甘える 3
「今日は司がせんむさんです!」
「可愛い専務さん。あ、失礼しました専務」
「はいはい!なんでしょうか千陽ちゃ…さん!」
書類を手に専務の執務室へ入ったら椅子には可愛い女の子が座っていて。
こちらを確認するや、にっこりと歯を見せて笑ってご挨拶。
千陽は一瞬驚いた顔をするが、相手が司だったのですぐに笑みを作り
小さな専務様にご挨拶。本物の専務さんは珍しく席を外している様子。
さすがに彼女に難しい書類を渡すわけにもいかず、雑談をして彼を待つ。
「すみません、待たせてしまって」
「専務!そんな飲み物の手配はこちらに指示を頂ければ」
戻ってきた真守の手には自分の分と司用の可愛いマグカップ。
中にはそれぞれ飲み物入り。
「司は僕の淹れたココアが好きなんです。だからつい」
「美味しいよ!千陽ちゃんも飲んでみて!」
はい、と司が可愛いマグカップを千陽に向ける。
「ほらほら、司。秘書さんのお仕事を邪魔しちゃいけないだろ?
こっちのソファに移動して、ゆっくり飲むんだ」
「はぁーい」
幼い姪相手だからか普段の冷たく厳しい専務から想像もできないほど優しくて温かい喋り方。
それが彼の素に近いのだろうと千陽は何度か目撃しているから知っているし、衝撃もない。
でも、他の秘書が見たらさぞかし驚くことだろう。そして、そのギャップにときめきなんかされては
困るので、司が遊びに来た日は秘書たちに別の仕事を回し、
専務への報告などは全て主任である自分が行うようにしている。
「今日は司ちゃん、専務の所に居るんですね」
「ええ。義姉さんがこの近くで友人と会うそうで、最初は司も一緒にと言っていたんですが
兄さんがそれならこっちで預かると言ったものですから。でも、社長の所に置いておくわけには
いかないでしょう?渉の所にもおけないなら、ここしかない。まあ、2時間ほどだそうですが」
「よろしければ秘書課でお預かりしますが?」
「……」
返事をしようとした真守が視線を感じて横を見ると、寂しそうな顔でこちらを見つめる司。
どうやら、秘書課へ行きたくない模様。アニメが観れても、お菓子がいっぱいあっても。
「大丈夫です。司も2時間くらいなら大人しく座っていられるでしょう」
「わかりました。何かありましたら連絡を」
「はい」
真守の返事にホッとした顔をして、温かいココアを飲む司。
それを確認して、苦笑しつつ。書類を置いて去っていく秘書。
「マモ。ごめんね」
「どうした急に」
それから5分、10分と。司にしては妙に大人しく、そしてもじもじしていると思ったら。
ちょっと離れた所からこちらの様子をうかがうように近づいてきた司。
「ここに居ていいって言われてね、うれしくてね。……マモとはなれたくなかった。
おしごと邪魔しちゃ駄目ってママに言われてたのに。千陽ちゃんの所いくね」
イヤイヤと無言で退出しないように押し切ったものの、
いざ静かに仕事をする真守を見ていたらいつものマモじゃないので、
子どもの自分が居るのはやっぱり悪い事をしたと思ったらしい。
「もう大人しく座っていられないのか?退屈ならお絵かきとか、パズルとか持ってくるけど」
「いてもいい?」
「駄目だったらもうとっくにお前は秘書課に一人で座ってるんだぞ?」
「……、…じゃあね、じゃあ、お絵かきしてる。がんばってお仕事してるマモを描く」
「それは恥ずかしいから。そうだな。お前の大好きなキャラクターを描いてくれるか?
僕は渉とちがってお前と一緒にアニメを観てないから話についていけないんだ」
「わかった。いっぱいあるからいっぱい描く!」
「よし。じゃあ。紙とペンを持ってきてもらうよ」
正式に真守から「居ても良い」という言葉をもらって嬉しそうに微笑む司。
甘えん坊でやんちゃでも、相手のことを考えてしまうのはママの血か。秘書課に紙とペンを
注文すると千陽がすぐに司のためにストックしてあるお絵かきセットを持ってきた。
あと、彼女が大好きなどうぶつの形をしたクッキーも。
「ふーふーんふーーーん」
ご機嫌に鼻歌まじりに絵を描き始める司。それをBGMにお仕事を再開する真守。
「またミスがあるようですね、どうしてこんな初歩的な確認ミスをするんですか?
自分の仕事はきちんと把握して伝達もしてもらわないと困ります。ええ、そうですね。
すぐに修正をしてください。本来なら始末」
「……」
「……、まあ、そうはいっても人間間違うこともあると思うので。次は気をつけてください」
怯え混じりにじっと見つめる愛らしい瞳。ちょっとやりずらい。
「これがね、今一番人気でね。司も好きなの」
「なるほど。今はこんな丸いのが人気なのか」
「マルルンっていうんだよ」
「そのままだな。で。こっちが渉が言ってた、兄さんにそっくりっていう」
「ゲソゲソキング」
「……、…まあ、うん。雰囲気はな。雰囲気は」
1時間、2時間とPCのクリック音と鼻歌だけの静かな時間が過ぎて。
そろそろ百香里が戻ってくる頃だろうか、それを見計らい真守は司を呼んだ。
膝に座らせて、彼女が描いたアニメのキャラクター絵を説明とともに見せてもらう。
「パパがね、この前マルルンのぬいぐるみ買ってくれたの」
「そうか。良かったな」
「マモにも買ってほしいって言ってくる」
「え。僕にも?」
「うん。マルルンが側に居たらマモも寂しくないよ。お部屋も明るいよ」
「そう、だなあ。……一つくらいあってもいいかもしれないな」
言われて軽く見渡す。今まで違和感を覚えたことがない自分の仕事場。
秘書が花を置いてくれていて、色味も明るいはずなのに、司には寂しく見えるらしい。
一人で黙々とデスクに向かっているからそう思うのだろうか。ちなみに彼の部屋は
司があれこれと持ち込んだカラフルなぬいぐるみと、彼女の描いた絵でとても明るい。
「これね、これ、マモ」
「やっぱり僕なのか」
最後に恥ずかしそうに見せたのは眼鏡をかけている人の絵。
髪の長さとそのアイテムでたぶん自分だとは思っていたけれど。
その隣には司と思われる女の子の絵。
「うん」
「貰ってもいいやつか?」
「うん。これも部屋にかざってほしいな」
「飾るよ。こっちの部屋に飾ってもいいかもな」
「いいかも!」
「あ。でも、やめておこうか」
「えぇ」
「渉がすねる」
「スネスネ君だ」
絵を眺めて話をしていると、部屋のドアがノックされて。
もしかしてママかも!と嬉しそうにする司。
どうぞ、と真守が返事をすると入ってきたのは百香里ではなくて。
「どうも」
「スネスネ君だ」
何やら書類を持って入ってきた渉。その顔は上司に向けるものではなく、
明らかに兄に不満があって文句がいいたい弟の顔。
「馬鹿言うな。俺は拗ねてねえ。全然拗ねてねえ」
ボンと乱暴に書類の入った封筒を机に置く。
その雰囲気からご機嫌斜めなのは司も察しているようで。
「ユズも膝に座る?」
と、真守の膝に座ったまま聞いてみる。
「それよりユカりんが社長室に居たんだけど。今日はこの近所で友達と飯だったよな」
「ママかえってきたの!」
「良かったな司。そろそろ迎えに来るんじゃないか」
「うん!ママにね、描いた絵いっぱいみてもらう」
「それはいいな」
「……」
「ユズも見て。司ね、いっぱいマルルン描いたよ!」
「お前のは丸じゃなくて楕円だけどな。それよりこれから帰るんだろ。
だったらさ、ちょっとだけ付き合えよ」
「マモとでーと……?」
するの?と真守の顔を見上げる司。
「こんなオッサン誘ってどうすんだよ。お前さ。お前。ちょっとだけ」
「行っておいで司。ママには僕から言っておくから」
「わかった!」
ニコっと笑って真守の膝からおりる。
渉の手を握って、一緒に専務さんの部屋から退出。
振り返って手を降ってくれたのでこちらもふりかえして。
「司ちゃんはもう帰っちゃいましたか」
「何か用事でも」
「いえ。スケッチブックを新しいものにしようと思って持ってきたんですが」
入れ替わりに千陽が新しいスケッチブックを持って入ってくる。
「また何れ来るでしょうから、置いといてください」
「わかりました。……、司ちゃんが居なくなると途端に寂しく感じるんですよね。
子どもは居ないのが普通の会社なのに、なんだか変な事を言ってしまいました」
「そうですね。特に僕の部屋には似つかわしくない。……、けど、甘えてしまう」
「専務」
「昔から甘えるのは苦手なんですけどね」
「……」
「変なことを言いました。気にしないでください御堂さん」
「……、失礼します」
不意打ちにキュンとしている顔を隠し、千陽は部屋を出る。残ったのは真守だけ。
やっと何時も通りに静かに出来る、とパソコンに向かった。
「すみませんっもうっ総司さんがあれこれ言って出してくれなくってっ」
「義姉さん。お疲れ様です」
30分ほど経過して、駆け足で部屋に近づき荒いノックをして入ってきた百香里。
社長室からやっと脱出出来た様子でちょっとだけ服が乱れているがそこは見ない。
「すみません真守さん。司が邪魔を……あれ?司は?ま、まさか秘書課さんで大暴れ!?」
キョロキョロと娘を探して、不安そうに真守に問う。
「司は渉が連れていきました。おそらく、下のカフェでお茶でもしてるんでしょう」
「そ、そうですか。よかった」
「司はいい子で待っていましたよ」
「でもすぐ調子に乗って甘えて暴れ始めるから。……、本当にありがとうございます」
「司を呼びましょうか」
「迎えに行きます。ここに連れてきたらまた何か言い出すかもしれませんから」
「帰りはタクシーでも?」
「バスで帰ろうかと思ったんですが、思いの外時間を費やしちゃったのでタクシーで帰ります。
総司さんには罰として夕飯のお買い物とその調理をお願いしました」
「はは、それはいい。気をつけて帰って下さい」
「はい。今日は、本当にありがとうございます」
「楽しかったですよ」
心配だった娘が大人しくいい子で待っていた事に安堵している百香里。
スマホで娘と連絡を取りながら彼女も部屋を出ていく。
それからまた暫く、何時ものように静かで落ち着いた時間が流れて。
渉はとっくに帰っていて、そろそろ自分も帰宅する時間帯になった。
「真守」
「今帰りですか?確か夕飯の買い物と調理を頼まれていたはずでは?」
帰る支度を終えて、秘書課に声をかけて廊下を歩いていたらエレベーターを待つ社長。
「せやねんけどほんっとめんどい事に巻き込まれてしもて」
「言ってくれたらこちらで対処したのに」
「いやあ。司を押し付けてしもたし、これ以上お前に負担かけても」
「夫婦揃って娘をなんだと思っているんですか。もっと自信を持ってください」
「え?」
「義姉さんはどうしたんですか。まさか、家に帰ってからまた買い物へ行ったんじゃ」
「それは流石にあかんから、渉に頼んでケータリングしてもろた」
「お詫びにケーキでも買っていくべきでは?」
「やよなあ。司もお父ちゃん遅いとご飯食べれへんでご機嫌斜めやもんな」
「アイスケーキにすべきですね。先に予約を入れておきましょう」
「頼むわ」
疲れ切った顔をしている兄をよそに、冷静に携帯を取り出してお店に連絡。
司が好きなアイスケーキを淡々と述べてすぐ取りに行くことを伝える。
総司には先に帰ってもらい、自分が購入して行く。そのほうが良いだろうと。
お土産作戦は大成功、帰宅直後は空腹もあって機嫌がよろしくなかった娘も
ケーキを見たらにっこり。ただ、渉には思いっきり怒られて、
百香里には渋い顔をされたけれど。
「パパお願いがあるの」
「何や?」
「マルルン買ってほしい」
「ええよ。どんなん欲しい?日曜日でも一緒に買いにいこか」
「んとね、んと……机の上におけるくらいの!」
「机?そんな小さいのでええの?まあ、ええよ。買おか」
「マモの机に居たらぜっーったい可愛い!10こくらい!ぽぽぽぽぽーんって!」
「真守の机!?10個!?ぽ、ぽぽぽーん!?」
おわり