ちょこ
朝。憂鬱な気分を抱えつつ、でも娘の前では何時もどおりに。
総司は会社へ行く準備をして、司を幼稚園へ送る準備もしてあげる。
最近はひとりでもちゃんと出来るようになってきたが、まだ少し爪が甘い。
「いーい!パパ!ママと司以外のチョコはもらっちゃダメだからね!」
「何やの急に」
「ダメったらダメ!!」
玄関まで来た所で唐突にそんな事を言うから、ちょっとビックリ。
司にしては妙に黙っているな、とは思っていたけれど。他の弟は分からないが、
総司は家庭を持ってからはバレンタインデーは家族からしかもらわないようにしている。
過去、少しばかり貰って奥さんが不機嫌になってしまって大変だった。
「貰わんから。そんなお父ちゃん叩かんで。ええ子で車乗ろな」
「ぜったいね!」
「はいはい」
暴れる司を抱っこしてそのまま駐車場へ向かう総司。
ママがチョコを貰うか気にしていたのだろうか、ソレを見て彼女も心配になった?
でも、奥さんは何時もと変わり無く、優しくて可愛い笑顔で乱暴に叩き起こしてくれた。
「でもね。パパ」
「ん?何や」
車に乗せて、いざ出発。まだまだ2月は寒いのですぐ暖房を入れる。
「どうしても貰っちゃったら、その、司が代わりに食べてあげるね」
「あははははっ」
「何で笑うのぱぱーっ」
「ああ、堪忍。堪忍。そうやな、うんうん。可愛いチョコ買って来たろな」
娘の可愛さに癒されつつ、幼稚園へ運び。癒やしのない会社へ。
だけど、今日は家に帰ったら奥さんから手作りのチョコを貰えるはず。
司も一緒に作っているだろうから、楽しみにしていよう。
司のために帰りにチョコを買うのも忘れずに。
そう思えば今日のこの憂鬱な1日も楽しくなるというものだ。
「おはようございます、社長」
社長室に入ると続いて主任秘書さんが入ってきて今日の予定を述べる。
「おはようさん。なあ千陽ちゃん、チョコは用意してるん?」
「何ですか社長。奥様からの分しか受け取らないはずでは?」
「ああ、俺にやなくて。ほれ、真守に」
「……一応、ちょっとばかりは」
「そうかそうか。秘書課の人らもようけ渡すんやろうなあ」
「大勢でたくさん渡しては専務もお困りでしょうから、まとめて1つにするように言ってあります」
「ああ。そのほうが真守はええやろな」
そこまで甘いものが大好きでもないし、律儀な性格なので1コ1コ貰った人にお返しを
するのも目に見えている。ただでさえ忙しいのに、面倒だろう。
「社長には誰にも渡さないようにお触れを出してありますから。ご心配なく」
「そんなんしてくれんでも、どうせ俺にくれるような女の子はおらんよ」
「社長ですからね。社員が持ってくるようなら、よほど好意があるんでしょうけど」
「俺に好意なあ。……、何も思い当たらん」
「でしょうね」
秘書さんは一旦部屋を出て、総司は大きく背伸び。
今日もここで定時まで頑張ろう。いや、定時ジャストだと真守が睨むので
それよりはちょっとばかり頑張るとして。
「失礼します」
そろそろ昼食にしようと顔を上げたら部屋をノックする音と声。
入ってきたのは若く可愛らしい女子社員。秘書課の新人だったか、受付の子だったが。
とにかく入社時にはモデル並の美人が入ってきたと騒がれたものだった。
「そ。うや。寿退社やったな。ええなあ幸せいっぱいやな!」
近々退職するので挨拶に来るとか言っていたようなそんな事を思い出した。
いや、今日だったか。バレンタインの事で頭がいっぱいで忘れていた。
なんて言えるはずもなく、笑ってごまかす総司。
「はい。社長には大変お世話になりまして」
「え?ああ、俺はただ相手さんから紹介してくれへんかって言われただけやから」
「式にはぜひ参加して頂けたらと」
「また詳しい日取り決まったら教えてな」
「……、はい」
彼女とはそう何度も話をしたわけじゃないけれど、見た目も可愛らしく、
性格も真面目で悪い子ではないし、
自分が縁を持った以上は幸せな結婚をしてくれることを祈っている。
一度失敗しているのであまり偉そうな事は言えないけれど。
「どないした?」
「あの、その、社長」
「ん?」
唐突にモジモジとして、視線を泳がせて、何かいいたそうな彼女。
「これ」
少しして、出してきたのは手のひらサイズよりも小さな箱。
「何やろ?」
「チョコ。です」
「え。チョコ?……にしては、小さいなあ」
箱は立派だけど、開けたらチロルチョコサイズ1コ分しかないだろう。
「社長は奥様からしか受け取らないと伺っています。でも、その、1粒だけ。
お昼ごはんの後にでも、頂いて貰えたらって。思って。それで」
「何でなん?いや、怒ってるとかやないよ。無いけど、なんで俺にくれるん?」
「それは。その」
世話になったから、それでくれるのだろうか?それで1粒?
問い詰めているように聞こえないように、優しく穏やかに聞いてみる。
相手は言葉に詰まって視線を更に泳がせていた。
「社長やで気を使ってくれたんかな?そんなええのに。高そうな箱やしな。
お返しはご祝儀に含ませて貰うわな」
「そんな、いいんです。私、受け取って貰えたら。それで、それだけで」
「ん?そうなん?」
「はい。短い間でしたが、社長とお話が出来て幸せでした。ありがとうございました」
深くお辞儀をすると彼女は出ていった。
それと入れ違いに真守が分厚い資料と社長印を必要とする書類を持って入ってくる。
「何ですかその箱」
「チョコやよ」
「今出ていった女子社員からんですか。貰って良いんですか?」
「寿退職する子が俺に置いてったもんを要らんって突っぱねるわけにもいかんでな」
「姉さんや司の目に触れないようにしてください、空気が悪くなるのは御免です」
「昼飯の後に食うか。それとも、司にやるか。迷う所やなあ」
ドスンと社長の机にそれらをおいて、話を聞き終えた真守は迷うこと無く
兄の手からその小さな箱を奪い綺麗に梱包を開けてパクリと1口で食べる。
呆然とその様子を眺めている総司。
「これらの書類は昼食の後でも結構ですので。よろしくお願いします」
「あ。ハイ」
何もなかったかのようにしれっとした顔で部屋を出て行く真守。
チョコが入っていた箱は部屋のゴミ箱にぽいっといれられた。
ということで、彼女からのチョコは無くなってしまった。
「千陽ちゃん。昼食べてくるで、後よろし」
「……」
「千陽ちゃん?どないした?おーい。生きてるか?」
「……専務からチョコの香りがした。誰の、誰のチョコを」
「あ」
これはこの場に居ると面倒なヤツかもしれない。総司はそっとその場を移動。
「社長」
「はいっ」
「何かご存知です、…ね?」
「はいっ」
できずに、きちんと話をさせられて。お昼休憩がちょっと減りました。
あと何故か「鈍感すぎる」とちょっとだけ秘書に怒られました。
こうして、やっと迎えた夕方。
「なあ、オッサン。何だよそのガキくせえもんは」
「司に買うてきた。このシリーズ好きやからな」
「だと思った。……ていうか。何でダブるわけ?」
「お前も買ってきてたんやなぁ」
家に帰り、リビングに入るとすでに一杯飲んでいる渉がいた。
司に買ってきたチョコを持っていたらすごい反応したので、変だとは思ったが
よくみれば彼の手にも同じキラキラアクセサリー付のチョコレート。
「ムカつく」
「まあまあ。ほんで、司は?」
「ユカりんのお手伝いで倉庫を漁りに行った。もう戻るだろうけど」
「あ。パパ!パパ帰ってきた!!!!」
苦笑いしていると司が入ってきて総司にくっついて抱っこしてもらう。
百香里も後から入ってきて、お帰りなさいと笑顔で迎えてくれた。
どうやら倉庫に仕舞った大きな鍋を探していたらしく、机において今日はお鍋。
「なあなあ。ユカリちゃんのチョコほしいなあ」
「はい。ご飯の後で、楽しみにしててください」
「ママ!ユズとパパにチョコもらったよ!!」
「きちんとお礼を言ってね」
司が嬉しそうにチョコを受け取ってご機嫌で、渡した方もいい気分。
鍋がいい感じに出来上がってきた頃には真守も帰ってきて。
家族揃って夕飯が始まる。
「司、今日はバレンタインだ。チョコをあげよう」
「やったー!ありがとう!」
「おい。まさか同じチョコじゃねえだろうな」
「え?お前も買ってきてたのか」
「……よし!違うヤツ!パンダの方だな!」
「チョコパンダー!おいしいやつーーー!」
「なんだ?何が良いんだ?」
食後、真守からもチョコを貰ってご機嫌で今にも踊りだしそうな司。
何故か安心している渉、それを不思議そうな顔で見る真守。
でもチョコは1日1コなので、貰ったチョコを1箱あけて今日は終了。
司はこちらまで笑顔になるような、幸せそうな顔でチョコを食べていた。
「はい。あーん」
「あーん」
「司と作ったんです。とっても美味しく出来ました」
「めっちゃ美味しい。このままユカリちゃんもあーんしたい」
「それは後で。今は、私と司の合作チョコクッキーを食べてください」
「はい」
その隣で実に幸せそうな夫妻のチョコ香る甘ったるい光景。
「ユズ。チョコもらったの?」
「貰ってない。1コ受け取ったら次々来るから。そんなに食えない」
「梨香ちゃんのあるもんね」
「それも断った。で。今度代わりに飯を食いに行く」
「じゃあチョコクッキーは?」
「それは食うしかないよな。ほら。1コくれよ」
「うん。はいどーぞ!」
司が1枚選んで渉の口に運ぶとぱくっと齧って食べる。
味は、ママと一緒に作ったから当然美味しい。
「上手に出来てるじゃないか」
「マモも食べ…あ。そっか。千陽ちゃんのあるもんね!」
「確かに頂いた。けど、食べるのは明日にする。から、1枚ほしい」
真守にも一枚。こちらも美味しいよと褒めてくれた。
「司。可愛いネックレス当たったな」
「うん!」
「めっさチョコの匂いする」
「パパもする」
「せやね。いっぱいチョコ食べた。美味しかったなあ」
「うん。チョコ美味しいね。ばれんたいん大好き!」
「あはは。司にはほんまええ日やな。お父ちゃんも、楽しい日やわ」
「トモくんにもあげたら凄くよろこんでたよ!」
「そうかそうか。……トモクン、まだおったんや。転校したんやなかったんやなあ」
「えぇ?てんこうってなに?」
「何でもない。よしよし、お父ちゃんと風呂行こか!司は寿せんとずっとお父ちゃんと一緒や!」
「おー!……お?」
「縁起でもないこと言うのやめてください総司さん」
おわり