彼と彼ら
「総司さん。司が言うことを聞かないんです」
とある夕食後の夫婦の時間。百香里は怒っているようではないけれど困った顔で言ってきた。
彼女が元気いっぱいの司に疲れてイライラしてしまうことはたまにある。
それを聞いて優しく慰めたりご機嫌をとったりする総司だが基本そこまで重くはとっていない。
「司はユカリちゃんに似て思ったら一直線やもんなあ」
子どもとは元気いっぱいなもの。司はちょっとやんちゃもするけれど
家族が大好きで皆が嫌がることや悲しませることはしない子だ。
「笑い事じゃありません。ここは総司さんがビシっと言ってください」
「可愛いお年頃やん。ちょっとくらいわがまま言うたくらいでそんな」
「そこです!そこ!パパがそんな甘い顔をするからあの子は私の言うことも聞かなくなるんです。
口うるさく言うつもりはないですけど、それでもやっぱり最低限親の言うことは聞いてもらわないと」
「司はええ子やし」
「総司さん」
「はいっ」
「私の言うこと聞いてくれないなら私も貴方の言うこと聞かない」
「えぇええ……そんなぁ」
「それくらい私は真剣に考えているんですからね!」
夫婦間で認識にずれがあるようで。今夜は奥さんに怖い顔でビシっと言われた。
誘える空気でもなくもんもんとしたまま一夜明ける。
朝食を仲良く家族で食べて、司は渉が送っていくと言ったので任せて。
何処でどう娘と話をしたらいいのかわからない。
思えば前妻との娘とも父親として注意をしたり喧嘩したりすることはなかった。
此方の場合は仕事が忙しくて夫婦仲も徐々に距離ができていたというのもあるが。
そもそも互いをさらけ出しての対話というのが苦手かもしれない。
「兄さん。昨日、義姉さんと何か真剣な話をしていたようですが」
「うん……、司のことでな」
社長室に入り椅子に腰掛けるがあまり気が乗らない。いつもそうだけど。
今日は特別に気が重い。それを秘書が察したのかどうか、専務が顔を出す。
彼も何かしら思うところがあるようで働け!とすぐに怒鳴ったりはしなかった。
「やっぱり。義姉さんはこの前司に言い聞かせようとして失敗してましたから」
「言い聞かせる?」
「司は何にでも興味が尽きない子どもです。それで考えもなしに行動する事もある。
そのたびに義姉さんや僕たちが探して注意をするんですが、なかなか難しくて」
「あーーーー。そういえばそんな話を」
「適当に聞き流してたでしょう」
「反省します」
「義姉さんだって叱りつけたくはないのでしょうがどうしても厳しい口調になってしまって。
悩んでいるようでした。だから、兄さんもきちんと真面目に取り組んで欲しい」
「せやけど。司のあの可愛い顔を見ると……」
「それはわかります。でも、義姉さんは松前家のことも考えてくれている」
「わかってる。……今日のお迎えは俺が行く。そんで、話す」
「言っておきますが司を泣かせたら渉が殴りかかります。僕は止めません」
「いや、俺のが泣きそうや」
「その薄っぺらいメンタルどうにかしてください」
弟に呆れられながらも仕事に復帰して時間はすぎていく。
こういう時に限ってあっと言う間に終わっていくから憂鬱だ。
真守が手を回したのかいつもの秘書からの苦言も残業もなかった。
憂鬱と緊張と、父親の義務を胸に司のお迎えへ。
「パパ?」
「……可愛いなあ」
「なにが?早くかえろ。おなかすいた。ママに会いたい。ゆずもまもも!」
「帰ろ」
ニッコリと笑って手をふる娘にどんな会話が出来るんだろうか。
司を抱っこして車に乗せる。父親らしく、威厳をもって。
記憶にある父親のイメージはとても真似したいとは思えない代物だ。
1人で勝手な行動をしてはいけません。ママの言うことを聞きなさい。
怒った顔で言ったら怖がらせるけれど笑っていうのも不気味だ。
声の感じはどうしたらいい?あやすような感じ?
「ママおこってるかな」
「なんで?」
どう切り出そうか迷っているところに司から声をかけてきた。
「お買い物のときにね、かわいいワンワンがいたから。走っておいかけたらころんでね、
おみせのしょうひんを落としちゃった」
「悪いことしたって思うんやろ?もう走ったりせんってママと約束したんやし」
「うん。でね。おこってないよってママいってたけど。かなしそうな顔してたからね。
おこってるのかなって。……パパもおこってる?」
「パパもママも心配しとるんやよ。怒るのとは違う。司が元気でおってくれたらそれで
ええんやけど、元気もあり余りすぎると怪我するでな、心配で心配で。もう泣くほどやで?」
「そっか。パパもママもたいへんですね」
「わかってくれる?さすが司や」
父親らしい話ができたのかは不明だが娘とのちゃんとした会話はできたと思う。
司はちゃんとわかってくれている。百香里も納得するだろう。
気が軽くなって空腹が押し寄せて司を抱っこして足早に帰宅。
まずは手洗いとお着替えをしてリビングへ。
司は一直線にママのもとへ向かった。
「てめえ」
総司も報告しようとしたら低い声で呼び止められた。
「な、なに」
「司に文句あんの?いい度胸じゃん」
「え。いや。そんなつもりは」
真守から事情を聞いているであろう渉だ。
ちなみに真守はこの場には居ない。会社は一緒に出ているから、
寄り道をしているのかあるいはまだ自分の部屋にいるのか。
彼はどういう説明をしたのだろう。凄く怖い顔で睨んでいるけれど。
「ユカりんが何をどう言おうと文句言われる覚えないから。
司は俺がちゃんと教育してるから。文句あるなら俺に言って」
「お前」
「俺に言え」
「ハイ」
ご立腹だったのは百香里だけじゃなかったようで。
これは近いうちに「渉さんに話をして」と百香里に言われそうだ。
まるで嫁と姑の戦いかのような雰囲気すらある。
普段は全く険悪な2人ではないけれど司のことになると違うらしい。
家族揃って夕飯を頂いて。片付けは百香里と総司で話をしながら行い。
どうにか彼女も落ち着いたようで微笑んでくれた。
空気を壊したくなくて渉のことは黙っておいた。
その後。
「総司さん。……渉さんをどうにか説得してくれませんか」
「きたっ。いや、まって。言い方が悪いだけであいつなりに司のことを考えてやね」
「それはわかってるんです。でも司を園児向けの英会話教室へ通わせたいって言い出して。
そのほうが将来的にあの子のためだし海外旅行もスムーズに行けるとか言われて……」
「そ、そうなん」
「学費は渉さんが出すと言って……、でも、そんなの申し訳ないし。その前にあの子が英語ペラペラに
なっちゃったら私どうしたら良いのかわからないし。高卒なんですよ?それも結構ギリギリで」
「落ち着いて。大丈夫。渉には俺から話をするでな。英会話教材とかで勘弁してもらうようにする」
「それなら私も一緒にできますね」
「せやね」
ほっと胸をなでおろしお茶を淹れてきますといって台所へ去っていく百香里。
てっきり戦争でも勃発したかと焦ったけれどそうではないようで一安心。
渉は暴走するし我儘な末っ子だが百香里のことは尊重している。と思う。
「なんとかお話がまとまったようで」
「新しい火種ができただけかもしれん。真守、俺はどうしたらええんやろ」
「僕に聞かれても困ります、としか」
「そもそも父親は俺なんやけど立場がないにも程がある」
「母親が強すぎましたね」
「ウチ側の小姑さんもな」
「そこは相手を強く言い負かせないご自分の責任かと」
「せやね。……一番アカンところは未だに弱いままや」
「そこを隠すなり誰かに助力を頼むなりしてください。できるだけ補填しますから。
同じ過ちをしないように」
「ハイ」
「因みにもし同じミスをしようものなら貴方には出ていってもらって義姉さんの社会復帰のバックアップと
司にはこれまでと変わらない養育に全力を注ぐということで渉とは合意しています」
「…あ。……ハイ」
「父親というものは大変ですね」
「にっこり笑って言うん?意地悪やー」
おわり