったんでしょ?」
「今からでもやらせてくれる?着付けは得意だよ」
「変態」

途中休憩しようと立ち寄った公園で、
亜美が持っているわたがしを食べるフリして彼女を抱き寄せキスする。
はじめは驚いた様子でキョロキョロ誰か居ないか確認している亜美だったが
まだ早い時間とあって人気はない。
それで安心したのか抵抗をやめて暫し軽いキスをして感触を確かめ合う。

「洋服に着替えたらそのまま家に戻ってしまうのかな」
「どうしようかな。お屋敷に帰ったらご主人さまにえっちな事されそうなんだもん」
「じゃあ、帰る?」
「いいえ。着替えたらおじさんと戻ります、家はもう大丈夫なので」
「良かった」
「ゴミ屋敷になってたら速攻帰りますけどね?」
「あ。それは大丈夫、慧と恒が何かと世話を焼いてくれたから」

わたがしの棒をゴミ箱に捨てて家へと向かう。
途中までは手を繋いでいたけれど近づいたら離れる。
地区の誰が見ているかわからないから。人の噂というのは侮れない。

「あけましておめでとーーございまーす」
「おめでとーございます」
「正志!待ちなさい!おもちを持ったまま出て行くんじゃないの!」

玄関の呼び鈴を鳴らすと走ってくる元気な足音が2つ。亜矢と正志だ。
それに続いて母親が慌ててやってくる。父親はまだ出てくる様子は無い。

「おじちゃん食べる?えっと、焦げた方やる」
「せめて美味しそうな方薦めなさいよ。あんたって子は。
ほら、土産。おじちゃんにお礼言って」
「ありがとー!」
「うわ!わたがしとりんご飴だぞ亜矢!」
「その前におれいだよ!」
「あ。うん、ありがとうおじちゃん!」

お菓子を受け取ると嬉しそうに去っていく。貰うものだけもらったらさっさと退散。
母親は恥かしそうに何度も謝っていた。

「あの、これを」
「え?」
「お年玉、です」
「……ですが」

何時の間に買ったのか可愛らしいポチ袋。ちゃんと正志と亜矢名前入り。
今まで散々援助してもらったのにまた頂くなんて、
と母はすぐには受け取ろうとしない。

「どれほど入れればいいのか分からず、少ないかもしれませんが」
「もらっとこうよ。ご利益あるかも!」
「私は神さまではないけども…、引っ込めるのも何ですし」
「いいえ、とんでもない。本当に、ありがとうございます。呼んできますね」
「その、お気遣いなく。おじちゃん連呼されると少し恥かしいので」

亜美の一押しもあってやっと受け取ってくれた。何度も御礼をして。

「おじちゃんなんですからいいじゃないですか。ねえ?お母さん」
「こら。では、亜美を着替えさせますので。中でお待ちくださいな。
お口に合いますかわかりませんが御節もありますし」
「お父さんは?」
「お父さん亜美の晴れ着姿見て感動しちゃったみたいで、泣きながらお酒飲んでるわ」
「何で泣くの。……、じゃあ、着替えてきます」
「うん」

亜美と別れて、母親に案内されるままに奥へ。初めて家の中に入る。
お世辞にも綺麗だとか広いだとか言えないけれど、この幸せそうな生活感は
嫌いじゃない。到着したのはテレビとこたつのある少し広い部屋。
たぶん、皆で食事をするリビングだと思う。
色々ゴチャゴチャと置いていて分かりにくいけれど。
そこにテレビを見ていた父親が雅臣を見て驚いた顔。
まさか来るとは思っていなかったらしい。パジャマ姿でヒゲもそっていない状態。

「いや、その、すまん。新年明けましておめでとう」
「おめでとうございます」
「その、何だ。飲む?あ。いや、これは亜矢のジュースだ。
えっと、母さん!ビール!いや、ウィスキー!」
「お構いなく」

まさか弟と2人きりなんて、こんなの聞いてない。嫁は娘の着替えにかかりきりで
おりてこないし。こっちは完璧気を抜いてだらしない格好をしているのに
相手は小奇麗な格好。これは不味いきっと不味い。混乱してテンパる父。
挙動不審な動きをしながらもお茶を出す。お客様用の綺麗な湯のみではなくて
正志のコップに注いでいるのも気付かないで。
こんな必死な兄の手前飲まないわけにはいかないと雅臣はプラスチックで
ヒーローの絵がプリントされた可愛らしいコップに注がれたお茶に口をつける。

「その、……まあ、今年はいい年になるといいな」
「そうですね」
「そ、そうだ。お年玉。お年玉をやろう」
「あの、お気持ちは嬉しいですが私はもう37で今年で38で」
「そ、そうだったね。あはは」
「お兄さん」
「いや、あの、おはいらないよ。おは。その、なんだかむずがゆいな。
こうして向かい合うと……」

お金を返すときとか何か問題が会った時くらいしか向かい合って話なんてしない。
母親が違うとはいえ同じ父親の兄と弟。
親が外で生ませた子。それが自分を兄さんと呼び目の前に居る。
借金をしていてその形という形で自分の大事な娘と暮らしている。
何というか、奇縁とはこういうものだろうか。
いい歳をしている2人でも気まずくなって話題はなくなり、無言でテレビを見つめる。

「……、紅白、みました?」
「あ、ああ。今年は紅が勝つと思ったんだがなぁ」
「私もそう思いました。白でしたね、大差で」
「だろう?あのなんたらかんたらとかいう女3人の歌手、あれが駄目だったな」
「最近の曲は速いだけで中身がよくわかりませんからね」
「そうなんだよ。あんなの何処がいいんだか、耳障りなだけだろうに」
「若者にはそれがいいんでしょうね」
「ついていけんよ」

亜美が着替えを済ませ1階に下りていくと何やら楽しそうに会話する声。
こっそり顔を覗かせると父と雅臣がテレビを見ながら話をしている。
あんまり仲のいいイメージは無かったのに。
意外にも父は笑顔で話しかけ、雅臣もそれに応えている様だ。
こんな事ってあるんだな、と感心してしまった。
出来ればずっとこんな風に仲良く笑いあえる関係で居て欲しい。心からそう願う。

「やっぱり兄弟ねえ。笑った顔がそっくり」
「そう?」
「目元と口元なんか同じじゃない。まあ、雅臣さんの方がいい男だけど」
「それお父さんが聞いたら泣いちゃうよ」
「だから、内緒よ?」

そこに母親もおりてきてクスりと笑う。


「用事ってお年玉だったんですね」
「1度あげてみたかったんだ」
「まぁた金持ちの嫌味ですか」
「そうじゃないよ、叔父さんの仕事をしてみたかったんだ」
「おじちゃんって呼ばれるの嫌なくせに」

父と母に別れを告げて家を出るとまた早朝と同じように屋敷に向かって歩き出す。
家からだいぶ離れてから周囲を確認して再び雅臣の腕に絡んだ。

「繋がりを感じてみたかったのかもしれない」
「つながり?」
「ほら。私は家族とか人との繋がりが偏っているから。普通というものがない。
興味はないと思っていたけど、こうして亜美を愛しく思っている訳だし。
君と出会って私も少しは変わったのかな」
「そういう事は思うだけにしてください」
「実行するのは?」
「……、昼からなら…許可します」

屋敷に戻るとテレビを見ながらゴロゴロしていた慧と恒に土産を渡し
亜美は久しぶりに自分の部屋へ戻る。立派な勉強机にデカ過ぎなクローゼットに
誰も割り込んでこないベッド。変わりなく何より。
洗濯物や軽い掃除は既に慧たちが済ませているとの事なので昼の準備をする
くらいしかやる事がない。楽なんだけどちょっとソワソワ。
ジッとしていられなくてすぐに部屋から出るとちょうど上がってきた雅臣と出くわす。

「はい。亜美にもお年玉」
「ありがとうございます。これで暫く凌げ」
「ん?何?」
「……あの、私の目が確かならばこのポチ袋の中身千円なんですけど」
「うん。ほら、平等に。お姉さんだけ増やすのも」
「何それ!正志なんて1万と千円の違いもわかんないですよ!千円て。千円て!」
「お金が欲しくなれば私の所へ来るといいよ、ね。家政婦さん」
「嫌だぁー!何が絆だよ!この体目当てのエロおやじー!」

と、文句をいいつつちゃっかりお年玉は貰う。年末は色々と出費が多くて
お小遣いがピンチだった。自分よりもピンチであろう親には頼れず、
正直叔父さんからもらえるであろうお年玉は結構期待していたのに。
それを読んでいて千円にしたのなら相当な策士だ。このご主人さまは。

「昼だけど、どうしようか」
「もちろん!私が久々に手料理を振る舞」
「君も忙しいだろう。寿司でも取ろう」
「……」

こうして、再び借金の形としての忙しい生活が始まった。


つづく


2008/10/06 : 加筆修正