悩む


夕食を終えて皿を洗っている百香里のもとへモジモジしながら近づいてくる司。
こういう場合何か欲しいものがあるかしたい事があるか、とにかくオネダリのポーズ。

「…ユズならイイって言ってくれる」
「残念でした。ママは渉さんじゃありません」
「ママぁ」
「甘えても駄目」
「ぷーーー」
「ぷーも駄目」
「いいもん。パパにお願いするもん!」

これ以上は無駄と悟り頬を思いっきり膨らませて走っていく娘。
長い廊下からは「パパ!パパ!」と彼女の大きな声。
それをチラっと見つつ作業に戻る。その顔はちょっと笑っていた。

「百香里奥様」
「は、はいっ」

行き成り背後から気配もなく呼ばれたから驚いた。振り返ると既に帰ったはずの家政婦長さん。
彼女にかわる人が居ないのかいまだに現役。彼女も同じように年月を経ているはずなのに
老いた雰囲気を感じさせないのはやはりその機械的な無表情さからか。やはり苦手だ。

「もう奥様には何も申すまいと思っておりましたがどうしても聞いていただきたい事があります」
「なんでしょうか」
「総吾様の事でございます」
「総吾が何か」
「此方に資料がございます。これをお読みください」
「し、資料?」

何かやらかしたかと思ったがそうではないようで。
分厚い封筒に入った資料が机の上にそっと置かれる。

「名実ともに優秀な進学校のリストです。中には総司様も通われた学校も入っております」
「…え。で、でもまだ」
「お早いとお思いかもしれませんが、既に戦いは始まっております。遅いくらいです。
総吾様は松前家にとって唯一の特別な存在。口出しは無用と思っていましたが、
司様の自由奔放なお姿を見ていると……、どうかそれだけは忘れないでくださいませ」
「待ってください。司だって私たちの特別な存在です、そんな言い方」
「どうなさるかは奥様と総司様にお委ね致します。お読み頂いた後、どうか此方を総司様にお渡しくださいませ」
「……はい」
「それでは失礼致します」

深々と頭をさげると彼女は去っていった。百香里はそっと机の上の分厚い封筒を覗いてみる。
どれも格式がありそうな名前ばかり。中にはテレビなんかでも紹介されるような有名校まで。
学校は特に何も考えずきたけれど。家政婦たちも何も言わなかった。でもそれは司だったからで
松前家の後継者となるであろう総吾となると話は別なのかもしれない。

「ママ」
「総ちゃん」

資料を見つめたまま固まっていると傍に総吾が居た。

「また何か言われたの」
「総吾はパパのお仕事に興味ある?」
「あるよ」
「そうなの」
「僕は将来パパの後継者として会社を引き継ぐんだ」
「え。そ、そこまではっきりしてるの?」
「うん。あ。ママは司のほうがいい?」
「そんな事考えてないよ。ただね、男の子だからって無理してない?社長さんってとっても大変なのよ?」
「ふふ。そう簡単に出来たらこの世は社長だらけだよね」
「…そ、そう」

あっさりと返事をされてどうリアクションをしたらいいのか分からない。
そういえば今まで息子と将来について語ることは無かった気がする。
司とは将来というか彼女の夢をいっぱい聞かされていたけれど。

「確かに僕が長男の息子だからっていうのもあるけど、それより面白そうじゃない?」
「面白そう?」
「うん。会社経営なんてそう出来る体験じゃないよ。僕の代でさらに強く大きくしたいしね」
「そっか。総ちゃんそんなちゃんと考えてたのね。ごめんねママ気づかなくて」

もしかして小学校ももっと有名なエリート学校が良かったのだろうか。
お受験とかさせたほうがよかったのだろうか。何も言わないからつい。
でも察してあげるのは親、だろうか。ああ、やっぱりまだ未熟だ。

「ママが僕の事をそんなにも心配してくれるなんて思わなかった」
「当たり前じゃない」
「……ありがとうママ」
「こっちいらっしゃい。抱っこさせて」
「いいよ。そんな歳じゃないよ」
「いいから。ほら。総吾」

総吾の珍しくちょっとはにかんだ笑みが可愛くて。抱き寄せて抱っこする。
ずっしり重たいけれどたまに司に甘えられて抱っこしたりするから慣れている。
司と比べてずっと大人しく自分でテキパキ決めていく総吾。だからつい此方も親として
怠慢したかも。今回彼の言葉をちゃんと聞けてよかったと同時に反省もした。

「……大丈夫だよママ。この家は僕がまもるよ」
「ん?なあに総ちゃん」
「なんでもない。そろそろおろしてほしい」

息子をおろすと彼はさっさと部屋へ戻って行った。
百香里も片づけを終えて夫と恐らく娘も居るであろうリビングへ。
総司に相談しないといけないから資料もちゃんと持って。

「だからパパいいよね。ね?ね?」
「せやけどママがあかん言うたんやろ?やったら…なあ」
「だからそこはパパが説得するの」
「お父ちゃんがママに勝てるわけないやん」
「諦めたらそこで終わりなの。頑張ってパパ。応援してる。後ろの方で!」
「後ろかい」

そっとドアを開けるとやはり粘っている司に困っている総司。

「ちゃんと宿題終わったらいいわ」
「ママ!」
「そして。出来たらママに見せる事」
「わかった。やる!」

百香里が入り許可すると嬉しそうに部屋へと戻っていく。
ちゃんと宿題をしてくれるといいのだが。あの浮かれ加減だと怪しいものだ。
百香里は呆れつつも総司の隣に座る。そして資料とその説明を彼にした。

「へえ。またえらいぎょうさん持って来たなあ。坊の好きにさしたらええんとちゃう」
「総ちゃんはやる気いっぱいみたいで。もしかしたらお受験とか考えてるかもしれなくて」
「何とかなるって。今でも真守ん所いって勉強してるんやし」

真剣に話す百香里に対して総司はそこまで真剣には受け取らず
資料を簡単に眺めてすぐに戻した。そこまでの興味は無さそう。

「でも!お受験ってなったら両親も見られるんですよね?ドラマで見ました。
総司さんはいいですけど。私高卒だし。ちゃんと会社に勤めたわけでもないし。
資格も無いし。ど、ど、ど、どうしましょう!私のせいで総吾が!どうしよう!」

何も誇る場所なんか無い。嘘をついてもきっとボロは出る。

「そんなんで落とすような学校はこっちから願い下げや。坊も分かってる」
「でも」
「百香里」
「はい。あ、あの。私だけ、慌てちゃったんですね。馬鹿みたいですね…」
「今までちゃんと考えてこんかったからな。ユカリちゃんに任せっぱなしのとこもあったし。
よっしゃ。坊と3人でちゃんと話ししよやないか。そんで決めたらええやん。お受験でもなんでも」
「……はい」
「ヨシヨシ。ええ子ええ子」

お受験のキーワードに固まる百香里を抱きしめて頭を撫でる総司。
最初は子ども扱いしないでと言おうかと思ったが案外落ち着くもので。
暫くはそのまま総司に抱きしめられて落ち着く。

「…総吾はこの家しか知らないから。だからあんなに一生懸命なのかな」
「ん?」
「司はマンションで育って真守さんや渉さんに甘やかされて育ちました。でも総吾は違う。
2人が居ないこの家で私と家政婦さんたちの話を聞いてたろうし」

総司には言わないけれど、冷戦でこっそり落ち込んだりした後姿も見られていたかもしれない。
司が幼い頃はそんなものは無かった。明るい笑顔と優しい叔父さんたちと甘やかすパパ。
だから息子はあんな風に遠慮がちに言ってきたのかもしれない。

「そこも話し合ったらえんとちゃう。ここでヤキモキしてもしゃあないやん」
「そう、ですね。……あ。もう。…総司さんのえっち。真面目な話をしてるんですよ?」
「真面目に話し合おう言うてるやん」
「じゃあどうしてこの手は胸にあるの?」
「ユカリちゃんが落ち着くように。何時もの愛情表現やろ」
「もう。調子いい。……、総司さん」
「なに」
「ちゃんとみんなで話をしましょうね」
「せやね」
「あん。もう。…まだ早いですってば」
「ちょっと撫でただけやで」

でもダメですと言ってそのえっちな手を軽くパチンと叩く。
ちゃんと話をしてからでないとやっぱりそういう気持ちにもなれないし。
流されるわけには行かない。母親として。ここはしっかりしなければ。

「だ、だから総司さんダメですってば」
「ダメって言われたら男は余計やりたいもんやん」
「……じゃあ、本気で怒ってもいいですか」
「あ。スイマセン」

百香里の冷え切ったスマイルにやっとちょっかいをやめた総司。
それらしく咳払いなんかして席をたつと総吾を呼んでくると席を立つ。
暫くして部屋に入ってきた総吾は呼ばれた理由を今イチ分からない様子。

「なに?どうしたの?」
「ここに有名所の学校の資料があるんやけどな。まずはお前の気持ちを知りたい。学校とか決めてんのか」
「うん。司と一緒」
「じゃあお受験はしないの?」
「まだしない」
「そう…なの」

それってもしかして母親が試験に引っかかりそうだから?とは言えずモゴモゴ。
それとなく視線を送って総司に助けを求める。

「お前は何でも自分で決めてくからついお父ちゃんもまかせっきりなってたけど。
悔いの無いように選んだらええよ。お前の人生や。他は何も心配せんでええからな」
「真守叔父さんに相談したんだけど。今はまだ気にする事ないって言ってたから」
「なんや真守には相談するんかい…寂しいなあ。お父ちゃんおるのに」
「実践的な経営についてはパパをよく見て学んでおけって」
「お、おお。見たって見たって」
「総司さん声が震えてますよ」
「き、気のせいやで」

今の所司と同じルートで進み中学や高校は流石に選んで受験するということで。
彼は淡々とあっさりと自分の人生の予定図を両親に報告した。
真守と相談しながら自分でも計算しながら松前家の長男としての道を作る。
それはとても立派な事だと思うけれど。百香里はやはり心配で仕方ない。


「ママ宿題できた!」
「司。こっちいらっしゃい」
「え。つ、司ちゃんと自分でしたもん!ユズに電話してないよ!マモにも聞いてないもん!」
「何慌ててるの。違います」

総吾が風呂へ向かったのを確認してから子ども部屋へ向かうと
司がちょうど宿題を見せに来る所で鉢合わせ。

「な、…なーに?」

何か疚しい事でもあるのだろうか。やたら不安そうに此方に近づいてくる司。

「総吾は司といっぱいお話しする?」
「するよ?仲いいもん。総ちゃん大好き!」
「そう。なら、いいんだけど」
「僕も司好きだよ」
「あ。総ちゃん」
「総吾」

振り返ると総吾。お風呂に行ったと思ったらビックリした。

「ママ心配しないで。本当に大丈夫だから。無理してないよ」
「何かあったらママじゃなくても相談してね」
「分かってる」
「ねえねえどうしたの?総ちゃんどっか悪いの?」
「ママは心配性なだけなんだよ。僕は何処も悪くない」
「そっか。よかった!総ちゃん元気ないと司もやだ」
「ありがとう。嬉しいな。ママも心配してくれて嬉しい。幸せだよ」

ニコニコ笑う司。釣られるように少し微笑む総吾。
百香里は自分の考えすぎだったかと軽いため息をして2人の子どもを抱きしめた。
忘れ物を取りに来た総吾はそれからまた風呂へ向かい司は母の了承を得て上機嫌。
百香里はそのまま廊下を抜けて総司が1人寂しく待っているであろう寝室へと向かう。

「そんな真面目に考えんでも大丈夫やったやろ」
「もう。こういう時は普通総司さんが話をしてくれるんじゃないですか?テンパったのは私ですが…」
「そういうの苦手なんよ」
「私だって。…もう。いい。私も1つ学べたし。いいんです」
「そうそう。学ぶ事は大事やで。俺も学んだし」
「ほんと調子がいい」
「怒ってるん?」
「怒ってないですよ。でも…あん。もう。…えっち」
「今からは俺との時間」
「……はい」

おわり


2013/03/30