その夜


「子どもは可愛いなあ」
「……」
「…あ。いや。今のはその、一般論を述べたまでっちゅうやつやで?」
「……」
「別にそういう変な趣味とかないし!俺は至ってノーマルな男や!その!
ゆ、
ユカリちゃんが好きなだけの…ただのおっ…お兄さんやで?」
「どうしたんですかそんな早口になっちゃって」
「何や冷めたーい目でこっち見つめてるから」
「冷たくないです。ただ。…総司さん凄く優しそうな顔してたから。その」

2人の前に母親と手を繋いで歩いている子どもの仲良さげな後ろ姿。
可愛いですねと言おうとしたらそれを何処か懐かしげに見つめ笑う総司。
自分に向ける優しい笑顔とはまた違うものに見えた。初めて見た気がする。

「え?」
「それより今日は映画なんです。誰がなんと言おうとも映画なんです!」
「はいはい。分かってます分かってますがな」

総司の手を引っ張って先先急ぐ百香里。この前行けなかった映画に今度こそ。
自分のせいだと思っているからか何時になく彼女は積極的だ。
そんな気にしなくてもいいのにと内心思いながらそんな百香里も可愛らしい。

「何がいいかなあ」
「おもろいのあるとええな」

映画館に到着するとポスターを眺めどれにするか考える。
総司は基本百香里任せ。どれでもOKを出す。
しばし悩んで観る映画を決めたようだ。総司はもちろん笑顔で答える。

「何か飲み物とか買っていきます?あ。ポップコーンとかいいですね」
「え」
「え?」
「あ。いや。ユカリちゃん映画館では飲み食いせえへんイメージやった」

主に金銭的な理由で。とは言わない。

「だって。ほら。あそこのカップル買ってるから。そこの2人も」
「あぁ。まあ。なあ」
「で。カップルシートを選ぶ」
「そうなん?」
「そうなんです」
「ほな百香里ちゃんチケットこうてきて。俺飲み物とか買うてくるわ」
「はい」
「そや。ユカリちゃんは何飲みたい?」
「水」
「は、置いといて」
「お茶」
「分かった」

実に百香里らしいシンプルな返事。それをあらかじめ予想できた自分。
それが出来るくらいには彼女と一緒に居る。でももっと知りたい。
ちらっと振り返るとチケット売り場に並んでいる彼女。やはり可愛い。

「…総司さん」
「ん?」
「……か…」
「か?蚊おんの?」
「…肩…」
「肩?痛いん?」

カップルシートに座ると上映時間まで暫しの間がある。
他にもカップルや家族連れがいてにぎわっている館内。ゆっくり待つつもりでいた総司だが
何故か百香里がこちらを見てモジモジ。トイレではないし何もしてない話してもいない。
調子が悪いようにも見えないのだが。

「…抱いて」
「え!?」

思わず変な声が出た。

「肩」
「…か、…肩な。よっしゃおいで」
「はいっ」

手招きすると嬉しそうに身を寄せてきた。
また可愛いなとニヤニヤしながら彼女の肩を抱く。

「…何や、映画始まる前に寝てきそうやな」
「駄目ですよデートなんですから」
「もったいないしな。こんな可愛い顔傍にあんのに何もせえへんとか」
「わ。……もう。総司さん」

至近距離で顔を見上げた百香里の唇を軽く奪う。
顔を赤くする百香里だが総司はただ笑うだけだった。

「あかん俺めっさだらしない顔してる」
「え?何時もと変わりませんけど」
「…複雑」

この純粋な瞳に悪意はない。けど若干純粋さを失った自分は素直には喜べない。

「総司さん。わくわくしますね」
「そやけど俺はどっちかっつうとドキドキしてるわ」
「どきどき」
「こんな可愛い彼女とデートしとるんやから」
「……もう」
「照れて可愛いなあ。…あ。あかん。始まってしもた」
「さ。観ましょ」

百香里をしっかりと抱きしめたまま映画は始まる。
最初は緊張している様子だった百香里も今は落ち着いて総司に身を任せた。
あいた手を繋いで。一緒に笑って一緒にハラハラする。こんなカップルらしい事なんて久しぶり。
たまにはこんなどっぷりと甘えてくれるのも甘えるのもいいものだ。お互いに心の中で思った。


「あの」
「なに?」
「前から思ってたんですけど。総司さん、もしかして…」

映画を終えたら少し休憩をしようと公園にやってきた。途中彼女の好きなクレープを買う。
総司もつられるように甘さ控えめなものを選んでベンチに座った。
何気なく食べていたはずなのに気づいたら隣の百香里に凝視されている。

「な、なんやろ。そんなジロジロ見られるんは恥ずかしいな」
「総司さんって育ちがいい人?」
「え!?なんで!?俺のどこが!?どこをみて!?」
「どうしたんですかそんな声裏返して」
「い、いや?何も?別に?何でそんな突拍子もない事言いだすん?」
「いえ。あの。ただいっつもご飯食べたりする時の所作が綺麗だから」
「ど、どこが?ユカリちゃんのがよっぽど綺麗やと思うで?こう、小動物みたいで」

誰も取らないのに必死に食べる姿とかついつい「もっと食べや」と言いたくなる。
今も美味しそうにクレープを食べて夢中になりすぎて頬にクリームをつけたまま。
きょとんとしている彼女の頬を持っていたハンカチで拭いてあげる。

「私はいっつもお母さんにもっと落ち着いて食べなさいって言われます。
誰もとらないでしょって。でもお腹空くからしょうがないじゃないですか。
急いでるつもりもないし。でも女の子らしくしなさいって…」
「可愛いのになあ。まあ、お母さんからしたら娘が心配になるんやろ」
「そんな頼りない娘に育った覚えはありません。これでも結構頑張ってるつもりです」
「うん。それは分かってる。分かってるよ」

大人ばかりの世界で生きてきても奥底にあるのはやっぱりまだ若い女の子。
がっつくのもケチるのも些細なことで大笑いするのも全部含めて可愛いと思う。

「こんな私でも夢があるんです。お母さんみたいな強いお母さんになるんです。
そして誰もかけることのない家族を作る。私が守ってあげるんです」
「ユカリちゃんやったら実現するわ」
「総司さんは?」
「俺か。俺は。そやな。ユカリちゃんみたく強い男になりたい」
「総司さんは弱くないでしょ?お兄ちゃんにも勝てますよ!空手と剣道の有段者だけど!」
「お兄さんめっさつよっ…嫌、あの。腕力的な事やなくて。中身な?中身」
「中身も強いですよ。私総司さんのそういう所も好き」
「…こんなロクデナシ」
「え?」
「ああ、なんでもない。なあ。ユカリちゃんちょっと散歩しよ。せっかく来たんやしさ」
「はい」

手を繋ぎ公園を特に当てもなくぶらぶらと歩く。手を繋いで。
バイト先の話や会社での失敗談など話は尽きることがなかった。
総司が話題をふってくれたり百香里が明後日な返事をしたり。
2人でいると時間が過ぎ去るのが早い。



「どした?」

すっかり夕方になりそろそろ帰ろうかと歩き出した総司。
だが百香里が唐突に立ち止まりつながれた手がほどけた。

「……今日は、その、……お泊り…したいな」
「え。そうなん?いや。かまんけど急やねえ。お母さんにはちゃんと言うてきたんか?」
「…いえ。今、決めました」
「それ大丈夫か?怒られへん?友達の家て言うたらいけるか?」
「大丈夫です。お母さんその辺緩いから」
「そうか。ほな、いこか」
「いいですか?行き成りで」
「部屋汚いて怒らんでな」

不安そうにしていた百香里だが総司の返事を聞いて嬉しそうに笑う。
また手を繋いで歩き出す。行先は総司の部屋。

「あの。…あ、あれ。…買ってきました」
「あれって何?」
「総司さん…つけるやつ」
「つけるやつ?湿布か?そんなおっさんやけどそこまで疲れては」
「ごむ」
「ごむか。そかそかごむな。ああ。あれ……あれええええ!?」

アパートを目前に百香里の大胆発言に思わず手を離しのけぞる総司。
ソレを買ってきたということはアレをする気があるということで。
いや、そもそもコレの存在を知っているという事はナニをしたことがある?
また不安そうにしている百香里だが総司も同じくらい動揺している。

「必要…でしょ?」
「そらまあ」
「……だから」
「なあ、ユカリちゃん?言うてること分かってる?」
「はい」
「自分……本気で言うてんのか」
「……」
「何や何時もと流れが違いすぎて俺混乱してきたかもしれん」
「……」
「せやけど」

立ち止まりうつむき黙ったままの百香里はぎゅっと自分の手を握っている。

「……」
「抱いてほしい言うてる癖になんでそんな怯えたような顔するんや」
「……」
「何時もの友達に付き合ったらせんならん行事とか教わったんか?ユカリちゃん素直な子やで
信じてしもたんかもしれんけど、そんな無理やりする事やない。今日はもう帰り送るわ。な」

本当は甘い言葉に飛びつきたい男心がむくむくと湧きあがったのだが
ここは落ち着いて頭を冷やした方が自分たちの為だ。
不安でいっぱいという顔の女の子にいざ手を伸ばして泣かれては困る。
百香里も一呼吸入れればいつものように冷静に考えてくれるはず。

「……いいです自分で帰れますから」

百香里の手を取ろうと伸ばした手を無視し踵を返し歩いていく百香里。

「ま、待って。ユカリちゃん」
「…怖いにきまってるじゃないですか。初めてなんだから」
「……」
「ほんと、難しくて辛いです。どうしたらいいかさっぱり分からない。
こんなので明るい家庭とかほんと馬鹿の妄想ですよね。…諦めたほうがいいのかな」
「堪忍。傷つけるつもりやなくて」
「大丈夫。これくらいで落ち込む暇あったらバイトしますから。平気。全然ふつう」

百香里は振り返り笑って見せる。でも総司は笑い返す事なんてできない。
何も知らない初めての彼女なりに異性に甘えてそして身を任せる。
怖いという気持ちは隠せないし相当な勇気もいったはずだ。

「ずるいわ。そんなまっすぐ来られたら俺なんもできへんやん」
「総司さん」

帰ろうとする彼女を追いかけぎゅっと強めに抱きしめる。

「何するんも真面目やもんな。まっすぐで正直で。……かなわん」
「……」
「今日は普通にお泊りしてって。嫌やっても抱っこして強制連行やからな」
「私重いですよ」
「ユカリちゃん抱っこするんは慣れときたい」
「…どういうときに抱っこする気なんだろう」
「ほな行こか」

戸惑う百香里の手をぎゅっと握りしめ歩き出す総司。
最初は引っ張られるように総司についていっていた百香里も
少ししたらちゃんと自分で歩くようになった。少しだけ微笑み。

「さ、さあ!どうぞ!総司さん!どっからでもこい!でも加減はしてほしいです…」
「何も喧嘩するわけやないんよ?つうか今日は寝るだけや言うたやん」

そもそも立ってファイティングポーズをとっている時点でソレではない。
風呂からあがり百香里が待っている寝室へ入ったらこれだった。
彼女の事をおもいながら真剣な気持ちで来たのに。気の抜けた声が出た。

「よ、予行練習!」
「いや。そんな改まったもんでもないし。…何事にも全力なんは自分のええとこや思いますけども」
「……じゃ、じゃあ…裸見せる練習」

そういってパジャマのボタンをはずす百香里。肌蹴て見える彼女の素肌と下着。
事前にお泊りをすると決めていたにも関わらず何ら色気のない使い古された下着。
そんなところも彼女らしくてほほえましい。

「俺試されてるんかそれともこれは夢か。うーん……飛びついてもええよな」

けれどその瞬間総司の理性パラメーターが危険な所まで振り切れた。

「わ!総司さん!」

百香里に抱き付き首筋にキスをする。

「ほなもう練習しよ練習」
「はい!あの。その」
「どした?」
「が…頑張ります!」
「…うん。俺も。がんばる」

彼女が思っているほど出来てもないし優しくもない男なのに。
純粋に恋人同士として甘い関係を築こうとしてくれている百香里の為に。
最後の最後まで奥底にある欲望に負けないように。ふんばるように。

「じゃあさっそく」
「待て。待て待て待て待て!」
「何ですか」

愛しさで必死な総司の気持ちを速攻で壊そうとする無垢な手。

「いきなりソコ握ったらあかんやろ。順番あるんよ一応」
「でもこうすると喜ぶって高校の後輩に聞いたんですけど…」
「そうか。やけど相手高校生ないねん。39のおじさんなんよね」
「分かりました!こうですね!」
「可愛いお尻突き出してくれるんはええけどな。順番ちゅうもんがあるんさね。うん。そっからしてこか」
「同じ男性でも年齢で違うんですね。総司さんと同じくらいの歳の人に聞けばいいのかな」
「聞かんでええから俺の膝座って」
「はい」

言われるままにちょこんと総司の膝に座る。
肌蹴たパジャマの上着から見える体は色気は正直ないけれど健康的で愛らしい。
後ろから抱きしめるとまずはキスをして怖がらせないようにそっと体に触れていく。

「…こんなしっかり体触るんは初めてやな」
「はい。…くすぐったい。けど何か気持ちいい」
「そうか」
「総司さんだからかな」
「…なあ。ユカリちゃん。俺な。自分に隠してることあるんや」
「え?」
「嘘はついてへん。けど。言うてない事がある」

耳を甘噛みしながら百香里に優しく話しかける総司。

「そんな感じは何処かでありました。何か抱えてるのかなって、
でも総司さんは私よりずっと大人だから。色々あるのかなって思って」
「…そうか」
「私気にしません。もう償ったんでしょう?だったらもう」
「え?……そこまで分かって…?いや…まだ小さいで手かかるし。気にもなるし。
生活費もちょいちょい渡したりしてな…なかなかキッパリとはできへんくてな」
「そうですか。そんな事まで…大変なんですね。でも、いつか分かってくれますよ」
「やとええけど。俺はアカン奴やで」

何も教えないでいい所だけ見てもらって若い恋人とこれ以上深くイチャつくのは気が引けた。
もしかしたら避けられるかもしれない。でも、黙ったまま自分に都合のいいようには出来ず。
百香里は今の所怒る様子はなく理解を示してくれている。

「そんな事ないです。間違いは誰にでもあるってお母さんも言ってたし。
私も凄い小さいときお腹すいて店のパン持ってきちゃったことあるし!
もちろん後でお金払ってお母さんに拳骨をもらったんですけどね」
「そ、そうなん。…げんこつて」
「だから大丈夫です。総司さんがどんなものを盗んでしまったとしても私は何も言いません」
「ありがとうホンマ心の広い…やないちょいまてや」
「はい?」
「何で俺過去に窃盗した事になっとんの?」
「違うんですか?じゃあ…まさか…さ、殺人!?」
「いやいやいや。発想が物騒すぎるやろ。俺そんな度胸ないで?虫くらいしか殺せへんし。
そら言うてへん事はあるけどもそれが何も犯罪歴とは限らんやん?なぁ?」

もしかしてこの子は確信はなくとも「この人は人に言えない後ろ暗い過去がある」
とか思いながら交際してたのか。それくらい信じてくれたのは嬉しいけれど。
総司の内心が非常に複雑であるにはかわりない。

「じゃあなんですか?」
「…それやけどな。その。引かれるかもしれへんけどな」
「はい。あ。まさかホ」
「もうそういうボケはええねん」
「はい」
「俺、実は…バツイチで前の嫁さんとの間に子どももおるんや」
「……」
「最初に言うべきやった。けど、言えへんかったんは俺が弱いからや。堪忍してほしい」
「…何で今言うんですか。別に言わなくても黙ってたら分からないし」
「俺も黙ってたかったんやけどな。あかんのや」

何度となく言おうとしたがいざ百香里の顔を見ると臆病になって言えずにいた。
今のご時世バツがついているのは珍しい事ではないけれど。19歳の若い子が
初めての経験をする男に歳が20も上なだけでなくバツ付きを選ぶか?
年齢に関しては気にしてないから何も言わないでいれば楽に身を任せてくれたのだろうが。

「……総司さん」
「ええ歳して百香里に本気になってしもた」
「……」
「愛してる。自分がめっさ欲しい。…けどな。その前にさらけ出さなあかんと思った」

ここまできて何度も悩んだが結局すべてを打ち明けることにした。
それでもし百香里を失っても仕方ない。何も言わずにいるよりはきっと。

「……」
「家まで送ったほうがええやろか。それとも俺居らん方が」
「……」
「ユカリちゃん」
「……」
「なあ。百香里。罵ってくれてもええし殴ってくれてもええから反応して?
何もしてくれへんのは辛い。なあ。百香里。ゆか」
「……」
「……寝てるやん…めっさぐっすり寝てるやんこの子!なにこの寝つきの良さ!」

そりゃ何も反応できないはずだ。規則正しい寝息をたてぐっすりお休み中だから。
総司が声をあげて突っ込みを入れても起きてないくらい。盛大に脱力しながらも
彼女を布団に寝かせ自分は隣の部屋にあるソファで寝ることにした。
朝になったらもういないかもしれない。そしてそのまま消えていくかもしれない。
そんな不安が頭をよぎってすぐには寝付けず少しだけ酒を飲んだ。

おわり


2013/11/02