とある日


「ママは一緒に行けないけど、ちゃんとパパの言うことを聞いて離れないでね」
「はい」
「あと。無理に元を取ろうとしないでいいから。無理をして病院に罹るほうがよっぽど損」
「はらはちぶんめ!」
「そうよ。目一杯楽しんできてね」

知り合いがくれた、といって旦那さまが持ってきたのはホテルのビュッフェ招待状。
一流の美味しいディナー食べ放題なんて夢のような世界。それもタダ。
行かない手はない、けどもあいにく指定された日にちは予定があった。

「ママ。いいよ、僕ひとりで」
「一人で塾のベントなんて寂しい事させられません。本当はパパも一緒が良いんだけど、
そうなると司が可哀想で。ごめんね総吾」
「ううん。ありがとうママ」

総吾の通っている塾のイベント。親と先生、そして塾生たちの交流が目的。あと、寄付なんかも
さりげなく話が出るそうなので。そこまで豪華なものではなく、簡単な食事会らしい。
ただ、塾生は裕福な家庭の子供たちばかりだから。百香里が想像するような家庭的だとか、
質素なものでなくてきちんとしたものになるのだろう。

ということで。

「服装もオッケーだし。携帯も持ったし……後なにか忘れてないかな、大丈夫かな」
「もう何度目のチェック?ママは大丈夫だよ。落ち着いて、もうタクシーが来るよ」
「正直に言うと、ママはパパがそばに居ないと不安で。ほら、分かるでしょ?
だから、総ちゃん。ママがなにか変なことを」
「ママは大丈夫。問題ない。僕がちゃんとついてるから何も、心配は要らない」

お食事のきちんとしたマナーとか、小難しい時事情勢とか、後は子どもの将来とか。
そういう、普段百香里が興味なくて聞き逃すような話題を振りまかないといけない。あるいは
頷いて、それに返事をしないといけない。ママである手前強がって見せたけれど、
そのプレッシャーを和らげてくれる総司さんが居ないのは不安。

「……、そうね。そう。大丈夫。私は大丈夫」
「車が来たみたいだよ。行こう」

余裕の表情で笑う息子に連れられて家を出る。今夜の松前家の夕食は家族それぞれ別行動。
ずっと一緒の家族だったけれど、最近別行動も増えてきた。

「パパ。ママと総ちゃん心配だよね。ユズと行くのもありだよパパ」

少し遅れて出発する父と娘。ママとそっくりな困り顔でパパを見上げる。

「二人共そんな長居はせえへんし、たまにはお父ちゃんとデートしよ」
「司も同じ塾行けば」
「車まで抱っこして行こか」
「うん。……だっこ」

司も喜んではいるものの、やはり皆一緒じゃないのは申し訳ないと思っている。
自分も弟と同じように一生懸命勉強をする必要があるのでは、とか。
そんな娘を抱っこして駐車場へ向かうと彼女の好きな音楽を流してホテルへ。
百香里からSOSの電話なりメールなりが来る可能性もあるので、
総司は携帯を離さないように注意する。といっても、しっかりした息子が居れば
そこまで酷いことにはならないと思うけれど。

「そうや。次はママと坊と4人でお泊りしよか。何処がええかな」
「ママね、最近肩がいたいわーって言ってたから。ママが元気になる場所がいい」
「そうなんか。ほな、温泉とかええかな」
「うん!みんな一緒がいい!」

無邪気に笑う司に、苦笑する総司。やはり彼女も感じていたらしい。
それぞれが別に行動する事が多くなったと。成長して大きくなればなるほど、
その頻度は高まっていくけれど。
ホテルの駐車場に車をとめて、会場である最上階のレストランへ。
百香里は今でも戸惑うけれど、司はもう慣れっこなので豪華なホテルをみても
取り乱したりキョロキョロすることもない。とても楽しそう。

「司と同じくらいの子もおるで」
「あっちはママも一緒だ」
「お母ちゃんに電話するか?」
「ううん。まだしない。ママだって忙しいもん」
「そうか。ほな、食べよ。お子様用は向こうやね」
「いっぱいある。ケーキもいっぱい!アイスもいっぱい」
「写真撮って後で見せよか」
「うん」

席に案内されて、まずは司の食事を選んで。から、総司も自分の分をとる。
沢山の種類が美味しそうに並べられているけれど普段からそこまで食べない総司。
百香里がいたら少しは元を取ろうと必死になりそうだけど、彼女は居ない。

「またようけ肉持ってきたなぁ」
「うん!パパはお肉食べないの?美味しいよ?」
「そうなんやけど、脂身がどうも」
「ママ居ないから寂しいよね。総ちゃんも、いないもんね」
「司が一緒やで何も寂しないよ。よっしゃ。ほな、ステーキいったろ」
「ごーごー!」

ふと寂しい気持ちになったけれど、娘の前でそれは出してはいけない。
時折携帯をチェックしながら、娘とのデートを楽しんだ。

「お腹パンパンやな」
「うぅー食べ過ぎた。チョコケーキ3個食べちゃった…」
「1個が小さいでな。けど。ほんまによう食べたわ。お父ちゃんも食べた」
「ママたちもう帰ってるかな」
「メールにあと30分くらいってあったから、お父ちゃんらと同じくらいかもしれん」
「そっか。いっぱい写真とったから見てほしいな」
「そうやね」

そんな会話をして、自分たちのパンパンになったお腹をさすりながら帰宅。
電気はついていなかったので、また帰ってきていないらしい。司と一緒に着替えをして、
お風呂に入る準備だけして二人を待つ。なんとなく、ソワソワして何度と無く時計を見た。

「ただいま」
「おかえり総ちゃん。ママ」

それから10分ほど経過して、ようやくママたちが帰宅。
嬉しそうに司は出迎えに行った。

「ただいま司。ご飯美味しかった?」
「うん!写真いっぱい撮ったからみて!」
「まずはお風呂先に入ってからね。ママとはいる?」
「はいる!総ちゃん」
「僕は遠慮しておく。やることがあるから」

司はママに抱きついて、そのまま一緒にパパの元へ。
総吾も一緒についてきて、すぐ自分の部屋へ移動した。
ママのお風呂の準備をするといって司は百香里たちの部屋へ。

「お帰りユカリちゃん。うまくいったみたいやね」

その間にソファに座っていた総司のとなり座って身を寄せる。

「総ちゃんがうまくやってくれたから。私はただ、隣でニコニコしてただけ」
「ユカリちゃんの笑顔は最高や」
「総司さんはどうだった?司はいい子にしてました?」
「もちろん。ええ子やよ」
「総吾も。完璧でした」
「せやけども。やっぱりうちの家族は一緒におらんと変な感じがして」
「確かに。私も思いました。今後は更にばらばらになっていくのかと思うと」
「仕方ない所もあるんやろうけど、できるだけ一緒に過ごしたい」
「はい」
「ユカリちゃんとはずーっと一緒やけど」
「もちろん。じゃないと、寂しくて無理です」
「それはつまり、今夜はめっちゃ甘えてくれるっていう話?」
「んー。1時間くらい私の愚痴を聞いてくれて、肩を揉んでくれてから」
「……、うん。頑張る」

すぐ司が元気に走ってくる音がして、百香里と一緒に風呂へ向かう。

「お疲れ様です」
「坊。お前も、おつかれさんやったな」

代わりにやってきたのは総吾。どんな辛辣な言葉を言われるかとドキっとしたが
テキパキとした動きで自分と総司の分のお茶をいれて出してくれた。

「まだ先なんだけど。中学校、全寮制の学校に行くのも選択肢としてはあると思うんだ」
「何やいきなり。そんな寮とかいかんでも学校はようけあるやろ」
「僕が家に居ると、ママや司が気にする事が、増える。これからも…そうだろうし」
「まあなあ。ユカリちゃんは気にし過ぎな所があるし、それを司も感じとるみたいやな。
それでも大事な息子がおらんなったら、それこそ毎日泣くで?自分も分かっとるはずや」
「でも僕のせいで」
「お前は松前家の跡取りとしてやっていくと決めたんや。それくらい、覚悟の上やろ。
誰も無理強いはせえへん、嫌なら真守も渉もおる。どっちに任せても問題はない」
「嫌だ。僕は、僕の意思で後継者になりたいんだ」
「それやったら。悩みながらでも、一緒に頑張ろや。ここには皆がおる。勉強だけできても
問題はぎょうさん出てくるんやし。一人で解決できる事もあれば、出来んこともある」
「パパは家族を置いて家を出て、何も感じなかった?純粋な質問として、だよ」

深い意味も、責める意味もない。と小声で言う。総司は苦笑して。

「家族やと思ってたのは、母親だけやったかもしれへん。弟らを頼まれてたのに、家を継ぐ事も
弟らの事も、何もかも嫌になった。俺に松前家当主なんて、向いてへんと今でも思ってる」
「パパは経営者として勤務態度は問題があるけど、他は十分に良いって真守叔父さんが言ってた。
あえて言うならば、もっと野心があったほうが良いとも言ってたけど」
「稼ぎを出すより、ユカリちゃんとスーパー行って。司とチョコアイス食べて、坊と野球しとるほうが好きや」
「確かに松前家の当主としては、問題かもね」

総吾も似たような笑みを向ける。

「結局の所。どうするかは、総吾に任せる。けど、それをきちんとママと司に自分で言うこと」
「……、…わかった。もう少し時間はあるし考える」
「なあ。総吾。今度、また家族で旅行に行こうと思ってるんやけど。一緒に考えてくれんか?」
「良いよ」
「温泉は決まったんやけどな。日本にはようけあるで」
「それは、パパがどれだけ休みを取れるかによるね」
「善処する」
「パパ!総ちゃん!」

笑い合っているとそこへ風呂からあがってきた司が走ってきて総司の膝に座る。
まだ髪が濡れていて、百香里が呼ぶ声がして。渋々戻っていった。
遠くで二人の笑い声がして、総吾は自分の部屋へ戻っていく。

「司の肌ってぷりぷりでつるつるで…シミもシワもなにもない」
「ユカリちゃんも綺麗やろ」
「小学生には負けます」

暫くして司は部屋へ、百香里は総司の隣に座る。
その肩を抱き寄せておでこに軽いキスをした。

「ユカリちゃんは色気があるし」
「……」
「そ、そんな真っ直ぐに見やんといて……恥ずかしい」
「総司さんもお風呂はいってきて。私は先に寝室で待ってますから」
「わかった」
「あと。あの。総吾なにか言ってました?次からママじゃなくてパパと行くとかそういう」
「お父ちゃんはダサいとかで、これからもママがええって」
「総司さんは素敵です」
「ほんま?嬉しい」
「……今夜は、たっぷりと甘えちゃおうかなぁ」
「あそう?…そう、なると急いで風呂いかんと。待っててな。寝たらあかんよ?絶対な?」
「はい。待ってます。ちゃんと、起きて」


おわり


2018/12/20.