椿心中


ある日のお茶会の話し -導入編-





 興奮が冷めたあとに残った下腹部や関節の痛みも引いてやっと落ち着いた心と身体。
結婚するのと処女を失うという事がイコールなのは分かっていたのに今更呆実感している。
 妻としての知識も感情もすべてが後回し。目の前の事だけみて付いていくのでやっとだ。

 あの人は噂ほど悪くない。少なくとも兄弟を殺すほどでは。
 それに自分だって、人からどう思われているかなんて顧みてもないのだから。




「見ない顔と思えばあれが噂の久我家の嫁か」
「若い以外になんの情報もないからてっきり醜女かと思ったが可愛いじゃないか」
「何せあの美鶴姫の妹だからな。それでも美貌が噂に上がらないのは何かあるのかもしれないが」
「大人しそうに見えて実は性格がアレとか?」
「ニヤニヤしながら言うなよ。それってどっちの意味だ?」
「何か無いと結婚を急ぐ歳ではないってことさ。今の御時世晩婚はおかしいことじゃない」
「本人に聞いてみるか?」
「おいおい。人妻に積極的だな」
「冗談だよ」
「お前こそニヤニヤしてるじゃないか。変な趣味を持ってるんじゃいだろうな?」

 とある由緒あるお屋敷にて小規模のお茶会が開かれた。お茶が趣味の主は客とお喋りに夢中。
他の客たちも何時ものメンバー故にそれぞが顔見知り。開始までの時間を優雅に広い庭で過ごしていた。
そこに和服の女性が現れる。
 他の客は皆若くても五十代近いけれど、明らかに二十代。もしくは十代かもしれない。

 まだ伸び切らない中途半端な長さの艷やかな黒髪をゆるく纏め花の飾りで整えて。
化粧は場を考えてか控えめ。若いのに表情が乏しいせいか、まるで着物と飾りを目立たせるマネキンのようだけど
 それが返ってお人形さんのような惹き込む魅力を引き立たせ注目をあびる。主に男性たちからの。

「律佳さんでよかったかな。久我先生はご一緒では」
「はい。この度は呼んで頂いたのに申し訳ございません。久我は少々遅れます」
「ああ、いいんだよ。先生はお忙しいのは知ってる。それくらいいいさ。貴方も自由に見ていってくれ。
置いてある食べ物や飲み物は好きにしていいからね」
「ありがとうございます」

 高級そうな手土産の包みを主催者の隣りにいた奥さんに渡して深く一礼して彼女は移動する。
一人で慣れない様子なのは誰が見ても明らか。だから居心地もあまり良くなさそうで人が多い庭ではなく
休憩用に開放されている家主の屋敷へ入った。
 家政婦に声をかけて案内された居間で一人用のソファに座って。深い溜息。

「慣れない場所で大変ですよね」
「え」
「ああ、驚かれましたか。すみませんね。私、貴方に何度かパーティでお会いしてるんですが。
名刺も渡したと思うんですけどもね。棚橋、といいます」
「そうでしたか。申し訳ありません。色々とあって。今も忙しいもので……過去のことはよく覚えていなくて」
「そうみたいですね」

 彼女とは反対側の二人がけソファに座るスーツの男。ニコニコと愛想のいい笑顔。
だが相手の反応は薄い。そんな中で家政婦さんがお茶を用意してくれたのでいただく。
お茶会前だというのにご丁寧にお茶請けのケーキまで出してくれた。けれど彼女は手を出さない。
 やたらカップを手にするのは喉が乾いているからと言うより男の相手をしたくないからと思える。

「まあまあ。そう警戒しないで。昔美鶴さんにも同じように距離を取られたなぁ」
「……、私に何か?」

 この手の場に不慣れなのか取り繕うことが出来ず素直に「変な男に絡まれた」という顔をする律佳。
 だが相手は顔色ひとつ変えずに返す。

「私は貴方がパーティに顔を出し始めた頃…、中学生くらいかな?その頃から知っている。
心配しているんですよ。その、色々と大変だった事は知ってますよ。それも含めてね」
「……」
「見た感じ貴方はお姉さんと違って相手に強く言えなさそうだ。結婚も貴方の家のためでしょうしね。
あんな資金繰りでは事件がなくても何れは……。
すみません、うちの一族は銀行関係で。金の流れはすぐに分かるんですよ」
「そんな個人のことまですぐに分かるものじゃないでしょう?調べたんですか」
「まあ、そうですけど。そこはね」
「何が心配なんです?はっきりおっしゃってください」

 興味ゼロという顔を貫いていた律佳だがとうとう相手を正面からみて問いかけた。
年齢は自分よりも当然上。綺斗よりも上かはわからないが似たようなものか。
 神経質そうで強面な印象を受けるが声は柔らかく穏やか。

「貴方に暴力をふるったりしていませんか。手を出すという意味だけでなく言葉もある」
「ありません」
「……そうですか。なら、いいんですけどね」
「何がいいんです?貴方は」
「あまり名前を出すのは良くないと黙っていたんですが。私は愁一の古い知り合いです。
彼の才能を見出して留学させたりプロになってからもずっと陰ながら応援してきた」
「……」
「もちろん貴方の話は聞いていた。貴方との計画も、毎回嬉しそうにね……、何がどうなっているのか」
「……、私は問題ないんですから。どうぞ心配しないでください」

 そう言って律佳はギュッと手を握り視線をそらす。あまり触れたくない話題なのは当然だ。
 彼女はもう愁一という男と交際していない。しようもない。出来ない。人妻。

「しでかしたことを思えば声をかけない事で居るほうが良いと思ったんですが。どうにも確認したくて」
「そんな不幸に見えますか?私は何も不満はないです」

 振り絞るような声で問いかける律佳に棚橋は苦笑して、すぐ真面目な顔に戻る。

「貴方の中ではそうかもしれない。でも第三者からすれば貴方は不幸な女性としか思えない。
私が来るまでそこでじっと貴方を見ていた男も。他にも何名か……。
言葉は悪いが、あわよくば弱っている貴方を手篭めにしようと算段していたくらいだ」
「……」
「だから確認したかった」
「私が不幸そうに見えるのは元からです。姉の後ろに居ることが大事だったので、目立たないようにしていたので」
「それは見てましたから。でも今は余計に陰りが見える。彼との生活のせいじゃないかと」
「違います。さっきも言いましたが色々忙しくて。結婚するとそれに適応するのは違うんです」

 時間もかかる。幸せを感じるようになるかは保証はないけれど。

「……愁一が居たら」
「もう止めてください。私は何も不幸じゃない」
「律佳さん」

 彼女の手にはケーキのフォーク。それをしげしげと見つめ。喉元に当てた。
あ!っとした顔する棚橋。
 ナイフとちがって即怪我にはならないが強く突けば十分重症の怪我となる。

「愛情に溢れていない甘くも優しくもない、不幸でも生きることを選んだんです。綺斗様と共に」
「……」
「あの人に私の命を握ってもらう事でこれからも生きていける。そう約束してくれたから。
綺斗様は嘘をつかない。あの人は必ず守る。
壊れていると思いますか。でも、それでも生きると決めたの。誰の指図も受けない」

 この場所に一人で来て初めて二コリと満足そうに微笑んだ。
 それは美鶴を思わせる美貌を感じるのにソレ以上にゾクリと背筋を凍らせる。

「それが君の選んだ道、なのか」
「初めて自分で自分の行動を決めたんですよ?……フフ」

 律佳の言葉に返しが見つからず黙る。誰でもそうだろう。
非難したり逃げたり色々と考えられるのにそれをしないだけ冷静なのか。
あるいは本当に言葉が見つかっていないだけか。
 律佳は喉元のフォークをアテたままぼんやりとしてたまに少しだけ微笑む。

「人前で気持ち悪い事をするな」
「綺斗様」

 どうしようもない空気の中。スパッと切り込む声と声の主。

「すみませんね。こいつは緊張すると偶に妙な事をしでかす」
「いえ。貴方が久我さんですか」
「久我綺斗と申します。すみませんが回収しても?」
「ああ、ええ。どうぞ。私は席を外しますから」
「お気になさらず。……いくぞ」
「はい」

 ふわふわしていた律佳だが綺斗が来るとしゃきっとして立ち上がり棚橋に軽く会釈して去る。
久我綺斗は噂とちがい話し方も立ち振舞も上品。年齢差を除けば夫婦としてそれほどの違和感はない。
 何が起こったのかうまく表現はできないけれど、彼女の言葉に嘘はなさそうだ。と思った。

「お前を茶会に放つと良いことがない」
「一人だと退屈です。あ。ケーキ」
「茶会でケーキは無い」
「あったじゃないですか」
「黙れ」
「……、……遅れるほうが悪いです」
「あ?」

 やっと夫婦揃う。

 だけど。

 これで終わりではなく、茶会はこれから。


-end -

2021-02-05


HPではここまで。

続きは「弐」のDL版(綺斗視点)/本版(律佳視点)