距離2


男性との交際経験が全く無い訳ではないが誇れるほどもない。
自分なりに甘えたりしているけれど、本音を言うと
これでいいのか上手くいっているのか自信なんてない。
今思えば自分は異性への甘え方を知らなかったのだと思う。
それが自分にとってかけがえの無い特別な存在であればあるほど。

「あんたはデートしに行ったんでしょう?何で朝っぱらから買出しみたいな事させてるの。
そんなんじゃあっという間に相手に嫌われるよ?わかってる?百香里」

母に言われた言葉が突き刺さる。ああ、やっぱり自分は間違ってたんだと。
彼は笑ってくれたけれど。また何時でも付き合うと言ってくれたけれど。
きっと内心は呆れているに違いない。馬鹿みたいだとか。子どもみたいとか。

「……」
「百香里」
「……」
「百香里。食べないのか?百香里」
「……ん?なに?」
「何じゃない。お前が食べたがってたから買ってきた饅頭だぞ」
「あ。うん。ありがとうお兄ちゃん…」

バイト中も家に居てもつい考えてしまう。少し前までは異性の事を考える時間よりも
バイトのシフトとか安売りとか給料日とか自分の家計に直結するようなことしか考えてなかったのに。
割引の計算は速くなっても恋には疎い。むしろ苦手だ。自覚はある。だから何度もため息をする。

「百香里にもやっと彼氏が出来たのよ。まあ悩む事もあるわ」

悩める娘を気遣う母と心配性の兄。彼等の視線も今の百香里には見えていない。

「彼氏か。どういう男なんだ?しっかりした身元の男なんだろうな。変な奴じゃないだろうな」
「大丈夫よ。なんでもバイト先で知り合った社員さんだそうよ」
「社員がバイトに手を出したのか!?どういう教育をしてるんだその店は」
「まあまあ落ち着いて。社員だったら生活はしっかりしてるじゃない」
「それで遊びだったらどうするんだ母さん。中途半端な奴だったら」
「百香里の話じゃすごくいい人だって。誠意があって頼れて素敵だって」
「鵜呑みにしたのか?好きな相手ならなんとでも言う。…冷静に判断出来ないだけかもしれない」
「お兄ちゃんは本当に心配性なんだから。大丈夫だって。百香里はしっかりした子だから」
「だといいけど。…変な奴だったら俺がぶっ飛ばしてやる」
「頑固親父っていうのよそういうの」
「母さんは奔放すぎるんだ。いや、百香里に甘いんだ。傷ついてからじゃ遅いんだぞ」
「ちゃんと注意はしてるわよ」
「だといいけど」

母にはある程度どういう相手かは話をしているようだが兄にはあまり喋っていない。
言うとしつこくどういう相手か何をしているのか遊びじゃないのかと煩いのを知っている。
父のかわりに百香里を心配してくれているのは十分分かるのだが今はそっとしてほしい。
何より総司が20歳も上だと知ったらきっと反対するだろうから。何時か話すといいわけして。


「ユカリちゃん…ええんやで?その、…気になっとるんやろ?12ロール190円」
「まさか」
「いや。めっさ見てたやん。視線合いましたーってレベルやなかったやん。もう運命的な感じで」
「総司さん」
「はい」
「私だってそういっつも安いものばっかり見てるわけじゃないです」
「堪忍」

今日はバイト終わりに映画を観にいく約束をしていて夕方からのデート。
映画館まで歩きで向かいながら彼女の視線の先に見えたドラッグストアのチラシ。
大々的に安売り中で夕方でも目玉商品はまだ残っている。何時もの百香里なら
映画そっちのけで飛びつく。けど彼女は視線だけ向けて買いには行かなかった。

「アクション映画いいですね」
「せやね」
「もう。総司さん聞いてます?」
「何やろ。何かしっくりこうへん」
「え?アクション映画嫌いですか?」

チケットを購入し席についたのに総司は浮かぬ顔。
百香里は心配そうに彼を見た。

「なあ。ユカリちゃん。自分無理しとるやろ」
「は?」

徐々に暗くなる館内。始まる映画の前のCM。
だが総司はスクリーンでなく百香里の顔を見つめている。
怒っているとか困っているとかそんな顔ではない。嬉しそうでもないが。

「おかしいやん。12ロールで190円てめっさ安いやん。俺も買いたい。
何で無理するん?俺がこの前余計な事言うたからか?そんで気にしてるん?」
「そ、総司さん声が大きい。静かに」
「なあ。何でや」
「いったん出ましょう」

大声というレベルではないがやはり私語は響く。視線を感じ総司の手を引っ張り外に出る。

「ユカリちゃん」
「そんなに馬鹿にしなくてもいいじゃないですか。確かに凄く気にはなりましたけど。
後で買いに戻ろうかなって思いましたけど。でも今は映画を観に来てるんじゃないですか。
そんなに…責めなくたって…いいじゃないですか。そんなに意地悪しなくたって!」
「俺はユカリちゃんに素でおってほしいだけや。俺のアホの所為でまげて欲しないだけや」
「だから私は普通にデートを……」

百香里は何も言えずただ押し黙る。前回を反省してせっかく普通のデートをしようと思ったのに。
安いものをみても何食わぬ顔で我慢したと思ったのに。やはり彼にバレバレなくらい自分は
動揺していたのだろうか。自分の安さへの執着が彼には透けて見えているのだろうか。
そんな女の子なんか本気で好きになんかなってもらえないのだろうか。彼みたいな大人には。

「やから普通にしようや。安いもんは早いもん勝ちやで。もう無いかもしれん。
映画はまた何時でもみれるけど190円のトイレットペーパーは次何時か分からんのやから」
「……」
「俺が惚れた百香里はどんな時も自分を貫く強い子や」
「総司さん」
「あ。照れてる?顔赤いで。ほんま可愛いな」
「も、もう」

少し顔を近づけ覗きこむように百香里の顔を見つめる総司。
最近キスするようになって間近で彼の顔を見る事は珍しくないのに
やはり恥かしくてドキドキしてカッコイイと思う。余計に頬が赤らんだ。

「正直に言うとな。この前泣かしてしもたやん?あん時もな…内心可愛いとか思てた」
「え」
「自分ほんまアカンわ。何しても可愛いもん。何しても愛しい」
「……」
「これ以上顔赤くなるん?首元まで赤いなあ。体も熱いし」
「あ」

慣れない言葉の連続に内心パニックになっている百香里をからかうように抱きしめる総司。
ギュッと強くでも痛くないくらいに適度な優しさのある抱擁。彼の淡い香水の香りがして心地いい。
抱き返そうかなと百香里がモゾモゾしていると何故かすぐ体が離れる。

「ちゅう訳で。行こか」
「え?え?」
「さっきの店。俺も買うし。ほら、急ご」
「…はい」
「何や残念そうやね。そんな映画観たかったん?それとももっと俺とギュってし」
「行きましょう!」
「はは。元気出てきたな」

百香里は顔を赤くしながら総司の手を引っ張って映画館から出た。
チケット代は勿体無かったが仕方ない。席には総司が戻ってくれないし
恥かしくてあのままあの場には居られなかったろうから。
早足で引き返し先ほどのドラッグストアへ入る。まだストックはあった。

「ふふ。洗剤もシャンプーも安くてよかったぁ。丁度切れてたんです」
「俺も必要なもん買えてよかったわ。ユカリちゃんのお陰で大分賢くなってきたわ」
「…でも」

また母親に怒られるだろうな。映画を観に行ったのになんでトイレットペーパー?と。
荷物を車に乗せて街を行く。行き先は特に決めていない。夕飯を食べられる場所。
でも百香里は少し憂鬱そうな顔をした。

「何がええかな。俺腹へってなんでもええ状態や」
「私も」
「デートやのに何も考えてへんで堪忍な。ここはかっこええ店とか予約しておくもんやけど」
「私に合わせてくれてるんですよね。高いお店とか私にはとても」

デートの時の食事は彼が何時も出してくれるが百香里はそのたびに必死にお礼を言う
申し訳ない顔をして。何時か何かで返そうと考えているくらい。だから相手も気にして。

「高いだけで堅苦しい店は俺も勘弁や。ただどんなんがええか俺が勝手に決めるよりもユカリちゃんと
こうして話しながら気長に探したいって思っただけや。まあ、手抜き…とも言えん事はないなぁ」
「ふふ。総司さんってそういう感じします」
「そういう?あ。手抜き?」
「一緒に楽しんでくれる感じ。かな」
「そら一緒にせなおもろないやん。ンな俺だけ楽しいとか。そんなんただの自己満足や」
「…総司さん?」
「あ。いや。うん。…お。そこの店何や美味そうとちゃう?」
「洋食屋さんですね。美味しそう。あ。駄目お腹なっちゃう」
「よっしゃ決まり」

彼はもしかしたら自分が思うほど気にしてないのかもしれない。
安さへの執着も恋人らしい振る舞いというものも。
百香里がまだ19歳であるということも。いや、それはあるか。流石に。

「いいな。私もあんな風に乾杯してみたいな」
「あと1年待とうな」
「はぁい」
「あ。今の返事可愛い。もっぺんして」
「嫌です」
「なんで?」
「総司さんは可愛い言いすぎです。私そこまで可愛くないです。恥かしいです。だから駄目」
「そういうお返事も可愛いなあ」
「もう。何ですかそれ。何をしても一緒ですか?」
「怒った?怒った顔も」
「エビフライ追加にご飯超大盛りでデザートにフルーツパフェ追加で!」
「ええよええよいっぱい食べ」
「うう…じゃ、じゃあサラダも大盛り!全部総司さんの料理でお願します!」
「ええよええ…え?俺の?」

こんもりと大盛りで出てくる総司の注文した料理。苦笑いの彼だが
でも結局パフェは百香里が食べた。

「お腹いっぱい」
「俺もや」
「残さないで全部食べた総司さん素敵」
「意地悪なユカリちゃんも悪ないけど。…ちょっと胃がもたれそうや」

すぐに車に戻って帰っても良かったけれどどちらかともなく食後の運動をしようと街を歩く。

「映画。次はちゃんと観ましょうね。普通のデートしなきゃ」
「俺からしたらこれが普通やけどなあ」
「すいません」
「やから。そんなん気にする事ちゃうて。色んな普通があってええやん」
「総司さんは経験豊富そうですしね」
「…まあ、なあ。俺もええおっさんやし」
「……すいません」

あまり突いてはいけない話題だったか。なんとなく黙る2人。

「な、なあ。ユカリちゃん」
「はい」

そこを切り出したのは総司。

「もしも…俺がさ、その実はバツ」
「バツ?」
「バツ…バッ…バッ…バッターになりたかってん実は。昔の話しやけど」
「バッター…ですか」
「そ、そう。それも4番な!」
「あんまり詳しくないんですけど。それって野球のお話ですよね?」
「せや。野球。野球や。今度ナイター行こうや!」
「え、ええ…でも今までそういう話ししましたっけ?」
「し、したやん。もう嫌やわ」
「そう…でした?ごめんなさい。お兄ちゃん野球好きだからいろいろ教えてもらいますね!」
「う、うん。…せやね…うん…俺のアホ」
「え?」
「何でもない」

でもなんだか元気がないようで百香里は不思議そうな顔をしていた。

「今日も楽しかったですね。私最近楽しすぎてバイトのシフト少なくなって。
先輩にどっか悪くなったのかって心配されちゃいました」
「デートしとるんやでええやんな。何でも楽しいのが1番や」

いつの間にか目の前にはとめてある総司の車。もうここまできたのか。
話をしながら歩いていたらあっという間だった。

「はい。…総司さん」
「ん。何?」

何気なく立ち止まる百香里に総司もつられて足を止める。

「……大好きですっ」

面と向かって言うのは恥かしくて彼の胸に飛び込みながら言った。
それで上手に伝わったかは分からないが抱き返されたから良いのだろう。

「俺も好きや。ほんま可愛い。このままどうにかしたりたいくらい」
「…総司さん」

それが嬉しくて胸にグリグリと顔を寄せていたら少し引き離される。

「こら。あかんよ。そんな可愛い事したら。俺ええおっさんやけどちゃんと男やで」
「分かってます」
「分かってへん。…それとも、百香里はこのまま俺の部屋連れてかれたいんか?
そんで朝まで一緒に居りたい?もちろん何もせえへんとか有り得んし。手も足も口も出すで」

総司の顔を見上げると彼は何時ものような笑みではなく真面目な顔。
それが冗談かそうでないかは百香里でも分かる。

「……」
「な。こっちも色々あるんやって。大丈夫何もせえへんで大人し帰ろな」
「今日は大人しく帰ります」
「うん。そうし…え?今日は?」

何それどういう意味?総司は百香里の顔を見た。その瞳は今にも泣きそうで潤んでいる。

「総司さんにならいいです。何されても。貴方を信じてるから。でも今日は遅いし帰ります」
「……」
「総司さん?」
「…あ。うん。あそう。そうなん。ええん。何やあっさりと…いやいやちゃうちゃうそうやない。そこやない」
「どうかしました?」
「どうかしましたやないやろ。今自分めっさ問題発言したで」
「してません」
「したって。何でもしてええんやったら夜遅いとか関係ないやん」

むしろ今から部屋に連れ込んであれやらこれやらナニやらをしてもOKということでは。

「え?でもあんまり遅いとお兄ちゃん心配するし」

いや、やっぱり基本的な事を分かってない気配がする。
さすがバイトに青春をかけてきたまだ19年しか生きていない子。
これは本気にして押し倒したら泣かれるパターンだ。

「ほな昼間やったらええんか…って俺は何を考えとんねん!アホ!変態!アホ!いやしかし!しかし!」
「どうしちゃったんですか総司さん」
「何でもない。帰ろか。あぁ…しんどい」

おっさんが20歳も若い子を前に勝手に一喜一憂している様など無様極まりない。
百香里がそのことに全く気づいていないのが救いだ。でも恥かしいのには変わりなく。

「何か私悪い事。あの。また変な事しちゃったんですか?ごめんなさい」
「ええねん。また今度添い寝でもして」

総司はそんな惨めな自分を誤魔化すように何時もの調子で冗談を言ってみる。

「はい。何でもします。何でも言ってください。か、彼女じゃないですか…っね?」
「……俺殺されるんとちゃうかこの子に」

が、やぶ蛇でノックアウト。

「ど、どうしたんですかしゃがみこんじゃって。何処か悪いんですか?病院行きますか?それとも部屋に」
「も、もうええから。行こ。ほんまこの子はっ」
「総司さんも顔真っ赤ですよ?やっぱり風邪とか」
「ええから。3分だけでええ。静かにしてて」
「は、はい」
「どうしようもないなぁもう」
「……」

黙ってはくれたものの、気になってチラっと隣を見たら上目遣いで此方を伺う百香里と目が合う。

「…黙ってても可愛いんが余計辛い」

おわり


2013/08/17