距離


「どうしたんですか松前さん。そんな端っこ。あ。隅が落ち着くってタイプですか?」
「そ、そうなんよ。俺隅っこめっさ好きやねん」
「そっか。じゃあお茶淹れますね。台所お借りします」
「あ、ああ。ほんまおおきに」

互いに「好きだ」ということを言い合ってから彼女は何度部屋に来たのだろう。
総司は本社に戻り百香里はバイト先で働きつつ他のバイトも掛け持ちして相変わらず大変そう。
そんな合間にこうして遊びに来てくれたり映画に誘って一緒に行ったりと交際は順調である。
ただ彼には1つ不安な事があった。確かに好きだとは言い合ったしデートもしているけれど。
付き合おうと自分からははっきりと言わなかった。彼女からも聞いていない。

「で。祭日の予定なんですけど」
「聞いといてまさかバイト詰めてますぅとかいうオチちゃうやろね」
「詰めようと思ったんですけどその前に松前さんの予定を聞いておこうかなって」

モゾモゾしている総司を他所にお茶を淹れてくれた百香里が戻ってきた。
途中で買ってきたという美味しそうな御まんじゅうも広げて。
どちらかというと彼女がまんじゅうを食べるのにお茶が欲しかったような雰囲気。

「俺は普通に休みやよ。ユカリちゃんが誘ってくれるんやったら何処でも行くし」
「週休二日の上に祝日も休みで月給制か。いいですよねぇ…でも働いた分もらえるし
バイトもバイトで悪くない所もあるというか。いやでも聞いたら昇給あるしボーナスあるし
福利厚生も整ってるならやっぱり正社員は安定していて」
「あのぅ。ユカリさん?話し聞いてくれとる?」
「聞いてますよ。それで何処へ連れて行ってくれるんですか?」
「行き成りそれかい。…せやなあ。ユカリちゃんが喜ぶ所って言うたらやっぱりアレやね」
「あれ?」
「激安スーパーの丸一」

さりげなく今日の朝刊に混ざっていた店のチラシを彼女に見せながら言う。

「そんな…す、素敵過ぎます!駅から遠くてバス停も無くて行けないって思ってた憧れのお店なんです!
凄い嬉しい!松前さんやっぱり素敵!」
「…なんやろうこの虚しい感じ」

これほどまでに悲しくなる素敵はない気がする。総司の手からチラシを取り眺める百香里。
彼女の特性はある程度掴んでいる。何をすれば喜ぶのかも。
ただせっかくの休みなのに激安スーパーに行くというのはあまりにも色気がないような。
でもきっと凄い良い笑顔で微笑んでくれるのだろう。あの笑顔は反則的に可愛い。

「嬉しいな。じゃあバイトは入れないでおきます」
「ぎょうさん買えるとええな。祭日とかならなんかイベントあるやろし。車あるで気にせんでええし」
「わあああああ」
「目キラキラさしてもう。ほんま可愛い子やなあ」

総司は今までの人生で「安い」というキーワードにこれほど弱い人間を見た事がない。
お金に執着をしながらも特有の意地汚さは感じずただ純粋さを感じるのは彼女がまだ19歳だからか。
無邪気な子どもみたいだとは思っても言わないでおこう。それは彼女がとても気にしている事だから。
だけどそんな彼女も含めてすべてが可愛くて愛しい。一緒に過ごせば過ごすほど引き込まれていく。

「じゃあ。松前さん。また」
「気つけて帰り。ちゅうてももう目の前やけどな」
「私が部屋に入るまでちゃんと見ててくれますしね」
「歳とると心配性になるんやよ」
「そんなこと。……じゃあ、行きます」
「うん。…また、な」
「はい」

特に何も発展しないまま総司の部屋で夕飯を食べて遅くなる前に彼女を送り届ける。
百香里は何時もバイト帰りに来るし総司も何時も定時という訳ではない。
会える時間は少なく回数もそんなに多くはない。互いに電話もしたいと思いながら躊躇って止める。


「お前それ遊ばれてんじゃないの?」
「そ、そんなんちゃうし」
「まだ19で可愛い子なんだろ?20も上のお前の事そんなすぐ好きってんなぁ怪しいなあ」
「怪しない。全然普通や。…部屋来てくれるし。飯作ってくれるし。茶だって」
「じゃあもうえっちさしてくれんの?どうよ19歳の若い体は」
「アホか。ンなもん…まだ出来るか」

そんな日が続くからつい愚痴ではないけれど相談を身近な男にしてみた。
同じ会社の隣の席の男。歳が近いのもあって何かとつるむ事が多い悪友だ。
言われる事に反論しながらも心のどこかで揺さぶられているのも同時に感じる。

「何だ。ヤらしてくれないのか。ヤんのに金とか要求しだしたら完全アウトだな」
「そんな子やない」
「今時の若い子は中々商売上手らしいし。お前なんかころっと騙されそうだからさ。
一応忠告しといてやる。そう甘い話なんかねえってこった」
「……お前に話した俺がアホやった」
「お前が幸せって思うならそれでいいとは思うけどな」

お金には困っていそうだしそういう話も出てくるが百香里から総司に要求する事など1度もない。
やろうと思えば今までに何度でもチャンスはあったはずだ。でもしない。そんな子じゃない。
でも本当に恋人同士になったのか今いち実感の出来ない総司は何処か心の奥にモヤモヤが出来る。
無意識に過去を思い出していたのかもしれない。逃れられない思い出。それを必死に押し殺しながら。
彼女と激安スーパーにデートしに行く日はやってきた。

「赤丸印は必ずゲットする品です」
「こ、こんなにあるんや」
「松前さんも居るし出来るかなーって」
「え。俺も」
「じゃあ…」
「やるわ。任して」

朝開店30分前に来たのに既に駐車場に車は埋まりかけ。
百香里には普通の事でも総司には驚愕の光景だったようで暫く固まっていた。
暫くはチラシを見たり作戦会議をして時間を潰し店が開いたと同時に中へなだれ込む。
安さへの人の執念とパワーは恐ろしい。そして非力そうに見える百香里の逞しい事。

「よし全部ゲット!」
「ほ、ほとんどユカリちゃんがもぎ取ってたな」

総司はただ巻き込まれて百香里はそんな彼のあいたカゴに品物をどんどん入れた。
収穫は上々で大きな袋3つぶん。重たそうなので総司が2つ百香里が1つもった。
車に乗せて一息。もう1日分の気力体力を使った気がするのだがこれでまだ午前中。

「ありがとうございます。お礼に何か…えっと。お茶でも」
「まずは荷物届けてからやな。冷たいもんもあるし」
「あ。はい。すみません」

百香里の部屋に向かい荷物を運びこんでこれでやっと買い物は終了。
今度こそデートらしい事が出来ると思いつつバテたので喫茶店へ入る。

「毎回あんなんしとるんやな。大変や」
「慣れると面白くなってきますよ?こうつかみ取りならどれだけ沢山詰め込むかとか」
「そうかぁ」

へとへとになっている総司に対しまだまだ元気な百香里。
これが何時もやっている人と今日行き成り参加した人の違い。
年の差だけではないはずだ。そう思いたい。

「これからどうしましょうか。映画とか公園とか美術館とかでも全然」
「待って待って。そんなすぐには動けへん。充電さして」
「あ。はい。すいません」
「そんな焦らんでもええやん、のんびりしよや」
「でも」
「もう買い物は終わったんやし。それともまだ買う店あるん?」
「そういうわけじゃ」
「車あるし便利やろうけど」
「……ごめんなさい」
「あ。いや。今のはそんな嫌味やないよ?ちゃうからそんな顔せんといて」

声が小さくなって百香里は俯いた。彼女を責めるような口調だったろうか。
自分の中でそこまで深い意味はなかったのに。

「お母さんにも怒られたばっかりなんです。さっき。荷物持っていったら。
あれだけ買えたら喜んでくれると思ったんですけど」
「え?」
「朝イチの買出しなんて街のショッピングみたいなオシャレなものじゃないし。
早くから付き合わされた人の気持ち考えてなかったですね。ごめんなさい。
だから、その、デートっぽさを取り戻したくて。焦っちゃいました」
「ユカリちゃん」
「……」

どうやら荷物を運んでいった間に母親と会話があったらしい。
車の中では何も無かったように振舞っていたのに。
再び俯いた百香里の目には大粒の涙。肩がかすかに震えている。

「あ、あかん。あかんて。泣かんといて。俺全然嫌やとか思ってへんし。
そもそも俺が言うた事やんか。これからもユカリちゃんの為やったら
アメリカでもフランスでも何処でも行く。ええやんか。朝から買い物したって。
それが可愛い服とかやなくたって生活に必要なもんなんやし」
「……」
「ユカリちゃん。…俺も泣きそうや」
「……どうして松前さんが泣くんですか?」
「悲しいもん」
「何が?」
「ユカリちゃんを泣かしてしもた」
「……それは」
「大好きやのに。俺がアホやから」

もしかしたら心の中にあるモヤモヤしたものが出てきたのかもしれない。
それで知らないうちに彼女を責めていたのかもしれない。考えれば考えるほど
自分が不甲斐なく思えて総司も俯いた。流石に大粒の涙は出さないけれど。

「やっぱり私みたいな人間は恋とかしないほうが」
「他の男とはせんでええけど俺とはこのまま続けような」
「……いい…んですか?」
「ほら。ここは笑顔でハイて言うとこちゃうの」
「……、はい」

総司に手を握られながら百香里ははにかんで微笑みながら返事をした。

「そうそう。その笑顔がほんま可愛い」
「松前さん。…そんな睨んだら恥かしい」
「せめて見つめとるって言うてくれへん?」
「じゃあ…見つめ返します」
「そ、そうくるかっ」

まだちょっと目が潤んでいるけれど愛らしい瞳で総司を見つめる百香里。
色っぽさよりも可愛いという気持ちが強くてつい口元がニヤけてしまう。
泣かせてしまったからと理由をつけてそんな彼女に甘いケーキを注文する。
ずっと遠慮していた彼女だが甘いものは好きだから最終的には食べてくれた。

「何処行くんですか」

車をとめて歩き出す2人。百香里は行き先を知らない。
この道なら公園かそれともウィンドウショッピングか。
総司に言われるままに歩いていた。

「公園。途中で弁当とか買うてハイキング気分で行こ」
「いいですね」
「やろ」
「はい。素敵です。さすが松前さん」
「な、なあ。ユカリちゃん。俺の事…その、…か、…彼氏やって思ってくれてる?」
「え?」
「ち、違った?」
「何言ってるんですかいきなり。私たちずっと前から付き合ってるじゃないですか。
私そのつもりだったんですけど。違ったんですか?私が勝手に思ってただけ?」
「やよな!そうやよな!ユカリちゃんは俺の可愛い彼女やもんな!」

百香里の返事に単純だけど心の中にあったモヤモヤしていたものがあっさりと消えていった。
彼女もちゃんと自分を恋人であると認識してくれている。だからこそ部屋に来てくれたり
ちょっとハードだったけれど買い物もした。恋人だからこその彼女なりの甘え方だと思えばいい。

「どうしたんですか?急に…」

不安そうに此方を見上げる百香里。

「可愛いなあおもて」
「……総司さん」
「可愛いだけやないな。駆け引き上手や」
「え?」

そんな彼女の唇を奪う。優しくゆっくりと。

「嫌やった?」
「…いえ。総司さん全然何もしてくれないから。興味ないのかと思ってました」
「あー…俺も普通の男やって忘れんといて」
「はい」
「つう訳やでもっぺんキスしてええ?」
「いいですよ。そんなに上手じゃないけど、負けません」
「……あんなあ。俺も結構耐えとんのやで?負けてへんで」
「え?」
「そのきょとんとした顔もほんま可愛いなあぁあ」


おわり


2013/08/13