泊まり

「彼氏の家にお泊り?おお。百香里とうとうそこまで来たか!」
「…どう思う?」
「どうって?」

中学時代からの友人を公園に呼んで相談する。けれど友人に渋い顔で
せめてファーストフード店とかその辺にしてよと言われて場所移動。

「何か準備したほうがいいのかな」

お泊りを誘ったのは総司。それも冗談交じりに。彼からしたらからかったのかもしれない。
どっちでもよかったのかもしれない。でも百香里はまじめに捉えて了承した。
夜だから帰らなくてもいい。ずっと一緒に居られる。それはとても嬉しいと純粋に思う。

「ゴムさえあればなんとかなるって」
「ごむ?」
「それくらい持ってるでしょ?まさか女の子に準備させるような事は」
「……」
「あ。…百香里ってもしかして」
「……」
「うん。ごめん。なんでもない」

友人の言葉はいまいち理解できなかったがそれどころではない。
でも今まで散々失敗してきたからここでまた失敗したら困る。嫌われたくない。
総司は優しいから怒ったりはしないけれど内心は嫌がっているかもしれないし。
せっかく甘えられる人と出会えたのに。

「…もう19歳だもんね。大丈夫。捕まらない」

いつの間にか違う話題で友人と話し込んだ帰り道。本屋に立ち寄る。
何時もなら素通りする18禁コーナー。でもこれも勉強の為と手に取った。
どれがいいのか分からないけれど。ここのコーナーは
よく男の人が読んでいるからきっとこういうのが人気なのだろう。

「……制服で彼にアピール…雰囲気が違うと彼も大興奮…制服か」

適当に手に取った雑誌を熱心に読んで頷き店を出る。
なんとなくわかった気がする。大丈夫。いける。

「お帰り。夕飯の手伝いしてくれる?」
「お母さん」
「なに?」
「制服ってまだあるよね」
「はあ?あるとおもうけど。何よいきなり」
「ちょっと要るんだ」
「後輩にでもあげるの?後で出しておいてあげるわ」

不思議そうな顔をする母をしり目に百香里はやる気満々だった。
夕飯の手伝いをしていると兄が仕事から帰ってきた。そして3人での質素な夕飯。
時間が合わなくて1人で食べる時もあるけれど基本家族で食べるのが暗黙の了解。

「なあ百香里」
「なに」
「お前の彼氏なんだけど」
「うん」
「どういう男なんだ?その、お前のバイト先の社員なんだろ。その、これは一般論としてだが…。
バイトに手をだすような男はあんまり信用ならないというか…なあ、母さん?」
「え?」

心配そうな顔をして聞いてくる兄に百香里は口いっぱいにご飯をほおばりながら返事する。
いきなり話を振られた母はきょとんとした顔をした。

「どうしたのお兄ちゃん?何でそんなこと言うの?そんな人じゃないって」
「お前はしっかりしてると思う。けど、あまり人を知らないだろ?世の中いろんな人間が居るんだ」
「……」
「お兄ちゃんはお父さん譲りの石頭だから何でも疑ってかかってるのよ。特に百香里の事にはね。
そこまで気にしないでいいからちゃっちゃとご飯食べちゃいなさい」
「母さん!べ、べつに疑ってなんかないだろ。ほら、何君だったか。あの子は特に何も言わなかったろ」
「そうだったかしら?金持ちの家のボンボンはどうだかこうだか言ってなかったっけ?」
「とにかく。慎重に行動するんだ。いいな百香里。他人をそんな簡単に信じるんじゃない。特に男はな」

力説する兄だが母も百香里もマイペースにもぐもぐと食べながら聞いているのか居ないのか。
兄が石頭なのは何時もの事。特に百香里の事になると物凄くお説教臭くなる。いつからだったか。
父が生きていた頃はこんなんじゃなかったような気がする。ずっと優しい兄ではあったけれど。

「あれでよく彼女と続くわねお兄ちゃん」
「きっと菩薩のような人なんだよ享子さんは」
「そうかもね」

片づけをしながら母と話す。兄には内緒でこっそりと笑いあった。

「…お母さんも気になる?彼氏」
「そら自分の娘だから心配はするよ。でも、あんたはまだまだ若いんだから。
いろんな経験をしてもいいと思うけどね。もちろん常識の範囲内で」
「うん」
「私のせいであんたを進学させてやれなかった。今も苦労もさせてるからね。
これ以上あんたに我慢させたらあの世いったらお父さんに怒られるよ」
「何も我慢なんかしてないよ。楽しんでるよ?」
「今は特に楽しいでしょうね。あんたがやっと心を許す相手が出来たんだから」
「……うん」

今まで何でも打ち明ける家族だった。悲しいことも嬉しいことも。隠さずに言ってきた。
でも総司の事は全ては言ってない。主に年齢の事。母は気にしないかもしれないが問題は兄。
ただでさえ気に入ってないのにこれ以上機嫌を損ねるのは嫌だし何か言われるのもつらいから。

「また懸賞はがき書いてるのか」
「うん。米だよ米」
「よし。じゃあ俺も久しぶりに書くか」
「お兄ちゃん疲れてない?」
「はがき職人と言われた俺に不可能はない」
「ふふ。じゃあこっちお願いします」

テレビを観ることもなく無音の中で机に積まれた雑誌とはがき。
懸賞で当たったものはあまり多くはないけれど昔からずっとチャレンジしてきた。
兄も加わって2人で無心になってはがきを書く。

「なあ百香里」
「なに」
「ボーナス出たら3人で外食しようか」
「貯金しなくていいの?ほら。給料の三か月分っていうじゃない?他にもかかるよお金」
「それはいいんだよ。別で貯めてるから。…最近さ、母さんもあんまり調子よくないし。
焼肉でも行って精つけてもらってさ。お前も好きだろ肉」
「好きだけど。お兄ちゃん無理してない?」
「それはお前だ。もっと遊んでもいいんだ。…友達とな」
「遊んでるよ」
「嘘つけ。もっと稼げるようになってお前や母さんの負担を減らさないとな」
「負担とか思ってないよ。楽しいから」

朝が早くても夜勤でも体力を使うバイトでもその分時給が良くなるから。
見返りを考えれば我慢できる。それが今日のご飯になり家賃になり光熱費になり。
何より1人で子ども2人を育てた母の助けになる。そう思ったら何もつらくない。

「お前はそれが当たり前だって思ってるかもしれないけどな。そうじゃないんだよ。
百香里にはもっと違う生活をしてほしいんだ。もっと楽に生きてほしいんだ。
誰かの為とかじゃなくて、気を張らずに、自分の為に生きてほしいんだよ」
「お兄ちゃん」
「もう我慢しなくてもいいって思ってほしい」
「……」
「ということで。焼肉食べ放題だ。いいな」
「うん。楽しみ」

けど、それが兄からしたら我慢しているように見えているのだろうか。

「百香里。制服かけておくわよ」
「うん。ありがとう」
「どうしたの百香里。浮かない顔して。お兄ちゃんにまたお説教されたの」
「ううん。そうじゃない」

作業をやめて風呂に入ることにした百香里。
準備をしていると母が懐かしの制服を持ってきた。

「つい最近までこれ着て学校に行ってたのよねえ」
「うん」
「ほんとあっという間だった」

感慨深く制服を眺めている母。
他の家庭のように子どもの成長を見守るなんて出来なかった。
そんな暇なく働いた。子どものイベントも年中行事も一切出来なかった。
欲しがっても買えずいつの間にか子どもたちは何も言わなくなった。
先だった夫への恨みはないが唯一そこだけは不満。
もしあの世でもう一度あの人に会えたら延々と文句を言ってやろう。

「お母さん?」
「なんでもない。年を取ると気持ちが弱くなっちゃうのかしらねぇ」
「…調子悪いなら病院いったほうがいいよ」
「大丈夫。ちょっと寝不足なだけ。それよりさっさと風呂に入って」
「うん」

なんとなく母の目が潤んでいるように見えたのは百香里の気のせいだろうか。
でも何も聞けず風呂に入る。狭い風呂も慣れれば気にならない。
百香里の記憶にはないけれど昔はちゃんとした一軒家に住んでいて風呂も広かったらしい。
兄は覚えているようでたまに少しだけ話をしてくれた。でも最近は聞かない。

「母さん。大丈夫か。顔色があんまりよくない」
「貴方まで?大丈夫だって」
「もう無理しなくていいんだ。少しは休んでくれ」
「怖い顔して。そういう表情本当にお父さんそっくり」
「息子なんだ似て当然だろ」
「そうね。当然ね」
「でも俺は家族を置いては死なない。絶対に」
「そうね。そうしてちょうだい。貴方も百香里も家族と共に生きなさい。ずっと、ずっと」
「そうだ。母さん肩こってるだろ。叩くよ」
「ええ?何それ。いらないわよ」
「いいからいいから」
「ちょ、ちょっと」

百香里が風呂からあがると何故か母の肩をたたいている兄がいてちょっとびっくりした。
そして何故かちょっと恥ずかしそうにしている母が珍しくてつい笑った。

『こんな時間にどした?』
「迷惑でした?」
『まさか。ユカリちゃんからの電話やったら24時間受け付け中やで』
「じゃあ深夜の3時くらいにまたかけなおしますね」
『意地悪やなあ』
「ふふ。ごめんなさい」

自室というのはないのでこっそりとベランダに出て電話。
総司はいつもと変わらぬ口調で安心する。

『ええよ。ユカリちゃんやから』
「あぁ。そうですよね。こんなの子どもっぽいですね」
『ん?』
「いえ。…総司さんの声がききたくてかけました。だから何か用事があったわけじゃなくて」
『かまんで。なんぼでもかけて。俺もユカリちゃんの声聞けてうれしいわ』
「はい」

彼の声をきくと安心して不安な気持ちも和らいでくれる。
傍には居ないのに守られている気持ちになる。気が強くなる。
百香里にとってそれはとても不思議な感覚だった。

『あんさ。その、ほんまは嫌やったんと違うか。いきなり俺の部屋に泊まるとか』
「何でですか?嫌じゃないですよ」
『そうか?ユカリちゃん無理してへん?俺、…その、調子乗ってる所あるし。
嫌やったら言ってくれて全然かまへんよ。無理に誘って嫌な思い出とか作りたないし』
「総司さんまで私が無理してると思ってるんですか?私無理してないですからね」
『まで?』
「そんな我慢ばっかりじゃないです。ちゃんと自分の意思をもって遊んでます。ですよね総司さん」
『え?え?…え?俺に聞いてるん?』
「はい。聞いてます」
『なんちゅう無茶ぶり。…ユカリちゃんがそうなんやったらそうなんやで』
「はい。そうなんです」
『何でやろうな。傍に居らんのにこうして話してるだけで身近に感じてしもてつい笑っとる。
気持ち悪い光景なんやろうけど。止まらんのよ。…ユカリちゃんと話すといっつも俺笑ってる』
「私もです。不思議ですね」

そう言いながら笑っている百香里。総司の声も笑っているように聞こえる。
恥ずかしいから言わないけれど、彼の笑う顔が大好き。どきどきする。
つい笑った顔を思い返して想像して百香里はこっそりと顔を赤らめた。

『心から笑う事とかずいぶんなかったからな。なんやこそばゆい』
「そう、なんですか?総司さん笑ってるイメージ強いから」
『ユカリちゃんのお蔭でな。ほんまの俺は…きっと、イメージと全然違う』
「ほんとうの」
『もし、ホンマもんの俺がどうしようもないクズやったら。ユカリちゃん泣いてしまうかもしれんな。
そうならんように…努力はしたいけど、俺ドアホやで。いつ…いつ、…ホンマの事いうか』
「総司さんさっきから何を言ってるんですか?よくわかりませんけど」
『あ。ううん、何でもないよ』
「そうですか?…じゃあ、いいですけど。あ。そうだ。今度映画観に行きません?チケットもらったんです」

おわり


2013/09/12